筑波大学について②──小さな公共空間をつくる
1ヶ月前に書いたnoteの記事「筑波大学について」は、予想をはるかに上回る数の方々に読んでいただいた。書いた僕としてはとてもうれしいことで、読んでいただいたすべての方にお礼申し上げます。
恥ずかしながら、僕はこれまで何かアクションを起こした経験がなく、また個人的な忙しさもあって書いたままになってしまっていたが、とりあえずの余裕はできたので、いただいた反応を受けて考えたことなどをもう一度文章にする。以下に取り上げる方はすべて筑波大生だ(多分)。
まず、僕が記事を公開したすぐ後に、くらげさんという方が「【学内のアクセシビリティ問題】大学に意見書を出した話」を同じnoteで公開された(これについては僕の記事に対する反応というわけでは多分ない)。
くらげさんは、障害学生のアクセシビリティが、悠仁親王入学に伴う警備強化措置によって侵害されていることを、学内の関連組織あてに意見書を提出し改善を要求した。どれほどの意見書なのかは分からないが、上の文章で7点に整理されている問題点をまとめたものだということである。分かりやすく整理された問題点は、しかし、精神障害を持つ人や車椅子を利用する人の声、点字ブロックや案内板など物理的な支援の現状にまで丁寧かつ詳細な目くばせをふまえたものであり、意見書作成に至るまでの道のりは決して簡単なものではなかったと推察する。文章の最後には大切なことが書いてあり、未読の方はぜひお読みいただきたいと思う。
くらげさんの主張はいいね数からも分かるように学内でも高い関心を集めたようだ。Twitterを見るかぎりでもたくさんの賞賛の声が寄せられている。僕もくらげさんをとても尊敬している。
ただ、くらげさんのように少なくない時間と労力をかけなければ学内の問題に簡単にアクセスできない、影響を与えられない現状は、やはり良くないと僕は思う。くらげさんの行動によって、1・2階の2A棟・2B棟間の封鎖は解除された(ちなみに僕が問題を知ったのは解除の後だった。当該部分が封鎖されていたのを知ったのはくらげさんの文章によってである)。しかしそれは要求のすべてではなく、くらげさんも「一旦妥協」と表現している。逆にいえば、障害学生のアクセシビリティという当然の権利を「正当な」ルートで主張しても変えられない部分があるのである。
くらげさんの行動が素晴らしいのはもちろんだが、誰もがそうした行動ができるわけではないことに留意したい。これまで学内のさまざまな問題に抑圧されながらも、意見をあげることができなかった人はたくさんいるのではないだろうか。また、障害学生のアクセシビリティのような侵害されるべきではない権利に必ずしも翻訳されない、モヤモヤ、違和感、居心地の悪さなどのきわめて私的なニーズが議論の俎上にのぼるような言論の場、そうした「私的な」問題が「公的な」ものにつながるための場があるべきだと思う。もちろん、これらの問題は政治的な問題としてつながる。結果的には政治的なものを考え合う場である。この場において複数の人びとで協力しあえるということは、そうした問題の解決のために「正当でない」方法を考えるのにも資するだろう。
イールさんの主張には、以上のような点から傾聴に値するところがあると思う。
筑波大学の公認サークル活動拠点である文化系サークル会館の裏(通称:文サ裏)にあった、インディーズの喫煙所に思いを馳せている。本来筑波大学は全面禁煙だが、ここだけは黙認されていた。時折警備員のおじさんがやってきて、名目上の注意をしていくだけだった。しかし、昨年の7月頃であっただろうか pic.twitter.com/csoC4hWB0i
— イール (@euthanasier) April 29, 2025
喫煙所づくりをしたところで何も変えられないことは確かだ。とはいえ、喫煙所、鍋、ピクニックのような、大学を自分たちの居心地の良い空間に変えていくだめライフ的な実践は、私的なことを議題にできるが、しかし排他的にもならない、小さな公共空間を作り出すことに成功している部分があるのではないか。だめライフに参加するのに、必ずしも徹底的に「だめ」である必要もないと思う。社会的に「だめ」ではなくても、一人ひとりが生きていくなかで、なんとなく感じる生きづらさやしんどさへのひとつの処方箋になるのなら、たとえ何も変えられなくてもそれだけで意味があるはずである。そしてもちろん、徹底してだめな人にとっても。
