太宰とケツメイシと「私」①
双極性障害と共存しつつ、「自分」という「個」をいかに楽しんで生きるか?
そんなことを考えたり考えなかったりしながら、日々なんとなく生きてはいけてる「私」です。
▼「私」について
岩鍋わらべさんの記事を読んだ。
ちなみに、ものすごく面白かった。
テンポとリズムが「私」の感覚に対して、心地良いんだと思う。
あと、書いてあることすべて、ドはっきりとした文体で、読んでいて痛快だ。なのにキツイ物言いには聞こえなくて、むしろ愉快。
▼岩鍋わらべさんの記事はこちら
ほんでね。
この記事の、以下の部分を読んで、あることを思い出した。
僕は太宰治が大の苦手なのですが、音読すると文章は気持ちよく読めてしまうんです。やっぱすごいんだな文豪、作品は病的で不健康でテンション下がるから読みたくないけど。
――ので、それを書こうと思ったら、すごく長くなってしまった。この際だから、もう簡単に結論を書いておくね。
「はじめて太宰治を読むなら、メロスにしとこ!」です。
太宰と「私」
noteのどっかの記事で書いたような気もする……けど、してないような気もする。
「私」は、太宰の本を開いて1ページ……どころか、1行目で脱落した。
太宰治といえば、なんだろう?
やっぱり、『走れメロス』だろうか?
多分、国語でやったよね。
さすがに、いつの時の国語で習ったかは、もう思い出せないけど。ていうか、今の国語の教科書に、『走れメロス』は載ってるんだろうか。
そんで、もう話が変わるんだけどさ(!?)
卒業式とか文化祭でさ、合唱とかしたじゃん?
ちなみに私は、平成初期生まれなんだけど。
で、3月になると、よく卒業ソング特集とかやってるでしょ?テレビで。
そしたら、なんか感傷的な気分になって……思い出に浸るためについつい観ちゃったりするのよ。
で、「あ〜〜、確かにアンジェラ・アキとか、レミオロメンとかあったね〜(私が歌ったわけじゃなくても)」みたいなことを私が言った。
そして、夫・のりんこくんは言った。
「いや学校行事で歌う曲やろ?オシャレ(?)なチョイスしすぎやろさすがに!」と。
えっ、そう……?いや、もはや定番中の定番というか、ザ・王道ってチョイスじゃん……?と思って、「え、のりんこくんは何を歌ったの?」と聞いた。
ちなみに、のりんこくんは私より、6歳お兄さんである。
▼夫・のりんこくんの話
「私」は自称3歳だけど、世間的にはもう「おばさん」だろうと自覚はある。
ということは、のりんこくんも「おじさん」だろう。
――と、思うが。
割と若く見られるタイプなせいか、本人は「おじさん」と呼ばれるのは、なんか……なんか嫌そうだ。
そんでもって、私はもう10年以上一緒にいるが、未だにのりんこくんが大好きである。
3ヶ月に1回くらいのペースで、もう好きが溢れに溢れすぎて、分かる人には分かるものすごい平成みを感じる「恋って、こんなにも、苦しいものだったんだね……」みたいな気持ちにすらなれる。未だに。
だから、あくまでも「お兄さんよね」という姿勢を崩さずにいるんだけども。
「そんなもん仰げば尊しやろ」と答えられたら、「私」はともかく。
今の子どもたちは(少なくとも、卒業ソングとしては)あんまりピンとこないんじゃないかな……と思った。
いや、仰げば尊しは良い曲なんだけどね。これ歌ってても聴いてても、気持ちいいもんね、やっぱ。
で、太宰に話を戻すけども。
太宰をはじめて読むならメロスにしとこ!
太宰治の『走れメロス』が、教科書に今も掲載されているかどうかは分かんない。
分かんないけど、多分みんな、これは知ってるんじゃないかと思う。
メロスは激怒した。
これ。SNSをみてたら、結構よく見かける。
もっと言うと、以下のタイプの投稿。
○○は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の○○を除かねばならぬと決意した。
けど、これについてはなんとも……。
他にもタイプ(?)はあるみたいだけど。
なんかもう、そういうテンプレみたいな。
たまに話題になる「○○構文」の走り的な。
だから、馴染みがある太宰作品と言えば、多分『走れメロス』でいいと思う。
――で、私も教科書で習ったはずだから、最初に読むなら馴染みがある『走れメロス』にしとけばよかったのだ。
……と、今なら思う。
けど、「私」が「太宰治、読んでみよ!」と思った時、手にしたのは『人間失格』だった。
……(こう言ってはなんだけど)もうなんか、タイトルから漂ってるじゃん。
そして、多分この時には太宰治という文豪が、どういう人物だったか?みたいな情報も、ある程度は持ってたと思うの。(多分、中学生だったと思うから)
なのにさ、『人間失格』を選んだのよ。
しかも、なんか多分、「太宰治って言ったら文豪だし(?)有名タイトルは読んでおいたほうがいいよね」みたいな感じで、深いこと考えずにパッと買ったのよ。
いやそれなら『走れメロス』でよかったのよ。
いいんだよ、『走れメロス』おもしろいよ。
文豪の作品!て敷居高いような気がするけど、案外サクッと読めるしさ。
でも、有名だし。
(メロスも有名だよ)
なんかむずかしそうな内容だし。
(そういうレベルの話じゃないよ)
なんか読んだら賢くなれそうだし!
