ねらい:子ども達が今日という1日を楽しめるように遊ばせる
ねらいを考えるうえでまずすべきことは、個人的には、「森の幼稚園とは何か?」という質問に、自分なりの答えを出すことだと思う。
自分なりに森の幼稚園を理解していなければ、森の幼稚園を使って何が成し遂げられるのかを考えられるわけが無いから。
個人的に尊敬している人達、例えば、早乙女哲哉さんは、「天ぷらは蒸すと焼くを同時進行で行う脱水作業」と言われているし、立川談志は「落語は業の肯定」と言っている。
そういう風に、自分がプロとして扱うものを自分なりに理解することが、自分のスタイルを築き上げる第一歩だと思う。
自分だったら、「森の幼稚園とは何か?」という問いには、
『森の幼稚園は子ども達にとっての最高の”おもちゃ箱”である。』
と答える。
この考えは2014年に初めてドイツの森の幼稚園を体験させてもらった時に芽生えた記憶がある。朝の会が終わった途端に、子ども達が座ってる所から一斉に勢いよく飛び出して、その後ずっと熱中して遊ぶ姿を見てそう感じた。
そこから2年経って、トビタテの書類審査で書いた留学計画書に、「私は、子ども達に最高のおもちゃ箱として『森の幼稚園』を是非プレゼントしてあげたい。」と書いた。
今でも2014年の時に感じた直感は正しいなと思っている。2017年のWaldzwerge森の幼稚園、2023年のDüsseldorf森の幼稚園での実習を通じて、さらにその正しさは強まった。直感から確信に変わった。
ではこの、「子ども達にとっての最高のおもちゃ箱である」森の幼稚園を使って、自分は何をしたいのか?
個人的には、
その日を楽しんで欲しいな
と思っている。
「~が出来る子に育ってほしい」とか「~みたいな人になって欲しい」みたいな思いを子どもには持っていない。
もちろん、子ども達が他の子とトラブルを起こせば、「トラブルが再発しないようになって欲しい」という思いから介入はする。
ただそれは、幼稚園の先生として使われるドイツ語単語「Erzieher」としての職務なので当然である(erziehenは「しつけ」を意味する)。
基本的には、幼稚園が終わった時に、子ども達が「楽しかった!」と言ってくれるかどうかが、プロとしての勝負だと思っている。
その思いを支持してくれる4つのご意見を紹介☟
①コダーイ・ゾルターン
子どもが家に帰ってきて、「今日はたくさん勉強した」と報告したら、気をつけてください。逆に、子どもが家に帰ってきて、「今日はよく遊んだ」と報告したら、その子は多くのことを学んだ可能性が高いので、とても喜んでください!(コダーイ・ゾルターン)
②倉橋惣三の「幼稚園雑草」
つまり幼稚園の一日は、教育の結果ということからは勿論有益なるものでなければなりませんが、子供にとっては実に楽しいものでなければなりません。すなわち幼稚園はいかなる所かということを子供に問うたならば「好きな所」「楽しい所」「面白い所」と答えるでありましょう。それでこそ幼稚園なのであります。
③2017年に実習させてもらったWaldzwerge森の幼稚園
2017年に実習させてもらったWaldzwerge森の幼稚園で、先生方に「この森の幼稚園の教育方針は何ですか?」と聞いて回ったところ、一応にして答えられていたのが、
「来てくれた子ども達が、今日という1日を楽しんでくれること」
ということだった。
④自分がプロとして尊敬している早乙女哲哉さん
私はね、料理のプロというのはあくまでも、おいしいものを食べたい人とか、いい気分になりたい人のお手伝いができる人―——そういう意味でしかプロだと思っていない。うん、プロっていうのはそんな程度だと思う。その分野のエキスパートとして、お客さんのお手伝いをしてあげられる、そういった人たちがやっぱし作家でありアーティストなんだと思うね。もう「一流の料理人だ」っつーてね、そのなかでも「オレは特別だ」みたいな顔してるやつがいるけど、そんなデカい顔をするようなものじゃないんだよね。どんなに手段的なものをそろえようと、どんなにテクニック的なものに自信があろうと、そこまで自分を高めたところで、ようやっとプロとして皆さんのお手伝いができる、というくらいなものなの。それを偉そうに「これはオレの作品だ」みたいなことをいってねぇ(笑)。たしかに料理も作品なんだけどさ、そりゃ私も作品であるという意識は持っているけどね。だけど作品なんてそんな程度のモン。お客さんがいい気分になるためのお手伝いをするという程度のものなんだ。
自分は森の幼稚園のプロとして、
子ども達に今日1日を楽しんでもらいたい
という思いを持っているし、それが全てである。
「子育て」ではなくて、「子育ち」なんだから、子ども達がその後の人生においてどんな人間になるかは、その子が決めることであり、その子次第である。
