タイムマシンをもたない人類が、未来を良くするために大切にしたい2つの姿勢
昨日、居間のテレビに繋いでいる外付けHDDの調子が、突然悪くなってしまいました。
人の病もそうですが、異変というものはある日、唐突に表面化するものですね。
症状は、録画番組がスムーズに再生されなくなるというものでした。
再生ボタンを押しても動き出すまでに随分と時間がかかり、ようやく再生されたと思っても、すぐに画面が止まってしまう。その繰り返しなのです。
機器から異音はしないので物理的な故障ではないと信じたいのですが、放電やUSBの抜き差しを試してみても、一向に改善の兆しは見られませんでした。
残された手は初期化だけですが、それだけは避けたい。そこには、後で見ようと思っている番組や、何度も見返したい大切な記録が詰まっているからです。
それらを消去してしまう勇気は、どうしても持てませんでした。
しかし、このまま直らなければ、初期化をしたのと同じことです。
私は非常に残念な気持ちを抱えたまま、寝床に入りました。
今晩も、いつものように午前3時頃に目が覚めてしまいました。
大病を患い自宅療養をしている父と一緒に早めに休んでいるので、睡眠時間は十分に確保できています。
無理に二度寝をする必要もないと思い、布団の中でとりとめのない考え事に耽ることにしました。
ふと、「もしドラえもんの道具が一つだけ使えるとしたら、何を選ぶだろう」という空想が浮かびました。
少し考えて思い当たったのは、タイムマシンでした。
タイムマシンがあれば、昨年他界した母に会いに行ける。そう思いついたからです。
3年ほど前に戻り、「こういう病気になるから注意して」と告げることができたなら、早期発見で母の寿命を延ばすことができ、今も一緒にいられたかもしれません。
それは現在、大病と闘っている父も同じです。過去のどこかで軌道修正ができていれば、今頃は完治して元気に暮らせていたのではないか――。
タイムマシンは未来へも行けますから、先進医療の力を借りて両親を助けることだって可能になるはずです。
そんな叶わぬ空想を思い浮かべながら、朝を迎えました。
今振り返れば、タイムマシンという言葉が浮かんだのは、HDDの故障が引き金になっていたのかもしれません。
過去の番組を今に再現する録画機器は、ある種のタイムマシンと言えます。
そういえば、東芝製のテレビには「タイムシフトマシン」という機能がありますし、Macのバックアップ機能も「Time Machine」と名付けられています。
個人でも似たことは可能です。スマホやカメラで家族を撮り、保存しておくことで、いつでも「かつての時間」に立ち返ることができるからです。
けれど、それはあくまで一方通行の映像です。画面の中の亡き人と、言葉を交わすことは不可能なのです。
しかし、AIを使えばその限界を越えられるかもしれません。
もちろん亡くなった人を生き返らせるわけではありませんが、バーチャルでの対話は可能になりつつあります。
現実には過去に戻れなくても、擬似的にそれに近い体験ができる。それは一つの素晴らしい技術です。
ですが、やはりどこかに虚しさが付きまといます。血の通った本人に会える本物のタイムマシンとは、決定的に違うからです。
しかもその相違点は「存在そのもの」に関わるため、あまりにも大きな違いです。擬似的なタイムマシンは、過去の本人に触れることも、過去そのものを変えることもできないのです。
果たして、未来にタイムマシンは完成しているのでしょうか。
もし実現しているのなら、未来の誰かが地球の危機を救うために、もうこの時代に現れていてもおかしくない気がします。
そんな気配が微塵もないところを見ると、やはりタイムマシンを発明するのは無理なことなのかもしれません。
人生は一度きり。過去からやり直すことはできないのです。だからこそ、今を大切に生きなければなりません。
そしてもうひとつ。過去は変えられませんが、歴史から学び、未来を良くする姿勢をもつことも大切でしょう。
しかし、愚かな戦争を仕掛けるような、同じ過ちを繰り返している現在の世界情勢を見ると、人間の愚かさを感じずにはいられません。
たとえ、武力を使わなくても、脅しで従わせようとすれば、それは恐喝と一緒です。「自国民の利益になる」という大義名分は通用しないのです。
平和を捨て、暗い時代へと逆戻りするような歴史の「書き換え」はやめてほしい。戦争は人も地球も傷つける犯罪です。
憲法記念日から2日経ってしまいましたが、静かな朝の光の中で、強くそう思いました。
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