オッサンのケツの割れ目に漂う哀愁
最近、シンプソンズを観るのにハマっている。
実はシンプソンズには数学の小ネタが散りばめられている、という本を読んで、そういえばディズニー+で観られるんだよな、と一番最初から観始めた。数学の小ネタはさっぱり見つけられないが、話が単純に面白い。
ホーマーはろくでなし親父、マージは良妻賢母、バートはとんでもない悪ガキ、リサは真面目な優等生、とキャラがハッキリしている。特にホーマーのダメ親父っぷりがマジでダメすぎてムカつくレベル。ダメさが爆発した時はちゃんと酷い目に遭うし、ギリギリのところで改心して謝ることも一応できる。そこら辺のバランスが絶妙で面白い。
普通に声を出して笑ってしまうことも多い。最近見た話の中で一番面白かったのが、リサの初恋の話だ。
リサのクラスの担任の先生が病気になってしまい、代わりに代理の先生がやってきた。誰の話も平等に聞いてくれる理知的な先生にリサはウットリ。それに対して粗野でガサツなホーマーの下品さが余計に目につくように。リサは先生を自宅に招待しようとするも、担任の先生が治ったので代理の先生は去ることになってしまった。悲しみに暮れるリサにホーマーがまた余計なことを言う。それにリサは激怒する。
「先生はあんなに知的で素敵なのに、お父さんの無神経さがホントに信じらんない!お父さんなんてヒヒよ!!ヒヒーー!!!!」と告げて部屋に閉じこもってしまう。がーーーん!!!「俺は!俺はヒヒなのかーーー!!!??」とショックを受けるホーマー。
この“ヒヒ”というワードのチョイスが最高だ。
「ヒヒーー!!!!」って口にするのに何て言いづらい言葉なのだろうか。その分、言葉に込められた怒りが伝わってくる。素晴らしい罵倒である。
ホーマーは本当にみっともなくてだらしのないオッサンなのだが、それを象徴しているのがいつも見えてるケツの割れ目だ。尻を丸出しにしている訳ではない。背中を向いた時にシャツとズボンの隙間からケツの割れ目が見えちゃってるのである。
アメリカは規制が厳しく、子供が見るアニメに出てくる女性キャラは基本的に谷間の線は描写されない。ONE PIECEもアメリカで放映されてる時はナミやロビンの谷間の線は消されるらしい。マージはチューブトップのワンピースを常に着ているが胸の谷間が描写されることはまずない。逆にそういう描写がされる時は、露骨にセクシーを売りにしてるという表現になる。
ホーマーのケツの割れ目は絶対に描写されるので、こちらも意図的な表現ということになる。オッサンのケツの割れ目に込められた意図とは如何なるものか。
榎本俊二の漫画が好きだ。
私は『ムーたち』から榎本マンガに入ったが、榎本俊二の本懐は『えの素』だろう。『えの素』はエログロ下ネタ、オンリー・テンコモリ・オンパレードの漫画だ。色んな意味で酷い(=サイコーな)ネタしか出てこない。正視に耐えないネタの数々を、あらゆる漫画的な技巧を凝らして、尋常じゃないテンポ感でスタイリッシュに読ませてくる。このテンポ感が榎本マンガの特徴だ。
榎本俊二の漫画に出てくるオッサンたちもよくケツの割れ目が見えてる。所狭しとドタバタ暴れ回り、暴れまわりながらもケツが見えてる。エッセイ漫画『思ってたよりフツーですね』で主人公として出てくる作者もよくケツの割れ目が見えてる。講釈を垂れながらケツが見えてる。そんなにもオッサンとはケツが見えるものか。
私のバイト先にもいつもケツが見えてるオッサンがいる。私のバイト先は喫茶店で、カウンター越しにお客さんと対面する。もちろん、正面で向き合っている時はケツが見えることはない。だが、会計が終わって席の方へ、クルッと背を向けた時にはもう見えてる。席に座ろうとしてトレーを机に置こうと少し前屈みになるともっと見えてる。財布を床に落として拾おうとすると余計に見えてる。
見えてしまった時の「あーあ」といった感じと言ったらない。
この「あーあ」には幾重もの“残念”が含まれているように思う。
そもそもオッサンのケツの割れ目など見たくないのである。その見たくないものを見てしまった残念。
