其ノ六「夫が新しい靴に自己紹介をしています」他四通
皆様、御機嫌如何です。
「時代違いの相談室」では、
少し昔の相談員に、
今の悩みを読んでもらっています。
時代が違えば、
言葉の重さも、
不安の置き方も、
少し変わるようです。
本日は、
「夫が新しい靴に自己紹介をしています」
他四通にお答へ致します。
それでは、開室いたします。
一通目
「嫌われたくなくて、つい何でも引き受けてしまいます」
(ペンネーム)帰り道の信号 23歳 女性 会社員
相談
職場でも友人同士でも、「お願い」と言われると断れません。
予定があっても、「大丈夫」と言ってしまいます。
その場では嫌われずに済んだような気がするのですが、あとから疲れて、時々相手にまで腹が立ちます。
断れない私は、やはり気が弱いのでしょうか。
回答
気が弱い、とだけ申してしまへば話は簡単です。
然し、あなたは少し「好かれる人」であり過ぎようとしてゐるのではありませんか。
頼みを引き受ければ、相手は喜ぶ。
断れば、少しくらゐ残念な顔をするやもしれぬ。
あなたは、その小さな不機嫌を見る代りに、自分の時間を差し出してゐる。
それを毎度「優しさ」と呼ぶのは、聊か美しく言ひ過ぎです。
本当は、嫌はれる可能性を自分で引き受けたくないのでせう。
人付き合ひには、相手の機嫌をこちらで管理出来ぬ時があります。
出来ぬものは出来ぬと申す。
それで離れる者なら、何でも引き受けて繋ぎ止めても、いづれ疲れます。
好かれようとして自分を失ふより、少し嫌はれる覚悟を持つ方が、長い付き合ひには必要であります。
(作家・文士)
やわらか返信室より
頼まれた時には笑って「大丈夫」と言えたのに、帰り道で急に重くなることがあります。
相手に断るより先に、自分の予定を断ってしまっていたことに、あとから気づく日があります。
二通目
「夫が新しい靴に自己紹介をしています」
(ペンネーム)縁側みかん 62歳 女性 主婦
相談
夫は新しい靴を買うと、玄関で必ず、
「今日からよろしく頼むぞ」
と話しかけます。
この前は、新しい傘にも同じことを言っていました。
私は笑って見ていますが、本人は毎回かなり真面目です。
こういう人は昔にもいたのでしょうか。
回答
それはまた、随分律儀な御主人ですこと。
昔にも、鍬や鋏など、長く使ふ道具を粗末に扱はぬ人は大勢をりました。
尤も、新しく買った履物へ最初から挨拶をする方は、それほど多くなかったかもしれません。
けれど、御主人は物そのものより、
「これから一緒に使ふ時間」
へ挨拶してゐるのでせう。
人へ乱暴で、靴にだけ親切なら少々困ります。
さうでないなら、止める理由もありますまい。
今度新しい傘を買はれたら、
「こちらもよろしくお願いします」
と奥様からも御挨拶なさっては如何です。
夫婦には、正す必要のない妙な癖まで、一緒に暮らしてゆく楽しみがあります。
(婦人記者)
やわらか返信室より
新しい靴を初めて履く朝は、いつもの道でも少し足元を気にします。
持ち物が増えただけなのに、「今日から」という感じがするものがあります。
三通目
「人と会った翌日は、誰にも会いたくなくなります」
(ペンネーム)日曜のカーテン 31歳 男性 図書館職員
相談
友人と会うのは好きです。
会っている間も楽しいです。
でも長く人と過ごした翌日は、誰とも話したくなくなります。
誘いが来ても断って、一人で静かにしていたくなります。
人付き合いが嫌いになっているのでしょうか。
回答
嫌ひになった、と急いで結論を出す必要はありません。
人と会ふことにも、案外体力を使ひます。
楽しい相手であっても、話を聞き、答へ、笑ひ、外を歩けば、身体も神経も働いてゐるのです。
翌日に一人で過ごしたくなるなら、先づ休めば宜しい。
食事をし、眠り、静かな時間を取る。
それでまた誰かと話したくなるなら、何の不思議もありません。
毎日同じだけ人と交はれる者ばかりではないのです。
ただし、疲れてゐる時に無理な約束を重ねて、後から人付き合ひそのものを嫌ひにならぬことです。
人との時間と、一人の時間。
どちらも生活に要るものとして配分なさい。
(医師)
やわらか返信室より
