「もう会わない人なのに、ときどき心の中で会ってしまう」
三年前に辞めた職場の人が、いまだに私の台所で勝手に注意してくる。
実際にいるわけではない。
包丁を使ったあと、水につけたままにしていると、
「それ、柄が傷むよ」
と頭の中で言われる。
吉井さんだ。
私は吉井さんが、あまり好きではなかった。
十年ほど前、小さな生活雑貨店で一緒に働いていた。私より十五歳ほど年上で、商品の置き方から段ボールの畳み方まで、何かと細かかった。
ラッピングのテープが少し斜めなら貼り直す。
値札を剥がした跡が残っていれば、指でこする。
閉店後、床に一本だけ糸くずが落ちていても拾う。
私は心の中で、よく思っていた。
誰もそこまで見てないよ。
たぶん顔にも出ていた。
吉井さんは、それでも私に教え続けた。
「ハサミは刃を閉じて渡して」
「段ボールはテープを残さない」
「お客さんの前で『たぶん』って言わない」
最後のは、かなり嫌だった。
たぶん、くらい言わせてほしい。
世の中の大半は、たぶんでできている。
そんなことを考えながら、私は「はい」と返事をしていた。
退職してから、一度も会っていない。
連絡先も知らない。
住んでいる町すら聞いたことがなかった。
だから、私の人生から吉井さんはきれいに退場したはずだった。
ところが退場した本人より、言葉のほうが残った。
贈り物を包む時、テープを一度で決めようとする。
ハサミを誰かに渡す時、無意識に持ち替える。
旅先の店で店員さんが「たぶん在庫あります」と言うと、私の中の吉井さんが少しだけ顔を上げる。
うるさい。
もう関係ないでしょう。
そう思う。
でも、よく考えると、私は吉井さんのやり方をかなり採用している。
嫌いだった人の癖を、自分の癖として使っている。
これは少し悔しい。
好きだった人からもらったものなら、もっと素直に大事にできる。
昔の友人にもらった本。
恋人にもらった時計。
祖母から教わった料理。
そういうものには「受け継いだ」という、感じのいい言葉が用意されている。
でも、苦手だった人からもらったものには、名前がない。
影響された、と言うと負けた感じがする。
教わった、と言えば、あの頃の自分が急に素直な後輩になる。
実際はそんなに可愛くなかった。
一度、ラッピングをやり直せと言われて、テープを剥がしながら小さく舌打ちしたこともある。
たぶん聞こえていた。
吉井さんは何も言わなかった。
そこだけは、今も少し気になる。
もし今会ったら、謝るだろうか。
たぶん謝らない。
わざわざ十年前の舌打ちを持ち出して、「あの時は未熟でした」と言うのも変だ。向こうは覚えていない可能性が高いし、覚えていたとしても、今さら返却されても困るだろう。
もう会わない人との関係には、後処理ができない。
誤解も、嫌われた印象も、こちらの幼さも、その人の中に最後に置かれた形のままになる。
それが少し落ち着かない。
自分だけがあとから変わったところで、相手の記憶までは更新されない。
吉井さんの中で私は、ハサミを開いたまま渡す、少し感じの悪い後輩のままかもしれない。
まあ、それはそれで仕方がない。
こちらだって、吉井さんを「細かくて面倒な人」のまま長く保存していた。
人の記憶なんて、お互いさまだ。
先日、友人の家で荷物を開けていた時、友人が私にハサミを差し出した。
刃先がこちらを向いていた。
反射的に、
「危ないよ。こっち持って渡したほうがいい」
と言ってから、自分で嫌になった。
言い方まで少し似ていた。
友人は「あ、ごめん」と笑った。
私はハサミを受け取りながら、十年ぶりに吉井さんの顔をかなりはっきり思い出した。
会いたいとは思わなかった。
懐かしくもなかった。
ただ、ああ、まだいるな、と思った。
帰宅して、買ったばかりの保存容器の値札を剥がした。
端に糊が少し残った。
そのままにしようとして、結局、親指でこすった。
今後も、
人間関係の中でふと立ち止まる空気を、少しずつ書いていこうと思います。
この話が少し気になった方へ
📮もし今の悩みを、 少し昔の相談員が読んだら。
📰今週も、 どうでもいいことを真面目に観察していました。
📖人間関係の小さい温度差を観察する話。
🌙生活の途中で、 少し引っかかった景色や気持ちの話。
・自己紹介
どこかで、自分だけだと思っていた気持ちに出会えるかもしれません。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでよかったと思っていただけたら、とても嬉しいです。
いただいた応援は、次の記事を書く励みとして大切に使わせていただきます。
