「逃げた転職」が正解だった理由。精神科から特養へ、年収50万下げた選択の話
※この記事にはAmazonアソシエイトなどのアフィリエイトリンクを含みます。
※youtubeでのポッドキャスト始めました。ぜひこちらも聞いていただけると幸いです。下にスクロールしてもらえるとテキスト版があります。
正直に言う。
精神科病院の給料は悪くなかった。デイケア時代より年収で70万円ほど高かった。今の特養と比べても、50万円近く差があった。
それでも転職した。
「また逃げるのか」と思われるかもしれない。でも今は断言できる。あの選択は正解だった。
お金では買えないものを、失っていた
精神科での上司との関係が最大の理由だったのは確かだ。でも、それだけじゃなかった。
精神科の病院では、患者様をドラッグロックで鎮静化させることがあった。車椅子に縛り付けて立てないようにするフィジカルロックも、珍しくなかった。
古い病院だったからこそ、そういう慣習が残っていた部分もあると思う。
でも見ていて、辛かった。
作業療法士として、その人らしい生活を守ることが仕事のはずだった。なのに目の前では、薬で意識を落とされ、体を縛られた人がいた。それが「治療」として行われていた。
給料は高かった。でも帰宅するたびに、何かが削られていく感覚があった。
特養に来て、最初に気づいたこと
転職して最初に驚いたのは、身体拘束している利用者様が一人もいなかったことだ。
特養に務めてから今まで、身体拘束を一度も見たことがない。
もちろん薬を使うこともある。でもその目的は焦燥感を軽減することであって、鎮静化させることではない。その違いは、現場を見ればはっきりわかる。
ユニットケア型の特養なので、利用者様一人ひとりの生活に寄り添える。その人のペースで、その人らしく過ごせる環境がある。
長年働いて、どうしても対応が難しかった利用者様は2人だけだった。精神科時代と比べると、心の苦しみがまるで違う。
「ここで働いていていい」と、初めて思えた職場だった。
それでも、最初から順調ではなかった
最初から居心地がよかったわけではない。
攻撃的な介護職員もいた。合わないと感じた看護師もいた。新しい環境に慣れるまでの時間は、それなりにしんどかった。
でも続けられた理由がある。
利用者様からもらった感謝の言葉と笑顔だ。
それだけは、お金には代えられなかった。どんな職場のしんどさも、あの瞬間があれば続けられた。
同級生の父親を看取った。同級生のひいおばあさんを看取った。本当にたくさんの方の最期に関わらせてもらった。その一つひとつが、今の私を作っている。
年収50万円を下げた意味
長く働くうちに、頼ってくれる仲間も増えた。ある程度自由に動ける環境になって、昔よりストレスなく仕事ができている。
今振り返ると、年収50万円の差は大きかった。正直、生活への影響もあった。
でも精神科に残っていたら、今の自分はなかったと思う。
お金のために心を削り続けることと、少ないお金でも心が保てる場所で働くこと。どちらが長続きするかは、今の私が答えだ。
逃げることと、撤退することは違う
転職を「逃げ」と呼ぶ人がいる。
でも作業療法士として患者さんに伝えてきた言葉がある。「環境を変えることも、治療のひとつです」と。
それは自分自身にも言えることだった。
合わない環境に居続けることで消耗し続けるより、自分が呼吸できる場所に移ることで、また動き出せることがある。
逃げることと、撤退することは違う。自分を守るための選択は、弱さじゃない。
年収50万円を下げた転職は、逃げではなく撤退だった。そして今、その選択を後悔したことは一度もない。
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ
この記事を読んで、もう少し深く知りたいと思ってくれた方へ。
HSPとして16年間働いてきた経験と、自分自身が消耗しながら気づいてきたことを一冊にまとめました。怒れない自分、傷つきやすい自分を抱えながらも、壊れずに働き続けるためのヒントを書いています。
▼合わせて読みたい
・HSPの私が、支援職を辞めなかった理由
・逃げながら、続けた。HSPの作業療法士16年の話
・HSPが職場で消耗しないための具体的な技術
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。もし「応援したい」と思っていただけたら、チップで活動を支えていただけると嬉しいです。いただいた応援は、次の記事や取材、本の購入などに大切に使わせていただきます。