💠コラム的な:死刑論 ①


📖『こころにしみる日々(上) 〜 愛と喪失と再生の獄中272日間 〜』

2023.4.30

~ 我々国民が無実の罪で国によって殺されるようなことがないように ~

🎙️まず最初に、
袴田さん事件でも、証明されたように、
証拠を捏造するような重大な違法行為を行った者には、
⚠️我々国民の身の安全のために、
死刑を含む厳罰化を法的に検討する必要がある(私見)。
その上で初めて、
死刑を論じることが可能になる。

(2025.4.5)
👩💻「袴田さん再審無罪の判決要旨」(日経新聞)👉再審で、捜査機関による証拠の捏造が認められている
👩💻「袴田巌さんの再審無罪判決が確定 検察が控訴の権利を放棄」(朝日新聞) 👉9月26日の再審判決は、袴田さんの逮捕から約1年後に見つかった中心的な証拠「5点の衣類」や「自白調書」など3つの証拠を捜査機関が捏造したと認定とされている 👉リンク切れ
✏️✅死刑論 ②との関連 再チェック(2025.3.30)
✏️冤罪による死刑を懸念する理由として、検察、裁判所の実態に触れる部分を追記する必要がある(2024.11.1)
✏️いや、それは「📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)を読み終えて ~ 死刑論 ②、③ ~」で述べている(2024.11.2)

🎙️冒頭とも被るが、
🐦⬛冤罪がなくならない限り、死刑には永遠に、

「正義のためなのに、正義ではない」
という矛盾が残る(2025.3.28)
🐦⬛袴田さん事件で証明された【⚠️捜査機関による証拠の捏造】の事実つまり違法な国家権力の行使が明らかになった現在、万が一にでも我々国民が無実の罪で国によって殺されるようなことがないようにしなければならない(2025.4.3)
🐦⬛従って、死刑の執行にあたっては、再度しかるべき複数の法務関係者で慎重に審議し、
①一点の曇りもなく、冤罪ではないということが明らかな状況の元、
かつ、
②全員一致の意見の元、
行われるよう、法律を改正しなければならない(2025.4.2)。
✉️法務大臣へ ①
💡【提案】①

(繰り返し)袴田さん事件で証明された【⚠️捜査機関による証拠の捏造】の事実つまり国家権力による深刻な人権侵害(= 結果として我々国民の命が奪われかねない重大問題)の可能性(もっと言うと、国家権力による殺人未遂のように感じる・私見)が明らかになった現在、我々国民が無実の罪で国によって殺されるようなことがないようにするために、
まずはこれを提案というよりもはや国民のひとりとして要請せざるを得ない。つまり、
📚新刑事訴訟法 第1条
死刑の執行は、冤罪ではないということが明らかな場合のみ、
法務大臣を含む5人以上の法務関係者の慎重な審議の元、全員の意見が一致した場合のみ
行われる。
2025.4.2
長い内容なので、最初に、
✨まとめ✨

死刑を議論する上でのポイントは、
⚠️冤罪による死刑の執行はあってはならない!!!その上で、
まず被害者の観点から考えるのが何よりも第一
その次に犯罪を生み出してしまった社会全体の観点で考える
私は死刑には反対に近い思いがあり(2023.4.30時点)、
その理由は、
①万が一それが冤罪だった場合はどうなるのか?
②そもそも人間が人間を裁くというところに問題がある
③人類の長い歴史の中で冤罪によって死刑になった人がひとりくらいいても何ら不思議ではない
④ 冤罪に関しては、⚠️【捜査機関による証拠の捏造】という国家的大問題がある!!!
⑤生まれつきの悪人はいない
⑥殺すよりも、生涯に渡る苦しみを与える方がよほどつらいことではないか?
ということ。
❓死刑は残酷か?
👉観点によって答えは変わる
❓もしも自分の家族が殺されたときに同じように考えられるのか?
👉動物的本能からすると答えはひとつ
その上で、
⑦死刑とは我々国民全体に直結するテーマである
『💠コラム的な : 』でいろいろなことを書いてきたが、企画の当初からあって自分の中に重くのしかかっていたのが「死刑論」だった。

書こうと思う内容の方向性にはある程度の目安はあったものの、あまりにも重いテーマなだけに簡単に書けそうにもなかったし、また、簡単に書くわけにもいかなかった。
現在、釈放日までのマジックが21。もうそろそろ何となく機が熟したような気がした。吉本ばななさんの📖『パイナップルヘッド』(幻冬舎文庫)のP.48あたりを午睡の時間に読んでいて、そう思った。

