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徳川美術館『お能、はじめまして』後編


扇面流図屏風 19世紀

 見に行った日は『お能、はじめまして』展だけでなく、中京テレビ『ムジナバケール』とのコラボ展示もあったので、常設展にも色々と力が入っていました。特に印象に残った品があったので、それについて少し書きます。

 扇面流図は江戸時代に屏風絵や襖絵の画題に好まれた。室町時代に将軍の一行が嵐山の渡月橋を通りがかった際、従者の一人が落とした扇が川に流れる様が美しかったため、皆がこぞって扇を投げ入れた、という逸話があることから、橋が描かれた本品との関連がうかがえる。

展示キャプションより
『扇面流図屏風(左隻)』 19世紀
『扇面流図屏風(右隻)』 19世紀

 一つ一つの扇面に『源氏物語』や『伊勢物語』など、古典のさまざまな場面が描かれている。どの物語の何の場面なのか、考えながら見ていくと、ついつい時間を忘れてしまいます。

平家物語『能登殿の最期』

 左の扇面はよく分からない……右の扇面は、平家物語『能登殿の最期』かな?

 平家方の猛将、能登守教経は、あまりにも強かった。ようやく矢を射つくし、槍刀を失ったものの、まだ近づく事すらできない。源氏方の武将はやむなく、三人がかりで倒そうとするが……

 まつ先に進んだる安芸太郎が郎等を、裾を合はせて、海へどうど蹴入れたまふ。続いて寄る安芸太郎を、弓手の脇に取つてはさみ、弟の次郎をば馬手の脇にかいばさみ、ひと締め締めて、
「いざ、うれ、さらばおのれら、死出の山の供せよ。」
とて、生年二十六にて、海へつつとぞ入りたまふ。

平家物語『能登殿の最期』

 一人を蹴倒し、二人を抱えて道連れに、海に飛び込んで果てたのだった。

源氏物語『柏木』

 一番上、蹴鞠をする貴族たちがいて、奥で御簾がめくれてチラリと奥が見えている。源氏物語『柏木』かなあ? 猫がいれば確定ですが、遠くて良く見えませんでした。単眼鏡が欲しい。

 一番下は、板の橋にカキツバタが咲いているので『伊勢物語』以外ありえませんね。

源氏物語『若紫』

 これは源氏物語『若紫』で確定かなあ……紫の上にしては歳食ってる気がするんだけど。手に持ってる丸いモノは何だろう? 楽器があれば『橋姫』、碁盤があれば『竹河』だけど、どちらもない。源氏絵を色々描くなら『小柴垣のもと』のシーンは、まあ外せないのは確かでしょうね。

平家物語『敦盛の最期』

 左上はやはり源氏物語『胡蝶』のシーンでしょうか? 下は平家物語『敦盛の最期』かな? 組敷かれた武将は、白い美しい顔の和歌武者で、今まさに彼の首を取ろうとしている母衣をつけた武者は、髭も立派でかなり年上。茶色い鹿毛の馬はその熊谷直実の乗馬で、白っぽいのはこれから首を取られる平敦盛の、連銭葦毛の名馬。

 その右の「波に千鳥」は、先の「梅に鶯」みたいな、図案なのかと思います。しかしその上は何だろう? 白い象に、黒い牛?

能『羅生門』

 分からないネタもたくさんあります。上の扇面に描かれているのはどういうシーンなんだろう? 川辺に水干姿の貴族が集まって、何をしている? 川岸にいっぱい立っている、串に刺した文みたいなのは何?
 一番下のは分かりやすい。背景にある白黒の石畳は、門の一部かな? 手前では武将が鬼に襲われている……これは、同じネタを国芳展で見た。

 羅生門で、渡辺綱が鬼に襲われたところ。頭をつかまれたけれど、綱は少しもひるまず、その鬼の腕を切り落としたという。
 このストーリーは『平家物語』が最初だそうですが、その後、室町時代に能『羅生門』が作られ、江戸時代には『御伽草子』で
「この時の鬼は酒呑童子の部下の茨木童子」
なんていう設定その他が加えられたそうです。いつの時代もやる事は同じですね。

平家物語『木曽の最期』

 下の扇面、女の武将が、後ろの馬に乗っていたと思しき、男の武将をひっつかんでいる。これは、木曽義仲に付き従った巴御前。

 いよいよ最後の戦いと覚悟を決めた木曽義仲は
「死地には、女を連れては行けない」
と、巴御前に落ちのびるように命ずる。巴御前は、ならば最後のひと働きをご覧に入れましょうと、轡を返して追っ手に向かっていく。

