辻惟雄『奇想の系譜』


「奇想」のはじまりの一冊。

今でさえ、伊藤若冲や歌川国芳といった、クセの強い日本の画家はファンが多いけれど、昔はやはりやまと絵、狩野派といった正統派の画家が評価されていて、彼らはあくまでマニア向けといった風だったそうで。
その風潮を一変させ、曾我蕭白や長沢芦雪までも人気画家にしてしまったのは、辻惟雄氏が五十年前に上梓したこの本によるところが大きいのだそうです。
辻惟雄氏は、先日読んだ『最後に、絵を語る。』の著者。

そもそもこの『最後に、絵を語る。』という書からして、五十年前に奇想の画家について書いたから。それで、あんまり「奇想の画家」が流行りすぎたので、いよいよ人生の締めくくりの今日この頃、正統派であるやまと絵や狩野派についてしっかり書いて締めよう。
という、セルフアンサーソング的な書物だったようで。

自分はその、奇想系の画家が好きだった側で、それが辻氏のおかげだったというのは、先の書物を読んで知って、びっくりしたので、じゃあ読まなきゃというわけで。
自分がハマった趣味の、その源流を訪ねて、さらに深みにハマろうという道楽オーバードーズ。

岩佐又兵衛。性癖を盛り込むはじまり。

しかし最初に取り上げられるのは、若冲でも蕭白でもなく、岩佐又兵衛……誰?
自分もほとんど知らなかったのだけど、そもそも、辻氏はこの又兵衛から研究を始めたような気配だったりする。
だから、かの国宝『洛中洛外図屏風』についても、又兵衛だ、いや又兵衛じゃない、などと言い合っていたという。

そもそも、画家として個人名が出るのも、岩佐又兵衛が最初くらいで、それ以前は『源氏物語絵巻』も『信貴山縁起絵巻』も作者は無名。個人ですらなく、工房や職人集団という場合も。鳥羽僧正作という『鳥獣人物戯画』も、各巻の成立時期に幅があって、伝説であるとされる。

そんな中で、間違いなく一人の作者の個性が見える! というのが、この岩佐又兵衛の手による品の数々なのだそうだ。だから、彼をして浮世絵の祖と説く人も多いという。
『洛中洛外図屏風』にあっても、常々評価されるのは、街にたむろする人々一人一人の表情やしぐさの生々しさ、生活感といったところ。

岩佐又兵衛は、華やかな浄瑠璃の見せ場や遊女を描いたり、一方で路傍にたむろする、多くの者が見て見ぬふりをする者たちを描いたりして、世間では風俗画の第一人者として「浮世又兵衛」と呼ばれるまでになったという。
そんな創作の源はなんだったのか。

辻氏は、岩佐又兵衛について語るのに、極彩色絵巻『山中常盤』を引き合いに出している。これは、牛若丸伝説を元に当時謡われた浄瑠璃から材を採った物語絵巻で、牛若を追って旅立ったその母が、盗賊に惨殺され、それを知った牛若が盗賊たちを皆殺しにするという、非常に血なまぐさいお話。

本を開いてすぐの図版が、常盤御前やその侍女たちが盗賊どもに身ぐるみはがされ、重傷を負い、血まみれの乳房を隠すことも忘れて命乞いをしている姿。本文の挿画は、切り刻まれた盗賊どもの死体を運ぶ牛若の部下たち。
「岩佐又兵衛しか、こんなものは描かない。というか、こんなものを執拗に描きこむ、この熱量は何だ?」
と、辻氏は追及を始めるのだった。

もちろん美術史の話なので、岩佐又兵衛が当時の画工・職人においてどんな立ち位置だったのか、どういう来歴でそんな職人になったのか。また、どんなスポンサーがついていたのか。徳川秀康という、色々とアレな逸話の多い人がいたようなんだけど、そこまで来ると、自分にはちょっとむつかしかった。

自分が理解できたのは、なんか、とんでもない環境だったらしい、くらい。しかし、辻氏の文章は分厚い裏付けのせいか、ずいぶん迫力があった。理解は不十分でも、これから岩佐又兵衛の作品を前にしたとき、もう、今までのようにはいかない。おそらく、今までの何倍もの時間、その前に釘付けになるだろう。
それは間違いなく確かなこと。

狩野山雪。不遇だからこそできたこと。

狩野山雪は、狩野永徳と同じころの、同じ狩野派の画家……なんだけど、狩野山雪の師である狩野山楽は、天下分け目の関ケ原における狩野派の線損戦略のために、豊臣家の担当となった。徳川家の担当が狩野探幽。それに関しては、先に読んだ『最後に、絵を語る。』で分かりやすく説かれていた。