関連するコンテンツ📖「📖『パイナップルヘッド / 吉本ばなな』(幻冬舎文庫)」
現在の状況、現在の私に言えること、しかし今言うことに意味があると考え、書くことにしたいと思う。
死刑。その言葉は、拘留期間中ずっと、初めて📚六法に触れてからは、さらに、なぜか私はこの言葉に異様に敏感に反応するようになっていた。
そして自らも冤罪の被害者であるため、

関連するコンテンツ📖「🏛️訴訟ゲーム①-① 再審請求 ~ 無実である人間が無実を主張することに何の遠慮もいらない」
この問題から目をそらすことができないし、袴田さん事件や日野町事件に関する新聞記事やラジオのニュースなどは、いやでも注目せざるを得なかった(🔗️📖P.12『2023.3.8~』)。

関連するコンテンツ📖「📰袴田事件・日野町事件関連記事」
他に、死刑囚が死に際に本能的に抵抗するという話や、
📖『もう時効だから、すべて話そうか 重大事件ここだけの話/一橋 文哉(小学館文庫)』

関連するコンテンツ📖「留置場では主に事件物、犯罪物の読書にはまる」
📖『愛を感じるとき / 金賢姫』(文春文庫)の中の「死刑囚の心境」の章など無意識のうちに死刑にまつわるいろいろなものを読むことになった。

関連するコンテンツ📖「🏰刑務所で最初に出会った本、それはあまりにも衝撃的過ぎた ~ 📖『愛を感じるとき/金賢姫』(文春文庫)~18 死刑囚の心境 ~ 死刑論 序章」
🐦⬛今考えれば、

あの頃なぜあれほど"死刑"という言葉に敏感になっていたのか?
それはやはり、ああいった環境に隔離されたとき、
もしも自分がまかり間違ってそのような過ちを犯してしまって死刑判決を受けていたなら、
どんな気がするのだろうか?
ということだったと思う(2025.3.13)
👉あそこで私が見たのは、この世の最低の世界、
まさに
この世の地獄だった。

もちろん私は死刑囚でこそなかったものの(👉だからこそ今こうしていられるのだが)、もしも自分が死刑囚や無期懲役囚だったとしたら、そこはまず間違いなくこの世の地獄のひとつに間違いなかった。
いや、
死刑囚でも無期懲役囚でもなかった私にとってさえ、そこは地獄だったことには間違いない。

👉この世の地獄のひとつとあえて言うのは、例えば精神病院だって同じようなものと思うからだ(私見・2025.3.23)
📹「【精神病院】「退院させてもらえず死のうと••」精神病院に40年の入院を強いられた男性と考える日本の精神医療の課題【統合失調症】【施設症】|#アベプラ(アベマで放送中》」
📹「【閉鎖病棟】「精神科に強制入院は違憲」原告高校生が訴える理由」
👉また、ピース男が言ったように、
そこには自由もプライバシーも何もない。

関連するコンテンツ📖「LASTピース男 ~ 男の約束 ~」
👉あるとすればそれは恐らく、それでも
何とか生きていく
という、その人間の信念と本能のみだろう(2025.3.23)

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👉さらに、余談ではあるが、夜寝ているときにも頭の上で鳴る奴らの足音。その気持ち悪さ、不気味さ。
私は未だにそれが忘れられない。

これだけは恐らくあそこでの体験をした者でなければわからないだろう(👉もちろん言うまでもなく、自慢でも何でもない。そもそもあんなところへは普通なら誰も生涯にいちども行く必要はないのだから)。
その足音が頭上で止まったときにはゾッとした。ただ何かを注意されるだけだったとしても。だから、死刑囚の気持ちがなんとなく想像できる。死刑執行日の早朝(彼らはそのことを知らされていない)、刑務官の足音が頭上で止まる。その瞬間のからだの芯まで凍りつくような恐怖(👉彼らを擁護するために描写しているわけでは一切ない。あくまで個人的な記憶に基づくメモとして)。
📹「日本の死刑執行」
👉はっきり言って、私はこの動画を最後まで観ていない。トラウマになりそうだから。余談の余談になるが、個人的には、この手のものとか、実際の手術の映像とか、その手のものは心臓に毛が生えていないので観れない。血液検査で注射針が刺さるのなんかも恐くて見れない。過去に海外で起きた、テロ組織によって日本人の青年が斬首された事件の動画がネットにアップされていたらしく、それを観たという女の子がいたが、そういう人間の神経が理解できない。確かに、人それぞれだと言ってしまえばそれまでの話ではあるのだが。。。(2025.3.31)
元々私はどちらかというと死刑に関しては賛成派に近かったのだが、そんな中で今現在思うことは、やはり塀の中にいる立場だからということになるのかも知れないが、結論から言って、はっきりとは言い切れないにしても、どちらかというと死刑反対に近い思いがある。