そして、こういう実践が「規則を守る」という常識、「正当な」やりかたを相対化していることも大切だと思う。喫煙や居心地の良さなどの私的なニーズの充足が、たとえば意見書の提出のような「正当な」やりかたを通して実現できるとは到底思えない。ルールを無視することは方法のひとつだ(このような空間を現代社会で作るのは難しいし、1人でやるのも難しい。大学で実践していくことはある意味でノウハウの蓄積になると思う)。
ちなみに、イールさんの発信に対しては、わがままだ(から許されるべきではない)という声をよく見かけたが、何も構わず吸っているのならまあ分かるが、限られた場所でタバコを吸っているだけで誰の迷惑にもなっていないのだから、別に良いと思う。確かにわがままかもしれないが、それぐらい許容した方が吸わない人にとっても結果的に生きやすい社会だろう。
イールさんもnoteを使って発信している。また、文芸サークルを主宰し、雑誌を作り、文学フリマなどで頒布している。興味のある方は読まれると良いと思う。
警備強化の主な舞台となっているいわゆる本学から、少し離れた春日エリア(旧図書館情報大学のキャンパス)の学類に所属するNakaroさんも、noteで文章を書いてくれた。
タイトルに思いっきり僕の本名が書いてあり、ややぎょっとしてしまったが、好意的に受け止めていただけたようだ。普段あまり接することのない人の意見をこのように聞くことができ、書いて良かったと思う。文章の内容にも完全に同意する。僕に直接でも、後述する会への参加を通してでも、なんらかの形でぜひ連絡をいただき、一緒に声をあげてくれると嬉しく思う(ところで、リマインド文という表現は初めて聞いた。いまいちニュアンスがつかめないが、応答文という程度の意味だろうか?)。
ちなみに、筑波大学の場合はそれほどでもないが、キャンパスによって物理的にもたらされる分断も考えるべき重要な問題だ。
本日のイベント無事に終了しました!
— 中央大学立て看同好会 (@tatekan_chuo) May 31, 2025
今回は法学部の茗荷谷移転に伴う学生間の分断に焦点をあてた立て看板を作りました。 pic.twitter.com/ZdqNY1IeQS
大阪公立大学の場合は、ただでさえ行政の主導によって行われた大阪市立大学、大阪府立大学の統合のうえに、森之宮にビル型キャンパスを新しく作り、1年次の教養科目の授業をそこでするらしい。しかしながら既存のキャンパスとの移動手段は、現状のままだと用意されない。図書館の利用やサークル活動のために学生や教職員が負担をかけて行き来しなければならなくなる。大学自体の弱体化を招きかねない大きな問題だ(ちなみに僕は大阪市出身だから、他人事とは思えない)。
筑波大学の話にもどる。この問題に関してはほかにも以下のような発信がある(ほかにもあるかもしれないが、見つけられていない)。ここでは紹介するにとどめる。
また、僕が書いた文章に対する反論もある。
せっかくこのように文字数を割いていただいたので、くねりさんには簡単に応答しておく。
1つ目の論点「「学問の自由」は(中略)部外者の立ち入り制限とは本質的に関係がない」に対して。学問の自由とはあらゆる制限や干渉を受けずに学問を追究できることだと僕は理解する。したがって、立ち入り制限措置は学問にアクセスできる人を学籍という属性によって排除している時点で、その人にとっての自由の侵害である。また、あなたのいう「部外者」ではない人の中にも、様々なコストがこの措置によって付け加わる人もいるかもしれない。学問の自由にとって立ち入り制限措置は紛れもなく重要な問題だ。ちなみにくねりさんは「これまで大学施設が自由に解放されていたのは、大学側がリスクを許容していた結果」と断じているが、では、大学を刑務所みたいにしてしまうのが良いのだろうか。
2つ目の論点「教室情報の非公開化はリスク管理上仕方がない(意約)」については特にコメントはない。ただ、「現実的な代案を提示」しろと書いてあるが、元に戻せば良いと思う。