その子の親ならまだしも、赤の他人である一介の先生が、その子の将来像を作ろうなんていうのは、個人的にはあんまし好きではない。
なので、自分の出来ることと言えば、自分と関わった子ども達の今日1日を楽しくさせることしかないと思う。だからこそ、自分にとっての教育とは「今日育」、つまり「今日を育てる」ということなのである。
今日をしっかりと育てることが出来た子どもは、過去の自分に支えられ、未来の自分に導かれて、良い生き様が出来るのではないかと思う。
で、プロとしては、この「1日を楽しんでもらう」ということの為に、最大の努力をするわけである。
森の幼稚園の保育において、同じ1日など決して無い。子ども達の人数は日によってバラバラ。子ども達同士の関係性も変わってくる。しかも、森の中で活動するからこそ、その日の天気や森の状況を考慮しないといけない。活動場所、遊び道具、子ども達の気分なども日々移り変わる。
そういう不確定要素満載の環境において、かなりの高い精度で”正解(早乙女哲哉さんが言われるところの、「最大公約数」)”を導き出せるのが森の幼稚園のプロだと思う。
子ども達同士で遊ぶ
ことだと思っている。
「幼稚園は子ども同士が遊ぶ場を提供する場所である」ので、その環境を創り上げるべく、その日の子ども達の様子などあらゆる観点を考慮しながら、プロとしてベストな選択をしていく。
子ども達同士て遊ばない子どもがいれば、先生の介入によって、遊びを巻き起こす。
その為にも、先生は”多彩な武器”を持っていなければならないと思う。自分がこれまで使った武器としては、
・ラジオ体操の紹介
・図鑑を持って探検ごっこ
・ドイツ語の童謡を覚える、子ども達と一緒に歌う
・絵の訓練
・ABCの歌をドイツ語で歌う
・インスタで遊びのアイデアを収集➡枝落とし、切り絵、仕掛け絵、棒の持ち替え、モノ運び、
・日本についてのクイズを作成
・3つのマジックを習得
・ドイツ語のなぞなぞ
・ドイツの遊びを習得
・流行っているアニメを学ぶ
・ロープによる遊び場作り
・雑学
・朝の会でのなぞなぞコーナー
・木の家作り
・ラダーづくり
・穴掘り
・振り回し
・子ども達が描いた絵から心理を診断
・お店屋さんごっこ
・パルクール会場作り
・山崩し
・アジリティートレーニング
・ストラックアウト
・Spieß作り
・落ち葉集め
・泥団子作り
・相撲
・鬼ごっこ
・モノ探し
・日本語
・ハンモック
・サッカー
などなど…
であり、今後も増やしていって、プロとしてベストな判断を、状況に応じて下せる確率を高めていきたい。
個人的な今の考えとしては、プロとしての専門性って、目に見えない「子ども達同士の関係性」や「その子自身の内部で起こっている変化」を見えていることだと思っている。
ホリエモンの「保育士は誰でもできる」論争についての記事にも書いたけど、子ども達の安全を確保しているというのを、「プロの仕事です!」と強調されてもな…と思う。全ての仕事において「安全の確保」というのは基盤になっていることなので、基盤を専門性にしてしまうのは違うかなと。
あと、安全性とかだったら、人の健康を守る医者や救助活動を行う消防士などの方がよっぽど専門性はあるように思える。だからこそ、安全性は当たり前の前提条件として、他の部分を”保育独自”の専門性として打ち出さないといけないと思う。
個人的には、安全性ってのは目に見えるものだと思う。それ故に、誰もが気をつけることが出来る。専門家とそうじゃない人の違いって、「そうじゃない人が見れない所を、専門家は見れる」ってことじゃないかなと思う。
だからこそ、そうじゃない人ってのは、「子どもが安全か?」、「子どもの成績はどうか?」、「子どもは今何をしているのか?」みたいな、目に見るものを通じて子どもを見て、自分の行動を起こしがちなのだと思う。
その一方で、専門家だったら、「子どもの気持ち」とか「子ども達との関係性」っていう目に見えないモノを見て、プロとしての仕事が出来る人達だと思う。
自分が目に見えないモノを見れてたなと思うエピソードを2つ紹介☟
①子ども達とのファーストコンタクトの取り方
1年間ドイツに留学していた時に、色々なご縁が重なって、スウェーデンの保育研修に参加することが出来ました。
その研修には教育関係の仕事を長く勤めていらっしゃる方々が多く参加されていました。その方々は、日本からスウェーデンへ向かい、自分はドイツからスウェーデンに行き、現地で合流する流れでした。
ここで書きたいのは、あるスウェーデンの森の幼稚園を視察した時の出来事です。森の幼稚園に到着した参加者の方々は、登園してきた子ども達に対して「可愛い~」って言ってはしゃいだり、あろうことか、子ども達に近寄って話しかけたり、遊びに加わろうとしていました。