そして見えてることに本人が気づいてない訳がない。ということは隠す気がないのである。見えたら恥ずかしいケツの割れ目を隠す気がない、という怠惰に触れてしまった残念。
もっと言えばケツの割れ目が見えてるということは、服のサイズが合ってないのである。最初から合ってないサイズを着ている可能性もあるが、大概は着ている内に合わなくなってしまったのだろう。洗濯し過ぎて服が縮んだか、本人が太ってしまったか。大体は後者だろう。太ってしまうのはある程度仕方ない。若い頃と比べれば代謝も落ち、年を重ねれば太りやすくなる。これはしょうがない。しかし、太ったのならそのサイズに合った服を着るべきだ。ケツが見えてるということは服を買い替える手間を惜しんでいるということだ。運動をする手間を惜しんでいることは言うまでもないだろう。ダイエットをすることも、ファッションを楽しむことも、何もかも放棄してしまっているのである。つまりは自分で自分を良く見せることを放棄してしまっていることに他ならない。色んなことを放ったらかしにして、諦めている残念。
ケツの割れ目の「あーあ」にはこれだけの残念が含まれている。
ケツの割れ目はオッサンの“どうしようもなさ”とも言える。オッサンは老けていく。それはどうしようもない。老けていくのに中身はバカのままである。これもどうしようもない。
だからホーマーのケツの割れ目はくっきりと表現されるし、榎本マンガのオッサンたちもカッコつけながらケツが見えている。ケツの割れ目は見えても不快なだけなので笑えないけれども、オッサンのどうしようもなさは笑わないともっとどうしようもない。立っても座っても酔っぱらっても眠っても愛を囁いても働いていてもケツの割れ目が覗いてる。滑稽という他ないじゃない。
また、いつもは一人で来てるケツのオッサンだが、ある時、赤ん坊を連れてきた。子供がいたのだ。どうやら、その日は子守りをする日だったらしく、まだまだヨチヨチ歩きの子供を一人で世話していた。子供が活発に動き回るので、その都度オッサンも動き回り、そのせいでケツの割れ目もいつも以上に目につくのだが、不思議といつもより許せる気持ちだった。
全てを後回しにしてしまった結果としてのケツの割れ目だとしても、子供のためなら仕方ないか、という気持ちになったのである。むしろ家族のために頑張る勲章にも思えてくる。
榎本俊二も『アンダー3』という珠玉の下ネタ漫画と同時に、『ザ・キンクス』という家族の日常漫画を連載中だ。そちらでもオッサンが半ケツを繰り出す率は高めだが、半ケツを出すと同時に日常の問題をスタイリッシュに解決していることも多い。ケツが見えてるオッサンでも家族のために頑張る親父であれば格好良いのである。
冒頭に紹介したヒヒの話でのホーマーもそうだ。
謝るためにホーマーはリサの部屋を訪れる。「リサは大事な人を失ったかも知れないけど、パパは幸せ者だな。だってパパにとって大事な人たちは全員この屋根の下にいていつでも会えるんだから。リサはパパの何倍も頭が良いから、素敵な女性になってこれから大事な人もどんどん出来ていくよ」抱き上げたり、お馬さんになったり、あの手この手を尽くしてホーマーはリサを笑わせ、ようやく許してもらう。
その部屋の隣ではバートも落ち込んでいた。クラス委員を決める選挙で、お調子者代表として立候補し、皆からの支持も得ていたにも関わらず、投票のシステムをバート本人を含め友人たちは誰も分かっていなかったため、1票も入らず当選できなかったのである。「どうして俺ってこんなにバカなんだろう?」というバートに対しホーマーは「気にするな、一つ賢くなったじゃないか」と慰める。
別の部屋では赤ん坊のマギーがグズっていた。ホーマーはお気に入りのおしゃぶりをくわえさせて落ち着かせる。
三者三様だな、とつぶやく。
リビングに降りてきたホーマーに子供達はどう?とマージが聞く。ああもうバッチリだよ、とホーマーは応え、俺たちもベッドに行こう今夜は寝かさないぞ、とマージに促す。
さっきまでロクでもなかったし、相変わらず半ケツである。
それなのに格好良い親父に見える。
シンプソンズは良く出来てる。
