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拝寿仁王参②~江戸の仁王信仰で願いがかなったかなった夢のご利益

 仁王は、もともと二王と書くように二体で一組となり、口を開けた阿形あぎょうと、口を閉じた吽形うんぎょうがあり、二つ合わせて「阿吽あうん」という。阿吽あうんの呼吸とは、二人のタイミングがぴったり合うことをいう。
 この二体の仁王像が動き出し、人々の願いをかなえるという夢物語。
 黄表紙きびょうし拝寿おがみんす仁王参におうさん」は、芝全交しばぜんこう作、北尾政美まさよし画、寛政元年1789年、鶴屋つるや喜右衛門きえもん刊の二巻二冊。
 その現代語訳(かなりの意訳)を二回に分けて紹介する二回目、最終回。

 


下巻

 さても仁王尊におうそんは、上巻にて腎虚じんきょ治療ちりょうをし、女をやせさせたるお手際てぎわ、まことに生きた薬師如来やくしにょらいのごときと評判になり、また、ここに、梅毒ばいどくで鼻のなくなった女郎二人、これを聞き伝え、
「なにとぞもとのように鼻をつけさせたまえ」
とのがんかけ、仁王は、また考えて、これも七日間の断食だんじきをさせ、米粉こめこってかためて鼻をこしらえ、つけたまえば、腹の中のひだるむし(空腹の虫)、「なんぞ食いたい食いたい」と思うところへ、米粉の鼻をつけたので、これは我慢がまんならないと、虫の一念いちねんで、作った鼻は体にいつきける。まことに仁王のトンチに感動しない者はなかりけり。
 
後ろの女郎「ああ、鼻がほしいなあ。こうなったのも苦界くがいにいるからですねえ、花魁おいらん
前の女郎「だんご鼻は月見の月見だんごで落ちやした。その代わり、客からの祝儀しゅうぎ総花そうばなの花が鼻になりんした」
仁王「そもそも、あなたの元の鼻は、だんご鼻か上向きの鼻か、おれが新しい鼻をこしらえてはやり出したら、おまえたちを鼻っぱりだと言おう。鼻っぱりってのは、博打ばくちで最初にることを言うのさ」

 


 仁王尊におうそんは、だんだんはやり出したまい、今は門に番台を入れて、ご両人でがんかけの治療ちりょうをもっぱらとなさりけるが、耳の聞こえない者、願いに来たりければ、キリを左の耳の穴へ入れ、右の耳の方に磁石じしゃくをおけば、たちまち左右の耳へ通りけ、ちゃんと聞こえるぞ、ありがたき。
 また、三年ごしの中気ちゅうきにて足腰あしこし立たずにわずらいける者を、女房が連れて来て願えば、これも仁王のアイデアで、手足と首に糸をつけ、あやつり人形となしたまい、自由自在に動かして女房に渡したまう。
 
右仁王「もう聞こえるだろう。コンニチハー」
男「そりゃ、聞こえませぬ。あいたたた、キリが通ったせいか、キリキリと聞こえます」
 
左仁王「まてまて、なかなかおもしろい。なんだかやる気がしくなってきた」
女房「おかげで亭主ていしゅが、ぐなりしゃなりとなりました」
亭主「女房よろこべ、この様子ようすでは、おれの息子も役に立つようになったかもしれぬ」

 


 金持ちの町人で、腹がやせている者がやってきて、 
「金持ちで腹がやせていたら見苦しくござれば、少し腹がふくれますように」
との願い、これも仁王におう工夫くふうにて、豆をしたたか食わせ、竹筒たけづつの水を無性むしょうに飲ませたまえば、腹の中で豆がふやけ、腹が大きくなるこそ奇妙きみょうなり。
 また、四五年このかた、全然歩かれない病人二三人、がんかけに来れば、これまたあんじて、足の裏にしじみ貝をノリではりつけ、うちわであおげば、ひょいひょい歩くぞ不思議ふしぎなり。
 
右の男「いただく水は竹筒たけずっぽうの井戸の霊水、治療の方法はあてずっぽうらしい」
右の仁王「うそではないわい。これがうそなら、ハトが豆でっぽうだ」
 
左の仁王「これがシジミおどりだ。どうだどうだ」
左の男「がってんだ。とんててちん、がったりがったり、とんててちん。いや、こいつは意気いきだねえ」
真ん中の男「今におれも歩いてみせよう。しじみ売りが歩いて念仏をとなえて歩いているようだ」

 


 目の病気にて、目が見えなくなった者、がんをかけければ、まず頭に穴をあけ、その穴からこしらえた目の玉を入れ、やさしい目と、こわい目とが、ひっくり返るようにこしらえて、尻の穴からひもを通し、それを引っ張っては目が変わるようにして渡したまう。頭に穴が開いて見苦しいので、
しま頭巾ずきんをかぶせておけ」
と、おっしゃる。
 
