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大失敗からの転身!45歳・わずか5坪から日本最大級のチェーンを築いた男の成功法則

『ビジネスマンが読んでおくべき 一流人のあの選択、この決断 この99のヒントがあなたの人生を開く』(船井幸雄監修・知的生きかた文庫・三笠書房)から、感銘を受けた一流たちの成功談を紹介するシリーズ。
全6回のうち、第4回目となる今回は、釣り具チェーン「上州屋」の創業者・鈴木健児すずき けんじさんの「ピンチを乗り越える考え方」を学びます。

今でこそ上州屋は、全国に店舗を展開する国内最大級の釣り具・アウトドア用品専門チェーンです。
しかし、1963年の創業時は、わずか5坪(約10畳)という本当に小さなお店からのスタートでした。しかも、鈴木さんが45歳のときという、決して早いとは言えない幕開けです。

「小さなお店」「遅いスタート」という不利な状況から、なぜこれほどまでに大きなビジネスへと発展させることができたのか。その成功の秘密を一緒に紐解ひもといていきましょう。


どん底の45歳:1億5千万円の借金を背負う

鈴木さんが釣り具屋のアイデアを思いついたのは、豆腐屋の経営に失敗し、3,000万円もの借金を抱えて1年ほど途方に暮れていたときのことでした。

当時の3,000万円を現在の価値に換算すると、およそ1億2,000万〜1億5,000万円。個人が背負うにはあまりにもとてつもない額です。
現代こそ「人生100年」と言われますが、当時の平均寿命は67歳。45歳という年齢は、むしろ晩年に近いスタートでした。
「残り20年でどうやって返済すればいいのか」ーー気が変になりそうなほどの重圧だったことは想像に難くありません。

そもそも、なぜ豆腐屋の商売でこれほどの大借金を背負うことになったのか。それは「急激な事業拡大」が原因でした。

もともと先見の明があった鈴木さんは、エンジニア出身の経歴を活かし、なんと現代の「豆腐パック」の原型を発案して大成功を収めます。ピーク時には10店舗を構えるほどの敏腕オーナーになりました。
しかし、落とし穴は夏場にやってきます。パックの通気穴からガスが入り、豆腐が次々と爆発。返品の山が押し寄せ、たちまち事業は暗転してしまったのです。

運命を変えた「霞ヶ浦」での出会い

釣り具屋に活路を見出したのは、故郷である茨城県・霞ヶ浦の沿岸で「次はどんな商売をしようか」と、釣りをしながら考え込んでいたときのことでした。
その日、目の前に現れたある若い夫婦が、鈴木さんの運命を大きく変えることになります。

その若夫婦は、当時はまだ珍しかった自家用車(マイカー)で颯爽さっそうと現れました。そして釣りをしている鈴木さんを見つけると、「釣れますか?」と気さくに声をかけてきたのです。
鈴木さんが「釣れますよ」と答えると、二人は車のトランクからうれしそうに釣り道具を取り出し、隣で仲良く釣りを始めました。

誰もが通り過ぎてしまうような、何の変哲もない日常のひとコマです。普通なら「仲が良い夫婦だな」とうらやむくらいで終わるでしょう。
しかし、どん底で常に次のアイデアを探し求めていた鈴木さんの視点は違いました。

「これからは間違いなくマイカー時代がやってくる。そして、車を使ったレジャーとして『釣り』が爆発的に流行るはずだ!」
そう直感したのです。

当時はちょうど、トヨタ・カローラや日産・サニーといった大衆車が発売され、モータリゼーションの波が押し寄せていた黎明れいめい期。鈴木さんは目の前の光景から、巨大な時代のうねりを鋭く見抜いたのでした。

発案からわずか1週間での開業で繁盛店に

ひらめいてからの鈴木さんの行動は、電光石火でんこうせっかでした。
猛スピードで東京へ引き返すと、なんとわずか1週間後には東京都足立区の北千住に「上州屋」の第1号店をオープンさせたのです。

