「経験がまったく通用しない場所」で。支えとなった、たった一つのマイルール。
新しい仕事や環境に飛び込むときは、いつだってワクワクだ。まだ見ぬ未来への期待が、なんとも言えない高揚感を生み出す、その瞬間が、わたしは好きだ。

ところが、である。
その数ヶ月後には、自分の無力感や「できなさ」に挫ける時期がいつだって訪れる。メンタル強い系のわたしでさえ、ものすごく落ち込む。
どんな仕事も、最初の1年はだいたいつらい。あたりまえだ、初めてのことに取り組むのだから。それも数年たてば慣れる。あの時期がウソだったかのように。
それなのに。
また新しい世界に飛び込もうとしている。一体なぜか。
その理由は一つしかなく、それはわたしの人生において大きな役割を持っている。今日はそのことについて。
新しい仕事に向かうときの、たった1つのルール
これまで、病院で働く理学療法士の立場から介護の現場へ、地域へ、行政の事業へと、いくつか場所を移してきた。
書籍を書き、大学で教える仕事も受け、来月、会社を立ち上げる予定でもある。
「いろいろやられているんですね」と言われる。たしかに、ちょっと多動気味の人生である(←自覚はある)。
でも、嫌だからとか、しんどいから次の場所に逃げてきた、ということは1度もない。これだけはちゃんと言っておきたい。
なぜならば、一つだけ自分に課しているルールがあるからだ。
移ったからには、その場所で「ここでしかできないこと」をやり切ってから次に行く
それだけだ。
つぎの場所へ動くタイミングを測るときの判断軸は、いつも一つだ。
「この場所で、もう自分にやれることはやり切った」と思えるかどうか。
それ以上でも以下でもない。
そのきっかけは、過去の後悔。
その「ルール」が固まったきっかけは、病院で外来を担当していた、忘れられない患者さんにある。80代後半で、当時20代だった私を本当の孫のように想ってくれる、本当に大好きな患者さんだった。
彼女は、シルバーカーを押して、家から1時間以上かけて、ゆっくりゆっくり病院まで歩いてくる。真夏も、汗だくでやってくる。
そんな様子なので、到着時間が、まるで読めない。
午前の受付時間には到底間に合わず、苦肉の策として昼休みに対応していた。
ただでさえ忙しい医療現場で、時間の読めない患者を担当することは、いろんな方に迷惑がかかってしまう。(だから、風当たりが強くなる)
でもだからといって、彼女にタクシーを使って来てくれとはやっぱり言えず、それなら、と模索した結果の「お昼やすみ対応」だった。
すると毎回、「先生、この後お昼でしょう」と言って、赤飯やお弁当を持たせてくれる。(シルバーカーの中身の正体。)
リハビリそのものよりも、ここまで歩いて来ること自体が、彼女にとってのリハビリになっていたのだとも思う。
そんな病院でのリハビリも、結婚を機に退職することになる。
この女性の引き継ぎには相当迷った。後輩に昼休みを削ってまでの対応はお願いできない。
「次からは時間内対応になるので、この時間に来てくださいね」
と伝え、信頼できる相談員に事前に相談をしておいた。その時の私にできた精一杯だった。
退職後しばらくして、同期から連絡があった。
「あの患者さん、2、3回は来たけど、結局来なくなっちゃったよ」
その後、自宅で暮らすことが難しくなり、施設に入所したと聞いた。1時間歩いて病院に来ることは、たぶん彼女にとって、社会との数少ない接点だったのだと思う。それが断たれた途端、生活がぐらりと崩れる方向に変わってしまったのではないかと、勝手に思ってしまっている。
保険の枠に収まりきらず、介護サービスにもうまくつながらない。そのあいだに、こぼれる人がいる。
「病院と介護と地域をつなげられる人がいたらいいのに。」
そう思った。
それがその後もずっと胸に残り、次の仕事は介護の現場に決める。
そしてそのあと、地域へ、行政の事業へ。MBAの大学院にも進んだ(医療経営を学ばないと地域の問題は解決できないという結論)。
1日40人の名前が、覚えられない日々
とはいえ、新しい場所に移ったら移ったで、最初の1年はしんどい。これはもう、毎回そうだった。
病院から介護の現場に移ったとき、デイサービスでは1日40人近い利用者さんが来所する。名前と顔が、まるで一致しない。

利用者さんにとって、デイケアは長く通う一種の居場所で、新参者の私はどうしても「外から来た人」として見られた。
病院で長年やってきた経験は、ここでは通用しない。言うなれば、リハビリはできるが、リハビリ以外のことが何もできない。
一人一人の移動手段、食事内容、入浴方法、リハメニュー、送迎の順番やルート、加算の有無…勝手がまるでわからない。
そんな自分にできることといえば、結局、「誰でもできること」だった。
まずは名前と顔を一致させる。会話のなかに何度も利用者さんの名前を入れる。そして、一人一人の背景を知る。空き時間ができたら、リハビリと関係ない話をしに行く。お孫さんの話、昔の仕事の話、最近見たテレビの話。
専門性のかけらもないが、むしろ、それしかできなかった。
地域の介護予防の現場に出たときも、同じだった。
何年もそのコミュニティを支えてきた住民の方々のなかに、特段求められてもいない専門職として立たせていただく。パッと思いつきで出向いてできる仕事ではない。
往復5時間以上かかる場所に、月に何度か通う。そして最初はやっぱり、誰でもできることしかできなかった。
1年を超えないと、見えない景色
それでも辞めなかったのは、冒頭のルールがあったからだ。
「ここでしかできないことを、やり切ってから次に行く」
そう決めていたから、地味で結果の出ない最初の1年を、何度も超えてくることができた。
利用者さんの名前と顔が一致するようになると、リハビリの中身そのものが変わってくる。地域の方々が「長島先生」と呼んでくれるようになると、こちらが声をかけずとも、困りごとを向こうから持ってきてくれるようになる。

そうして初めて、自分にしかできない専門の仕事が、ようやく立ち上がってくる。ような気がする。
「誰でもできること」を、しれっと続けられたかどうか。その1年を、見栄を張らずに過ごせたかどうか。
新しい場所に向き合うときに大事なのは、結局そこなのかもしれないなー
と今では思うのだ。
新しい仕事に向き合う最強のコツがあるとは、私は思っていない。動いてみないと、自分に合うかどうかも、続けられるかどうかも、わからない。
ただ、動いた先の最初の1年は、「誰でもできること」で埋め尽くされる時期がだれにでもあるような気がしている。
そして、そんな地味なその1年が、たぶん、いちばん大事な1年になる、と私は思っている。
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