流るるは菊人形かだまり鳥 芥川龍之介の俳句をどう読むか135
朝夕や薫風を待つ楼の角
大正八年一月十九日、佐佐木茂索宛の葉書に添えられていた句だ。まさか自宅に女は呼ぶまいから、薫風は薫風であろう。これはそのまま受け止めてよい句である。

怪しさや夕まぐれ来る菊人形


大正八年二月二十日、薄田泣菫宛ての手紙に添えられていた句だ。菊人形は晩秋の季語。いかにも季節がずれている。この句を送られた薄田泣菫は何を思っただろうか。
まずこの菊人形は本物の菊人形かそれとも寓意かと考えたのではなかろうか。
ごく普通に詠めば「夕方に菊人形を見に来てみれば怪しく見えることだよ」という意味に解せるだろう。これが十月か十一月に送られてきた手紙に書いてあれば、そういうこともあるかなという程度の感想が浮かぶだろう。しかし何故二月?
団子坂と田端は近い。楽々歩ける距離だ。

ではこれが去年の十月から十一月の記憶かと云えば、
凩や大葬ひの町を練る
これが十一月三日。
菊の酒酌むや白衣は王摩詰(わうまきつ)
桃の花青雀今日も水に来ぬ
これが十月十四日。大正七年、スペイン風邪の大流行は十月末ごろから始まるので、この前に菊人形の記録があればということになるが、浮気の痕跡があるだけでそれらしき気配はなく、この後目を火傷して包帯を巻いているので、菊人形見物でもあるまいし、包帯が取れたらスペイン風邪の大流行……。菊人形見物は、どうも去年の記憶ではない。
それでもこれはいつか見た菊人形の記憶で詠まれた句ではあるのだろう。
怪しさや夕まぐれ来る菊人形
まさか菊人形が歩いては来ないだろうから、厳密にはこれは、
怪しさや夕まぐれ行く菊人形
なのだとして、二月に詠まれる意味も、因縁もあいまいで、
怪しさや夕まぐれ来る菊人形
と詠まれたことがいかにも怪しげな句だ。

寓意はちょいと思いつかない。あえて言えば、
枯れ方になりて哀れや菊人形
ここまで行かなくても盛りを過ぎた菊人形は怪しいものだ、と解すると、
黒き熟るる実に露霜やだまり鳥
この句の後の、浮気の痕跡が気になってくる。つまり、「黒き熟るる実に露霜や」とは年上の女性のことではないかと思えても来る。拾い忘れていたが、このひとつ前が大正七年九月十九日、江口間宛の葉書に書かれた、
流るるは夕鶯か橋の下
そしてその前が、
松風や紅提灯も秋どなり
なのだ。どうも流れ的に、「ぴちぴちしたお嬢さん」に手を出している感じがない。「黒き熟るる実」「夕鶯」……どうも年かさである。浮気の痕跡を追うのは趣味ではないが、句の解釈のためにあえて指摘すれば、大正七年十月九日鎌倉から池崎忠孝に宛てた書簡に、
先達は失礼した
朝らくに汽車に間に合つてかへつた
但しfrauや僕のうちへは君の下宿へ厄介になつた事にしてあるから然る可く心得てくれ給へ
もし今度の日曜日にでも君が来た時僕のうちでその礼でも云つてバツが合はないといけないから特に断つて置く次第だ
と、どこへやら外泊の記録が残されている。房事過多の男が外泊してすることで内緒にしなければならないことは、
A 浮気
B 人命救助
いずれであろうか。そう考えると俄然、
流るるは夕鶯か橋の下
この句が興味深く思えてくる。

さやかなる月にねられぬ秋の夜は人まつ蟲の聲にふけゆく(月前蟲)
菅の根の長き日蔭もくれ竹のやとりたつねて來なく鶯(夕鶯)
沈沈たる秋夜月下にすだく松蟲、融融たる春光をうけて綿綿の情をうたふ鶯、對比して興深し
夕鶯という歌題は確かにあり御製も見られるが、俳句に詠まれたものはあまり見当たらない。そして俳句にせよ和歌にせよ、鶯そのものははやり春のもので、九月十九日に橋の下を流れてはいけない。鶯がここかしこの枝を渡りさえずることを流鶯といい、漢詩に表れる。春風流鶯はのどかな春の景色だ。
流るるは夕鶯か橋の下
これが「流夕鶯橋下」であれば、ん? とならざるを得ないわけだ。

そのままに受け止めれば、なんともすさまじい眺めだ。思わず目をそらしたくなる。またこれは流れるは歌詠みか、人事句かと疑いたくもなるところ。ただ明確にこれというところはないにせよ、これもまた鶯を殺して春を殺した季語殺しの句とまでは認めるしかない。
怪しさや夕まぐれ来る菊人形
そしてこの句の菊人形これがふと、夕方の暮れ方に見る白塗りの顔のことではないかと思えてくる。色の白いは百難隠すというがやはり自然なのが一番だ。


どちらがお好み?
