経産省を辞めた私が、東北で"肩書きのない政策家"を募集する話 — ノマド政策家という生き方
連載「ノマド政策家のフィールドノート 」第13回
宮城県川崎町の、廃校活用施設の教室。
机を囲んでいるのは、県庁の職員、町役場の課長、大企業の担当者、地域おこし協力隊や、移住してカフェを経営している方。立場も、使う言葉も、見ている時間軸も、見事にバラバラな人たちだ。
たとえば、誰かが「この町にはスーパーがない」と言う。県の人はそれを「他の自治体にも共通する政策課題」として聞き、企業の人は「出店して採算が合うのか」を考える。けれど町の人が本当に惜しんでいるのは、買い物のついでに交わしていた立ち話だったりする。同じ一言でも、見ているものがまるで違う。みんな、同じ「町の未来」を願っているはずなのに、三十分も経つと、言葉は噛み合わないまま、宙に浮いている。
そのとき、私の仕事が始まる。
町の大きな地図を広げて、その上を指でたどっていく。協力隊の彼がこの集落で始めた活動、あの企業さんが気にかけているエリア、役場が守りたい場所、移住者が開いたカフェ——一人ひとりが見ているものと、気にかけている活動を、同じ地図の上に置き直していく。すると、バラバラだった点が近づいて、行政と企業と地域の人が「一緒にやれそうなこと」が、ぽつぽつと立ち上がってくる。

そして、そのアイデアを一つだけ取り出して育てるのではない。別のアイデアや、すでに動いている取り組みと並べ、互いに関係させながら、全体を一枚の布のように編んでいく。一本の線を引くのではなく、たくさんの糸を渡して、町の風景を少しずつ織り直していく。それが、私のいう「あいだに立つ」ということだ。
これが、私が連載のタイトルに掲げ続けてきた「ノマド政策家」という仕事の、いちばん地味で、いちばん中心にある風景だ。
はじめての方のために、少しだけ自己紹介をさせてほしい。私は橋本直樹といって、14年間、霞が関で官僚をしていた。経済産業省で制度を作り、途中でアメリカの美術大学院に留学してデザインを学び、特許庁やデジタル庁を渡り歩いた。そして2年前、その安定した肩書きを手放して、妻と二人で「Kumanomics」という小さな会社を始めた。
正直に書くと、辞めた朝は、こわかった。14年間ずっと15分刻みで予定が埋まっていたカレンダーが、ある日、真っ白になる(そのときのことは、第4回に書いた)。受注はゼロ。それでも私は、「いちばん大きく稼げる会社」ではなく、「いちばん愛せる働き方」を選びたかった。その、どこにも完全には属さない働き方に、私は勝手に「ノマド政策家」という名前をつけている。
連載も、13回目になった。今日は、この「ノマド政策家」という言葉そのものを、正面から書いてみたい。そして最後に、一つだけ、相談がある。この"あいだに立つ仕事"を、一緒にやってくれる人を、私たちはいま、各地で探している。
「ノマド政策家」とは、何者なのか
第1回で、私は「役所の窓口から見える景色と、Googleマップには映らない景色」の話を書いた。制度の側から見える景色と、現場で暮らす人の景色は、まったく違う。その二つを行き来して翻訳する人がいないと、いい政策も、いい事業も、空回りしてしまう。
行政には行政の論理がある。企業には企業の論理がある。地域には地域の論理がある。三者は同じ未来を願っていても、言葉が通じずにすれ違う。ノマド政策家は「そのあいだに立って翻訳する人」と説明することもできるが、それは半分でしかない。翻訳は、手段だ。
私がほんとうに信じているのは、こういうことだ。政策とは、みんなで社会をつくる営みのことだ。法律や予算に限らない。人が集い、関わり、何かを始められる——そんな社会のかたちをつくること、それが政策だ。そして政策は、政治家や役所だけのものではない。企業も、地域の人も、あなたも、自分のいる場所から、社会をつくれる。
だからノマド政策家とは、その「みんなで社会をつくる営み」を、あらゆる人とともに担っていく人のことだ。ここで誤解してほしくないのは、行政も政治も、乗り越えるべき相手ではない、ということだ。むしろ逆で、企業や地域の人と並ぶ、社会をつくる対等なつくり手であり、いちばん頼れる相棒である。ノマド政策家は、その相棒たちを同じテーブルにつなぎ、それぞれの持ち場を活かしながら、一緒に社会を立ち上げていく。