鈴木さんの予想は見事に的中しました。当時の釣り具業界にはなかった「適正価格での販売」と、初心者にも寄り添う「親切なコンサルティング」を武器に、わずか5坪の上州屋を瞬く間に大繁盛店へと変貌させたのです。

どん底から這い上がった「3つの成功秘訣」

鈴木さんの成功の秘訣を分析すると、大きく3つのポイントが見えてきます。

  • ① 圧倒的な「先見の明」
    終戦直後は「これからは食品が一番売れる」と確信し、リアカーを引いて野菜を売る商売からスタート。ついには「ごぼう成金」と呼ばれるほどの成功を収めます。
    その資金を元手に豆腐屋を拡大してさらなる大儲けを記録。トラブルで一度はどん底に落ちたものの、次は「車社会の到来で釣りが一大ムーブメントになる」と予見し、再び大成功へと導いたのです。
    常に時代の半歩先を読む目が、鈴木さんの最大の武器でした。

  • ② 過去にとらわれない「切り替えの早さ」
    鈴木さんは、失敗した豆腐屋の立て直しに決して執着しませんでした。
    鈴木さんは生前、こう語っています。
    「私は先を見通してダメだと思ったら、スパッと諦めるんですよ。なまじ取りすがっていると、そのうち人様に迷惑をかけることになる。私は過去にはあまりこだわりません」
    この言葉通り、驚異的な切り替えの早さがあったからこそ、釣りの時代を閃いた瞬間にすべてを賭けて即座にアクションを起こせたのです。

  • ③ 業界の常識を覆す「商才」
    鈴木さんは、既存の業界に「顧客目線」を持ち込む天才でした。今では当たり前となった「豆腐パック」を開発したのもその一つです。
    さらに当時の釣り具店は、マニア向けで敷居が高く、価格も店主の言い値(不透明な価格)が一般的でした。そこへ上州屋は「明朗会計で安心して買える仕組み」を導入し、初心者にもわかりやすい懇切丁寧なサービスを提供。客層をファミリーや初心者にまで一気に広げ、業界のイメージを180度変えてしまったのです。

「いくつになっても再出発できる」:鈴木健児の哲学

50歳を目前にして巨額の借金を背負うという、人生最大の試練を経験した鈴木さん。その経験を乗り越えたことで磨かれた哲学は、胸を強く打つ響きがあります。例えば、次の言葉です。

「男がこの荒波の人生を生き抜いていく以上、二度や三度賭けをしなければいけないときがあるし、ことによったら失敗を覚悟しなければならないときがあるかもしれません。しかし、それに立ち向かっていく勇気があれば、それらは乗り越えられるものなのです」

さらに、鈴木さんはこんな力強い言葉も遺しています。

「新しいことに挑戦する気概をもっていれば、いくつになっても再出発できる」

「もう年だから無理だ」と諦めるのではなく、未来を信じて一歩を踏み出す。その飽くなき挑戦心こそが、逆境を跳ね返すために最も必要なエネルギーなのかもしれません。

誰もが、鈴木さんのような天才的な先見性や商才、類まれなる度胸を持っているわけではありません。しかし、「いつまでもクヨクヨと悩まない姿勢」や、「年齢を言い訳にせずにチャレンジする姿勢」なら、見習うことができるはずです。

鈴木さんが遺した言葉は、今の厳しい時代の波に立ち向かう私たちに勇気を与えてくれる大きな指針となってくれるでしょう。

次回予告(全6回シリーズ・第5回)

全6回の「一流人の選択と決断」シリーズ、第4回をお読みいただきありがとうございました。

次回(第5回)は、不運続きの青春時代を「ある方法」で好転させ、世界的な大成功へと駆け上がった大実業家のエピソードをご紹介します。どうぞお楽しみに!

第1回、第2回、第3回の話はこちらです。よろしければご覧ください。


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