「あつぱれ、よからう敵がな。最後のいくさして見せ奉らん。」
とて、控へたるところに、武蔵の国に聞こえたる大力、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。
巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べて、むずと取つて引き落とし、わが乗つたる鞍の前輪に押し付けて、ちつともはたらかさず、首ねぢ切つて捨ててんげり。
そののち、物脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。

平家物語『木曽の最期』

 豪勇を知られた追っ手の頭、御田八郎を馬から掻っ攫うと、その首をねじ切って見せた……

 『源氏物語』の、雅な世界と一緒に描かれるにしては『平家物語』の各シーンはどれもこれも血なまぐさいですね。
 それはそうと上の扇面の、タライの中で童子が水をかけられているのは、いったい何のシーンなんでしょうか? 何かのことわざとか、おとぎ話でもあるのかな? 真ん中の、紅葉の中の鹿の図は、もちろんあの和歌がネタですね。

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき

百人一首 猿丸大夫

 他にも、和歌が元ネタの絵はたくさんありそう。だけど、自分が読み取れたのはこれくらい。全体の五分の一もない。江戸時代、当時この屏風を使っていた人、その部屋に出入りしていた人は、みんなわかったのかな。スゴイなあ……

能・衣装あわせ

能『鞍馬天狗』『羽衣』

能『鞍馬天狗』衣装あわせ
能装束『萌黄地立湧に輪宝文金襴袷狩衣』17-18世紀
能面『大癋見』17世紀
『羽団扇』19世紀

 能『鞍馬天狗』は、源義経が牛若丸だったころ、鞍馬山の天狗に弟子入りするお話。元ネタは『平治物語』『義経記』など。大天狗を演じる役の、衣装と面、小道具の羽団扇が展示されていました。

能『羽衣』衣装あわせ(手前)
能装束『黄地枝垂桜に尾長鶏文金襴長絹』17-18世紀
能面『増』焼印「天下一近江」17世紀
中啓『松に桜図』19世紀
『天冠』19世紀


 能『羽衣』は、昔話でおなじみ「天の羽衣」のお話を元にしたもの。「日本昔話」や「火の鳥 羽衣編」では、天女はお嫁さんになっていましたが、能では舞を舞って見せるだけです。

 天狗も天女も人間を超えた存在……しかし天狗は、荒ぶる御霊であり、天女は美と雅をもたらす和魂。その正反対の性格が、小道具や面、特に衣装に反映されているようです。

 濃い緑と金の、強烈なコントラストで、大きな法輪文を描いた天狗の衣装。袷も重たげで、面の分厚い感じに負けない。天女の衣装は、舞に従いフワリフワリと翻るような作りで、模様も枝垂れ桜に尾長鶏と、揺れてこそのイメージ。冠も、長い歩揺をいくつも下げて、実際に舞った際には、たくさんの光のきらめきが見られそう。

 手持ちの道具も面白いです。中啓というのは、骨が反っていて、たたんでも少し開き気味になる扇。天女の中啓は桜と松をあしらって、花びらを舞わせ、松の枝をそっと揺らすようなイメージ。天狗の羽団扇は、たくましい猛禽の羽根が大きく開ききって、何もかも吹き飛ばすような嵐や突風を思わせる。

能・道具いろいろ

中啓・鎮扇

『雲竜図中啓』18‐19世紀
『松竹鶴亀図中啓』18‐19世紀

 役者は中啓を持ちます。雲竜図は鬼神、鶴亀は翁。骨が白いのは翁や神、黒いのは女性や貴公子など、役ごとに決まり事があるそうです。

『浅葱地雲形梅楓図鎮扇』19世紀
『蝶図鎮扇』19世紀

 鎮扇は、普通の扇と同じピタリと閉じる扇。誰が持つか、絵柄や大きさなどは、流派によって違うのだそうです。

鬘帯・腰帯

『胴箔七宝文鬘帯』18‐19世紀
『胴箔稲穂文腰帯』18‐19世紀

 鬘帯は、女役の髪の上からハチマキのように巻く帯。腰帯は、文字通りのもの。胴箔というのは、生地に金箔や銀箔を貼ったもの。日本の美術工芸で、刺繍というのはあまり意識されないけれど、精緻に施されたそれは、染や織りにまけない、テキスタイルの文化だと主張しているようです。
 それにしても、色は鮮やかだし糸のほつれは見えないし、百年以上経ってるとは、とても思えません。やはり、適切な保管と管理が行われるというのは、大切な事ですね。

