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【連載】覇権のOS:飛鳥の終焉 -サンライズ- 《その②》 feat. 中大兄皇子 - 無冠の王と外縁の誤算 - from ロマン派史説

前回
飛鳥の終焉 -サンライズ-《その①》


どうやったやろか?

乙巳いっしの変で
蘇我本宗家が滅び

改新の詔で
大和OS:飛鳥 Ver.2.0がリリースされた

しかし

冠位への抵抗
石川麻呂の粛清

早々に
様々な不具合が飛び出す


ところで


個人的に
不思議なことがある

乙巳の変を主導し改革を進めた
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)

天皇として即位したのは
乙巳の変から23年も後の話やねん


(なんでトップで改革せんの?🤔)


その間ずっと
皇太子のまま実権を握り続けた


皇子は何故
玉座に座りたがらんかったんやろか?



今回は
その問いから始めるで😄

そして

海の向こうからやってくる激震
血族による対立


あんまり認知されてへんけど
実は混沌と激動を繰り返した飛鳥時代

その終焉には何が待っているのか?
一緒に見ていこか😎



▼この記事を1枚でまとめると




✦ ✦ ✦
第一章:
玉座に座らぬ王


ここで一度
時計の針を645年に戻す


乙巳の変


大化の改新の幕開けとなった
宰相暗殺事件や

当時の実質的最高権力者
蘇我入鹿そがのいるかが暗殺されたんが6月12日や

そして翌13日
入鹿の父である先代 蘇我蝦夷そがのえみしが自害

そして

6月14日
皇極こうぎょく天皇が退位を表明

たった三日間で
国家のトップが丸っと退陣した


(展開が早すぎるやろ😅)


しかし


ここで
ちょっと不思議なことが起こる


次の玉座=天皇として
白羽の矢が立ったのは中大兄皇子やった

(そりゃ、当然やな😄)

革命を主導して成功させた上に
皇位継承権もある


しかし


中大兄皇子は
これをあっさりと辞退してしまう
😱


代わりに即位したんが
皇極天皇の同母弟 軽皇子(かるのみこ)

第36代
孝徳こうとく天皇の誕生や


そう


中臣鎌足なかとみのかまたりが最初に近づいて
ちょっと覚悟が足らんかもなぁ😅

と見切りをつけた
あの人や

そして

中大兄皇子が就いたのは
皇太子の座


つまり


組織を自ら動かすことを前提とした
No.2戦略やな
😎


背景として


血で手を染めた自分は
トップに相応しくないと考えたかも知らんし

20歳前後の自分では
経験不足を指摘されると考えたんかも知らん


せやけど


前例なき大改革の実務に集中したかった
っちゅうんが本音やろな😄



✦ ✦ ✦
第ニ章:
飛鳥への帰還


孝徳天皇は
都を現代で言うところの大阪に移す

難波長柄豊碕宮
(なにわながらのとよさきのみや)


改新の詔が出されたんも
この難波の宮や


あらゆる物事は
順調に進んでいるように見えた


しかし


653年
元々難波宮に反対だった中大兄皇子は

「そうや、飛鳥に戻ろう!」


と孝徳天皇に上奏したが
天皇はこれを拒否


(せっかく難波に遷宮したんやぞ😡)


しかし


中大兄皇子は
構わず飛鳥へ帰ってしもた😅


しかも
連れて行ったメンツが凄い

▼母 皇極(前天皇)
▼弟 大海人皇子(おおあまのみこ)
▼妹 間人皇女(はしひとのひめみこ)
▼政府高官と官僚ぼぼ全員


因みにやけど
間人皇女は孝徳天皇の皇后やってん😅


要するに


中大兄皇子は
叔父である孝徳天皇から

妻も家臣も
身の回りの人々を全て奪った


(えげつなさすぎる😱)


