自動車王ヘンリー・フォードが語る経営と人生の哲学|『藁のハンドル』レビュー
フォードは言わずと知れた自動車王ですが、この本は自動車の話というよりも、フォードの経営哲学と人生観が語られた一冊です。独立精神、労働の意味、年齢と能力の関係。読み終えた後に考えることが多い本でした。
本の内容自体はそこまで長くないですが、輪読会ではここから独立精神の日米差、年齢と能力の衰え、何が人を動かすのかという話にまで広がりました。答えが出ない問いが多かったですが、それが面白かったです。
著者プロフィール: ヘンリー・フォード
アメリカ合衆国の企業家。自動車会社フォード・モーターの創設者であり、工業製品の製造におけるライン生産方式による大量生産技術開発の後援者である。自動車王と称えられた。
感想
古典経済学の本を読んでいる感じだった。
昔の強いアメリカという感じがすごく伝わってくる。
個人が強い、自己責任的、労働に価値を置く、etc
なんというかすごくできる人が自分は正しいという正当化をしている印象を受ける。
途中からまた印象が変わったが。
何か理想の状態があって、そこに〇〇が足りていない、〇〇をして達成するべきのような、常に理想の追求をしている感じがする。
頭脳を、豊かに・自由に働かせる社会
本質的な事は何なのか?
なぜそうなっているのか?という思考が常に見受けられる。
物事を分解して組み立てるエンジニアの気質・思考傾向がよく伝わってくる本。
純粋に麦藁でハンドルを作るのがすごい。
節約というかコスト意識、効率性重視がすごい。
有名な創業者がよく株主ではなく、顧客のために会社をやると言っているのに、それが守られないのはなぜこうも多いのか。
政府に依存する運動は、いっさい誤り
気持ち良いね。こういう風にきっぱり言ってくれて。
太陽光とか訳の分からない連中をなんとかしてほしい。
お金は力ではなく、ただの商品である。
すべての方法論は、つねに実験段階にすぎない
これも良い言葉。
2種類の人間がいる。
開拓者とゆっくり進む者。
いつの時代もやはり同じことなんだなと。
輪読会
独立精神の日米差
アメリカでは解雇が当たり前の社会です。1日でクビになることもある。そうなると、今までやってきたことを活かしてフリーランスやコントラクターでやるしかない。結果として否応なしに独立することになる人が多い。過去にそういうことをしている先人がいてロールモデルもある。経済的な自活力というか、生命力のようなものが見えています。
一方で日本は独立精神がどんどん薄まっています。経済的なアップサイドはあるかもしれないけど、社会的には独立を目指したくないという空気がある。でもどっちがいいかは本当にわかりません。
国全体で考えたら、個人事業主が1億人いる社会よりも、大企業が何十社かあってそれで1億人いる方が効率はいいです。大規模の方が生産性は高いし、ユニットエコノミクスが効きます。ただ大企業の2割ぐらいには不要な部分があって、働きアリの法則で言えば働かない2割は必要だという話もあります。
年齢と能力の衰え
この議論が一番盛り上がりました。40歳まではいいかもしれないけど、50歳になった時に本当に30代の人と同じアウトプットを出せるのか。労力的にやはり無理になってくる。そうなるとマネジメントか、よくわからないけどいるアドバイザー的な存在になるしかない。
最近見つけたPinterestのエンジニアの話が象徴的でした。Netflixで90年代にシニアソフトウェアエンジニアをやっていた人が、Pinterestでクロームエクステンションから全部作った伝説的な人です。十何年やって、その後AIのスタートアップに入ったけど6ヶ月ぐらいで辞めている。理由を見たら「ペアプログラミングをやっていて、新しいやつについていけなくなった」と。伝説のプレイヤーでも年齢を重ねるとそうなっていくんだなと思いました。
AIのアンドリュー・ング先生も同じです。昔はすごかったけど、今は最先端の研究の人からは「一時期良かったね」と言われている。名前はあるからいろんなところで講演するかもしれないけど、最前線にはいない。
寿命が伸びているのはいいことばかりではありません。頭の寿命が伸びないと厳しい。体の状態と頭の乖離を認識できる頭があると、それはもう地獄です。あるメンバーの祖父は頭がすごく活発で、亡くなる直前まで株式投資をやっていたけど、体の衰えとのギャップにエネルギーのやり場がなくて、すごくかわいそうだったという話が出ました。だから30代35歳くらいから体に投資する、筋トレや水泳を始める人が多いのも納得です。