ノマド政策家は、政策を通じて、社会をみんなで切り開いていく。デザインは、そのための構えだ——問いを立て、人と関係を編み、形にしていく手つき。橋渡しは、その入り口にすぎない。

ノマド、つまり遊牧民。一つの立場や制度に定住せず、その「社会をつくる主体性」を、鞄ひとつでどこへでも持ち運ぶ。だからこそ、行政の会議室でも、企業の役員室でも、地域の集会所でも、社会をつくる側に回れる。
大事なことを、一つ付け加えたい。私たちが地域で立てる目標は、たいてい「GDPを上げる」ではない。たとえば川崎町では、活動のビジョンを「一人ひとりの活動量・交流量を増やすこと」と置いた。数字の大きさではなく、人が動き、出会い、何かを始める。その総量こそが、これからの地域の豊かさだと考えるからだ。
そしてもう一つ。主役は、いつも地域の側に置く。私たちが運営して儲けるのではなく、地域が自律的に回り続ける仕組みをつくり、主役を町民や地元事業者に渡していく。
ただ、それは「仕組みができたら、よそ者はきれいに去る」という意味ではない。正直に言えば、私はここにずっと葛藤がある。飛ぶ鳥跡を濁さず引き上げるのではなく、私たち自身も、その地域の一部として溶け込んでいきたい。稼ぎ続けるために残るのではない。仕組みをつくった責任を持つ者として、その社会の一端を担い続ける。「うまくいったら抜けます」ではない、その覚悟のことだ。
ここまでが、これまで12回かけて、いろんな角度から書いてきたことの、骨格にあたる。
これは、私ひとりの肩書きではない
ここからが、今日いちばん伝えたいことだ。
「ノマド政策家」という言葉を、私はずっと一人称で使ってきた。元経済産業省で、パーソンズ美大でデザインを学んで、特許庁やデジタル庁を渡り歩いて独立した——そういう、ちょっと変わった経歴の人間の、特別な肩書きのように聞こえていたかもしれない。
でも、それは違う。第12回で、私は「違和感に名前をつける力は、特定の肩書きの専売特許ではない」と書いた。ノマド政策家も、まったく同じだ。これは"才能"ではなく、"立ち方"の話だ。別の場所からやって来て、いまKumanomicsで「あいだ」に立っている仲間たちの横顔を、少しだけ紹介させてほしい。

平山由佳さんは、つい先日、経済産業省の支局である九州経済産業局からKumanomicsに移ってきた。役所にいた頃から、本省、他省庁とも連携して「JAPAN+D」——デザインの考え方で政策立案プロセス改善に取り組むチーム——の立ち上げや、半導体、環境・エネルギー分野等の産業振興、産学官組織の運営、海外展開支援等に携わってきた。今は地元・福岡と東京の二拠点で、まちづくりや教育事業に奔走している。九州経済産業局は国の出先でありながら、九州という地域に根を張った役所でもある。彼女は最初から、国と地域の両方に軸足を置いてきた人だ。その立ち位置のまま、今度は民間の側で、地域の現場に様々な角度から関わろうとしている。
久保田耀介さんは、もともとコンビニエンスストア業界にいた。そこから、社会人向け講座である多摩美術大学クリエイティブリーダーシッププログラム(略称TCL。私が1期生、彼が2期生だ)を経てデザインファームへ移り、さらに独立した。小売から、デザインへ、そして経営へ——いくつもの領域を越えてきた人だ。いまは彼が立ち上げた会社と組み、Kumanomicsのパートナーとして事業を進めている。川崎町では、共同で新しい会社を起こそうとしているところだ。理念を分かち合える仲間だ。
小菅隆太さんは、肩書きが一つに収まらない人だ。週に一度は「週一官僚」として経済産業省で空飛ぶクルマのコミュニティマネージャーを務め、かたやNPOや民間企業の経営・CXOも歴任してきた。特に広報PRを専門領域として、行政・非営利・企業——三つのセクターを行き来する、生粋の結節点である。ちなみに前述したTCLの6期生でもあり、行政官だった時代、それぞれの立場と取り組みをともにしてきた同志でもある。
清水美樹さんは、振り切っている。製薬メーカーに勤めながら、自分でも起業し、さらにKumanomicsでは教育事業のコンテンツ設計——東京大学や文化学園大学杉並高校のカリキュラム開発——を担っている。三足の草鞋だ。そして、実は彼女もTCLの2期生。一つの肩書きに縛られず、複数の足場を同時に持って動く。「ノマド」の、いちばん素直な実践かもしれない。