難波の宮に
たった一人残された孝徳天皇


その後


退位するつもりで
山碕に新しい宮を造らせとった最中

654年10月10日
病に倒れて崩御したとされとる

史料によっては
憤死という言葉すら残っとる😱



かくして
再び玉座は空位となった


乙巳の変からは
9年の月日が流れており

中大兄皇子は
30歳を目前にしたタイミング

実績も人望も権力基盤も
全部そろっとった


満を持して
いよいよ中大兄皇子が玉座に座る
😎


誰しもが
そう思とったが、、、

またしても
中大兄皇子は玉座に座らへんかった

まだや
まだ、座らんよ
😎


玉座に座ることは目的ではなく
玉座を手段と捉える男

見据えるゴールは
いったいどんな景色なんやろうか?



✦ ✦ ✦
第三章:
血と策謀の匂い


655年正月
玉座に座ったんは

皇極天皇 改め
斉明天皇(さいめいてんのう)

つまり

中大兄の母が
御年62歳にして二度目の即位

同じ人物が二度即位する
日本史上初の重祚ちょうそやった



(飛鳥時代は史上初が多い😅)



斉明朝は
とにかく土木工事に明け暮れた


巨大な倉庫
長大な運河
石で丘を築く工事


とりわけ
運河の工事には熱を入れ

民からは
あまりにも無駄が多いという事で

狂心渠(たぶれごころのみぞ)
※狂った心の水路という意味


とまで
呼ばれるほどやった


(えらい言われ様やがな😱)


民の不満は
確実に溜まっていく


そして


暫くの時が経った
658年10月

斉明天皇と中大兄皇子は
紀伊の温泉へ出掛けることになった


その際に飛鳥の留守を預かったんが
蘇我赤兄(そがのあかえ)


…この名字🤔


引っかかるやろ?
赤兄はあの蘇我氏の人間や


しかも
蘇我倉山田石川麻呂そがくらやまだいしかわまろの弟


中臣鎌足と中大兄皇子による
乙巳の変に加担するも

その後
冤罪をかけられ自害した男の弟


因みに


石川麻呂を陥れた
蘇我日向(そがのひむか)も石川麻呂の弟


(蘇我氏内部だけでも骨肉の争いがあった😅)



とまぁ
人間関係も異常に複雑な飛鳥時代


よくよく
考えてみると


先代 蘇我倉麻呂(そがのくらまろ)の
実子 五人兄弟の内

石川麻呂 / 日向 / 赤兄
の三人は

それぞれ違う形で
中大兄皇子と関係性を持っとった


(もう嫌な予感しかせぇへんなぁ😅)



留守を預かった赤兄は
この時にある人物のもとを訪ねている


有間皇子(ありまのみこ)
若干19歳


亡き孝徳天皇
唯一の遺児やねん

父を難波に置き去りにされ
孤独死させられた

その息子や



赤兄は
こう切り出した

「斉明天皇の政治には
 三つの大きな失政がございます!

