【投稿継続】平凡なアイデアが個性に変わる時 [第61回]
前回の記事では、息子の主務への立候補を通じて、家族の挑戦を支える環境づくりの大切さと資産形成の目的についてお話ししました。
この記事も含め、60回を超えて記事を書き続けていると、「noteというプラットフォームで言葉を紡ぐことの構造的な意味」について、考えさせられることがあります。
自分だけのオリジナルな視点だと思って、熱量を持ってnoteの記事を投稿する。しかし、公開された画面の下部に表示される「似たような記事」のレコメンドを目にした時、私たちはある事実に直面します。「自分と似たようなことを考えている人は、世の中に少なくない」という事実、つまり、自分の思いついたアイデアが、所詮は凡庸なものであるという気づきです。
今回は、私が日々発信を続ける中で気づいた、「ビジネスにおけるアイデア」と「noteにおける言語化」の決定的な違い、それから「凡人であることの強み」について言語化してみたいと思います。
1. アイデアの凡庸さと、ビジネスの冷徹な境界線
ビジネスの世界ではよく、「アイデアそのものに価値はない。それを形にし、実装(実行)した人間だけが偉いのだ」と言われます。
どれほど素晴らしい思いつきであっても、それを具現化する技術や資金、組織を動かす力がなければ価値はゼロ。似たようなことを思いつく人間は市場にいくらでも転がっているため、独占と実行のスピードだけが評価の対象になるからです。
その冷徹なルールをそのまま当てはめると、ネットの海にありふれたアイデアをドロップすることは、一見すると無価値であるかのように思えます。しかし、このnoteという表現の世界においては、その価値の生まれ方が決定的に異なります。
ビジネスが「0から1の仕組み」を作る市場独占のゲームなら、noteは「点と点を結んで共感の網の目を作る」共有のゲームだからです。
2. noteにおける「言語化」という名の実行
頭の中にあるモヤモヤとした抽象的な思考を、他人が読める「言葉」という具体的な形に変換する。この「言語化」のプロセスこそが、この世界における立派なアクションに他なりません。
「似たようなことを考えている人」は、ネットの海に何万人といるかもしれません。しかし、それを伝わる文章として一般に公開できる人は、ごく一握りしかいません。その意味で、どれほど凡庸なアイデアであっても、それを言語化して記事にした時点で、その他大勢の「考えているだけの人」から一歩抜け出す価値が生まれます。
現代では、AIの力を借りることで、断片的な思考であっても立派な文章に仕上げることができ、連日の投稿すら可能になります。私自身もその恩恵を大いに受けている一人です。
しかし、AIだけで量産された文章は、どこか特徴的な言葉遣いや、誰にでも当てはまる万人ウケする内容に終始しがちで、読者の心に深く響くことは少ないように感じます。ツールとしての言語化のハードルが下がったからこそ、かえって「誰が、どのような背景を持って語っているか」という発信者自身の輪郭が問われる時代になっているのかもしれません。
3. 「凡人であること」の武器と、個性の形成
自分が天才ではないと知ることは、一見するとショックなことです。しかし、発信者としては、この「良い意味での凡人であること(=普遍的な感覚を持っていること)」こそが最強の武器(才能)になります。
もし自分が、誰の理解も追いつかない孤高の天才であれば、何を書いても誰の心にも響かないでしょう。自分と似たようなことを考える人が少なくないからこそ、自分の紡いだ言葉が多くの読者の「鏡」となり、深い共感を生むフックになるのです。
ひとつひとつのアイデアやピースは凡庸であっても、投稿を重ねることで、そこに他人と被らない「その人の個性」が立ち現れてきます。
一つの点(アイデア)は他人と同じでも、それらを積み重ね、掛け合わせていくことで、それは「面」へと育っていきます。無機質なアイデアの骨組みに、自分自身のキャリアや経験、人生観という肉付けがされていく。読者はやがて、「何が書かれているか(What)」というネタではなく、「この人がどう語るか(Who/How)」という視点のグラデーションに惹かれるようになるのです。
これは、1つ1つのスキルは珍しくなくても、複数のスキルを掛け合わせることで差別化され、強みに変わるという事と同じです。
最後に
一発の天才的なアイデアで一時的にスポットライトを浴びる人は、そのネタが消費されれば終わりです。しかし、凡庸なアイデアであっても、自分のフィルターを通して地道に発信し続けられる人は、誰にも真似できない独自の信頼のブランドを築くことができます。
ビジネスのような市場の独占を目指すのではなく、自分の言葉で誰かの感情を代弁し、緩やかな繋がりを作っていく。
これからも、自分自身の凡庸さを恐れず、日々の思考を丁寧に言語化する打席に立ち続けたいと思います。その点の集積が、やがてどのような独自の人生のログ(面)を描くのか、私自身も楽しみにしています。
