見出し画像

採用試験で白紙回答をした男を変えてくれた妻と社長。2人の苦労人を成功へと導いた経営哲学とは

数多くの優良企業を育て上げ、「経営の神様」とも称された日本を代表する経営コンサルタント・船井幸雄ふない ゆきおさん。
その伝説の経営コンサルタントが監修した書籍『ビジネスマンが読んでおくべき 一流人のあの選択、この決断 この99のヒントがあなたの人生を開く』(知的生きかた文庫・三笠書房)から、感銘を受けた成功談を紹介するシリーズ。今回で6回目を迎えますが、いよいよ最終回となります。

ラストを飾る今回は、ダスキンの社長を務めた駒井茂春こまい しげはるさんにスポットライトをあてます。
これまで紹介した方々はご自身の力でピンチを切り抜けてきましたが、駒井さんの場合は少し違います。
ピンチを救ってくれたのは、なんと「奥様」でした。

その素晴らしい内助のこうとは、どのようなものだったのでしょうか。
パートナーの仕事の役に立ちたいと思っている立場にある方にとっても、きっと大きなヒントになるはずです。さっそく紐解ひもといていきましょう。


失敗地獄から脱出するきっかけを与えてくれた妻の最初の助言

駒井さんの奥様は2回、素晴らしい助言をして、夫の運命を好転させるきっかけを与えています。

まずは「1回目の助言」についてお話ししましょう。

当時、駒井さんは奈落ならくの底にいました。
復員して南方からようやく実家に帰ると、商家であった自宅は全焼。家業を再開する力を失っていた父に代わって、セルロイドの製品販売などの事業を始めたものの、どれもことごとく失敗。さらに追い打ちをかけるように、生まれたばかりの長男を亡くしてしまい、激しく意気消沈していたのです。

それでも、幼い弟や妹を含めた一家全員を食べさせていかねばなりません。駒井さんはなんとか気力を奮い立たせ、新しい事業を始める計画を妻に打ち明けました。
奥様の最初の助言は、まさにその時にありました。

奥様は、新聞に掲載されていた「ケントク」という会社の募集広告をそっと見せ、こう提案したのです。
「新しく事業を起こすよりも、この会社に応募してみたらどうかしら」

ケントクは、廊下などのつや出しワックスで成功を収めていた会社でした。
妻の言葉に「そういう道もあるか」とハッと気づかされた駒井さんは、その勧めに従ってケントクの試験会場へと向かいました。

試験用紙をみて頭が真っ白に

ところが、試験会場に到着した駒井さんは、入り口の張り紙を見てがく然とします。そこには「技術者募集」と書かれていたからです。
駒井さんは商科大学の出身で、理系の技術者としてのスキルは一切持っていません。「場違いなところに来てしまった」と思い、足がすくみました。

しかし、いまさら引き返すわけにはいきません。意を決して試験場に入り、空いている席に恐る恐る着座しました。

やがて始まったペーパーテスト。配られた試験用紙を見た瞬間、駒井さんは頭が真っ白になりました。物理や化学の専門知識がなければ解けない問題ばかりで、理系が苦手な駒井さんにはチンプンカンプンだったからです。
駒井さんは震える手で鉛筆を持ったまま、青ざめた顔に冷や汗を流し、ただ試験用紙を見つめることしかできませんでした。

終了時間が近づくなか、白紙のままの試験用紙を見て驚いた試験官が、駒井さんにこう問いかけました。
「あなたは何の技術者ですか?」

その時、なぜか駒井さんの心にある言葉がふっと舞い降り、とっさにその言葉を口にしました。
「私は、販売技術者です」

それから試験官に尋ねられるまま、自分がなぜここに来たのか、これまでの経緯を正直に語ると、駒井さんは試験会場を後にしたといいます。

奇跡を運んでくれた「白紙の答案」

「絶対に落ちた」と肩を落としていた駒井さんでしたが、数日後、とんでもない奇跡が起きました。
なんと、ケントクの社長が自ら駒井さんの自宅を訪ねてきたのです。

社長は自身の熱い経営理念を語ったあと、「明日からうちの会社に来てくれませんか」と、直々じきじきにスカウトの言葉を口にしました。
その社長が掲げる「祈りの経営」「道と経済の合一」という気高い理念に深く共鳴した駒井さんは、ケントクで働くことを即決します。