楽しかった日の翌日に、部屋の静かさが妙にありがたく感じることがあります。
楽しかったことと、少し疲れたことは、同時にあってもいいようです。
四通目
「父が毎朝、天気予報に返事をしています」
(ペンネーム)朝の湯のみ 35歳 女性 会社員
相談
実家の父は、毎朝テレビの天気予報を見ながら、
「そうか、今日は暑いか」
「雨か、それはいかんな」
と必ず返事をします。
もちろんテレビから返事はありません。
本人は昔から普通にやっています。
止めさせたいわけではありませんが、少し不思議です。
回答
御尊父は天気予報と話してゐるのであって、天気予報から返事を待ってゐるのではありますまい。
人は昔から、空を見て、
「今日は降りさうだ」
「随分暑いな」
などと申して来ました。
今は空を見る前に、あの箱の中から明日の空模様を知らせてくれるのでせう。
ならば、一言返したくなる人がゐても不思議ではありません。
朝に言葉を発することは、一日の始まりへ自分を置くことでもあります。
雨なら雨。
暑ければ暑い。
それを受け取って、さて今日をどう暮らすか。
御尊父にとっては、小さな朝の習慣なのでせう。
返事の要らぬ相手へ話しかけることまで、何でも直す必要はありますまい。
人には、役には立たなくとも、暮らしを整へてくれる癖があります。
(僧侶・宗教家)
やわらか返信室より
テレビに向かって返事をしている家族を見ると、外では絶対にしないだろうなと思うことがあります。
家の中には、その人だけの小さな習慣がいくつもあります。
五通目
「仲直りしたのに、前のようには笑えません」
(ペンネーム)月曜からおひたし 28歳 男性 営業職
相談
友人と大きな喧嘩をしました。
後日きちんと話し合い、お互い謝って仲直りしました。
でも二人で会っても、以前のようには自然に笑えません。
相手も少しぎこちなく見えます。
仲直りしたのだから、元通りになるべきなのでしょうか。
回答
「仲直りしたのだから元通りになるべき」
その前提から間違ってゐます。
謝罪は、過去を消す手続ではありません。
話し合った。
互ひに謝った。
今後も付き合ふことにした。
確認出来るのは、そこまでです。
以前と同じ気持ちに戻ることまで、相手にも自分にも要求することは出来ません。
一度起きた出来事を無かったことにして、昔と同じ笑ひ方まで取り戻したい。
随分都合のよい望みであります。
信頼は、謝罪した瞬間に復元される物ではありません。
その後の態度を見ながら、二人が新しく作り直すものです。
ぎこちないなら、ぎこちないまま付き合ひなさい。
それに耐へられず「早く元通りに」と急がせれば、今度は仲直りそのものが相手への要求になります。
関係を続けたいのなら、昔へ戻ることを諦めることです。
戻るのではない。
ここから先を作るのであります。
(法律家)
やわらか返信室より
仲直りした次の日から、急に昨日までのように話せるとは限りません。
前なら何も考えず送れた一言を、一度読み直すこともあります。
仲直りのあとには、仲直りした人同士にしかない時間が少し続きます。
個人的に思うこと
家族や親しい人の癖は、長く一緒にいると普段はほとんど気になりません。
ところが誰かに説明しようとすると、
「そういえば、ちょっと変わっているな」
と急に気づくことがあります。
毎日の中には、説明しないまま受け入れていることが、案外たくさんあります。
別の相談も届いております。
📖人付き合いの中で、少し気になった言葉の話
📰やわらか返信室が見つけた、小さな人間観察の記録
🌙暮らしの途中で、ふと立ち止まった日の話
📮昔の相談員が、現代の悩みに答える話
・筆者紹介
宜しければ、そちらもお読みください。
思い当たることが、一つくらいあるやもしれません。
閉室前にひとこと
昔と今では、
言葉の形も、
人との距離も、
随分変わったようです。
それでも、
人の妙なところまで含めて付き合ってゆくことは、
昔も今もあるのかもしれません。
それでは、本日はこの辺で。
また次回、開室いたします。
皆様、御機嫌よう。
では失禮致します。
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