横井琳太郎さんは、私が東京大学の大学院で教えていた「公共政策のデザイン」の受講生だった。いまは大学を休学して川崎町に通い、地域の人から「ヨコリン」と呼ばれるほど馴染んでいる。23歳が、県庁職員や企業の担当者と同じテーブルに座っている。あいだに立つのに、年齢も、立派な職歴も、必須ではない。
そして最後に、私の妻でもあるみどりさんのことを書いておきたい。彼女のキャリアの出発点は、看護師だ。病院という現場で、医師と、患者と、その家族の「あいだ」に立ち続けてきた人である。いまはKumanomicsの広報・PRディレクターとして、会社の言葉を外へ届ける役割を担っている。医療からまちづくりへ、そして公私の境までも越えて——夫婦で一つの会社を背負うというのも、考えようによっては、いちばん難しい越境かもしれない。この連載の各回末尾にある「編集後記〜手のひら草子〜」も、彼女の仕事だ。
経歴も、出自も、働き方も、見事にバラバラだ。共通しているのは、たった一つ。どこか一つの場所に属さず、あらゆる場所の"余白"で、社会をつくることを面白がっているということ。
ノマド政策家は、私の肩書きではない。ここにいる全員の、そしてこれから来る誰かの、立ち方の名前だ。
その「これから来る誰か」は、いまこれを読んでいる、あなたかもしれない。
たぶん、あなたにも心当たりがあるはずだ。本社と現場のあいだ、会社と取引先のあいだ、制度と生活者のあいだ——立場の違う人たちの言葉が噛み合わず、宙に浮いている場面。そこで思わず、「それ、たぶん同じことを言ってますよ」と口を挟みたくなったこと。もしその感覚を知っているなら、あなたはもう、半分は"あいだ"に立っている。あとは、そこから社会をつくる側へ、もう一歩踏み出すかどうかだけだ。
いま、フィールドは各地に広がっている
ありがたいことに、ここ最近、Kumanomicsには「一緒にやれないか」という問い合わせが、いろんな地域から届くようになった。人口減少、空き家、関係人口、文化の継承、地域経済の循環——どの町にも、制度と現場の「あいだ」で、翻訳者を待っている課題が転がっている。ノマド政策家が立てるフィールドは、いま、確実に各地へ広がっている。
実際、私たちの現場は、もう全国に散らばっている。福岡県のある町では、地域で先駆けとなる高い理念を持った企業経営者と自治体をつなぎ、川崎町と同じように、新しいまちづくりの設計に携わり始めたところだ。
同じ福岡では、三菱みらい育成財団の教育プログラム助成事業に採択され、文化学園大学杉並高校で育ててきた「デザインの力で問いを立てる」授業を、県内の高校へ広げていく。
和歌山県では、地域の工場を開いてものづくりの現場を体験してもらう「オープンファクトリー」に伴走する。
北海道旭川市では、デザインファーム「KESIKI」が市とともに築いてきた「旭川市デザインシステム」——まちの魅力や行政サービスを、一貫したデザインで伝える仕組み——を、彼らとともに地域へ広げている。
そして東京では、虎ノ門ヒルズの共創拠点「Glass Rock」の戦略を担い、その他、全国の自治体や企業から依頼された公民連携のプロジェクトを動かしている。
北から南まで、それぞれの町で、ノマド政策家が鞄から取り出す道具は、少しずつ違う。
その中でも、いま私たちが最も腰を据えているのが、東北だ。一つだけ、具体的に書く。
宮城県川崎町。人口およそ8,000人、毎年150人ずつ人が減っていく町だ。ところが町内の国営公園には、年間およそ60万人が訪れる。第3回で「線路のない駅」として書いた、あの町である。この大きなギャップを、町の希望に変えられないか。私たちは、県庁・町役場・大企業が参画するコンソーシアムの一員として、一年半、町に伴走してきた。
冒頭の「スーパーがない」も、そのひとつだ。額面どおり受け取れば「ではスーパーを」となる。けれど住み込んで町の人・行政・企業の声を丁寧に聴くと、それだけでは足りないと気づく。たとえば「魚が食べたいのに、なかなか食べられない」。宮城は海の県なのに、内陸の川崎町には新鮮な魚が届きにくい。ならば石巻など沿岸の町とつなげばいい——そんな多角的な議論を重ねてきた。