理由はいくつかある。
①まず何よりも、万が一それが冤罪だった場合はどうなるのか?
言うまでもなく、この場合、刑の執行などあってはならない。
👉📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者も同様のことを言っている(2025.3.29)

先にもふれた通り、「死刑は、冤罪であった場合には取り返しがつかない。国家が罪のない人を文字通り『殺してしまった』ことになるが、それでいいのか?」ということがある。
おそらく、この疑問が、最も反論の余地が小さい死刑廃止論の根拠だろう。
無罪率が異常に低く、検察が有罪にこだわり、刑事系裁判官の多くが検察官に同調しており、したがって冤罪率も高いと思われる日本においては、この疑問は、ことに大きなものとなる(P.202)。
自らが冤罪の被害者であり、冤罪が生まれるメカニズムを知り、それを証明する難しさを知った今、袴田さんや、日野町事件の阪原さんの気持ちが理解できる気がする。

関連するコンテンツ📖「💠コラム的な : 冤罪が生まれるメカニズム」
次に、
②そもそも人間が人間を裁くというところに問題がある

ということ。
本来神でなければ裁けるものではない。
👉📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者も同様のことを言っている(2025.3.29)
確かに、「裁く」、より正確にいえば「絶対的な正しさ、適切さをもって裁く」のは、神ならぬ人間には本来不可能あるいは困難な行為である(P.220)。
③👉人類の長い歴史の中で冤罪によって死刑になった人がひとりくらいいても何ら不思議ではない。なぜなら、裁判官は神ではなく、人間だからだ。

この点においても、冒頭で述べたように、まずは簡単に書ける内容ではないのは明らかである(2025.3.22)
👉📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者は次のように語っている(2025.3.30)
【要約】DNA型鑑定のほかには不確実な状況証拠しかなく、実際には同鑑定が有罪の決め手になっていた疑いの強い飯塚事件。この事件と同じ方法のDNA鑑定が行われた足利事件ではその後再鑑定の方向へ。その報道の直後に飯塚事件の死刑が執行されたという出来事は恐ろしいものであった(P.184)。
👉つまり、
飯塚事件と足利事件では同じ方法によるDNA鑑定が行われていて、
足利事件ではもういちど鑑定し直そうということになる 👉その結果無罪に
一方、飯塚事件では冤罪の可能性が疑われる中、死刑が執行されてしまう
という、もしも冤罪だとすれば恐ろし過ぎる、本当にあった話である。
このような状況(冤罪が疑われる状況)での死刑執行などあってはならない!!!

(2025.3.31)
👩💻「【飯塚事件のその後】再審請求10年の飯塚事件~「疑惑の死刑」責任者たちの今(2)」
👉このコンテンツの最後のページで、筆者の片岡健氏は次のように締めくくっている(2025.4.1)
いずれにせよ、今回、久間氏の死刑執行を決裁した責任者たちを取材し、久間氏に冤罪の疑いが指摘されていることに真摯に向き合っているように思えた人物は1人もいなかった。日本の死刑制度の運用は、かくもいい加減なものなのだ。
👉という批判もある(2025.4.1)
👉📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者も次のようにも言っている(2025.3.30)

日本の刑事司法においては、自白するまで身柄拘束の続くことが多く弁護士との面会の機会も限られている「人質司法」と呼ばれるシステム、検察の事実上の起訴権独占(ことに、起訴を制限する方向でのチェックシステムがないことについては、問題が大きい)、一体として強大な検察に刑事裁判官が同調し気兼ねする傾向、重大事件の無罪判決や再審開始決定が裁判官の処遇に不利に影響する傾向、また、その実態、総体についての検証がなされないまま闇に葬られてきている傾向が非常に強いのである(P.185)。
実際、明治以降無実の罪で死刑に処せられた人々が少なくなかった可能性は大きいといわれている(P.202)。
📹「【実話】犯人特定済みなのに未解決事件となっている闇が深すぎる理由『横山ゆかりちゃ誘拐事件」【ずんだもん&ゆっくり解説」
📹「須田慎一郎「飯塚事件を検証する映画“正義の行方”について」5月16日」
👩💻「飯塚事件」
👩💻「裁判を受ける権利を侵す 再審請求中の死刑執行に非難の声」
👉冤罪を防止するために瀬木比呂志氏は次のように述べている(2025.4.1)