 ①巨大な倉庫を建て、民の財を集めた
 ②長い運河を掘り、国庫を浪費した
 ③舟で石を運び、丘を築いた

 どれも民を苦しめとります!」



さらに赤兄は
こう続けたと伝わっとる

「知っとるやろ?
 ウチの兄さんらも
 中大兄皇子に裏切られたんや」


利用価値が無くなったところで
死に追いやられた石川麻呂と日向のことや



私は貴方様と同じ側です😎



そう
言うたわけやな



有間皇子は
心をグッと動かされたはずや

「わが生涯で
 初めて兵を用いる時が来た」


そう言って
挙兵の意思を明確にしたという



およそ1ヶ月後の
11月5日

有間皇子は赤兄宅を訪れ
密議に及ぶ

どのように挙兵するのか
詳細に語り合った



しかしその最中
脇息きょうそくが急に折れた

※脇息=肘をかけるための、座敷の道具



これは
不吉の前触れや




二人はそう受け止め
計画は別の機会にすることにして解散した


帰宅の途で
有間皇子はこう考えとったはずや

機会はいずれ訪れる😎


機を捉えることが一番大事や
何事も性急に無理を通して失敗するより

勝てる機会を伺うことこそ
君子に求められる資質やねんからな😁



✦ ✦ ✦
第四章:
玉座の番人


密会から自宅に戻った
有間皇子が一息ついたのも束の間


事態は急変する


なんと


赤兄が兵を率いて
有間皇子の邸宅を包囲した😱


そして


外遊に出ていた天皇のもとへ
早馬を飛ばす


さっきまで
信じて密会しとったのに、、、😱


赤兄は
最初から嵌めるつもりやった


11月9日
捕らえられた有間皇子は

中大兄皇子から
直接の尋問を受ける

「なんで、
 謀反なんて企てたんや?」


19歳の皇子は
こう答えたという

「天と赤兄とのみぞ知る
 吾は全く知らず」


天と赤兄だけが知っとる
私は何も知らない


弁明でもなければ
命乞いでも責任転嫁でもない


ただ
それだけを言い残した


(まだ19歳やで😢)



11月11日
有間皇子は

藤白坂(ふじしろざか)で
絞首刑に処された


享年19歳


護送の途中
磐代(いわしろ)の地で

皇子は
松の枝を結んだと伝わる

枝を結ぶんは
無事の帰還を祈る当時の風習や

その時に詠んだ歌が
万葉集に二首ほど残っとる

帰る道など
どこにも無かったのに



そして



この一件の後
赤兄は順調に出世していく


669年:筑紫率(つくしのかみ)
671年:左大臣


(やっぱそういうことか😅)


学界でも
赤兄は最初から中大兄の意を受けて

有間皇子に近づいたんやろう
という見方が有力や


つまり


この事件は
完全なる罠やったっちゅう事や



ここで一旦
中大兄皇子周辺の事件を並べてみよか

645年:実兄 古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこ討伐
649年:蘇我倉山田石川麻呂が冤罪で自害
654年:孝徳天皇が孤立して崩御
658年:有間皇子が謀反容疑に処刑


こんだけの事が
全て中大兄皇子の周りで起きとる

そして

この四人には
分かりやすい共通点がある


全員が政治の実権を
握れる地位



つまり


中大兄皇子は
自ら玉座に座らんかっただけやなく

改革の妨げに
なる可能性がある人間を

玉座から
引き離す様に仕向けとった



なんで
こんな回りくどいやり方したんか?



第一章でも
少し触れたけど

天皇になってまうと
儀礼と権威に縛られて自由に動かれへん

一方で

皇太子のままなら
汚れ役も非情な決断も全部やれる


現代の会社経営に
例えるなら

創業家の母を
会長に据えておいて

自分はCOOとして実権を握り続ける
という構図や


玉座は
空にできへんからな

信頼できる人に
座ってもらうんが一番や

そして

座られたら困る人間は
先回りして潰しておけばええという

極めて合理的な
統治設計


しかし


玉座を他人に預け続けた
この年月が

後に
歪みを生むことになる

その話は
時が来たら話すわ



✦ ✦ ✦
第五章:
急報は落日の序章


さて
ここまでは

全て
日本の中の話や

玉座をめぐる
身内同士の殺し合いさえもな



せやけど
その2年後には

国の外から
とんでもない急報が飛び込んで来る



これこそが
最も大きな誤算やってん


660年
唐は13万の大軍を動員

新羅の5万と連合し
百済(くだら)に攻め込んだんや

百済軍は各地で善戦したものの
最後は義慈王が降伏

建国以来678年続いた王朝は
あっけなく滅んだ


これ


倭国にとっては
ただの海外ニュースやないねん


百済は
長年の同盟国

仏教も
漢字も
最新の土木技術も

みんな
百済経由で入ってきた


今風に言うたら
最大の技術提携先が

ある日突然
消滅するような話やねん


(そら焦るわ😱)


しかし


話は
これで終わらへん


百済の遺臣たちが
復興運動を起こしたんや


中心人物は
鬼室福信(きしつふくしん)


福信は
倭国に対して二つの要請を出す

「人質として預けとる王子
 豊璋(ほうしょう)を返してほしい」

「援軍を送ってほしい」


斉明天皇と中大兄皇子は
要請を快諾

というか

快諾を通り越して
国の総力を挙げて支援すると決めた


なんでそこまで?