何がやる人とやらない人を分けるのか
ほっといてもやる人がいるのに、そうならない人がいる。何が違うのか。いくつか要素がありそうです。
まず自責の念。相手のせいじゃなくて、最終的には自分で収拾を収めるしかないという感覚。ただこれが強くなりすぎると、自分の器以上のことが来た時に壊れたりするから、バランスが必要です。
次に、恥をかくことや悪い結果になるかもしれないことに対する許容度。リスク許容度とも言えます。最初の一歩は絶対に恥をかくしかないのに、それがそもそもできない人がいる。
特にアジア圏では答えがあって競争社会で学歴主義がはびこっていて、問題には正解があり、いかに効率的に解くかで違いが決まるという雰囲気があります。だから間違えた奴はダメという通念ができる。それが何かをやる上での自信を削いでいます。
生まれ持ったものもあるでしょう。恐怖心がない人もいるし、親の教育で失敗を「新しく学んだね」と捉えるように育てられた人もいる。だいたい十数歳ぐらいで思考パターンは決まると言われています。
幼少期の育て方と独立心
アメリカの子供の育て方の話になりました。あるメンバーの娘さんが通っている保育園では、子供たちは自分で手を洗って、自分でトレイを片付けて、自分で何でもやる。大人として扱っています。確かにそうやって育てたら自立しますよねという話です。
一方で日本の家庭ではすぐ抱っこしたり甘やかしたりする傾向がある。どちらが正しいかはタイプによって変わってきます。独立心を育てるつもりがネグレクト的になって、逆に精神がダメになるパターンもなくはない。
メンバーの幼少期の話も出ました。「褒められたことがない」という人が複数いて、できて当たり前のレベルが高く設定されていた。何をしても「当たり前でしょ」と言われるから、むしろ親への復讐心みたいな感じで頑張ってきたという話です。幼少期のそれが今の原動力になっています。
逆に何をやっても親が肯定してきたタイプの人もいて、そういう人は失敗を恐れていない雰囲気があります。Koheiを見ているとそんな感じがする、何をやっても上が肯定してきたのではないかという話も出ました。
価値観はどうやって変わるのか
価値観の変容はどうやって起きるのか。ジェームズ・クリアが言っていたように、事実が人の価値観を変えることはなくて、周りにいる人たちがアイデンティティを変えていく。アイデンティティが習慣を作り出すから、その習慣で持っていく。
知性がある程度つくとメタ認知ができるようになって、自分の価値観を客観視して変容させることができるようになります。でもそこまで行かないからこそ、みんなフィックスされてしまう。
韓国系ファウンダーでユニコーンを作っている人たちと日系ファウンダーの違いの話も出ました。韓国系の1世でアメリカでユニコーンを作った人が何人かいるのに、日本人ファウンダーでアメリカベースでユニコーンを作った人がいない。何がそれを分けているのか。
ユニコーンを作る人たちは、すごくハングリーで、超攻撃的になってもやるんだというタイプ。どこかでタイミングが来たらユニコーンになっているという感じです。ファウンダーマーケットフィットがちゃんとしていないと続かないという当たり前のことを言っていたけど、その人から直接聞くとまた違う重みがあります。
Notionのファウンダーに会った時も同じような感じだったという話が出ました。ガツガツしているのかと思ったらそうでもないように見えるけど、周りの何かがすごいんだろうなという印象。上に行きすぎてもう柔らかくなった、実るほど頭を垂れる稲穂のようなタイプなのかもしれません。
ヘンリー・フォードのドキュメンタリーを見ると、ストライキの映像がある。ただ、この本からはストライキの事は一切書かれていないし、労働者にとって良い環境を提供していた、少なくとも、賃金を大幅に上げた企業としている。この差はどこから来るのか?本当はどうだったのか?
このような独立精神・開拓精神みたいなのはどこから来るのか?
例として日本とアメリカの国民を比べた時にその精神性には差がある。
レイオフのしやすさ。
実際の西部開拓で入植から太平洋に進出するまで100年以上も開拓し続けている。
キリスト教的な価値観は関係ある?『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘されているような、労働に価値を置く、資本を蓄積しやすい環境・価値観は影響があったのだろうか?