裁判員裁判の制度に関して、「有罪判決、特に死刑判決が多数決で可能というのは、非常識ではないだろうか」と疑問を投げかけた上で、次のように述べている。
死刑が冤罪であった場合、それは、国家による殺人ということになる。その場合の問題は、はかりしれないほど大きい。重大事件に裁判員として参加される方々も、この点は肝に銘じていただきたいと思う。
【中略】
対象事件全体につき、有罪については少なくとも3分の2以上の多数を必要とし、また、死刑の選択については全員一応必要とするような法改正が必要ではないだろうか。
また、現行制度においても、「死刑の選択については、少数でも」反対意見があれば徹底的に評議を尽くし、それでも反対意見が残りかつそれに一定の根拠があるときには、多数派が譲って死刑判決を回避する慣例を作ることが適切だ」という元刑事系裁判官の意見を聴いたことがあるが、私も賛成である。評価の分かれうる状況証拠が積み上げられているだけの事案では、ことにそういえる。不確実な状況証拠の総合評価によって有罪判決を行うは冤罪の原因になりやすいし、その意味で死刑は危険きわまりないからだ(P.193)。
👉私が思うのは、冤罪と死刑との関係については、信じられないことに袴田さん事件で明らかになったように、
④⚠️【捜査機関による証拠の捏造】という国家的大問題がある!!!

ということ。
👩💻「58年待ち焦がれた潔白「あんたが勝った、言うとおりになった」…何も語らぬ弟に姉は何度も言い聞かせた」
👩💻「袴田巌さんの再審無罪判決が確定 検察が控訴の権利を放棄」
👉(報道によると)袴田さん事件では、捜査機関による証拠捏造は認定されている。捜査機関 = 検察or 警察のいずれであったとしても、捜査機関である以上、検察は真摯に受け止めるべきだが、真逆の行動をとり続けているように感じられる
👩💻「袴田さん無罪、検察が控訴断念発表 「捏造には不満」異例の総長談話」(朝日新聞)
👉最高検は検事総長名による異例の「談話」を発表。証拠捏造を認めた静岡地裁判決について「捏造と断じたことに強い不満を抱かざるを得ない」と批判している
つまり、
⚠️捜査機関(= 検察 & or 警察)が行った証拠の捏造を未だに認めていないように思える。

信じられないことである(2025.4.2)
(以下は一般的な制度論であり、特定事件の関係者個人に対する評価ではない)
この点に関しては死刑論 ②でも述べるが、先に簡単に結論を言うと、証拠の捏造の防止策として、証拠を捏造したことが明らかな警察官や検察官には罰則を設けなければならない。それはもはや国家反逆罪(📚刑法 第81条 外患誘致、📚刑法 第77条 内乱)にも相当(比喩)する重罪かどうかの検討が必要と感じるし(私見)、極めて重大な犯罪として厳罰化を検討すべきだと感じる(私見)。それが嫌なら、本来の正義に従って、証拠の捏造などしなければいいというシンプルな話なのだから残酷でも何でもない。確かに、死刑反対に近い思い、という話でいくとそれは矛盾するのではあるが、そこには考えがある。つまり、簡単に死刑廃止なんかにはならないからね、フツーに考えて。
であれば、
証拠を捏造してでも冤罪を生み出そうとする者を排除しなければ、

死刑制度なんて、我々国民にとって恐ろしくてあり得ないもんね。

つまり、
国家権力による深刻な人権侵害(= 結果として我々国民の命が奪われかねない重大問題)が起きる可能性をなくす
ということだよね。
✉️法務大臣へ ②
💡【提案】②

以上の理由より、新たな法案を作ることを要請する。
📚新刑法 第2条(国家機関による証拠捏造の罪)
証拠の捏造をした者には、その結果の重大性に応じて、無期懲役を含む極めて重い法的責任を科す新たな規定を設けるべきだと提案する。
(2025.4.1)
話は戻り、
しかしそれでは(👉神でなければ裁けないというのでは)どうしようもないから法律及び司法制度が存在する
ということもわかる。

そこで、裁判官に関して今回思ったことは、
彼らはあくまで論理的思考でしか考えられない

ということ。考えるというより処理に近い。「🏛️執行に関する異議の申し立て」の一連のやり取りの中で強く感じたことだ。

関連するコンテンツ📖「🏛️執行に関する異議の申し立て」
それならいっそのこと(これまでに幾度となく述べてきたことだが、改めて)、
AIに処理してもらった方が正しい処理、つまり判決が下されるのでは?