(そんなわきゃないのよ)
――みたいな。
なんかもうただの「ノリ」的な理由。
そんな安易な気持ちで、手を出してしまった。
だから、とんでもないっていうか、「とんでもねえ」大怪我をした。
恥の多い生涯を送って来ました。
もう怖くて、ゾッとして、反射的に本を閉じた。
「てかそれ、1行目じゃないじゃん。『はしがき』はちゃんと読んでんじゃん」
――と、言われると思う。
うん、『はしがき』は平気だった。
……ていうか、「まぁなんか、むずかしいけど。言ってることはなんか、なんか分かるよ」みたいな感じだったの。
その先に待ち受けてることを知ってる「今の」私からすると、生意気なやつめ〜!と思わないでもない……ことも……ない?
いや、やっぱり分かる……。
――ってことは「今の」私も、「未来のいつかの」私からしたら、生意気なやつめ〜!なんだと思う。
「分かんないけど分かる」の正体
文体の難解さは別として、「言いたいことは分かる」っていう、これ。
多分「文章を読む」ってより、「その場の雰囲気を感じる」みたいな。そういう感覚だったんだろうね。
いや、実際のとこは知らんけど。
だって私、あれから『人間失格』読んでないから。
でさ、まだ10代だった「私」の何に、そんな刺さったんか?ってことなのよ、問題(?)は。
いや、今でも刺さるんだけど。
恥の多い生涯を送って来ました。
何回繰り返す?って感じかもだけど、一応ね。
これは、もうまんま「私」自身の懺悔だった。
もはや「太宰は「私」のこと書いてる?」と、被害妄想の完成形くらいの被害妄想まで抱くレベルに。
というか、今も刺さるということは、懺悔「だった」ではなく、懺悔「なのだ」。
なんやかんやで今まで生きてこれて、今や憧れだった「ママ」にもなってて。
自分では、めちゃくちゃに恵まれてるし、ハッピーな人生だなって思ってるけど。
でも、それは「私」の主観の話だからさ。
偏屈者が言う「聖人」
「私」のママには、弟がふたりいる。
そのうちの一人・ノリおじちゃん。
この人は、「存在自体に賛否両論あるだろね……」と思わせるくらい、人からの評価が極端に分かれるタイプの人間だ。
でも、本人はなんにも気にしてない。
▼ノリおじちゃんの話
ほんで「私」も、ノリおじちゃんが大好きだ。
けど、世間的には「捻くれ者」とか「偏屈おじさん」とか、そんな感じだと思う。
だから、ノリおじちゃんが他人(いや、身内であっても)を手放しに褒めているのなんて、聞いたことがない。お世辞なんて、口が裂けても言わない。
言えない、じゃない。
自分で考えた結果、「言わない」という選択をするのだ。口を裂くぞ!と、刃物を突きつけられたとしても。
だけど、その、ノリおじちゃんが言った。
「俺はみんな俺よりバカと思ってるから、人を尊敬するってことはないんだよ。でもな、あの人だけは、本当に尊敬すべき人間なんだよ。もう聖人だよ聖人、分かるか?」
どの部分のことを言ってるかは説明しないけど。
この「あの人」が誰かって、私のパパである。
▼パパの話。(他はこちらから読めます!)