個人的にはそういう態度や行動って、子ども達のことを考えてないよなって思うのです。登園してきた子ども達がまず一番最初にすることって、「安心」を見つけることでしょ?家族より外の範囲の人達との社会性を築いていく最初の時期にあたるんだから、親と離れることに一抹の不安を覚えるのは当然かと。
そこで、子ども達は幼稚園に到着したら、好きな先生や友達と話をしたり、自分の好きな遊びをしたりすることで、自分が幼稚園にいても安心する感覚を作ろうとしているハズです。そんなその幼稚園生活の一日の基礎作りをしている子ども達に向かって、見知らぬ人かつ見た目が全く異なる外人が幼稚園にいたり、あろうことか近寄ってきたりしたら、子ども達はどう思うでしょうか?きっと不安になるだろうと私は考えています。
なので、私は、他の園にお邪魔する際は、最初はなるべく目立たないようにして、子ども達が一秒でも早く幼稚園で安心を見つけられるように協力するようにしています。
そういう考え方をしているので、登園してきた子ども達に対して、自分の欲望のままに行動するベテラン教育者を見た時にビックリしましたね。案の定、子ども達から不審がられてましたし、ファーストコンタクトが最悪なモノになってしまったので、今日一日で修正するのはキツイだろうなと遠目から見て思っていました。
僕は朝の会が終わって、子ども達が自由遊びの時間に入った頃に、コミュニケーションを図りましたね。もう朝の会というルーティーンを終えて、子ども達が幼稚園での生活リズムをつかんできたと判断したからです。
こういう時はいつも1人で遊んでる子をターゲットにします。なぜなら、1対1で直接的なコミュニケーションがとりやすい(2人とかだと、片方が自分に好感を持ってくれたとしても、もう片方が良く思ってくれなかったら、どっかに行ってしまい、関係性を築けなくなる)、一人で没頭するタイプなので自分に興味を持ってくれたら深い関係性を築ける確率が高い、子ども一人と仲良くできればその様子を見ている周りの子ども達が自然と寄って来てくれるという理由があります。
最初はその子の遊びを遠目から観察して、次第に距離を詰めていき、気づくか気付かないところで「自分」が遊び始めるんです。砂をいじったり、生き物を捕まえたりとかして自分で楽しんでると、運良くその子が自分の存在に気付いた時に、「何が楽しいの?」って興味を持ちながら寄ってきます。そしたらもうこっちのもんです。二人でキャッキャッと楽しんでいたら、他の子ども達も寄って来て、最終的には気の合う子ども達と深い関係性を築ける。
結局、その森の幼稚園の研修で子ども達からずっと人気があったのは僕だけでした。他の参加者には子ども達は予想通り寄り付かなかったですし、多くの参加者から「なんでそんなにキーくんは人気なん?」って質問されたりしました。参加者の中には30年以上幼稚園の先生をやっているというベテランの方もいらっしゃいましたが、まさかその方から上記の質問をもらうとは思ってませんでしたね。
子ども達はスウェーデン語を話していて、僕を含めて参加者全員はスウェーデン語を話せませんでしたが、それでも関係性に違いが出てくるのはひとえに、「子どもの立場に立って行動できているかという意識」ではないかと、その出来事を通じて思いました。
まぁ、「可愛い~」って言いながら近寄っていく気持ちも分からんではないですが(実際に可愛いし、初めて外国人の子ども達と接する女性の先生だったらなおさら母性本能をくすぐられて我慢できないだろうと。)、研修中ということや、子ども達の生活にお邪魔させてもらってるという意識を”メタ認識”として持っておかないと、ただただ感情の赴くままに行動してたらエライ目に合うなと思いますね。
こんなこと考えてる幼稚園の先生っていないんですかね…?笑
②「世界一ハンモックを揺らすのが上手い!」と言われた理由
①ハンモック
「子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。」は、めちゃくちゃ分かります。ドイツで実習してた時は、そういう場面にいくつも会いましたね。
例えば、ハンモック揺らし。こちらで既に紹介したように、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園は4つのハンモックを普段用意していて、いつでも自由に子ども達が使うことが出来ます。
僕は実習を通じて子ども達から、
「キーくんは世界一ハンモックを揺らすのが上手い!」
とお褒めの言葉を頂いておりました。
実習中は、子どもと遊んでない時は殆ど「キーくん、ハンモック揺らして~」って子ども達に頼まれて、休憩がてら、他の子どもの観察がてらに揺らしてました。
