天武天皇の五行認識
天武天皇は陰陽寮(→陰陽五行説)を設置し、「能天文遁甲」(奇門遁甲→方位術)と評されるように、五行説を良く知っていたと思われます。また道教と五行説は関係が深いのですが、唐の国教は道教で、天武朝においては神道が振興されたと思います。
ここで天武天皇のカラーですが、天武天皇は自分のカラーを赤と考えていたと思います。朱鳥の元号を制定したからです。また壬申の乱の時に神武天皇(彦火火出見尊)の祭祀をしています。周のカラーは赤で天王(天皇)号とも関係するかもしれません。五経では古事記のモデルになったと思われる書経です。見出し画像は奈良県立万葉文化館の特別展「天翔る飛鳥 烏頭尾精の世界」より。
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これは勿論、近江の朝廷を白(金)に擬えたということです(火剋金)。聖武天皇の詔に「白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして、尋問明め難し」とあって、大化の改新で白雉の元号が制定されています。無論、天智天皇と天武天皇は兄弟なのですが、母の斉明天皇の母が吉備姫王(黍は白)で、曽祖父の敏達天皇が日祀部を創始しています。太陽は金色で表されるのが通常だったようです。
このことは淡海三船は理解していて、天智天皇・天武天皇の諡号を決めたと思います。天智玉は周(赤)に倒された殷(白)の紂王の玉です。天は白でもあり、勿論五行のカラーですから、悪い色でもありません。天武天皇は兵器の祭祀を行って壬申の乱に勝っています。これしかないと思ったでしょう。
蘇我氏のカラーが黄(土)と認識されていた可能性もあります(土生金)。東洋には天円地方の思想がありますが、蘇我氏は方墳(地=土)で知られるからです。天武天皇の皇后は蘇我氏の地を引く持統天皇で結局後継者になっています(火生土)。
ところで、天武天皇と五行説で面白いのは、天武天皇が風神(龍田風神)と水神(廣瀬大忌神)を祀っていたことです。風は木(青/緑)で木生火、水は黒で水剋火です。一つには(殷富門の)伊福部(凡海氏)が伊吹おろしで風(龍田は生駒おろしの地)で天武天皇を養育したことは意識されていたと思います。広瀬の方は天武天皇の弱点なので、祀ったと理解できます。また、橿原=木(忌部の麻も緑です)が神武天皇=火を産んだと理解されていたかもしれません。火中出産の日下部(草壁)も緑が火(彦火火出見=垂仁天皇)を産んだと理解されていたのかもしれません。
以上ですが、私は神話は古墳時代中期(特に仁徳朝)に最初に編纂されたと考えています。その時、五行説の影響はあったと思います。渡来人が主体的に関わっていたろうからです。それが中国に朝貢していた倭の五王の時代の外交態度に繋がっていたかもしれません。噂とは逆にモモソ姫(卑弥呼)の時代の方が中国に頭を下げない姿勢は強かった(中国文化を知らなかった)でしょう。結局、五経博士が来た後に日本人は勉強して(渡来人から外交安全保障を取り戻して)本来の姿勢(日出処天子のような)が戻ってくるのだと思います。
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