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【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<16>【創作大賞2025】

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最終章
2 菜奈視点


「…出てくれてよかった。久しぶり、美花」

 亮太に別れを告げてから、数日後。
 私は、話し口の向こうで美花へとつながっている携帯を、強く握りしめて言った。そして、これから発する言葉の重さを一つずつ確かめるように、ゆっくりと息を吐き出す。
 数秒の、沈黙。やがて返ってきた「久しぶり」という彼女の声は、かすかに、震えていた。

 一ヶ月以上ぶりの彼女の声に、私の中で、『特別』とはまた違う、新しい感情が芽生える。

——愛しい。

 その、胸が締め付けられるような感覚と、多幸感。初めて経験するその感情の奔流に、私は一瞬、思考が止まってしまった。

 しっかりしないと。今、この流れを断ち切ってはいけない。ここで、次に会う約束を取り付けなければ、もう二度と、彼女と話す機会は失われるかもしれない。
 私は、ごくりと喉を鳴らして、覚悟を決める。

「私、美花にどうしても話したいことがある。…大学の近くの、あの喫茶店で、会えるかな」

 電話の向こうで、美花が、小さく息を呑む音が聞こえた。
 お願い。会って、話をさせてほしい。ただ、祈るような気持ちで、彼女の返答を待つ。

 永遠にも感じられた数秒の後、美花は「わかった」と、小さく答えた。


 伝えるべき大切な言葉を、すべて、一息に言い終えた私は、ただ目の前に座る美花を見ていた。

 ——…可愛い。

 くりっとした大きな瞳。綺麗な丸みを帯びた頭の形によく似合う、ショートボブ。しかし、彼女の『可愛い』という魅力は、そういった外見要素だけで構成されているわけではない。
 少し照明を落とした、この落ち着いたカフェの中で、彼女の周りだけスポットライトが当たっているかのように、明るく、華やいで見えた。

 私は、この子をどれほど傷つけてきたのだろう。

 「女の人が好き」だと言った、あの時の表情。私の反応を窺った後の、隠しきれていなかった手の震え。あの時から私は、ずっと間違っていた。今ならそれが、はっきりと分かる。
 だから私の告白——美花のことを特別に思っているという事実を伝えることは、私にとって、今までの後悔も全て含めた、贖罪の気持ちだった。

「………」

 私の言葉を受け取った美花は、ただ、固まっていた。
 その表情には、私の真意を測りかねているような、言葉の意味を理解しかねているような、困惑の色が浮かんでいる。

「美花?おーい。大丈夫?」

 このままでは彼女の思考は停止したままだ。そう思った私は、あえて少し、おどけたような仕草をしてみせる。笑顔を作り、彼女の目の前で、ひらひらと手を振ってみせた。
 美花は我に返ったように、はっと小さく息を呑む。そして今まで会わなかった視線の焦点が、ようやく私の瞳の上で合致した。

「あ、えぇ、うん。…えっと、と、特別?」

 私の言葉がようやく頭に届いたのか、彼女はその単語の意味を確かめるように、小さく繰り返した。
 自分の心臓の鼓動が、やけに大きく耳に響く。その内側の動揺を悟られないように、平静を装うように、私はゆっくりと紅茶に口をつけた。 

「うん、特別。親友とか、そういう既存の枠組みにはもう、収まりきらないくらいに。…それに気づいたのは、美花のこと、散々傷つけた後だったのだけど」

 カップをソーサーにゆっくりと置く。奥歯を噛み締めると、口の中に苦い鉄の味がじわりと広がった。

 初めは、居なくなってしまった亜紀の面影を、美花に重ねていた。
 だが、美花の魅力を知るにつれて、彼女が決して誰かの代わりではないと悟った。
 誰よりも美花といる時こそ、楽しさも、安らぎも、喜びも、全てが何倍にも膨れ上がるのだと、私は知った。