と期待せざるを得ない。
👉もちろん、(当然の話だが)論理的思考なしというわけにはいかないということも理解できる。📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)を読んでいて、彼らの仕事の意味を考えたとき、さらにそう思う(2025.3.28)
そうはいっても、多くの事件では、証拠に基づいて淡々と心証を取り、法の定める証明責任、立証責任に従って、考えられる限りで最善の判断を下せばよいのだが、証拠の評価が微妙な事案や価値にかかわる事柄が問題になる事案(本書にいう価値関係訴訟)では、その「最善の判断」が何かについて、考え方が分かれうる(P.220)。

日本では、「裁判はただ一つしかない真実を明らかにすべきもの」というとらえ方が強い。これは、事実、真実というものを非常に硬直的な目で目の前の事柄にべったり張り付いたもののようにとらえてしまいやすい日本人の意識構造と関係している。
そうではなく、裁判は、あくまで、判決のために必要な限度で相対的な真実を明らかにするものにすぎない。つまり、民事であれば原告の請求について判断するために、刑事であれば基本的には有罪無罪の判定をするために、限られた時間的、物理的条件の下で、限られた証拠から、判断のために必要な限りの事柄を認定判断するものなのだ。そして、事実認定にあたっては、証拠から明らかにするのは難しい人の内面の事柄にはあまり立ち入らないで、証拠から明らかにできる客観的、具体的な事実を中心に、認定事実を組み立ててゆくべきものでもある(P.238)。
死刑は残酷か?

👉裁判官はこう言うけれど、
「死刑囚は多少の精神的・肉体的苦痛は甘受すべきだ」2009年に大阪市此花区のパチンコ店で起きた放火殺人事件での最高裁判所。
👉出たな、彼らが大好きな「甘受」という一般市民は聞いたこともないような言葉。いや、この裁判長の意見には関しては何も言及するつもりはないのだが(2025.4.2)
❓甘受 👉そのまま受け入れること。じゃ、最初からそう言え!!! 👉やめておこう、テーマがテーマなだけに。。。(2025.4.2)
「◯◯ほど難……」👉やめておこう(2025.4.2)
👩💻「絞首刑は「残虐で非人道的で違憲」と死刑囚3人が国を提訴、執行差し止め求める」
①単純にはどこからどう見ても残酷であることは間違いない。
②特に、後述するが、改善・更生した人間もひとえに殺してしまうという部分では残酷過ぎるのではないのかという疑問が残る。
③一方で、【冤罪でない限り】死刑が残酷とは言い切れない面もあるとも思う。なぜなら多くの場合、彼らはそれなりの残酷なことをしているからだ。
④ただ、さらに視点を少し変え、彼らが何らかの精神疾患を抱えている、もしくは犯行当時、精神疾患を抱えていたという観点から見た場合、その考えは揺らぐ。ただし、これはあくまで自分が被害者や被害者遺族ではないから考えられることでもある。
では、被害者の観点に立つと?

(ドン引きされることを承知で)あえて正味のことで言うと、
万が一、娘が強姦され殺されたら、私はその犯人を探し出して◯したいと思うに違いない。
これはあくまで例えばの話だが、また、宗教的観点、倫理的観点からは大きく逸れた話、つまり、感情論ではあるものの(👉一方でひとりの人間としては避けられない本能的な部分でもある)、
👉📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)で著者も書いている。

一九八八年に弁護士登録し、福井弁護士会元会長も務めたVSフォーラム副代表の川上弁護士は、死刑の是非を語る時、まずは、「自らの家族が犠牲になった場合を想像してください」と切り出すようだ。
「妻や娘が強姦されて殺されたら、私は弁護士バッジを捨ててそのまま刺しに行こうと思う。実際に刺すかどうかは別として、犯人は死刑にしてもらうしかないと思う。それは日本人の感覚なのではないですか。死刑はよくないとおっしゃるお坊さんには、私は、『もしあなたのご家族が殺害されたとしても、死刑はよくないと言い切れますか』と意地悪な質問をします。すると、大抵のお坊さんは黙ってしまうのです」(P.209)
👉単純に人間の動物的な部分の核心を突いている話だ。ややこしい理屈抜きで、つまり話をシンプルにすれば、誰でもこれが本音ではないだろうか?ごくわずかな宗教的な慈愛を持つ限られた人だけが別の領域にたどり着く可能性はあるものの(2024.9.2)
ただし、📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者は次のように語っている(2025.3.29)。

