広告経済の次 #13: もしも電車がタダだったら
前回紹介した『監視資本主義』や、
その前の『テクノ封建制』、
どちらも
起きていることを認識することの難しさ
を訴えています。
確かに、
グーグルで検索したり、地図をみたり、動画見たり、
アマゾンで買い物したり、映画見たり、
フェイスブックで知人とつながったり、
ネットフリックスでドラマみたり、
みんなしていますが、
だれも何も強制されているわけではありません。
自由意思で利用しているだけ。
そういう感覚だと思います。
そうなんです。
個々の場面では自由に選択しているだけなんです。
でも、その時々の選択の自由だけでは
健全な社会を維持するのに十分じゃないんです。
そこが分かりにくい。
たとえば、
カルテルは禁止されています。
あれはなんで、禁止されているのでしょうか?
だれの自由意思も奪われていませんよね?
カルテルが禁止されている理由は、
カルテルが市場における公正な競争を阻害し、
消費者の利益を損なうためです。
このルールは自明ではありません。
つまり、倫理的な「善悪」とかではなく、
社会をよりよくするために、
人々がよく考えて、
市場の在り方をデザインした結果なのです。
もう一つ例を挙げると、
高利貸しの規制があります。
お金を借りたい人と、貸したい人がいて、
双方が納得して契約する。
これほど分かりやすく、自由な取引はありません。
どちらも自分の意思で決めている。
でも、一定以上の利率でお金を貸すことは、
法律で禁じられています。
なぜでしょうか?
高すぎる利息は、
借り手を返済不能に追い込み、
破産や家庭崩壊を引き起こすことがあります。
地域や社会全体に悪影響を及ぼします。
一人ひとりが自由意思で選んだ結果でも、
社会としては望ましくない結果が想定される。
だからこそ、
この自由な契約に「上限」という形で制限をかけている。
これも善悪の問題ではなく、
人々がよく考えて、
社会の在り方をデザインした結果なのです。
このように、「自由」のままだと望ましくないケース、
「あえて制限をかける」方が望ましいケースはあり、
すでに社会の制度に組み込まれているものもあるわけです。
分かりにくいのは、
『テクノ封建制』や『監視資本主義』が
警鐘を鳴らしていること、
つまり、グーグル、フェイスブック、アマゾン、などのサービス群の、
いったい何が問題なのか、です。
そこで今度は、
少し極端なたとえ話をしてみたいと思います。
・・・
百数十年さかのぼり、日本全国に鉄道網が広がっていった時代に、
もし、とあるベンチャー企業が現れて、
「タダで乗れる鉄道網」を全国に展開したとしたら――
そんな想像をしてみてください。
その名は「グルグル線」。
乗車料金は一切かかりません。
最初は、駅も車内も広告は一切ありませんでした。
シンプルで真っ白な駅に真っ白な車両。
スタイリッシュです。
しばらくすると、乗客の行き先に合った
広告が出るようになります。
なぜ、私のことを知っているのか不思議に思いましたが、
乗車カードで、
私の乗車駅と降車駅と、一週間の生活スタイルを
追跡できるらしいです。
どんどん便利になり、
乗客はもはや、自分で駅を指定するのではなく、
自動で表示される行き先候補を選ぶだけになります。
商業施設はこの便利なグルグル線の沿線に、
店を構えるようになります。
グルグル線の駅のそばに店を立てられれば、
繫盛は約束されたようなものです。
乗客も商店もみんなハッピーです。
店は、
グルグル線に広告料を払ったり、
より大きな駅のそばに店舗を構えたり、
頑張ります。
乗客も、
グルグル線を前提にした生活を始めます。
グルグル線がなければ仕事もできません。
やがて、店の成功は商品の質やサービスよりも、
グルグル線の表示順に左右されるようになります。
良い商品をつくっても、表示されなければ客は来ません。
むしろ、商品開発よりも表示順位を上げるための最適化に
人も金も割いた方が、効率がいい。
そんな空気になっていきました。
しかし、乗客がその駅で降りるかどうかは、
グルグル線の行き先候補表示システムの表示結果次第で、
それが毎週のように変わるということが
問題になりはじめました。
表示順はどうやって決まっているのか。
グルグル線のアルゴリズムは非公開です。
時折、表示が大きく変わり、
昨日まで賑わっていた駅前が、
翌週には閑古鳥が鳴く。
誰も明確な説明はできません。
ただ「より良い体験のため」と書かれているだけです。
そして、乗客は、
改札だけでなく、
沿線の店舗の利用にも、
グルグル線の乗車カードを使うようになります。
店舗ごとのポイントカードもあるのですが、
パスワードが覚えられず、
グルグル線の乗車カードに紐づけた方が
簡単だからです。
そして、乗客が乗車中に見せられる広告は、
日に日にプライベートに踏み込んだものになります。
同じ電車に乗ったことがなくても、
同じ時刻の同じ店の待ち合わせなどから逆算して、
交友関係も正確に推測します。
どこで漏れたかわかりませんが、
私の子供が小学校に入学することもかぎつけ、
ランドセルの販売員が電車の中まで売り込みに来ます。
来年から電車通学することになる自分の子供が、
毎朝どんな広告を見せられるかと思うと
不安でたまりません。
最近、年配の知人が、
降車ボタンと間違って広告をクリックしてしまい、
大変な目にあってしまったそうです。
それ以来、もう二度と電車には乗らない、と言っています・・・
いかがでしょうか?
この「グルグル線」、
何らかの制限があった方がいいと思いませんか?
幸い、現実の世界では、
公共交通機関は有料で、
個人の乗降データは勝手に広告主に売り渡されない。
少なくとも、そんなことを表立ってはやらない、
と信じることができます。
インターネット、Eコマース、SNSの黎明期には
たしかに広告ビジネスは
多くのベンチャーにチャンスを与え、
それによって多くのユーザーにも恩恵を与えたと言えます。
ただ、社会インフラになりつつある現在、
このままではマズイと思うのです。
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