右の仁王「おかみさん、見さっしゃい。そりゃ、べっかっこう~。なんと、おもしろいだろう」
女房「それ、したがぺろりぺろり、また、引っ込んだ。それ、ぺろり。はあ、これは仁王様のつけたおまけのようだ」
 
 また、七つになる女の子、これまで一言もものを言わなければ、仁王のあんじにて、鸚鵡おうむ九官鳥きゅうかんちょうを黒焼きにして、例の水で七日間飲ませれば、口をきくこと、ぺらぺらぺらとなり、お礼参れいまいりに来たるとき、仁王の体より光明こうみょうはなちたまうぞありがたき。
 
女の子「あのね、むこうのおばさんも仁王様へお参りしたいけど、借りた着物の利息が高く、お賽銭さいせんも必要だから行かれないとさ。それに毎月の借金しゃっきん返済へんさいもあり、家賃も払っていないとさ」
 今ではこんな口をきいて、ちと困ってしまう。
左の仁王「この光は後光ごこうの光ではない。この子があんまり何でもしゃべるから、顔から火が出て赤くなるのだ」

 


 仁王尊におうそん治療ちりょうは、日々繁盛はんじょうしたまい、今は貴賤きせん群集ぐんじゅし、老若男女ろうにゃくなんにょとうとみて、門前もんぜんいちをなし、まりみの人々もおびただしきことなりければ、今は、一人一人に治療するのもめんどうだと、夢の中の治療だと、泊まり込みの夢枕ゆめまくらに立って、いろいろなご神託しんたくをしたまう。
 
 大きなあみ杓子じゃくしを持って、貝をすくい取るように、大勢おおぜいの病気をすくい取りたまう。よって、参詣さんけいの者、南無阿弥陀仏なむあみだぶつならぬ金網かなあみ陀仏だぶつともうす者もあり。何妙なんみょう法蓮華経ほうれんげきょうならぬ網妙あみみょう法蓮華経ほうれんげきょうともうす者もあり。これは、今も仁王は金網かなあみの中に安置あんちするおげなり。
 
仁王「奇特きどくなるかな、なんじら、さぞ馬鹿ばかがいのむき身と思おうが、深い浅いのあさり貝はくんで知れ、今まで飲ませた竹の水、ますます増える人々の、やまいもさっぱりさるぼう貝、悪鬼あっき悪魔あくまもつかみ取り、荒々しくもはまぐりしく、仁王のちかいはほんまかいなうそかいな、どうかいなと滅法めっぽうかいなと疑いを起こすまいぞの貝づくし、それはそうだがとまりの者が、そりゃ、服がめくれた風邪かぜひくな、女は赤貝つき出して、男もふんどし引っぱずれ、き身が見える気をつけろ、こっちはむき身の宣託せんたくさ」
と、なんの役にもたたぬ祝詞のりとをのたまう。
 
男「これ、静かに見さっしゃれ。夢が重なってたまらねえ」
寝言ねごとで、
女「わっちゃあ、お水を飲んで水くさくなりんした」
などと言う。

 


十一

 さても仁王尊におうそんは、そののち、どんなわけがあったのか、極楽浄土ごくらくじょうどから碑文谷ひもんやのお寺へいらっしゃる。仏法ぶっぽう守護しゅご本体ほんたいは、山門さんもんに立ち、今においても、この仏に願いをかけ、
諸願しょがん成就じょうじゅ如意にょい満足まんぞく
となえ、願いのかなわぬということなし。
 ほとけのこの世にあるころには、ご両尊りょうそん、なんでもかんでも「おう、おう」とよく聞いてくださったので「仁王尊におうそん」と呼ばれたり。今の世にては、「ああ、うんうん」とご両尊りょうそんとも聞いてくださるので「阿吽あうんの仁王」ともうすぞ、ありがたき。もひとつおまけに、めでたけれ。
めでたしめでたし
 
右仁王「みな、願いのとおり飲み込んだ、ああ、ああ」
左仁王「おれも合点がてんだ、うんうんうん」
 
  芝全交しばぜんこう戯作げさく  北尾政美まさよし

 


想像力豊かな芝全交の作品は、以下のものを紹介している、


 

 今も仁王《におう》信仰は続いているが、この作品にあるような熱狂的なブームは数年で終わったそうだ。
といいつつも、黄表紙きびょうし自体が安永あんえい(1772~1781)から文化ぶんか(1804~1818)の時代にかけて流行し、その後、すたれている。
 寛政かんせいの改革によって、おちゃらけて政治などの批判をすることができにくくなったため、黄表紙も遊里ゆうりをあつかったものから、敵討かたきうちを題材にしたりするようになった。そして黄表紙の形は消えていった。

 

そんな黄表紙の歴史をあつかった黄表紙もある、

 

黄表紙の代表作家山東京伝さんとうきょうでん敵討かたきう作品はこちら、

 

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