子供が生まれた時からの教育って、どれぐらい影響するのだろうか。
引用
労働者は、売り手である以上に買い手である。車輪の回転にはずみをつけるのは買い手側である。商品は一般の人々に買いやすいようにすることである。それが仕事をつくり、賃金を生む。それが事業拡大と、より大きなサービスのための余剰を生むのだ」という、フォードの基本的な主張は、起業家が拳拳服膺するべき言葉である。
世の中には、いつも二通りの人間がいる。つまり開拓する者と、ゆっくり進む者とである。ゆっくり進む者はいつも開拓者を非難する。開拓者が、せっかくの機会をすべて奪い去ってしまったというわけである。だがはっきり言えることは、もし開拓者が最初に道を開かなかったならば、ゆっくり進む者には進むべき場所が存在しないはずだ、ということである。
しかし、その非道徳的なやり方に彼らの成功の原因があったのではなく、社会の要請への深い洞察力と、その要請に応える方法と手段が、彼らを成功に導いたのである。たとえ不正や、残酷な手段を使ったにしても、それは時代が変われば別の評価がなされる種類のものであり、根本的には充分に正しいものの見方ができたのである。
機会を自分ではつくれない人でも、他人がつくり出したいろいろな機会の中に、自分の能力を発揮する居場所を見つけることは、当然できる。自分で事業を興すとうまくいかない人でも、他人の采配下では、うまくやっていけるケースは多い。
わが社の真の発展は、一九一四年、最低賃金を一日二ドル余りから五ドルに引き上げたときに始まる。なぜなら、その結果、私たちは自社の従業員の購買力を高め、彼らがまた、その他の人々の購買力を高めるといったふうに、その影響がアメリカ社会全般に波及していったからである。高賃金の支払いと低価格での販売とで購買力を増大させるという、この考え方こそが、わが国の今日の繁栄を陰で支えているのである。これが、わが社の基本的コンセプトである。私たちは、それを「賃金動機」と呼んでいる。
すべての人々が、利益は働いて稼ぐべきもので、奪うべきものではないということを理解したとき、私たちはお金の力やその他のどんな力によっても、苦しむことがなくなるであろう。私たちは、繁栄を永続的、かつ普遍的なものにすることができるのである。
産業の真の目的は、この世を良質で安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための労苦から解放することにある。その生産物がどこまで標準化されるかは、国家の問題ではなく、個々の製造業者の問題なのである。
賃金は、労働者に関する問題である以上に企業に関する問題であり、労働者よりも企業にとって、より重要である。低賃金は、労働者よりも企業を先に滅ぼすであろう。
日用品をつくっている労働者が、自分のつくったものを買えないようでは本当の繁栄はありえない。ある企業の従業員はその企業を支える大衆の一部である。これはどこの国でも真実でなければならない。
慈善は非生産者をつくり出す。金持ちの怠け者と貧乏な怠け者は同じようなものである。
不在株主というのは、不必要で避けるべき経費を発生させる元凶の一つである。
なるほど、強者は弱者に奉仕すべきであるが、弱者に自分の弱さを自認させるべきではない。弱者に対する奉仕は、彼らに力と独立心を喚起する効果がなければ害となる。恵みを受ける態度を育てることほど不親切なことはない。わが国で習慣になっている慈善を、こうも卑しいものと私が断ずる理由はここにある。それは、喜んで与えようとする人たちを弱くし、また喜んで受け取る人たちをも弱くする。慈善とは努力の回避である。
道義とは、健全な仕事を最上の方法で行なうことである。生活に適応した、より大きな、より長期的な視野である。私たちが行なっているのは、あれやこれやと物をつくることではない。私たちは、生活や、生活の機会、生活の条件をつくっているのである。そして、私たちの道義は、私たちの英知、つまり、どううまくその仕事をこなしているかによって測られるのである。
利他主義は進歩を妨げる。それは現在は不可能なことに固執することで、可能なことさえもできなくしてしまう。たとえば失業保険と養老年金は、日常の生産活動に余分の負担を負わせるので、失業と老後の生活困難をいっそうひどくさせる。それはこうした余分な負担の結果、消費が抑えられ、そのために生産の規模が制限され、大規模な連続生産が約束する利益が得られなくなるからである。
これは、はっきりさせておかなくてはならない。仕事をする以外に、貧困から抜け出す方法はない。
そしてあらゆる仕事のうちで最もむずかしい仕事は、経営者が行なわなければならない。
もしそうでないなら、その方法のどこかが、根本的にまちがっている。慈善にたよることはつねに悪である。それが産業のもたらした状態に適用されるときは、とくにそうである。事業は、適切に管理されるなら、事業そのものとそれに関係している人々すべての面倒をみることができる。慈善は、まだ治療可能な病気を、何もせずただ隠蔽する行為にすぎない。
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