それにしても、白紙の試験用紙を出した駒井さんに、なぜこれほどの奇跡が起きたのでしょうか。
答えは、試験会場で「あなたは何の技術者ですか?」と問いかけた試験官こそが、ほかでもないこの社長だったからです。
答案が白紙だったからこそ、社長の目に留まり、直接言葉を交わすことができました。そして、駒井さんの語った身の上話と、誠実な人柄が社長の心を強く動かしたのです。

駒井氏以上の苦労人社長

ケントクの社長の名前は、鈴木清一せいいちさんと言います。
鈴木さんが、なぜこれほどまでに駒井さんの苦労話に同情し、手を差し伸べたのか。
それは、鈴木社長自身もまた、想像を絶する波乱万丈の人生を歩んできた「大苦労人」だったからです。

鈴木さんの不幸な境遇は、わずか5歳から始まります。
病気の父親の治療費で一家が多額の借金を背負ったため、口減らしとして養子に出されてしまったのです。

しかし、そこで素晴らしい養母と出会います。
実は養母自身も、母親が知的障がい者で父親が誰かも分からず、幼少期から子守奉公に出され、28歳で再婚者とは知らずに嫁ぐというとても不幸な境遇でした。

それでも養母の性格は明るく、五体満足で健康に生きられることに日々感謝する女性でした。
熱心な金光教こんこうきょう(黒住教や天理教と並び「幕末三大新宗教」の一つ)の信者だった彼女は、鈴木さんが19歳のときに結核を患うと、一心不乱に祈りを捧げてくれたそうです。
その祈りが通じたのか、医師に見放されるほどの危険な状態から、鈴木さんは奇跡的な回復を遂げます。
この体験が、鈴木さんの神仏への深い信仰心の原点となりました。

やがて26歳のとき、鈴木さんに人生の「天国」が訪れます。
当時、老舗のろう問屋の東京支店で働いていた鈴木さんは、なぜか、大阪から来た本社の代表社員に見込まれ、次女との縁談を持ちかけられたのです。
平社員の上に、学歴も家柄もない鈴木さんには、「家つき、金つき、地位つき」という、夢のような逆玉の輿こしの結婚でした。
「早く孫の顔が見たい」という病床の養母を喜ばすこともできました。

ところが、そこから一転して「地獄」が始まります。
妻やその家族が、鈴木さんが熱心に行う宗教活動を次第に嫌がるようになったのです。
さらに鈴木さん自身も、本店の「どんな手を使っても儲けた者が勝ち」という大阪商法に馴染めず、ストレスから肺結核が再発してしまいます。
それを好機ととらえた家族から、「ゆっくり療養してこい」と、ていよく家から追い出されてしまいました。

その後、新たに生まれ変わる覚悟で一燈園いっとうえん(無所有奉仕と他者への奉仕を実践する宗教的生活共同体)に飛び込み、紆余曲折うよきょくせつを経て、鈴木さんはケントクを立ち上げ、社長となりました。
だからこそ、どん底からい上がろうとする駒井さんの痛みが、誰よりも分かったのです。

安定か、恩義か。人生を変えた「2回目の妻の助言」

ところがその後、ケントクは米国資本の会社との提携に失敗し、その会社に吸収されることになってしまいました。
鈴木さんは社長を追われるようにして社を去った一方、駒井さんは米国資本の会社のマーケティング・マネージャーという高いポストにまで昇りつめることができました。

そんな時でした。鈴木さんから、「一緒に新しい仕事をやってくれませんか」という誘いがあったのです。

駒井さんはとても迷いました。
何しろ現在は高給をもらっていましたし、ようやく手に入れた安定した生活を捨てるのが惜しかったからです。

ひとりで決断できず奥様に相談すると、はっきりとこう言われました。
「鈴木社長はお父さんの人生を変えてくれた人です。いま一番大事なことは、鈴木社長を助けてあげることではないですか」
これが、2回目となる奥様の素晴らしい助言でした。

その一言で、駒井さんは決心がつきました。安定を捨て、鈴木さんと二人三脚で新しいビジネスを始めたのです。
鈴木社長が52歳、駒井さんが40歳の時でした。

新しいビジネスとは、「化学ぞうきん」を貸し出すというものでした。
鈴木社長が渡米した際、この「化学ぞうきん」に目をつけ、「これは大きな商売になる」と直感したのです。

化学ぞうきんは、繊維に含まれる吸着剤の働きにより、ホコリを舞い上げずに汚れをきれいに拭き取れる優れた能力を持っています。
さらに、から拭きだけで手軽に掃除ができるという画期的なメリットもありました。バケツにんだ水で何度もぞうきんの汚れを洗い落としながら掃除をしていた当時の主婦の苦労を、一気に解消してくれる夢のような便利グッズだったのです。