「…美花のことが、他の人と決定的に違うと思ったのは、美花が…絶対に私の味方だと言ってくれた、あの時。完璧を取り繕ってきた私にとって、完璧じゃない私を見ていた美花のあの言葉は…他のどんな言葉よりも、特別だったんだ」

 亮太と付き合い始めたのは、美花のカミングアウトがきっかけだった。
 恋愛における特別さと、美花に対する特別さに、何か違いがあるのだろうか。あるとすれば、その隔たりは一体どこにあるのか。
 その答えを、私は愚かにも、亮太との関係の中に、求めてしまった。

「私にとって、正直…体を重ねることは、そんなに重要ではなかった。ただ、私の中の、亮太への気持ちと美花への気持ちは、明確に違った」
「私は、亮太と時間を過ごしてる時も、いつも…美花のことばかり、考えてたんだ」

 私の言葉に、美花が、かすかに息を呑む。 

 私は最低だと、思う。
 自分の感情の答え合わせのために、亮太の好意を利用し、結果的に彼を深く傷つけ、一方的に関係を終わらせた。
 こうして言語化することで、自分の犯した過ちの輪郭が、よりはっきりと浮かび上がってくる。その罪悪感に、胸が抉られるようだった。

「…亮太も、あなたも、たくさん傷つけた。そんな私が、今から何かを望む資格がないことは、分かってる。分かってる、けど…」

 美花は、言葉を発さない。
 いつの間にか、私の視線は、テーブルの上の冷え切った紅茶のカップへと落ちていた。

 
 さっきの、美花からの「おめでとう」という言葉。あれを聞くまで私は、美花は私に恋愛感情を抱いているのだと、思っていた。
 でも、違ったのかもしれない。私に向けられていたその好意は、あくまで友情の範囲内のものだったのかもしれない。その可能性が、急に現実味を帯びて、私の胸を冷たくしていく。

 …それでも。
 その可能性がどうであれ、私は、伝えると決めたのだ。
 そのために私は、ここに来たのだから。

「…私は、美花のことを、本当に特別に、大切に思っている」
「だから…美花の一番近くに、誰よりも側に、ただ——一緒に、居たいんだ」

 全てを言い終えた私は、美花の反応が怖くて、ぎゅっと目を瞑った。心臓が激しく暴れ、指先の震えが、自分でも抑えられない。

 『好き』や『恋愛』の明確な定義。結局、今の私にも、それはわからないままだ。
 けれど、もう、どうでもよかった。どんなカテゴリーに分類されようが、それは私にとって大切な部分ではなかった。
 誰よりも、あなたの隣に居たい。
 私の、この揺るぎない願いこそが、全ての答えなのだと、やっと分かった。

 ゆっくりと目を開ける。視界に映ったのは、真っ白になるほど、強く握りしめられた、自分の拳だった。
 その滑稽なほどの力み具合に、ふっと笑いが漏れる。今まで恋愛を繰り返し、特別を探してきたけれど、こんなにも緊張した瞬間があっただろうか。

「…な、菜奈」

 美花の、小さく震える声が、微かに耳に届く。
 けれど、私はまだ、顔をあげられなかった。俯いたまま、美花の次の言葉を待つ。
 その俯いた視界の端で、テーブルの上の彼女の指先が、ためらうようにこちらの伸びて——さっと引っ込んだのが見えた、気がした。

 ——わずかな間の、空白。それを破ったのは、今にも泣き出してしまいそうなほどか細い、美花の声だった。

「…ごめん、なさい………」

 その謝罪の言葉は、私の思考回路を、完全に断ち切った。
 俯いたまま、全身の筋肉が、意思とは無関係に、石のように硬直していくのが分かる。
 美花の啜り泣く声だけが、私の周りに響いている。

 何か、言わなければ。
 喉の奥に、塊のようなものが詰まって、声が出ない。それでも、私は頭の中で懸命に、次に彼女に紡ぐべき言葉を探し続けていた。
 



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