夏は、カセットの中につくられていた──山下達郎『COME ALONG』
記憶の針を落とす Vol.41
1980年、まだ山下達郎が『RIDE ON TIME』で広く知られる前に、『COME ALONG』という販促用レコードがつくられた。私はその架空のハワイを聴いてから六年後、初めて本物のハワイへ行った。
前回、大滝詠一の『A LONG VACATION』について書いた。
あのアルバムが私の中に「夏」をつくったのだとすれば、山下達郎の『COME ALONG』がつくったのは、まだ見たことのないハワイだった。
前回の記事では、翌年に発売された山下達郎の『FOR YOU』も、真冬の作品でありながら、やがて夏の風景と結びついていった、と触れた。
私は、山下達郎をソロ第1作の『CIRCUS TOWN』からずっと聴いていた。けれど、初期の彼の音楽に夏のイメージも冬のイメージも持っていなかった。都会的で、洗練されていて、黒人音楽の匂いがする。
季節よりも、まずその音に惹かれていた。
それがいつの間にか「夏」と結びついていた。
では、そのイメージは、いつ、どこでつくられたのだろう。
『FOR YOU』の鮮やかなジャケットや「SPARKLE」の光に満ちた音だけが、その理由ではない。
それは『FOR YOU』の二年前に発売された一本のカセットテープ、『COME ALONG』だった。

(画像は1984年LP化時のジャケット)
まだ名前のない夏
1979年の夏、山下達郎はすでに三枚のオリジナルアルバムを発表し、ライブ盤『IT’S A POPPIN’ TIME』も世に送り出していた。音楽関係者からの評価は高く、関西のディスコでは「BOMBER」に火がつき始めていたが、その名前はまだ全国には広がっていなかった。
「RIDE ON TIME」で大きくブレイクするのは、翌1980年のこと。
そんな1979年の夏、レコード会社は、山下達郎の音楽を店頭で紹介するため、非売品のプロモーション盤『Come Fly with Me!!』を制作した。
これまでの作品から選んだ曲を、小林克也の英語のDJでつなぎ、一つのラジオ番組のように聴かせる構成だった。
店頭で流すと問い合わせが相次ぎ、翌1980年3月、タイトルを『COME ALONG』に改めて、カセットだけで市販された。
新しいオリジナルアルバムではなく、それまでの曲を組み直した企画盤だったが、結果的には、初めて山下達郎を聴く人のためのベスト盤のような役割を果たしていた。
『COME ALONG』が出てから一か月ほど後、「RIDE ON TIME」が発売され、山下達郎の名前は一気に広がっていく。
つまり、このカセットは、人気が確立したあとにつくられた夏向けの編集盤ではなく、ブレイク直前の山下達郎を紹介するための贅沢な企画だった。
カセットが街へ出た頃
カセットだけで発売されたことも、時代によく合っていた。前年には初代ウォークマンが発売され、音楽は家のステレオの前から、車や街へ持ち出され始めていた。好きな曲をテープに録音し、聴く場所も曲順も自分で選ぶ。カセットは、音楽と一緒に移動できるメディアだった。
海へ向かう車の中では、走り出す前にその日のカセットをデッキへ差し込む。窓を開けて街を抜け、海岸へ向かうあいだ、一本のテープが車内の時間をつくった。『COME ALONG』は、自分で編集しなくても、そのままドライブへ持ち出せる一本になっていた。
発売時につくられたフライヤーには、「OUTDOOR BOYS & GIRLS VIBRATION!」というコピーが並び、A面は踊るための音楽、B面はホノルルのKIKI(ケーアイケーアイ)ステーションから波情報を届けるラジオ番組として紹介されている。そこには山下達郎の曲だけでなく、そのカセットを車に積み、海へ出かける若者の姿まで描かれていた。

カセットの向こうのワイキキ
A面の「DANCING SIDE」では、「BOMBER」や「LET’S DANCE BABY」など、テンポのよい曲が途切れずに流れる。
B面の「KIKI STATION SIDE」は波の音から始まり、日本のラジオにはない響きのジングルに続いて、ホノルルの放送局を模した番組風に演出されている。小林克也の低い声、サーフ情報、電話をかけてきた現地の女の子はMARIA TAKEUCHIと名乗っている。
