TempleでDSAを学んだが、Obama Democratのままな理由
■ Philadelphiaで学んだ「思想のリアル」
私はTemple Universityで政治学を学んだ。
フィラデルフィアという街は、アメリカの中でも特に「労働者の街」だ。古い産業、労働組合、廃墟、そして格差。非常に労働者色が強い。
その中で出会ったのが、
Democratic Socialists of America (DSA/アメリカ民主社会主義者)的な思想だった。2010年の話だ。DSAとの出会いで、何よりも大きかったのは、私の恩師であるJoseph Schwartzの存在だ。
■ Schwartzは「理論家」ではなく「活動家」だった
彼は単なる大学教授ではない。長年に渡り、創設時からDSAに関わってきた「実務家でもある知識人」だった。1969年、彼はまだ高校生の頃に反ベトナム戦争デモに参加して以降、1970年代から一貫して政治運動に関わってきた「生粋のアクティビスト」だ。
その後、New American Movement (1970年代の社会主義組織)や、Democratic Socialist Organizing Committeeといった流れを経て、それらが統合されて誕生したのがDSAだ。つまり彼は、DSAの「歴史そのもの」を体現している人物だった。更に彼はDSAの副議長も務め、バーニー・サンダース(Bernie Sanders)以降の「ポスト・サンダース運動」の構築にも関わっていた。
彼の授業は、抽象的な政治理論では終わらない。「なぜアメリカの労働者はこれほど弱くなったのか?」、「なぜ福祉国家は機能していないのか?」などの問いを、現実の政治と結びつけて議論する場だった。教室そのものがリベラルな「アメリカ民主主義の実験場」だったのだ。そこでは、アメリカの医療制度、労働組合、経済格差、移民問題などがリアルなテーマとして議論されていた。

■ DSAの「起源」と思想の本質
前述でも触れたが、DSAは1982年に設立されたが、その本質はもっと古い。労働運動、社会民主主義、反スターリン主義の左派の思想などで、つまり「アメリカ版・民主的社会主義」な政治団体だ。Schwartzの言葉を借りれば、「民主主義を政治だけでなく経済にも拡張する試み」("What touches all should be governed by all”)なのだ。
■ DSAが提示する「正しさ」
DSAの主張はシンプルだ。「現代アメリカの資本主義は壊れている」と言うものだ。経済格差の極端な拡大、医療費の高騰、学費の異常な高さ、労働者の弱体化などに顕在化しているのだ。これは誇張ではなく、寧ろアメリカ社会の現実だ。
■ なぜ今、DSAが伸びたのか?
転機は明確だ。前述のBernie Sandersの台頭だった。彼の2016年の大統領選出馬によって、それまで周縁だったDSAの思想が一気に全米レベルで可視化されたのだ。Schwartz自身もこの流れの中で、「民主党はまだ十分に左に寄っていない」という立場から、DSAとしての運動を拡大していた。
■ DSAは「インディーバンド」から「全国区」へ
私がDSAを知った頃、その存在はどちらかと言えば「インディーバンド」のようなものだった。知っている人は殆どいなかった。全くアメリカ政治のメインストリームではなかったのだ。それは大学の教室や、一部の活動家の中で語られる思想に過ぎなかったのだ。
しかし今は違う。その転換点の1つは、Alexandria Ocasio-Cortez (AOC)の登場だ。2019年にニューヨークの予備選で現職の重鎮を破り、アメリカ史上最年少の女性の連邦下院議員となった。彼女は若く、ブロンクス在住のヒスパニック系の労働者階級の出身で、そしてSNSで強い影響力を持つ人物だった。彼女の台頭がDSAを全米レベルで「可視化された政治勢力」に変えたのだ。

今、その流れは地方政治にも波及している。2026年、アメリカ最大の都市であるニューヨーク市で、DSA系のゾーラン・マムダニ氏がニューヨーク市長に就任した。これは何を意味するか? DSAはもはや「思想」ではなく、「実際に統治を担い得る勢力」になりつつあるということだ。

この変化は、音楽で言えばこうだ。「地下のライブハウスで演奏していたバンドが、いつの間にか有名フェスのヘッドライナーになっている」という感じだ。
そしてここで、重要な問いが生まれる。
「インディーのままなら許された理想は、メジャーでも成立するのか?」
これは、私が感じていた違和感と直結している。
■ それでも私は「完全には乗らなかった」
正直に言うと、私は学生としてはこのDSAの思想にかなり共感してはいた。しかし同時に、ずっと引っかかっていたものがある。「これは誰がどうやって運営するのか?」と。
■ 経営をやると見える「現実」
理想を実現するには、必ずコストが発生する。人件費、設備、その維持コストなど。そしてそれは、誰かが負担する必要がある。Schwartzは「正しい問い」を提示していた。だが、「持続可能な設計」は別の問題だった。
■ オバマという「現実解」
その中で、私が最終的に(最初から)共鳴したのは、バラク・オバマ(Barack Obama) だった。オバマ大統領はDSAとは違う。リベラルではあるが、彼はより現実的で、「資本主義は維持する。ただし修正する」というスタンスだ。これは地味だが、現実に機能する。いわゆる、中道左派的なアプローチだ。

■ Phillyで学び、現場で確信した
Templeでの議論は、今でも自分の中に残っている。だが最終的に私の思想を決定づけたのは、日本に戻ってからの「現場」だった。キャッシュが尽きれば、会社は終わる。利益が無ければ、雇用は維持できない。理想だけでは組織は回らない。これは残酷だが、現実なのだ。
■ 結論: なぜ私はそれでもオバマデモクラットなのか?
私はDSAを否定しない。むしろ必要な存在だと思っている。私が20才前後で学んだ最重要の政治哲学だ。社会の歪みを可視化する「圧力」だ。しかし、現実に自分が立つ場所は違う。私は「理想を語る側ではなく、現実の中で意思決定する側」にいる。その結果として、(まあ最初からでらあるが)、私はより現実的な"Obama Democrat" (オバマ・デモクラット/オバマ時代からの民主党支持者)になったのだ。
私はインディー時代の売れる前からのDSAを知っている。だからこそ、今のDSAを冷静に見ているのだ。
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