理由は
大きく二つあると考えられる

▼① 恩義と依存
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
百済は倭国にとって
文化と技術の供給元やった

見捨てるという選択肢が
そもそも無かった

▼② 次は自分たちの番やという恐怖
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
唐と新羅が半島を統一したら
次に狙われるのは倭国

朝鮮半島に
友軍の防波堤を残しておきたい

そう考えるんは
当然の判断やったと思う



そして
661年正月


なんと斉明天皇は御年67歳にして
自ら九州へ向かう

ところが

7月24日
斉明天皇は九州で崩御してしまう


出征の準備中に
国家元首が不在となる一大事


しかし
百済を見捨てる事は出来へん


中大兄皇子は
天皇即位する間もなく

皇太子のまま
全軍の指揮を執り続けた

称制(しょうせい)と呼ばれる
異例の体制や

▼称制とは
君主が亡くなった後、次の位に就くはずの皇太子や先の王の后(きさき)などが、正式に即位しないまま、トップとして政治を行うこと。


喪に服す
時間すらもあらへん

国家の総力を挙げた
海外派兵が

すでに
動き出しとったからや


こうして


倭国は
国外の戦争に巻き込まれていく



✦ ✦ ✦
第六章:
大敗と大罪


662年
倭国は豊璋を百済へ送り返す

およそ
30年ぶりの帰国

豊璋は
百済王として推戴される


しかし


唐突に王として担がれた豊璋
実務を仕切る福信

30年も国を離れていた王と
宰相の間に確執が生まれるのは不思議やない


そして


663年6月


豊璋は福信に謀反の疑いをかけて
斬殺してしまう


(味方を殺してどないすんねん😱)


復興軍が
軍事的な支柱を失った瞬間や


その2ヶ月後


663年8月
運命の海戦が始まる


決戦の地は
白村江(はくすきのえ)


倭国-百済 連合軍は
総勢4万7000人 /船1000艘

対する唐の水軍は
総勢1万3000人 / 船170艘

数の上では
倭国側が優勢に見えた

※数字に関しては出典により諸説あり


しかし


4度にわたって
突撃を繰り返した連合軍は

唐軍の組織的な水軍戦術に
弾き返される


旧唐書には
こんな風に記されとる

倭の船400艘が焼かれ
煙は天を覆い
海は血で赤く染まった



決着は
たった2日で着いてもうた



豊璋は
高句麗へ逃亡

百済復興の夢は
完全に潰えた



なんで
こうなったんか?