3つの目の論点「サークル活動の制限に文句を言うのはわがまま(意訳)」に対しても同様。「恩着せがましく正当化」している、「幼稚さを帯び」ている、などといわれているが、これに関してはあなたがそう思うのなら仕方がないとしかいいようがない。
ただ、くねりさんの文章全体に関わることとしてひとつ述べるとすれば、やや「本来」「本質的に」「当然」といった言葉を便利に使いすぎている印象を受けた。たとえば「自由は無制限ではなく、公共空間では時間・場所の制約があるのは当然」と書いているが、それは本当に自明のことだろうか(公共空間について調べて欲しい)。「権利や自由といった一方的な大義を振りかざす言論は、もし本気で問題意識を持っているのなら、慎まれるべきである」というのも意味不明。なぜ「一方的な大儀」だと決めつけられるのか。くねりさんは僕に対して、総じて論理に飛躍があるといいたいようだが、同じことを僕もくねりさんに思う。
そしてくねりさんは最後に「気に入らないなら命をかけて戦え、とまでは言わない。だが本当に届けたい、変えたいものがあるなら、その意思は行動で示すべきなのだろう」と書く。たとえば、社会に違和感を抱きながらも、様々な暴力にさらされる政治的・直接的行動に身体的・精神的苦痛を感じる人がいるとして(実際にそういう人は多くいるだろう)、そのような人のことも考えた発言なのだろうか。もう一度自分自身に対して批判的になってみてほしい。
冗長な文章になってしまったが、以上がこの1か月間僕が考えたことだ。そしてこの間、僕の耳に飛び込んできたのが、筑波大学の文系学類廃止・統合案が進められていることを報じる記事だった。
それによれば、人文・文化学群に所属する人文学類、比較文化学類、日本語・日本文化学類の3学類を2029年4月に廃止し、これを統合する形で人文学専門学群を新設する構想が進められている。哲学の教員が授業で話題にしていたので何となくは知っていたが、しかしまたもや、教員や学生への相談のないトップダウンである。この改革案によって、これまでも散々減らされてきた人文社会系の教員数は、ますます減ることになるだろう。そして何よりも、筑波大学で50年間培われてきた、方法論的な学びの多様性が破壊されることの重大さは言うまでもない。
この問題について関心をもっている方が、僕の文章を読んで連絡をくれた。そしてこれらの大学の問題について話し合う場を作るために、「筑波大問題を考える会」(Mail:tsukuba.kangaeru[at]gmail.com)ができた。
学生、教職員、その他関心をもつ一般の人からなる数人の集まりである。筑波大学はポスター貼りも、タテカン作りも、ビラ配りも自由にできない大学だ。「学内における政治目的をもった具体的な政治活動を許さない」という信じがたい基本方針も掲げられている。簡単に政治的なものに触れ、考える機会がないといって良い。
「筑波大問題を考える会」はそうした機会を設けられる場にしたい。ただし、ここでの言論のテーマが、最初から「政治的なもの」として相応しくある必要もないと考えている。すでに述べたように、モヤモヤ、違和感、居心地の悪さなどの、言葉にするのも少し難しいような私的なテーマを、政治的・公共的次元に変えていくことができる小さな公共空間を、ここで目指したい。したがって、あらゆる方々の気軽な参加を心よりお待ちしている。
これ以上、大学当局の横暴を当たり前の日常にしないために、試行錯誤しながら声をあげていきたい。
以下は、筑波大問題を考える会のイベントのお知らせ。

「筑波大学で人文、比較文化、日本語・日本文化の3学類廃止方針について考える緊急イベント」を開催します。トップダウンで進められている筑波大学の文系学類廃止・統合問題について、下から声をあげるために話し合うイベントです。学生や教職員、市民の皆さまのお気軽な参加をお待ちしています。
日時:6月10日(火)18:30~
会場:本と喫茶 サッフォー(つくば市天久保1-15-11-104)
※参加無料ですがGooleフォームからの事前申込が必要です。
川上皓陽(かわかみこうよう)
―人文・文化学群人文学類4年・kouyou.20031129[at]gmail.com
