『魔女に与える鉄槌』から透けて見える、差別の手口と対策の話
両生類や魚と異なり、哺乳類は肺呼吸だから、海の中で出産するシャチ達は、「無茶しやがって……」と思うのですが
生まれてきたシャチが無事に成長するためには、 「自力で泳ぎ水面にあがり呼吸をすること」「母親が赤ちゃんシャチのサポートをすること」「水中で授乳ができること」の3つの要素が必要となります。体の大きな水生生物のため、条件が満たされない場合でも容易に手助けができないことが、シャチの出産の難しさです。
「3つの要素が必要」とのことに、もらい泣きしました。皇帝ペンギンの雄が、「だからなぜおまいらは、卵を抱かないのか??」と訝しがるかもしれません。
さて、シャチと皇帝ペンギンから、ホモサピエンスへ視点を移します。ホモサピエンスの半分に対する人権侵害が、女性への差別だと思う。素人として中世の魔女狩りを見ると、もっともらしく権威を装って、差別を社会構造で行うようになる点は歴史で繰り返されていると思います。例えば、ホロコーストとか。
日本も差別は起きるから、過去の酷い事例から学ぶと、偏見のある誰かに「呪い」をかけられたり、責任転嫁されずに済むと思う。みんなは、どう思いますか?
歴史的背景
ローマ教皇にとって、あらゆる災難を魔女のせいにするのは簡単なことだった。15世紀のキリスト教会は、エデンの園に罪をもたらしたのは最初の女性であるイブだと信じていたため、時のローマ教皇インノケンティウス8世の審問官たちは、主に女性を標的にして魔女を洗い出そうとした。
『魔女に与える鉄槌』ハインリヒ・クラーマー
Others again have propounded other reasons why there are more super-stitious women found than men. And the first is, that they are more credu-lous; and since the chief aim of the devil is to corrupt faith, therefore he rather attacks them. See Ecclestasticus xix: He that is quick to believe is light-minded, and shall be diminished.
(ドミニコ会士で異端審問官であった著者による、15世紀に書かれた魔女に関する論文)
まず、21世紀の単なる信徒のプロテスタントとして素朴な疑問があります。
①『愛せ・殺すな』という教えと拷問の正当化は矛盾しませんか?
②女性が弱い根拠が書いてないのは、著者のあなたの論理的思考能力や自己批判能力と、信仰自体が弱く外部要因である「女性」が気になってしょうがないから魔女を空想するのではないのですか?
③イエスの処刑の場面で男性で12使徒のペテロ達の記載はありません。三度の否認(マタイの福音書26:69-75)があるように、ペテロですら知らないと逃げてしまうほどの危険な状況でした。
マタイの福音書(27:55-56)
マルコの福音書(15:40-41)
ヨハネの福音書(19:25)
対して、マグダラのマリアなど女性達はその場にいたと聖書に書いてあります。マグダラのマリアが女性であり、ハインリヒ・クラーマーが男性であり、「性別で決めつけていい」のなら女性の方が信仰が強いはずで、ハインリヒ・クラーマーはマグダラのマリアより劣らないといけない。なぜ、同じ聖書を使って逆の結論が出るのでしょう? 恣意的に権威付けに使ったからですよね。
④あと、カトリックを批判するつもりはないのですが、その引用箇所はプロテスタントは扱わない第二正典です。なぜ、そこから引用したのですか? 特定の聖句を文脈から切り離し、女性蔑視という特定の目的のために利用することの問題点を、誰でも検証出来るようにするために、引用箇所自体も検討なさってはどうですか。
在野の思想家として2点指摘します。
① 「悪魔が女性を狙う→女性が迷信的」という主張は循環論法に陥っています。
悪魔の存在自体が証明不可能な宗教的信念です。「私は信じている。なぜならば、こうした理由があるからだ」と、説明せずに、「とにかく信じているんだ! あんぱん買ってこい」みたいな論法を用いている。これは、中世の聖職者という影響力のある立場で、個人の尊厳を否定するような偏見を体系化しており、無責任です。
一般的に推論は前提を間違えると、間違えますよ。演繹法みたいに。
②便利だから差別していません? 中世キリスト教社会で女性を「弱い存在」と位置付けることで、男性中心の宗教権威を正当化する機能を果たしています。このレッテルと迷信は、権力の非対称性を反映し、構造で再生産しています。
ハインリヒ・クラーマーにお子さんいるのか知らないけれど、生物学的な母親は存在するはずです。人種差別とかも構造が同じで、ハインリヒ・クラーマーにとって「大切な女性」と「そうじゃない女性」がいます。感情は関係なく、他者の尊厳を守ってほしい。それでも人を導く聖職者ですか。
我々が学べること
差別は、以下の思考プロセスを意識することで対処しやすくなります:
主張の根拠:データか信念か?
前提の可視化:何が暗黙に想定されているか?
説明の代替可能性:他にどのような解釈が可能か?(オッカムの剃刀も効果的)
社会的文脈:誰がどの立場から発言しているか?
特に「宗教的テキストを社会現象の説明に用いる際の限界」と「ジェンダー論における本質主義 vs 社会構築主義」(例えば伝統とパフォーマティビティー)の対立軸を意識すると、よりこうした思考の罠を避けられます。
まとめ
この記事から言えることは、正しいことを言うことは目的ではない。差別していない他人を萎縮させることはいけない。(公共の福祉の範囲で誰もが自由)他人をとやかく言うのでは無く、自分の考え方を検証し、「情報の偏りと感情の棚卸し」を改善することが大事。
いきなり差別のない社会は無理でも、もしかしたら1000年先も差別はあるかもしれない。それでも、ダメなものはダメだし、なぜそう考えられるのか、考えられる人を増やすことだけは、その小さな積み重ねこそが、具体的に確認できる確かさなのかもしれません。
シャチにはシャチの、皇帝ペンギンには皇帝ペンギンの苦労と喜びがあるはずだから、我々もそれぞれの持ち場で生き延びましょう。
より差別とは何かを学ぶために、よろしければどうぞ
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
人種差別撤廃条約は、人権及び基本的自由の平等を確保するため、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策等を、すべての適当な方法により遅滞なくとることなどを主な内容とします。1965年の第20回国連総会において採択され、1969年に発効しました。日本は1995年に加入しました。
無癩県運動のなかで強調されたのが、ハンセン病は「恐ろしい伝染病である」というメッセージです。ハンセン病の危険性を過度に強調して恐怖心をあおり、ハンセン病に対する偏見を国民に植え付けることになりました。
障害者差別解消法は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月に制定されました。このリーフレットは、障害者差別解消法の概要やポイントをお伝えするものです。
同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の人々が長い間、経済的、社会的、文化的に低位の状態を強いられ、今なお結婚を妨げられたり、日常生活の上で様々な差別を受けたりするなどの我が国固有の重大な人権問題です。
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