探幽は探幽で革新的なんだけど、どこか正統派というか、あくまでやまと絵から続く流れを引き継いで新しい世界に向かう、という雰囲気なんだけど、山雪はもっとフィジカルというか、アグレッシブというか……障壁画なのに、胡粉を盛りあげて立体にするとか、ごく当たり前にやってしまう。
まるで、織物の柄を考えるように細部を描きこんだり、指物の木取りをするように画面構成を組み立てる。なんだかとっても工芸的。
そのあたりはむしろ、山下裕二氏の『未来の国宝・MY国宝』の方で語られている。

京狩野として、京都に数多くの作品を残し、1652年に没している。この少し前、1640年代後半に、京都仁和寺に、野々村仁清が御室窯を構えている。のちにこれが京焼の創始とされる。絵画を取り入れた工芸である京焼と、工芸的な絵画を描いていた山雪が、同じ時間と場所にいたことは、決して偶然じゃないと思うが……この本では、そこまでは語られていない。

伊藤若冲。芸術家? 科学者?

伊藤若冲については、先の『最後に、絵を語る。』では取り上げられなかった。狩野山雪の描写は、いくら物質性を強調されているとはいえ、最終的には工芸品のように、一つの作品としての美に還元されていくものだった。
それが、若冲に至っては、執拗に描きこまれた鳥の羽や魚の鱗は、もう描写というより、分析され、記述されているようだ。そして作品全体が、背景の植栽や流れる水までも含めすべてが、解体されて、現実の世界に散らばっていくような気分になる。

辻氏は取り上げていないけれど、若冲の十二歳下に、平賀源内がいたりする。若冲は四十歳で家業から引退し、絵を描いて暮らしていこうと、今でいうFIREをするわけですが、この数年後に平賀源内は日本最初の物産会を開いている。これ以降、日本全国で博物学・本草学が大流行する。
若冲の代表作は、もちろん『動植綵絵』で、その中の『群鶏図』が特に、若冲の芸術を端的に示すものとされるけど、『諸魚図』のような、まるで図鑑としか思えないような作品もある。

若冲が、動物・植物・魚や虫を見る目、描く目は、やまと絵のものでもなく、狩野派や浮世絵の絵師のものでもなかった。それは、早すぎた科学の目だったかもしれない。
『動植綵絵』が完成した十年後、杉田玄白による『ターヘル・アナトミア』の翻訳『解体新書』が刊行される。
この順序が逆だったら、若冲はいったいどんな絵を描いていたのかしら。

ちなみに若冲は1800年に没するが、その年には本草学者にして画家の、坂本浩然が生まれています。

彼は植物動物を問わず、数多くの図譜を残しており、それらは学術的にも芸術的にも高い評価を受けています。こちらの動画では、国立国会図書館に収蔵されている、坂本浩然『菌譜』が紹介されています。若冲の『動植綵絵』と比べると、やはり、かなりストイックになっていますね。
若冲も、博物図譜のような作品を描いていましたが、その生々しさは衝撃的で、やはり芸術家としての視点で表現を行っていた。それが、逆説的に証明されたように思います。

曾我蕭白。狂気か仙境か。

職業がら、日本や中国の古画に関しては、いろいろ変わったものを見る機会もすくなくないわたしだが、これまで想像したこともない猛烈なしろものに最近お目にかかった。

狂気の里の仙人たち-曾我蕭白(辻惟雄『奇想の系譜』)

それが、山下氏の著書でも触れられていた『群仙図屏風』なんだけど、ホント、いったいこりゃ何だ?

もちろん、仙人それぞれに元ネタがある。杖をついている、ボロボロ物乞い姿は李鉄拐かなあ、とか……ジャッキー・チェンの映画『酔拳』で、ネタになってたからわかる。
でも、素直に元ネタに合わせて解釈するのは、許されないらしい。辻氏によると、子供をたくさん連れたヤバいおっさんは、鬼子母神を男性にしたものだとか……子供をさらっては食らう女鬼が、悔い改めて子供の守り神になったという逸話を持つ鬼子母神だが、それを目つきのヤバいおっさんの姿で描くというのは、いったいどういう事だろう?
もっとも、つれられている子供らも、ちょっと子供には見えない……ぶよぶよした肉付きはたしかに赤ん坊っぽいけど、顔がもう、どうしたって人間の言葉を発しそうにない、怪異にしか見えない。

人間のはずなのに人間に見えないが、人間じゃないものを描くと、人間みたいなのはどういうわけだ?
龍の絵を描いて、と注文されて、この顔を描いちゃうのも、それでオッケー出す注文主も、ホント、何を考えてんだ?