ミクロ的な見方をすれば、多くの人々が、みずからの家族が殺された場合に加害者の死を望むのは、人間の感情としてごく自然なことであろう。
しかし、そこから短絡的に死刑存続当然肯定という結論に至ってしまうと、制度論やその基盤にある社会科学的思考、あるいは憲法的な価値をないがしろにすることになりかねない。また、人間や社会がもつべき慈悲の心ということもある。これは、現代キリスト教倫理の一中核でもあるし、仏教思想にもある考え方だ。
👉話は被害者の観点に戻り、
ただ私としては、死刑を議論する上で、
⚠️冤罪による死刑の執行はあってはならない!!!その上で、
まず被害者の観点から考えるのが何よりも第一
その次に犯罪を生み出してしまった社会全体の観点で考える
ということになると(私は)思う。このあたりは「死刑論 ②」に続く。
そこでふと思う。
となると、話は逸れるが、かくいう私の場合は(人を殺したわけではなくても)

被害者のことを考える、つまり反省するということが第一で、
その上で、改善、
自分の人生の立て直し(更生・再生)はその次
ということにもなってくる(👉書きながら整理できて来た)。

関連するコンテンツ📖「💠コラム的な:書くことはいいことだ」
償い・償うということに関しては、多くの場合、過ちを犯してしまった者が被害者に会うことはないと思われるので、個人的には、結局のところ、例え完全に社会復帰・再生できなかったとしても、ひとことで言うと、
この後の人生を【正しく】全うする

ことに尽きると考える(2025.3.29)。
👉ただし、このあたりもいろいろな考え方があるようだ(2025.3.31)
📖『反省させると犯罪者になります / 岡本茂樹』(新潮社)
度々話は(死刑反対に近い思いを抱いてしまう理由に)戻り、
さらに、
⑤生まれつきの悪人はいない

ということ。前述の金賢姫の本の中にあるように、
死刑執行を前にして、極悪犯でもほとんど180度の変貌を見せて最後を飾る
という(🔗️📖P.51『2022.12.14~』)。
そんな状態の人間をわざわざ殺す必要があるのか
ということ。
👉もしも、その反省と改善・更生が本当であればという話。だからと言って、ここは問題が根深い。さらに、どこまでいっても改善しない人間もいるかも知れない。(繰り返しになるが)そもそも精神的な部分とか。それを言い出すと、そもそも全ての犯罪者は少なからず精神疾患を抱えているとか。少なくとも過ちを犯したときはそうであったとか。だからと言って裁かれないという単純な話ではなく。。。「📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)を読み終えて ~ 死刑論 ②、③ ~」で述べることになる(2025.3.27)
👉「犯罪論」にも繋がっていく。

関連するコンテンツ📖「【隣の🔪犯罪論】 ~ 誰もが超えてしまえる、その一線 ~」
長期因や無期因になる人間の多くは発達障害や依存症など何かしらのモノを持ってるが…実際、ほとんどの懲役が「自分は、まとも」と思ってるのが会話してると分かり…それが一番、問題な気がする。「俺は普通じゃない」って自覚しないと具体的な対策も見えてこないと思う@懲役25年受刑者
— 懲役25年受刑者 (@25NenJukeisya) September 3, 2024
これも今回の拘留生活を経験したからこそ言えることだが、そういう状態の人間(真に改善・更生した人間)がどれほど自分の犯した罪を悔い、苦しみ続け、苦しみ抜き、そして恐らくその苦しみは、完全に消え去ることはないのだろうということは何となく想像がつく(🔗️📖P.21ページ『2022.12.14~』)。
また、📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)を紹介した新聞の記事にもあるように、

関連するコンテンツ📖「🎙️六法に触れて以来、私はなぜか"死刑"という言葉に異様に敏感になっていた」
⑥殺すよりも、生涯に渡る苦しみを与える方がよほどつらいことではないか

