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ステージを降りたら、そこに夫がいた。 | 家族の部屋

「あの時、ドタキャンしたよね」

ビーチフェスの熱気の中、演奏を終えてステージを降りた瞬間、

一人の男性が話しかけてきました。

「素敵な演奏だったよ。あの時、マッチングアプリでドタキャンしたよね」

笑いながら。

それが私たちの出会いでした。


キャリアだけを見ていた20代。

29歳の時、日本の大手証券会社のグローバルマーケット部門で働いていました。

外資との合弁で、本当に多彩な人たちが集まっている職場でした。

でも5歳・10歳上の先輩たちを見た時、

このまま続けていきたいかと問われると、どこか引っかかるものがありました。

30歳になる前には絶対に海外に出る。

その目標だけは決まっていた。

東南アジアを一通り回って、ベトナムに行くと決めました。

経済発展の途上で、まだ物価も高くない。

私でも挑戦できると思ったから。

在籍していた会社に相談しましたが、当時海外の席はいっぱいで。

ベトナムのコンサル会社に応募して、移住しました。

当時付き合っていた彼が、着いてきてくれました。


7年付き合って、別れた。

彼はとても協力的で、理解があって、

私にはないものをたくさん持っていた人でした。

だからあのフェーズの私には必要な人だったと思っています。

ただ、7年一緒にいても、結婚や子どもを真剣に考えられなかった。

当時の私には、まだその準備ができていなかった。

それだけのことです。

だから、ばっさり別れました。


会社を売って、セミリタイアした。

別れた後、独身生活と会社経営を思い切り謳歌しました。

稼いで、投資して、

「時間と場所に縛られず、やりたいことをやりたい時にやりたい人とだけやる」

という生き方を目指して、ずっと動いてきた。

コロナ直前、業績が安定していた会社を売りました。

セミリタイアの準備が整ったと思ったから。

そして日本に一時帰国しました。

その時、11歳の甥っ子に言われました。

「ねえ、孤独死するの?将来」

笑えなかった。核心を突かれた気がしました。

お金も仕事も自由もある。

でも、このまま海外で60歳、70歳を一人で迎えるのか。

そう真剣に向き合った時、

やっぱり人生のパートナーと家族を作りたいと思いました。

やっぱりベトナムに戻ろう。

戻る理由が欲しくて、スタートアップに再就職して、

ホーチミンに帰ってきました。


婚活を、他人にアウトソースしていた。

戻ってきてから、真剣に婚活を始めました。

ただし私らしく、効率的に。

プロフィールと返信テンプレを知人に渡して、

マッチングアプリのアカウントとGoogleカレンダーごと委託して、

アポだけ取ってもらうスタイルで。

デートでも仕事の癖が抜けず、ついつい面接みたいになっていましたが。

だから、ドタキャンと言われても全然記憶になかったんです。

再就職から1年後、

ホーチミンのスカバンドでトランペットを吹いていた私は、

ベトナム中部で開催された音楽フェスに招待されて演奏していました。

そのステージを降りた瞬間、冒頭の場面につながります。


フランスから日本まで自転車で旅した男。

正直、最初は全然タイプじゃなかった。

フェスで楽しそうにしているような人は、

私の世界とは遠い存在でした。

どちらかというとホームパーティー派の私には、

ビーチフェスで弾けている人たちは眩しすぎた。

でも話してみると、止まらなかった。

私が話す言語より彼の方が多かった。

私が行ったことのない国に住んでいた。

やったことのない仕事を、斜め上の角度でやっていた。

私が聖書を読んだことがあると言ったら、

彼はヘブライ語でコーランも読んだことがあると返してきた。

そして、フランスから日本まで1年半かけて自転車で旅したことがある、と。

今まで出会ったことのない人間でした。

自分が求めていたものが、全部そこにあった。


2回目のデートで、全部話した。

2回目のデートで、隠すことなく全部話しました。

家族観、人生観、これからどう生きたいか。

付き合うなら何をめざしているか。

彼も同じように話してくれました。

違うところも、合わせなければいけないところも、たくさんありました。

それでも「この人以上の人と出会うことは絶対にない」と心から思えた。

神様からの贈り物だと思いました。

だから、出会って3ヶ月で同棲して、

10ヶ月目に妊活をして、その月に子どもを授かるスピード感ですが、

どんな辛い時も彼と結婚したことを疑ったことはありません。

2023年の出会いから、今、ダナンで3人で暮らしています。

実は、まだ新婚です。


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お読みいただきありがとうございます。

「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」

そう信じながら、等身大のまま書いています。

諦める前に、もう一回だけ試してほしい。

そのための実験を、私自身が続けています。

どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。

スキやコメント、とても励みになります。

フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。

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【この記事を書いた人】まなラボ

音楽フェスのステージを降りた瞬間に、フランス人の夫と出会いました。
自転車旅行の途中で家族になって、今はダナンで、3人で暮らしています。

国際結婚も、多文化の子育ても、うまくいく日ばかりじゃない。
産後には、家族がバラバラになりかけた時期もありました。

それでも、ぶつかって、話して、笑って。
何もない日常の中にある、小さな幸せを、ひとつずつ数えながら生きています。

完璧な妻でも、母でもないけれど。
この家族でよかったと、毎日思えるように。

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