ベタ褒めはさらに続く。
「お前のお父さん。俺のにいさんはな、本当に特別製の人間なんだよ。仕事柄、色んな人間見てきたけど、あんな人いないよ。お前は自分の親だから分かってないんだろうけど、あの人は特別。それを分かってないとダメ。普通の人間は、ああはなれないんだよ」
ちなみに。
ノリおじちゃんはママの弟だから、パパと血縁関係にはない。そして、ママは亡くなっている。
婚族関係終了届ってのも出してあるから、義理の関係も一応、もうない。
ないけど、ノリおじちゃんにとって、パパは尊敬すべき人で、「俺のにいさん」と心から思っているらしい。(すごい偏屈おじさんなのに)
言われたのは、私の名字が変わったばかりの頃だったと思う。
……まぁつまり、「のりんこくんに、にいさんと同じことを要求するなよ」ということが言いたかったみたいなんだけど。
そんで結婚式に招待したら、すごく喜んでくれた。
式当日なんて、もうパパよりパパみたいな顔して、声を上げて大号泣していた。
なんなら、後日届いたアルバムを見たパパが、「ノリのやつ、俺より親父みたいな顔してるな(笑)」とか言ってたくらいだ。
招待状を送った後にかけてきた電話では、散々に文句を言ってたのに(笑)
「おい、お前のせいで俺フラれたぞ!カノジョが私たちの式はいつかな?って言うから、結婚しないよって言ったら追い出されたぞどうしてくれるんだよオイ!」
いやほんと知らんがな(笑)
というか、それは「私」のせいではないでしょ(笑)
……ノリおじちゃんの話になってしまった……。
パパの「影響力」と「人間力」
えっとね、そんで何が言いたいかってね。
こういう偏屈おじさんですら、パパを絶賛している。
そういうわけだから、「パパの娘であること」そのものが、子どもの頃からすんごいプレッシャーだった。
――ってことだ。
でも、「私」はパパが大好きである。
自他ともに認める、いわゆる「ファザコン」だ。もう小学生からは堂々と自称していた(と思う)。もちろん、今でもパパ大好き。
(今さらだけど)また話が逸れるんだけどさ。
結婚式でさ。のりんこくんも、おかあさんに手紙を読んだのね。その中で、パパにもメッセージをくれたの。
「大事なお嬢さんとの結婚を許してくださって、ありがとうございます」みたいな。
で、その後に「(私)はいつも、パパの話をしています」と続けた。
(その内容から、本当に愛されて育ったんだと分かります。みたいなことだったんだけど)
「私」のことをよく知っている友人たちは、多分「確かに」ってめっちゃ思ったと思う。
だから本当に、誰の目から見ても。
「私」は、パパが大好きなのだ。
自分の意識的にも、それは絶対に間違いない。
でも、大好きで尊敬してるからこそ。
その存在がプレッシャーだったことも、事実なのだ。
亡くなったおばあちゃん(母方の)も、生前いつも言っていた。お前のパパは本当に素晴らしい人間だって。
▼おばあちゃんの話
そんで、「だからその娘のお前も、絶対にそういう人間になるからね」みたいなことも、いつも言っていた。
子ども心に、「確かに……パパがすごいってことは、その血をひく私が期待されるのは、そりゃまぁ……そうか」と思っていた。
だから少なくとも、いわゆる「普通」の道を行く。それは当然なんだろう、とも思っていたのだ。
この「普通」ってのは、「大体の人はこういう道を行くんだ」と教わっていたやつである。まぁ、環境的なものが大きかった。
中学は私立の、勉強!勉強をするんだ!!という、とても熱心な中高一貫校に入学した。
なので、当たり前に「大学に進学する」もんだと思ってたのよ。そんで、「それが普通」って認識を、先生たちも生徒たちも持っている環境だった。
でも、「私」はそういう「普通」から、脱落しちゃうんじゃ……?
――というか、「なんか、なんか私、なんか分かんないけど、変、なのかも……」と感じ始めていた。中2かな?くらいには。
で、『人間失格』を読んでしまった。
(そう、太宰の話だよ太宰治の話!)