ということもある。ある意味では残酷でもある。もちろん反対の意見の人が多数いることは想像できる。
さらに、
もしも自分の家族が殺されたときに同じように考えられるのか?
と問われたときに、これも今明確に答えられない。ただ今現在の自分に言える精いっぱいのひとつの意見として述べておくことにしたいと思う。
👉前述の通り動物的本能による本音・答えははっきりとしている。ただし、それが全てと言えるのかどうか(2025.3.30)👉ここも大変根深い部分だし、全ての人間に関わってくる重要な部分であることは間違いがない(2025.3.27)
個人的なメモに近いレベルではあるが、まずは発言することに意義があると考える(2023.4.30)。
もしもあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら許してやりなさい(📓新約聖書:ルカによる福音書 17-3)

👉悔い改めるなら救うということではないだろうか?『📓旧約聖書』詩篇 7-12を見る限り(2023.5.17)
👉死刑論は本来、これで終わるつもりだったが、さらなる熟考の末「死刑論 ②」へと続くことになる(2024.10.31)
👉⚠️【訂正】続くかも知れない。多少疲れたので。。。(2025.4.2)

関連するコンテンツ📖「📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)を読み終えて ~ 死刑論 ②、③ ~」
🔗️📖P.60『2023.3.8~』
🔗️📖P.62『2023.3.8~』
🐦⬛出所後に知って、素朴な疑問と共に、強い違和感を覚えたことがある。

⚠️死刑判決を下すに当たって、
なぜ、原則が、
被害者がひとりなら死刑ではなく、ふたり以上なら死刑
なのか!???
こんなのいったい誰が決めたのか!???
いくら論理的思考がどうであれ、
数の問題なのか!!!!!!💢

子供に訊けばわかるだろう(👉多少強引な例えであるのは承知の上)。
「ひとりだけなら人を殺してもいいと思う?」
「だめにきまってるじゃん」
人を殺した人間は、被害者の数に関係なく、死刑を覚悟しなければならないはずである。
被害者の身になれば、答えは明白である(2025.3.28)。
👉過去には実際に、無期懲役になりたいがために、
「3人以上殺すと死刑になるので、ふたり殺すか、ひとり殺した上で別のひとりに重傷を負わせないといけない」と考え、ふたりの尊い命を奪った者がいる。
📹「【実話】無差別殺人事件の真相と犯人の生い立ちが悲惨すぎた『2018年東海道新幹線車内殺傷事件』【ずんだもん&ゆっくり解説】」
👉📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者も同様のことにちらっと触れているが、現在のところページ数が不明(2025.3.31)
ただし、言うまでもなく、被害者がひとりであろうが、ふたりであろうが、例外はあって当然
📹「【ゾッとする真相】娘が父親から受けた被害の全貌と裁判の結果がヤバすぎた....『栃木実父事件』【ずんだもん&ゆっくり解説】」
👩💻「尊属殺重罰規定違憲判決」
👉話は戻り、よく考えてみると
⑦死刑とは我々国民全体に直結するテーマである

だって、基本的な話として、誰が、いつ、被害者になってしまうかなんてわからないのだから。
さらに言っておくと、📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)で著者が「紙一重」と語っているように、一歩間違えば、いつ誰が加害者になってしまうかもわからないのだから(👉あくまで個人的な見解として)。

私自身も、長く裁判官を続けるうちに、普通の世界で普通の人々の信じている世界観、人間間、価値観の多くが、かなりの程度に幻想にすぎないことを、知っていったという面はある。
一例を挙げれば、多くの人々がほぼ無意識のうちに信じている、「自分と犯罪者たちとは種類の違う人間だ」といった思い込みがそうである。実際には、私やあなたといわゆる犯罪者たちとを分けてゆく分岐点は、最初の時点では、ごくささいな事柄のうちにある。ちょっと環境が悪く、その影響を受けやすければ、私もあなたも、ここではなく、刑務所か病院にいる結果になったかもしれない(P.236)。
📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)でも著者は次のように述べている(2025.4.2)。

犯罪者になるかどうかは紙一重で、運命や境遇など自分の意思だけでどうにかなる問題でないことも、時にはあると思うからだ(P.213)。
「人を殺した?とんでもない奴だ。そんな奴は殺してしまえ」というだけの単純な話ではない(2025.3.25)
📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)で著者は次のように述べている(2025.4.1)。