そうした仕掛けが加わると、部屋や車の中でカセットを聴いているはずなのに、ワイキキでラジオを聴いているような気分になった。
KIKIは実在したホノルルの放送局だ。しかし、『COME ALONG』に入っていたのは現地の録音ではない。日本のスタジオでつくられた、架空のラジオ番組だった。
それでも私の耳には、まだ見たことのないハワイの風景が残った。
後に発売された『FOR YOU』の鮮やかなジャケットと「SPARKLE」の光に満ちた音が、その風景をさらに強くした。
山下達郎の音楽がいつの間にか夏と結びついたのは、その前から耳の中に、KIKIのジングルとワイキキの波の音があったからかもしれない。
音楽そのものに季節があるのではなく、最初に与えられた風景が、その曲の季節になるのだろう。
本物の電波を探しに
それから六年後の1986年、私の初めての海外は、オアフ島に10日間ほど滞在する撮影の仕事だった。朝早くホテルを出て夕方まで撮影する毎日だったが、私には仕事とは別に、どうしてもやっておきたいことがあった。
『COME ALONG』の中でしか知らなかったKIKIの実際の放送を聴き、それを録音することだ。プールサイドでブルーハワイを飲むことでも、ロコモコを食べることでもなかった。
私はそのために、ラジオ付きのカセットウォークマンを買い、120分テープを何本も持ち込んだ。
毎朝、出かける前に、KIKIへ周波数を合わたウォークマンの録音ボタンを押してホテルを出た。私たちが街でカメラを回しているあいだ、誰もいない部屋ではカセットがゆっくり回り続けていた。
夕方に戻るとテープを巻き戻し、その日に何が録れているかを確かめる。
当時のウォークマンにはスピーカーがなかったので、ヘッドフォンをつけて耳をすませる。波の音を使ったジングル、低い声のDJ、サーフ情報、現地のコマーシャル、知らないハワイの曲。その合間に新しいヒット曲や昔の曲が入り、電波の揺れやカセットのヒスノイズまで一緒に録音されていた。帰る頃には、120分テープが十本になっていた。
日本で聴いていた『COME ALONG』は、曲も声も心地よく流れ、まだ見ぬホノルルの明るい時間だけでつくられていた。
実際のKIKIの放送はもっと雑然としていたが、そこに違和感を持つことはなかった。むしろ、カセットの中で先に覚えたハワイが、現地の電波によって確かめられていくように感じていた。
(1980年のKIKIの音がYouTubeにあったので、リンクを置きます。)
ビートルズがワイキキにやって来た
何日目かの夜、ABCストアで買ったバドワイザーを飲みながら、テラスでその日録音したテープを聴いていると、ビートルズの「A Day in the Life」が流れてきた。
「えっ」
それは、あまりにも意外な選曲だった。
私の中で、ビートルズとハワイはつながっていなかった。
アコースティックギターのストロークにピアノが重なり、繊細なジョンの声が入ってくる。不穏なオーケストラがうねり、やがてピアノのコードに乗ってポールの甘い声が始まる。
この曲を、ワイキキで聴くなんて…。
山下達郎の音楽は『COME ALONG』によって夏へ導かれていたのに、私はビートルズには別の空と季節を勝手に当てはめていた。
ところが、KIKIから流れる「A Day in the Life」は、ジョンの声とワイキキの潮風が、同じ部屋の中でひとつに重なっていた。『COME ALONG』がつくった架空のハワイに続いて、今度は私の中のビートルズにも、新しい季節が加わった。
曲が終わり、長い和音が消えると、明るいジングルに続いてDJの声が戻ってきた。
開け放したテラスのガラス戸から入る風が、白いカーテンを静かに揺らしていた。
『COME ALONG』がつくったのは、明るく演出されたハワイだった。
次は、海を渡ってハワイに残ったギターが、やがてその土地の音へ変わっていった物語を書きます。
👉「弦を緩めると、風が吹いた」
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当時のように、ラジオを聴きながらカセットへ録音できるポータブルプレーヤーです。
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