面白いのは、町の人が「うちには何もない」と言う一方で、外の目にはユニークな活動が点在していることだ。間伐材をエネルギー源として使い、里山を守りながらクラフトビールを醸す地元企業。百年前に途絶えた「川崎茶」を復活させようとする動き。元オリンピック選手が運営するスケートボード場。ただ、それらが互いにつながっていない。この魅力をどう結び直し、一人ひとりの「やってみたい」を増やし、活動と活動、人と人の交流を増やしていくか。「これが課題、ではこう解決」という単純な図式では届かない、複雑な状況がそこにある。
だからいま話しているのは、人の活動と交流が増える「場」をつくれないか、という構想だ。平日は、町民や子どもが目的もなく立ち寄れる、生活と交流の拠点に。地域の誰かが新しく始めた事業や特産品を、買える場所に。土日は、この町の魅力を外の人に知ってもらえる拠点に。まだ設計図が固まったわけではない。関係者と「こんなことができるかも」「ここは難しいかも」と言葉を交わしながら、一歩ずつ進めている。ようやく、やりたいことの輪郭がぼんやりと見えてきた——いまは、そんな段階だ。

私たちは、「こうすればいい」と示して去るコンサルティング会社ではない。大企業には予算規模が合わず社内調整も通りにくい。地域では働き手やリソースが足りない。
その狭間にぽっかり空いた「やる人がいない」隙間を、行政・町の人・企業と一緒に埋めていき、時には自分たち自身がプレイヤーとしてその隙間を埋める。小さな会社だが、構想を形にする設計図とすぐ動けるフットワークは持っている。効率よく課題を片づけるのではなく、泥臭く、一人ひとりの心に火を灯していく。そういう仕事だ。

東北では、この川崎町のほかの地域においても、文化芸術や地域経済をめぐる複数の現場が、同時に動き始めている。腰を据えて担ってくれる仲間が、いくらいても足りないのが、正直なところだ。
その上で、この仕事の手触りを、正直に書いておきたい。
醍醐味は、「制度から現場まで、まるごと関われる」ことだ。リサーチだけ、提言だけ、運営だけ、ではない。国の制度を読み解き、自治体と交渉し、企業の関わり代を設計し、住民の声を聴き、そして実際に拠点を立ち上げる。一つのまちの未来に、上流から下流まで関与できる。霞が関でもなく、純粋な事業会社でもない、その「あいだ」でしか得られない経験がある。
難しさは、「正解がなく、すぐには成果が見えない」ことだ。関係者が多く、合意形成に時間がかかる。短期で大きな収益が出るわけでもない(地域の事業は、当面は他の事業で支えながら育てる前提で設計している)。それでも、人と人がつながって、まちが少しずつ動き出す手応えに、価値を感じられる人にとっては、これ以上ない現場だ。
ここに惹かれる人と、一緒に立ちたい。
こんな人と、余白から社会をつくりたい
「あいだに立つ」のは、出発点にすぎない。ノマド政策家は、その余白から、社会をつくる。立つだけでなく、つくる。
これは、募集要項ではない。条件や待遇の話は、会ってから、ゆっくりすればいい。今日はただ、「こういう人に、ぜひ一度、声をかけてほしい」という願いだけを書く。
セクターの「あいだ」に立つだけで終わらず、そこから社会をつくることを、面白がれる人。 行政・企業・地域、どの言葉も完全には自分のものでない場所で、翻訳を入り口に、自分の手で仕組みや事業を立ち上げることに、ワクワクできる人。
抽象と具体を、往復できる人。 ビジョンや戦略を描く力と、現場で泥臭く手を動かす力。その両方を持っている、あるいは、これから育てたい人。
正解のなさに耐えて、自分で問いを立てられる人。 答えが用意されていない課題に、「で、本当の問いは何だっけ」と向き合える人。
地域・公共に、本気の人。 キャリアの軸足を、地域や公共に移したい。その覚悟が、どこかにある人。行政経験は全く不要だ。
さっき紹介した仲間たちが教えてくれるのは、経歴の華やかさより、「あいだに立つ」ことへの適性と覚悟のほうが、ずっと大事だということだ。元官僚でも、デザイナーでも、製薬メーカー勤務でも、学生でもいい。いまの場所を、全部捨てる必要もない。清水さんのように、三足のうちの一足から始めていただいたっていい。
働く場所にも、決まった形はない。「ノマド政策家」の名のとおり、リモートを基本に、必要なときに現場へ動く。東北に通う人もいれば、いずれ移り住む人もいる。場所にとらわれない働き方こそが、この仕事の前提だ。