能装束

『花色・茶・萌黄段に輪宝・稲妻・杉木立文厚板唐織』17世紀

 これは、全部の色糸が通っているのかな? 織で作られた柄。輪宝や杉木立など、浮彫のように立体になっている。雲や稲妻はそうでもない。空は遠く樹木は近い、その遠近感すら演出されている。

『白地扇・尾長鶏文縫箔』17世紀

 縫い箔というのは、金箔銀箔を縫い付ける、加飾の技法。風を起こす扇と、風の中を飛ぶ尾長鶏。白地なので、それらが空中に舞っているみたいに見えるのかな。

『紅・白段簾に花の丸文唐織』18世紀

 これも段織りなので、織で絵を作っている分厚いものだけど、だいぶ柄が一般的というか、普通の着物に近づいているように思われる。能舞台じゃなくても通用する柄というか。

『白地金鱗文摺箔』18世紀

 蛇や竜のウロコを模した衣装。摺箔というのは、金箔銀箔を生地に貼り付けている。
 左の袖が、ずいぶん擦り切れているけれど、どんな舞を舞っていたのだろう? 首の後ろの襟も傷んでいるけど、これは長い髪やハチマキが擦れてこうなったんだろうか?

狂言の道具

狂言面

 狂言では、あまり面は使われない。太郎冠者だの次郎冠者だの、面を使わずに演じられる。それでも
「猿に始まり狐に終わる」
などと言われて、面をつける役というのは非常に重要であるらしい。

狂言面『猿』18‐19世紀

 『靱猿』という演目で使われる、猿の面です。
 その毛皮を、靱(うつぼ……矢を入れる道具)にしたいと、猿曳(さるひき……猿に芸をさせる大道芸人)の連れている子猿を、わがままな大名が求める話。この子猿の役は、この面をつけて、子供が演じます。それが狂言役者への第一歩なのだそうです。
 笑ったような口元、少し上目遣いな瞳。面の時点で、既に愛嬌たっぷり。この、上を向いた瞳が、ほんの少し横に向いているのもすごく上手い。首をかしげているみたい。
 今にも殺されようとしているのに、それに気づかず愛嬌をふりまく健気さ、哀れさ……子役の初舞台にしては、ずいぶん難しそうですね。

狂言面『白蔵主』17‐18世紀

 『釣狐』という、狐が猟師の家族に化けて、狐を獲らないように説得する話。この白蔵主は、狐が化ける猟師の家族。この面をつけて人間に化けてはいるが、時々、狐っぽい仕草などが出てくるのだそうだ。
 頬骨とか顎の造形など、非常に写実的で、リアリズムの極致かのように思うんだけど、目の形がちょっとおかしい。他にも、あちこちデフォルメされている。
 これだけ写実的に造っておいて
「あいつは人間じゃない」
と思わせる、戯画化の技術はとんでもないなあ。

狂言面『狐』17‐18世紀

 正体を明かしてから、それまでの『白蔵主』から、この『狐』の面に付け替え、狐として演技する……このあたりの切り替え、難しいんだろうなあ……なので『靭猿』でデビューして、この『釣狐』をこなすことで、一人前と認められるというのは、実に説得力があるお話。

狂言衣装

手前『萌黄地糸巻文長裃』19世紀
奥『蜘蛛巣・柳に燕文染分素袍』18‐19世紀

 狂言の衣装となると、一気に「これ当時の人は普通に来てたんだろうなあ」的な、普段気の雰囲気が大きくなります。能はやはり、翁面に限らず神事だったり、幕府の御曲だとかで、能は色々と堅苦しいのかな?

『海松茶地壺尽文肩書』19世紀

 このあたりは、型染めでしょうか? 能の衣装のような豪奢さはないにしても、丁寧な仕事で、デザインのモダンさは群を抜いている。芹沢銈介の仕事にも近いような……

 能や狂言は、神道から『源氏物語』まで、様々な文化の影響を受けているけれど、能・狂言から影響を受けた文化も多い。歌舞伎や落語はもちろん、美術工芸の世界にも、まだまだ自分の気付いていない影響があるのでしょう。
 これから色々な文化に触れる時、そこに能や狂言の要素をどれだけ見つけられるでしょうか? 能・狂言を通じて、様々な文化の繋がりを感じ取る事ができれば、それはきっと豊かな経験になることでしょう。

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