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『怪異と権力の文化史① 』蟇盆と舌切り雀 ― なぜ人類は“虫と蛇”に罰と恐怖を託すのか

※アニメ第45話『蟇盆』の内容に軽く触れています


1. はじめに

アニメ『薬屋のひとりごと』第45話「蟇盆(蠆盆、たいぼん)」は、多くの視聴者に強い印象を残した回ではないでしょうか。


地下の拷問部屋。

うごめく蛇や毒虫。

そして、その中へ放り込まれる人間。


猫猫まおまおは平然としていましたが、普通なら悲鳴を上げてもおかしくありません。


ところが私は、このシーンを見ながら不思議な既視感を覚えました。

どこかで見たことがある。


そうだ。


『舌切り雀』のつづらです。


欲張りな人物が持ち帰った箱を開けると、中から蛇やムカデや蜂が飛び出してくる。


子どもの頃は何気なく聞いていた昔話ですが、改めて考えると奇妙です。

なぜ宝物の反対が、蛇や虫なのでしょうか。


そして、なぜ中国の拷問と日本の昔話が、どこか似たイメージを共有しているのでしょうか。


今回は『薬屋のひとりごと』を入口に、中国史、日本昔話、妖怪伝説、さらには欧米ホラーまでを横断しながら、「虫と蛇の恐怖」の文化史をたどってみたいと思います。


2. 蟇盆とは何か

蟇盆(蠆盆とも書く)は、中国で語り継がれてきた伝説的な酷刑です。

一般にはいん王朝末期の暴君・紂王ちゅうおうと、その寵姫である妲己だっきの逸話として知られています。

罪人を毒蛇やサソリなどの毒虫で満たした穴や容器へ落とし、苦しめるというものです。


実際に歴史上どこまで行われていたかについては議論があります。


後世の王朝が前王朝を「暴君の時代」として描くために誇張した可能性も指摘されています。


しかし重要なのは史実性そのものではありません。


中国文化の中で蟇盆が、

「極端な残虐さ」

「権力者の暴虐」

を象徴する存在になったことです。


『薬屋のひとりごと』がこのモチーフを採用したのも、中国史における恐怖の記憶を呼び起こすためだったのでしょう。


3. 中国における虫と蛇

中国では古くから、蛇や毒虫は単なる生き物ではありませんでした。

特に南方地域では、実際に毒蛇や毒虫による被害が存在しました。


そのため、

  • サソリ

  • ムカデ

  • ヒキガエル

  • ヤモリ

などは「五毒ごどく」と呼ばれ、災厄や危険の象徴となります。


ここで興味深いのは、虫や蛇が「悪そのもの」ではなく、「罰を与える存在」として扱われることです。


蟇盆でも、蛇や虫は罪人を苦しめる役割を担っています。


つまり、中国文化において虫や蛇は、自然界の恐怖を体現する執行者だったのです。


興味深い逆説として、これら五毒は端午節たんごせつの風習で魔除けの象徴としても用いられます。

毒そのものを身につけることで逆に災厄を払うという、中国的な「毒を以て毒を制す」思想が現れている点も興味深いところです。


4. 中国史の暗部 ― 罰と冤罪

しかし現実の歴史は、もう少し複雑でした。

法律上は罪人を罰するための刑罰であっても、実際には権力闘争の道具として使われることが少なくありませんでした。


後宮の嫉妬。

皇位継承争い。

宦官の陰謀。

皇帝の猜疑心。


歴史書を読むと、本当に罪を犯したかどうかよりも、誰に嫌われたかが運命を左右したように見える場面が少なくありません。


だから中国史の残虐刑には独特の怖さがあります。


それは「悪人への報い」ではなく、

「権力に翻弄される人間の恐怖」

でもあるのです。


『薬屋のひとりごと』の後宮描写がリアルに感じられるのは、この歴史的背景があるからかもしれません。


5. 日本に渡ると何が変わったのか

ところが、日本に入ると虫や蛇の役割が少し変化します。


仏教説話や民間伝承の中で、

「悪いことをした者が罰を受ける」

という因果応報の物語が発達していきました。


その結果、蛇や虫は政治的な処刑の道具ではなく、

「天罰の象徴」

として機能するようになります。


6. 舌切り雀のつづら

その代表例が『舌切り雀』です。


優しいおじいさんは小さなつづらを選び、宝物を得ます。

一方で欲張りな人物は大きなつづらを選びます。


そして中から飛び出すのは、

蛇。

ムカデ。

蜂。

妖怪。


なぜ金銀財宝の反対が蛇や虫なのか。


それは当時の人々にとって、それらが最も分かりやすい恐怖の象徴だったからでしょう。


