【S1|形のルール】私がルアーを作る理由──形が生まれる前の話 #5
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第5章|手の中で見えてくる世界
1.削ることは、完成形を探す行為ではない
ルアー作りは、完成形を強く思い描いて始めるものではない。
少なくとも、私にとってはそうではなかった。
木片を手に取り、ナイフを入れる。
削る。
また削る。
すると、ときどき不思議な瞬間が訪れる。
「こう削れ」と、木のほうが訴えかけてくるように感じるのだ。
もちろん、木が本当に語りかけているわけではない。
だが、こちらの意図が強すぎると、途端に手は止まる。
うまくいくときほど、考えていない。
ただ、手が動いている。
2.削るとは、命令ではなく応答である
削るという行為は、命令ではない。
応答だ。
こちらが押し付けるのではなく、
木の状態、刃の入り方、指先の感触に耳を澄ます。
そのとき、見えてくるのは「形」ではない。
むしろ、心のほうだ。
3.心は、削りにすべて現れる
迷いがあると、削りは鈍る。
欲が前に出ると、刃は暴れる。
評価や完成像を意識した瞬間、手は正直さを失う。
逆に、雑念が消えたとき。
選択肢が頭から消えたとき。
なぜか「これでいい」と思える削りが、自然と続く。
形が見えた、という感覚。
それは、形が突然現れたのではない。
余計な判断が消え、残ったものが、ただそこにあっただけだ。
4.手の中の世界には、序列が存在しない
手の中の世界は、極端に小さい。
木とナイフと手。
そして、自分の心。
そこには、市場もない。
評価もない。
一流も二流も存在しない。
あるのは、
「いま、この削りは嘘をついていないか」
という問いだけだ。
5.削ることで確かめていたもの
デザインの仕事でも、同じ瞬間がある。
情報を集め、分析し、思考を尽くしたあと。
最後に必要なのは、さらに考えることではない。
心を静め、
フォーカスを少しだけ緩め、
手が正直に動ける状態をつくること。
削ることで見えてくる世界とは、
完成形のイメージではなく、
そこへ辿り着ける心の状態だった。
私は、ルアーを削りながら、
ずっとそれを確かめていたのだと思う。
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