何千回揺らしたでしょうか。1年間の実習が終わる時に自分の手を見たら、なんと「ハンモックまめ」ができていたことに驚きました。中指、薬指、小指の付け根が固くなって膨らんでたんです。現在は6年経ちましたが、今でもその痕跡はくっきりと残ってますね。笑
僕が他の子と遊んでる時に「キーくん、ハンモック揺らして」って言われて「今遊んでるから無理なんよ~」って言ったら、「じゃあ、待つ!」って言われたり、そのやりとりを聞いていた他の先生が代わりに揺らそうとすると「キーくんじゃなきゃ嫌だ!」って言ってたりしましたね。笑
まさに、「子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。」ですよ。
で、なんで子ども達にハンモック揺らしが世界一と言われたのかというと、次の二つのことを意識していたからではないかと思います。
①位置エネルギーと運動エネルギー
②どうやったら退屈しないか
①に関しては、中学の理科の時に習ったことがあると思います。
僕はハンモックを揺らしている時はいつもこのイメージを持っていました。つまり、「地面すれすれの位置に来た時に、ハンモックに乗っている子どもは一番スピードを感じる」という事です。
それが分かっていれば、ちょっとした手間をかけることで子ども達はもっとスピードを感じることが出来ます。
例えば、地面すれすれの少し前に手首のスナップを利かせて加速を付けたり、スピードが最大になったところで「ビューン!」とかの声掛けをしたりすることを僕はやってましたね。手首のスナップをクイッと利かせる時に、中指、薬指、小指の付け根で押していたからマメが出来たんだなと考えてます。笑
②の「どうやったら退屈しないか」ですが、例えば自分は数を数えることをしてました。そして、年長さんの子に対しては、たまにわざと間違えるんですよね。そうすると子どもが「今の違う!」ってツッコミしてくれます。年少の子には正しく数を数えることで、数字の勉強になれば良いなと思ってました。
あとは、ドイツ語ではなく日本語で数を数える。これも、子ども達は興味を持ってくれましたね。子ども達の中で「イチ、ニ、サン」が流行ったのは良い思い出です。
日本語の数ってめちゃくちゃ速く数えることが出来ますよね。「イチニサンシゴロクシチハチキュウジュウジュウイチジュウニジュウサン・・・」みたいに。ドイツ語も20までは速く数えられるんですけど、21からは、「一の位」を読んでから「ウント(und)(英語で言うところのand)」でつないで「十の位」を読むという不思議な読み方になるから時間がかかるんです。21なら「アイン(1)ウント(und)ツヴァンツィヒ(20)」、22なら「ツヴァイウントツヴァンツィヒ」みたいな感じです。
で、僕は「日本語で100までめっちゃ速く数えられるよ!」って言って披露したら、子ども達にめっちゃくちゃウケて、それ以来、「キーくん、百まで日本語で数えて!」って何回もリクエストされるようになりました。笑
数字以外にも積極的に話しかけてましたね。子ども達とじっくり会話できる時間になるので、何とか有効活用したいなと思って、色んな質問を投げかけました。
他には、木の裏に隠れてハンモックが止まった時に子どもが周りを見て「キーくんがいない!」って叫んだら出てきてあげるとか、葉っぱを集めといて振りかけてみたりとか、「俺が乗りたいから、逆に揺らして!」って言って子どもと立場を交代させたりとか(ハンモックは大人1人乗っても大丈夫な頑丈なつくりなのです。結構お腹出てたり、長身だったりした他のドイツ人の先生が乗っても大丈夫だったのには驚きました。100人乗っても大丈夫なイナバの物置みたいな感じです…笑)、位置エネルギーが最大のところで急に抱えて止めてみたり(これはあんまし評判が良くなかった・・・笑)など、色んな事をしましたね。
他の先生方のハンモックを揺らす様子を見てると、ただただ揺らしてるだけの方が多かったので、他の先生と違いが出て、子ども達にとって自分が魅力的になったのかなと思います。
素人が気付かない目に見えないモノを見れるのが、プロとしての条件だと思う。
目に見えないモノと言えば、自分が実習をする前に必ず聞いている勝負曲「やさしい気持ちで」(Superfly)の歌詞の中に、
手でさわれない心はいつも
人と人が育てあうものさ
という一節がある。
子どもにプロとして関わっている人は、子どもの”心”を育てている。その心は可視化出来ないので、「これだけこの子の心を育てました!」と自分の仕事を定量化できないのはツラい所である。
でも、だからこそ、子ども達から発せられる「今日は楽しかった!」であったり、「幼稚園は楽しい所!」という言葉が大事になってくるのではないかと思う。