ここには蟇盆との直接的な関係を証明する史料はありません。


しかし、

「悪事の結果として蛇や虫が現れる」

という発想には、どこか共通する文化的な感覚が感じられます。


7. 土蜘蛛という日本独自の変化

さらに日本では、虫そのものが敵として描かれるようになります。


その代表例が土蜘蛛つちぐもです。


古代の記録(『古事記』や『日本書紀』など)では、土蜘蛛は朝廷に従わなかった地方の土豪や原住民集団に対する蔑称として用いられていました。

中央権力(大和朝廷)の視点から「土に潜む蛮族」として他者化され、支配の正当化に利用されたのです。


ところが時代が下ると、


巨大な蜘蛛の妖怪


として語られるようになりました。


ここで面白い逆転が起きます。


中国では虫や蛇は「罰を与える存在」として語られることが多くありました。

一方、日本では土蜘蛛のように、虫そのものが「討伐される異形」として描かれる物語も生まれていきます。


権力に逆らう者。

異形の存在。

恐ろしい妖怪。


こうして蜘蛛は「敵」の象徴へ変化していったのです。


8. 歌舞伎に残る蛇と蜘蛛

この流れは能や歌舞伎にも受け継がれます。


道成寺どうじょうじ伝説の清姫は蛇へと変貌します。


土蜘蛛は妖怪として舞台に現れます。


ここで蛇や蜘蛛は単なる害虫ではありません。

嫉妬。

執念。

怨念。

人間の激しい感情そのものを象徴しています。


中国の「刑罰」が、日本では「情念」の物語へと変化しているのです。


9. 欧米ホラーとの違い

さらに視野を広げると、欧米ホラーにも蜘蛛や虫は頻繁に登場します。

しかし意味は少し異なります。


欧米では、

  • 捕食される恐怖

  • 身体が変異する恐怖

  • 人間ではないものへの恐怖

  • 制御不能な自然への恐怖

が中心です。


欧米文化では、蜘蛛は『スパイダーマン』のようなヒーローの力として描かれることもあります。

しかしホラー作品になると、その意味は大きく変わります。


例えばデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』では、主人公が昆虫と融合して徐々に人間性を失っていきます。

また巨大蜘蛛映画や昆虫パニック映画では、人間が巨大な蜘蛛や昆虫に襲われる恐怖が繰り返し描かれてきました。


蜘蛛の巣は「逃れられない運命」。

虫の群れは「理性の崩壊」。

巨大蜘蛛は「異形の怪物」。


つまり東アジアで見られる因果応報や社会秩序の物語とは異なり、欧米ホラーでは存在そのものへの不安が前面に出ているのです。


10. おわりに

『薬屋のひとりごと』の蟇盆から始まった今回の旅は、

中国史、

日本昔話、

土蜘蛛伝説、

歌舞伎、

そして欧米ホラーへと広がりました。


蛇や虫は世界中で恐れられてきました。

しかし、その意味は文化によって大きく異なります。


中国では権力と罰。

日本では因果応報と妖怪。

歌舞伎では情念。

欧米では「人間ではないもの」への恐怖。


猫猫が放り込まれた蟇盆は、単なる残虐シーンではありません。

その奥には、人類が何千年にもわたって語り継いできた「恐怖の文化史」が隠れているのです。


人はなぜ、古代中国でも日本昔話でも欧米ホラーでも、“虫や蛇”に同じ役割を与えてしまうのでしょうか。


虫や蛇の恐怖は単なる生理的嫌悪ではありません。


時にそれは天罰となり、

時に妖怪となり、

時に権力によって「敵」として語られる存在にもなります。


次回は、日本史において虫がどのように「異形の他者」へ変えられていったのか――土蜘蛛伝説を入口に、妖怪と権力の関係をたどってみたいと思います。


次回予告

蛇や虫は、なぜ恐怖の象徴になったのでしょうか。

しかし日本では、やがて虫そのものが「討伐される存在」へと変化していきます。

古代の記録に登場する土蜘蛛。

それは本当に妖怪だったのでしょうか。

次回、

『怪異と権力の文化史② なぜ人間は“怪物”にされるのか ― 土蜘蛛という記号』

では、妖怪誕生の裏側にある政治と権力の物語をたどります。


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妖怪、鬼、後宮、怪談、そして現代アニメ。 一見バラバラに見える物語の中には、「恐怖」や「異質なもの」をどう語るかという共通のテーマがあり…

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