まちの未来は、誰かが「あいだ」に立たないと動き出さない
最後に、海の話を一つ。
私たちは社名に「クマノミ」を選んだ。イソギンチャクの毒の触手に守られて住み、そこに棲みつくことで、かえってイソギンチャクの環境も豊かにする——あの、共生する魚だ。けれど、ノマド政策家という生き方に、私がもう一匹、そっと重ねている生き物がいる。ヤドカリだ。
ヤドカリは、自分で殻を作らない。すでにある貝殻を借りて住み、体が大きくなると、また次の殻へ引っ越していく。一つの殻に定住しない。でも、どこへ移っても、その都度、新しい環境と折り合いをつけ、共生を結び直す。所属を借りながら、あいだを生きる。ノマド政策家に、これほど似た生き物も、なかなかいない。
まちの未来は、誰かが「あいだ」に立たないと、動き出さない。県の言葉と、企業の言葉と、住民の言葉は、放っておけば、すれ違ったままだ。それを一つの絵の上に並べ直す人が、いま、各地で足りていない。
もしあなたが、この「あいだ」という場所に、少しでも心が動いたなら——まずは、話を聞かせてほしい。
「応募」という大げさなものでなくていい。履歴書もいりません。「自分に向いているだろうか」を確かめる、それくらいの気持ちで、気軽に声をかけてください。連絡は、次のどれからでも。
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東北の現場を、一緒に歩いてみる形でもいい。仕事を頼みたいわけではなく、まず、同じ景色を見られるかどうかを、確かめたい。
殻は、いくつあってもいい。あなたが次に住んでみたい「あいだ」が、もし私たちの現場にあるのなら。
次回は、社会をつくるいちばんの相棒——行政官と、どう組むかを書きたい。「弊社のサービスなら課題を解決できます」——その一言で、なぜ行政官の顔は曇るのか。じつは、行政を動かしているのは「制度」ではなく「人」だ。元官僚として14年、内側から見てきた「行政官と共創する5つの作法」を、現場の風景とともに書きます。
編集後記〜てのひら草子〜

Kumanomicsが描く夢。それは、この世に多くの「ノマド政策家」が生まれ、多くの人たちが社会の仕組みづくりに携わる未来です。
ノマド政策家から新たな改革が生まれ、その姿を見た人がまた、次のノマド政策家として立ち上がる。この連鎖はやがて、あらゆる人が政策づくりに参加できる社会へ向けて、大きな旋風を巻き起こしていくはずです。
私はKumanomicsのイラストも描いていますが、メインとなるアイコンでは、水の波紋が広がる様子をモチーフにしたり、和柄の菊模様を使ってたくさんの花びらがKumanomicsを中心に集まり、そして外に広がっていくところを表現しています。
今回のタイトルアイコンは、様々な模様の菊があちこちで美しく咲き乱れる=それぞれのノマド政策家が中心となって、それぞれの場所でそれぞれの想いを紡いでいく様子を表しているのです。
「政策をあらゆる人とともに」を体現するため、伴走してくださる新たなノマド政策家とお会いできることを、心から楽しみにしています。

政策×ビジネスの共創プロジェクトのご相談は、以下にご連絡ください。

橋本 直樹(はしもと なおき)
株式会社Kumanomics 代表取締役/ノマド政策家
東京大学法学部卒業後、経済産業省に入省。国家公務員として初めて美術大学院に留学。米国パーソンズ美術大学にてMFA(美術学修士号)を修了。帰国後、知的財産権により社会課題を解決する「特許庁 I-OPENプロジェクト」の立ち上げなどに携わり、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、株式会社Kumanomicsを設立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」として、企業と行政が共創し、ビジネスと政策を一体でデザインするプロジェクトを多数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コーディネーター、東京大学公共政策大学院 非常勤講師などを務める。
Web: https://kumanomics.jp/