この良さが正しく理解されれば、必ず世の中に受け入れられるはずだと鈴木社長は考えたのでした。

しかし、今までにない事業であったため、当初は銀行も相手にしてくれませんでした。
それでも鈴木社長と駒井さんの熱意ある活動によって、すぐに化学ぞうきんの効果が認められるようになります。
優れた経営理念を徹底させたこともあって、業績は順調に伸び続け、ついに日本中でその名を知らぬ人がいない企業にまで発展させることに成功しました。
その会社こそが、現在の「ダスキン」なのです。

ここで、駒井さんが成功した理由を整理しておきましょう。
駒井さんの素晴らしいところは、重大な決断をするときは必ず奥様に相談し、その助言を素直に聞く心をもっているところです。
また、人の恩を生涯大切にするところも見習うべき点です。
ともに人を尊敬する心をもたないと、できる選択ではありません。

「儲けたものが勝ちではない」哲学を貫く

ダスキンの経営理念は、「利益を追求するだけでなく、世の中の人に喜ばれる『喜びのタネまき』を実践し、地域の人々と喜びを分かち合い、物も心も豊かな暮らしに貢献することで、継続的な企業価値の向上を実現しよう」というものです。
そこには、「どんな手を使っても儲けたやつが勝ち」という独善的で無節操な考えは一切ありません。

駒井さんが鈴木さんを生涯変わらず尊敬し、その経営理念を継承できたのは、鈴木さんの経営にこの哲学が活かされた実践があったからです。まさしく、「祈りの経営」を大切にし、「道と経済の合一」を目指す姿勢です。

ピンチを乗り越え、人々に愛される企業へと発展させるには、何があっても揺らぐことがない「優れた経営哲学」をもつことも重要なのです。

お礼の言葉に変えて

これをもちまして、「一流人の選択と決断」シリーズは終了となります。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

本書から私がたくさんの力をもらったように、この連載が一人でも多くの方の明日へのパワーになっていれば、これほど嬉しいことはありません。

最後に、この本を監修された船井幸雄さんの人生にも、少しだけ触れておきたいと思います。

実は船井さんご自身も、「私の人生は苦労と失敗の連続だった」と振り返るほどの、大変な苦労人でした。
実家は貧しく、幼い頃から家計を助けるために必死に働く生活を送り、子供の頃は吃音きつおん(どもり)にも深く悩まされていたといいます。

さらに若い頃には、最愛の妻を20代という若さで突然亡くされるという、深い絶望も経験されています。

その後、再婚されますが、「船井総合研究所」の前身となる会社を設立した当初は、最初の数ヶ月間、全く仕事がありませんでした。
自分の定期預金をすべて解約し、さらには妻の着物を質に入れるなどして飢えをしのぐほどの極限状態に陥り、夫婦二人三脚で必死に耐え抜いたそうです

著名なコンサルタントになってからも、決して順風満帆ではありませんでした。
自身で手掛けたサイドビジネスや投資で、何度も巨額の詐欺被害や事業の失敗に遭い、一時は数十億円規模の借金を抱えて破産寸前まで追い詰められたそうです。

しかし、そのような苦難から逃げずに、前向きに立ち向かってきたからこそ、多くの経営者の心をとらえる経営術を養うことができたのではないでしょうか。
また、それによって、船井総合研究所を日本最大級の規模へと育て上げ、経営コンサルタント会社として「世界で初めての株式上場」を果たすまでに成長させることができたのです。

船井さんが本書に登場する経営者たちの痛みが分かり、誰よりも深く共鳴できたのは、同じ苦労人だからこそ鈴木社長が駒井さんの苦しみを深く理解できたのと同様に、船井さん自身も艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えてきたからだと思います。

なお、船井さんが生涯掲げていた成功の条件は、「素直、プラス発想、勉強好き」の3つだそうです。
まさに、この「一流人の選択と決断」シリーズに登場したすべての偉人たちに共通する姿勢ですね。

これまでの全6話の記事を以下にまとめておきます。気になるエピソードがあれば、ぜひあわせてご覧ください。


限界家族日記の目次はこちら
全体の目次はこちら
私が現在書き進めている小説はこちら
ユートピア手法を使って創造した新システムはこちら
ユートピアのすすめの目次はこちら
日本の生きる道の目次はこちら
自己紹介











いいなと思ったら応援しよう!

星マモル よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは明るい未来を創造する活動費として大切に使用致します。