曾我蕭白の絵を見ていると、不安になる……人間が怪物で、怪物が人間だ。そんなわけないのに、それを受け入れざるをえない、圧倒的描写。
これは人物怪物といった、メインのモチーフに限らず、全てがそうだ。『雲龍図』のワラビかゼンマイか、モヤシの束みたいなの、コレ波涛なの? とても海水には見えない。ブヨブヨして、さわるとベタベタぬめりそう。グルグル巻いた先っぽが、プルプル震えている。
口の周りのヒゲや、眉毛は、樹氷にこびりついたツララのようだったり、爪の付け根から生えるトゲトゲは、何か火花でも散っているみたい。頭の左右に、太く洗い筆で、かすれるのも構わずに、グルーリと目いっぱいの大きさに描かれているのは、竜の玉だろうか? 垂れ下がるような墨のダラダラが、その中にトンデモないエネルギーが詰まっているように見える。

そんなド迫力なのに、なんでこんなに顔が情けないのか。
いや、これで顔までド迫力だったら、とても正気を保っていられなさそうだけど。

この『美人図』は、当時流行していた「お夏清十郎」という物語に取材したものだそうだ。
米問屋の娘・お夏が、雇われていた清十郎と恋仲になり、駆け落ちする。しかし、二人とも捕まってしまい、清十郎は誘拐と店の金を盗んだ罪で死罪となる。その結果、お夏は発狂して家からさまよい出る……
そのタイトルが『お夏狂乱』でも『狂女図』でもなく、シンプルに『美人図』というのは、曾我蕭白の美人の概念はどうなっているんだ?
確かに、細かなところの描写の技量、目の焦点が合っていなかったり、咬み裂いた恋文のジトジトと濡れた感じ、吸い続けて腫れあがった唇、裸足に血が垂れるように絡みつく赤い蹴り出し……盛り込まれた演出はすさまじい。

この執拗さは、もちろん突然変異ではなく、岩佐又兵衛の『山中常盤』から繋がっているものだ。山雪や若冲が、物質的な描写に向かっていったのと対照的に、曾我蕭白は、情念というか、妄執というか、現実の裏にベッタリと張りついた生々しい非現実の世界に向かっていったのかもしれない。

長沢芦雪。なんかホッとする……

長沢芦雪については、こないだ書いたばっかりで、これ以上ネタがない。ただ、この流れで芦雪が出てくると、安心感がハンパない。
だって狩野山雪は、狩野派のクセに絵画芸術からバッバイするし、若冲は図鑑なのか絵画なのか迷っちゃうし、蕭白に至っては、もうヤバいとしか言いようがない。
それらを、応挙譲りのフトコロの深さで、なんとかもう一度、絵画芸術に引き戻した。そんな感じ。
だから、メチャクチャ個性的で、斬新で、ブッ飛んだ作品ばかりなんだけど、どんなに暴れてもガッチリした岩盤の上にあるような感じ。それが円山派なのか、もっとデカいスケールの何かなのかは、よくわかりません。

歌川国芳。POPSTAR!

でもって、これらの「奇想の画家」たちの創出した、様々な斬新な表現は、一部の芸術に閉じていくのではなく、むしろ広がって、一般大衆に還元されていく。
その立役者となったのが、歌川国芳……ということになるのかな?
「奇想の画家」たちによって広げられた「表現の自由さ」を引き受けて、絵画というものを、まるでオモチャのように、楽しむためには何でもありと、自由自在に操る。
もちろん、そこには葛飾北斎がいて、歌川豊国もいて、絵師だけじゃない、山東京伝や曲亭馬琴といった戯作者、歌舞伎や浄瑠璃といった、当時のコンテンツ文化の隆盛など、色々な後押しがあり、国芳は、それを加速するメインプレイヤーでもあったというわけで。

こういった「奇想の画家」……のみではなく「奇想の表現者」たちの影響は、表現や発想ばかりではない。ストーリーコンテンツと視覚的コンテンツの関係までもが、いまだに、日本の漫画・アニメをはじめとしたコンテンツ文化に繋がって続いている。

この本、五十年前の本なのに、全く古くないですね。
やまと絵から現在のアニメーションに至る歴史が、全く途切れず続いていることに、想いを馳せるには、必読の一冊かと思います。

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