今回の受験の結果に不満な方への応援歌 成功するまでバッターボックスに立ち続ける こうして私は受験を乗り越えた その3.43 最難関大学受験の顛末 流石に懲(こ)りた結果 人生でもっとも学業に集中できた日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
成功するまでバッターボックスに立ち続ける
これは私の座右の銘。
運と勘としつこさの人生
のしつこさの部分に相当します。
……
此方の続編です。
経緯
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此処から心の深い位置に… 準備しなくても普通に生きていれば何とかなると思い込む勘違い人生(笑)がスタート
初めての受験失敗が小学校受験でした。
そして公立小学校に入学。大学生活の様な知的欲求の赴くままという毎日…
その辺りの極一部は此方から
無手勝流でも四谷大塚の補欠試験にまぐれで合格するのでした。
運と勘しつこさの人生の運…
小学校5年生の時に与えられたfast track:
への乗り移り。この運を完全には活かせなかった。先頭集団からはオマケしても2周遅れ(2年分)のままの中学校受験。最難関中高一貫の進学校と、最難関私立大学附属中学校2校、当たりですが全て不合格。バッターボックスに立つも惨敗。
地元の区立中学校に進学。四谷大塚のお陰で授業だけで好成績、実力テストでも偏差値72と云う現実に… またも勘違い。
此処から心の深い位置に… 準備しなくても普通に生きていれば何とかなると思い込む勘違い人生(笑)が再スタート
特段勉強しなくても今度こそ最難関校には合格できると思い込んでしまいました。生徒会活動にのめり込み充実した中学生生活。それが2年生秋の学校主催のマラソン大会での骨折で休学、治療。復学するも期末テスト、実力テスト共には散々。それでも楽観的に最後迄生徒会中心に楽しみ切っての受験。希望の最難関附属高校は全滅と云う…
バッターボックスに立つも同じ失敗を繰り返した…
某総合大学の附属高校に入学。2周回遅れのままで、しかも内部進学前提ののんびりした附属高校の中で、生徒会活動からも足を洗いイジメも受けつつの孤軍奮闘しました。当時難関大学入試に最強だった駿台予備校の入学試験に合格、四谷大塚に居た方々に混じっての受験勉強。
欲を出して本来の志望校ではなく最難関国立大学を目指したのが記憶力ハンディの私には身の丈を越えていた…
入試科目が増え、5教科7科目。これは結果としてキツかった。ですから
①記憶量が少なくて済む理系に進学すること
②日本史、世界史は受験科目から外すこと
③その分、英語、倫理社会、政治経済は逃げないこと
当初の私立最難関校狙いには無用の倫理社会、政治経済、現代国語、古文、漢文は大好物。受験勉強と云うよりは自分の趣味を受験に被せ、ただでさえ課題のある記憶力を浪費。結果として
2周回遅れでの戦線拡大はやり過ぎ。
手を広げすぎ…(笑)
でした。それでも工夫して例えば主要科目の英語は、
これで得意科目にしました。少女漫画や学校行事は萎えた気分を転換するには、特効薬でした(笑)
その現役でのバッターボックスでは完敗と云う顛末。 駿台予備校に対しては、附属高校卒業生と云うよりは、駿台予備校卒業生と思える程学び尽くしました。先頭集団からは2周遅れ、距離を縮めるのは困難と諦め、それ以上は引き離されない様にと。駿台予備校の授業は、受験対策と云うよりは大学への基礎学力構築と云うスタンス。それに魅了されました。
そんなこんなで迎えたバッターボックス。
最難関国立/私立大学、全滅… 捨てる神。
卒業式の日に通い詰めた図書室管理の女子から… 拾う神。
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今回は浪人生としての駿台予備校通い。
人生で1番学業に集中できた心地良い時間でした。その後希望の大学に進んで教養学科を学ぶのですが、その時と全く同じ時間でした。この連続性も駿台予備校の授業の素晴らしいところでした。
個々の講師の素敵な処は既にまとめてありますのでこちらをお楽しみ下さい。
大学の教養課程と違うのは…
当時は人気講師の授業は、授業開始直前、空席に他のクラスの生徒が入って来て埋まり、座れなかった生徒は教室の後ろに立ち見が出る程でした。それぐらい必死な世界…
これだけは大学にはなく、当たり前過ぎて意識しなくなっていることなのでしょうが、ゆったりとした落ち着いた時間が流れて居ました。その意味では、当時は留年ってのも特に文系ではポピュラーで、表裏で学部を8年間楽しむ輩(やから)、兵(つわもの)も(笑)
その意味では大学受験浪人もまた数年間楽しむ輩も…
昭和のおおらかさですかね…
学習の進捗としては、2周回遅れの分の1周回分は取り戻せたものの… まぁ中高一貫最難関進学校の方々の高校2年生の出来なんだろうなぁと云う感じ。今はもっとなのかも知れませんが当時は中高一貫の最難関進学校では高校2年生で3年生までの課程を終えて1年間は余裕を持って総仕上げをすると云う建て付けでした。
そして迎えバッターボックス
流石に親に最難関国立大学と最難関私立大学だけではなく、滑り止めで附属高校でお世話になった総合大学の医学部と理工学部は受ける様に促されました。なんか高校時代と同じパターン。(笑)
そして予想通り…
最難関国立大学と最難関私立大学は不合格。母校の医学部と理工学部は合格と云う感じ。(正確には、母校からの問い合わせに対して医学部は任意の寄付金を払わないと親が判断し辞退、理工学部(当時流行りの電子工学科)で充分と云う…
閑話
電子工学は小学校の学研の科学と学習の付録、鉄道模型、誠文堂新光社の子供の科学/初歩のラジオ/無線と実験からのオーディオアンプと云う趣味の流れ
の自然な延長でした。物理学科も有ったのですが大学での研究のレベル的には電子工学科の方が先んじていました。
閑話休題
これで仮面浪人確定でした。
その時に父親に
順当に詰めてきたんだね。医学部受かるって事は希望校にも殆ど入れるレベルになったんだね。
と、ポツリ。
これは忘れられない一言になりました。
つづく