タイミングとしては、多分最悪だった。
「私」は、なんか分かんないけど「世間的に見た時に」立派な人間にならないといけない。
いやでも、そんな賢くもない。
それどころか、みんなが当然のようにしていることが、うまくできない。
でも、だけど。
「普通」に大学に入って、「普通」に卒業して。ほんで「普通」に就職する。それは当たり前にしなくちゃいけない。せめて、そのくらいは。
そう思っていた。
「……でも、なんかそれ……その道に行くの……なんかさ、無理……ぽくない?」
何がどう無理とか、そういうのはまだ言語化できる段階になかった。(双極性障害に辿り着くまでにも、ここから数年かかっている)
でも、「なんか、無理なんじゃないか?」というのは薄々……それこそ「自分」で感じる雰囲気的なもので、気づき始めてたわけである。
だから、「恥の多い生涯を送って来ました」という一文が、恐ろしくてゾッとしたのだ。
自分の行く末を、示唆してるように感じて。
――で、色々あって精神科にかかり、適応障害→双極性障害となるまでの間に、「私」は「普通」から外れた。
そんで、「今」の私の状況……というか、肩書き?スペック?は、以下の通り。
学歴?ないです。
職歴?ないです。
(アルバイト、Webライターの経験はあるけど、履歴書に書けるようなものは何もないです)
これだ。
でも「私」は、「普通」の道に進めなかったことを、パパから責められたことはない。
パパの経歴からしたら。
「私」は他人から見た時、「できそこない」と思われておかしくないと思う。まぁそうだよね、とも思う。
(言うて他人の娘だから、どうでもいいはずなんだけど)ガッカリっていうか、なんていうかな……。
「……あ〜……」みたいな反応する人くらいはいそう。(そりゃ言いはしないだろうけど、よ)
だからパパも、そういう風に思ったって仕方ない。――と、「私」自身も思ってる。
でも、パパは私を責めたことはない。
(疑問に思ったことはあったみたいだけど)
そんで、「私」を否定したこともない。
だからノリおじちゃんの言葉は、真面目に聞いてるつもりだった。
でも、「つもり」だったんだな、と思う。
自分が「親」になってからやっと、ちゃんと、その意味が分かってきた実感?みたいなのがあるから。
ノリおじちゃんが言った、「ああはなれない」って意味が、特に。
――というか、どうしたらなれるんだ??
なんか、これに尽きる。
でも、「パパみたいになりたい」と思うのよね。やっぱり、それは変わらない。
むしろ、今は昔より、その気持ちが強い。
でも、プレッシャーに感じて苦しかった「昔」と、「今」は違う。
あの頃は、「パパみたいにならなくちゃいけない。でも、なれない。パパの娘なのに、パパみたいにできない」って感じだった。
なんていうか、すごい卑屈な気持ちが根源の「なりたい」だったんだよね。今思えばさ。
でも、「私」がパパを大好きなのも、尊敬してるのも、「パパみたいになりたい」って思うのも。
その理由は、突き詰めたら「一つ」しかない。もう何十年とパパの娘をやってきてるのに、やっと気づいた。
そもそも、「人」として魅力的なのだ。
だから「私」は
でさ。
今のままだと、「あ〜、楽しかった!」と思って人生を終わることはできる(と思ってる)けど。
どっかで、「恥の多い生涯を送って来ました」という意識が邪魔して、なんかモヤついてきた時に心臓止まるんじゃないかな……。
――という気もしている。
(松本家はご長寿一族なので、なんか私も老衰で死ぬと勝手に思ってる)
だから、そういう中途半端なモヤァ……って気持ちの中、「……あっ、もう死んでんだわ……」ってならないようにしたい。
だから、変わらなくちゃいけないのよ、「私」。
「親」になって、娘の成長速度が凄まじい「今」こそ、本当に心から思う。
▼うちのお嬢さん、2歳にして人の命(というか私の)を救う
だから、こういうマガジンも始めました。
(急に宣伝になってごめんね!)
▼双極性障害でもできる自己実現!
・双極性障害でもできる自己実現!とは
「双極性障害でも夢は叶えられるはず!」そんな思いをかたちに=夢を実現するまでの、「私」のトライ&エラーの記録
……あれ?
……待って、待ってまったくケツメイシの話に辿り着かないな??
でも、もう気づいたらこんな長くなっちゃったから……急遽、タイトルに①を付けることにする。
――とりあえず。
太宰っていうか『人間失格』を読む時は、ほんと……「タイミングに気をつけなはれや!」という話。
――ということで、今回は終わりたいと思います。
今回、これを書くきっかけをくれた岩鍋わらべさん!
▼岩鍋わらべさんのアカウントはこちら
本当にありがとうございました。
自分が最初に考えた記事とは、気づいたら違ってたんですけど……でも、より色濃く「自分」を考えることができた!
――と、「私」としては満足しています。
なので繰り返しになりますが、本当にありがとうございました!
(いや、読んでいただけるとは思ってないんだけども、お礼は言いたいのよ。分かってくれますよね?この感覚)
▼「私」ってこんな人
しかし、太宰ってすごいよね。
文章で人に「己の人生とは」を考えさせて、自省を促し、さらに「だから頑張るぜ!」って決意までさせてる……。
でもごめん、最後までは読めてない。
いつか、せめて『はしがき』を読んだ時くらいのテンションで、最後まで読めるような「私」になります。
――ので、いつか私がそちらにいきましたら、その時はサインください。
➡️『太宰とケツメイシと「私」②』へ進む。
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