敗因は
大きく三つある



▼要因① 統一指揮官の不在

連合軍と言えば聞こえは良いが
実態は豪族たちの寄せ集め

中途半端な中央集権制度により
表面上は人員を揃えることが出来たが

実際の軍には
全体統括司令が不明確やった



▼要因② 百済の人手不足

そもそも
滅亡の危機にあった百済

しかも

福信殺害で
士気も低いしグリップも効かへん

百済側の戦力は
ほとんど期待できる状態やなかった

詳しい数は不明やが
数千規模しか集められへんかったらしい

つまり

連合軍の大半は
外様で土地勘もない

完全なる
アウェイ戦を強いられとった



▼要因③ 兵器と戦術の圧倒的な差

この件に関しては
数字を並べると一目瞭然や

唐の水軍は
船170艘におよそ1万3000の兵

一方の倭国は
船1000艘に4万7000の兵


1艘あたりの
人数を計算してみると、、、


唐水軍=1艘あたり76人
連合軍=1艘あたり47人


つまり唐の船は
連合軍の船より遥かにデカい



もっと言うと



唐の船は
それ自体が武器である大型軍艦

連合軍の船は
人を運ぶための小型輸送船



つまり



船そのものが兵器であり
接近戦に頼らない最新戦術を用いる唐

兵を運んで
乗り移って斬り合う古風戦術の連合軍


はっきり言って


乗り移る前に
沈められるねんから手も足も出ぇへん



要因①と②だけで
そもそも戦える状態や無かったのに

要因③により
勝ち筋は最初からゼロに等しかった


組織 / ハード / 運用面
全てが旧世代のフォーマットやった連合軍

戦略も戦術も限られる状況では
どんな優秀な指揮官が居ても挽回は厳しい


せめて
組織の統率が取れていれば


一旦撤退して体制を立て直すとか
陸戦に誘い込むとか

負けるにしても
ここまでの大敗やなかったかも知らん



大和OS:飛鳥 Ver.2.0は
中央が一元管理する仕組みやったはずや


しかし


いざ国家の総力を挙げた戦になった時
一軍の統一指揮すら執れんかった


つまり


大和OS:飛鳥 Ver.2.0は
実装が甘かった


その結果


白村江において
その現実を最悪の形で突きつけられた


動作検証を
実戦でやってもうた様なもんや😢


しかし


幸いにも
まだ侵略された訳やなかった

授業料は高くついたが
倭国は新たなステージに入るキッカケを得た


この敗戦により
倭国は様々な防衛や組織改革を行い

国号を日本に改めて
国家制度を大改革していく契機となる


戦いは
無駄では無かった



✦ ✦ ✦
最後に


玉座に座らぬ王は
自らが手を汚してでも改革を進めた

目的達成に執着する
リアリスト

自らをNo.2ポジションに置き続け
長期的に改革を進めた



確かに
やり方に疑問符は残る😅



せやから
そういう部分も含めて

功罪や評価については
学会の定説に特段の異論は無いねん


しかし


個人的見解を
言わせてもらうとしたら



中大兄皇子は
私欲なき愛国者やったと思とる



もしも私欲で
地位や利益を独占したいだけやったら

こんな回りくどいやり方は不要やし
リスクを負う必要もない

だから

中大兄皇子の信念は
国家の未来だけを見据えとったと思う



白村江の大敗の後
倭国は更に改革を加速する事になる



唐が攻めてくるかも分からんし
豪族の結束も揺らいどる

この国の存亡が
過去最高の解像度で危ぶまれていた



そこで
無冠の王は

遂に玉座に座ることを決める


次回
覇権のOS
飛鳥の終焉 -サンライズ- 《その③》

feat. 天智天武兄弟
血を分けた革命家たちの競創


飛鳥の大改革は
遂に終盤戦に突入していく

次回も
是非、お楽しみに😁


筆者:Khaosan
波乱万丈な人生はこちら


【次回記事】


覇権のOS
飛鳥の終焉 -サンライズ- 《その③》

feat. 天智天武兄弟
- 血を分けた革命家たちの競創 -



【付録】 まとめ資料




【Khaosanの舞台裏】


大学中退のバンドマンが、遅めの社会デビューから叩き上げて、マニラで散って、再生して、20年を越えるBiz-dev人生の修羅場を通じて《日本精神》に辿り着いた。

その真相と現代ビジネスに効く独自考察を高尾から発信してます!

そんな Khaosan の 波乱万丈な人生 とこれまでの 全考察記事一覧 は、このリンク先で包み隠さず大公開中やで 😁


✦ ✦ ✦


📝 この記事について
この記事は学術的な通説とは異なる点を多く含んでおります。あくまで一つの「妄想」として楽しんでもらえたら嬉しいです。

この記事は、AI戦略アシスタント「コマちゃん」との対話をベースに執筆しました。

Khaosan / 2026年7月



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