殺人事件というものは、自分という内的因子と外的因子との組み合わせによって生じる化学変化のようなもの。そう思えることがある。犯罪を社会全体の問題として捉えるということが重要であることは、恐らく間違いはないと思われる(P.177)。
👉また、例えば、死刑囚ではなく無期懲役囚の畠山鈴香だって、幼い頃から壮絶ないじめに遭い、高校のときには卒業文集の寄せ書きの部分に、同級生から、
「秋田から永久追放」
「会ったら殺す」などというひどい言葉を書かれて精神がまともでいられるはずがない(👉擁護するわけではなく、あくまで冷静な観点から)。
📹「【畠山鈴香】秋田児童連続事件が起きた真相が深すぎた【ずんだもん&ゆっくり解説】」
何が言いたいかって言うと、色紙にそれを書くような行為、つまり、いじめなどの社会的要因も畠山鈴香が起こした事件と無関係と言えるのだろうか?例えばそういうことも社会全体で認識・意識する必要があると私は思う。👉例によって立ち位置とか関係なしに言いたいことを言わせてもらってます(2025.3.28)
👉この言葉が適切かどうかわからないが、あくまで自分は(恥ずかしながら)生涯発展途上の人間あるいは恐らく生涯もがき苦しむ人間だと思うので、そういう人間のひとつの意見に過ぎないのではあるが(2025.3.30)
👉誤解を招くといけないので一応お断りしておくと、📖『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか / 瀬木比呂志』(角川新書)は決して死刑に関してのみ書かれているわけではなく、そのタイトルからもわかるように、裁判官及び司法全体の問題点等に関して書かれている優れた本です(2025.4.1)
🐦⬛だいぶ元気になってきたんじゃないか?

そうするとまたあのクレイジーな奴が。。。
ふと思う。
半分死んだ自分。第1の人生の中にいた自分。それはまだどこかで少しだけ息をしている。第2の人生のもうひとりの自分がそれをあやす。あのとき、あそこで考えたように。

関連するコンテンツ📖「💠コラム的ではない:◯◯年前と変わらぬ奴ら」
👉
狂った主役を演じると共に、
それを冷静に見守るもうひとりの自分を演じる必要がある
自分はあのときあそこで半分死刑に処されたようなものでもある。
📖『サリンジャー選集 第2巻 若者たち〈短編集Ⅰ〉 / サリンジャー、刈田元司・渥美昭夫訳』(荒地出版社)
👉『気ちがいのぼく』
(2025.3.31)
⚠️【お断り】
📖このコンテンツは私の実体験および報道などの公表情報をもとに、個人的な見解を述べています。社会的な問題提起・公益を目的としており、万が一、不正確または不適切な表現がある場合は、速やかに修正いたします。あくまで意見の表明であり、特定の個人・団体に対する名誉毀損、誹謗・中傷や脅迫など、法に触れるいっさいのことを目的としたものではありません
📸 画像はあくまでイメージです

関連するコンテンツ📖「📖『死刑のある国で生きる / 宮下洋一』(新潮社)を読み終えて ~ 死刑論 ②、③ ~」



📖『【隣の🔪犯罪論】 〜 誰もが超えてしまえる、その一線 〜』
🐦⬛🐦⬛❤️ここしみとは一線を画する異色作
⚠️【記録】
となはん、ゲスト❤️スキ率80%。
それは反応ではなく、共鳴だった。

📢コンテンツを読んでくださった方へ

これは実は、全体でひとつのリアルなストーリーになっています。
🔰📖『ここしみ』 超・あらすじ
👉ざっくりと全体を把握したい方へ
❓📖『ここしみ』って?
👉全体像。壮絶な日々の果てに綴られた“特別な一篇”。こころに灯る何かを感じてもらえたら。。。
壊れた人生。それでも生かされた。だから今語り始める。「罪と罰」、「愛と絆と再生」、そして「本当の自由」の物語。私があそこで過ごした272日間と、その後の壮絶な日々を綴っています。
また、獄中「🏛️訴訟ゲーム」を通じて、冤罪、死刑制度、司法の闇など、現代社会の深い問題についても斬ります。他に、「🏰ムショトピ」といったゆるーいコンテンツも。
そんな風に、ひとつの人生の軌跡を通じて、「生きるとは何か?」「愛とは?」を問いかけます。
👉気になるコンテンツだけでもOK
👉だいたいの話は各話ごとの短編としても(多分)お読みいただけます
📖『こころにしみる日々(上)~ 愛と喪失と再生の獄中272日間 ~』
📖『こころにしみる日々(下)~ 灯りを求めて。出所、そして壮絶な日々 ~』
『💠コラム的な:』 👉📖『ここしみ(上)(下)』から抜粋したエッセイ集
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