私たちが夫婦喧嘩を爆発させるまでの話。そして今。|家族の部屋
一番ひどい喧嘩の夜、私は「離婚しよう」と言いました。
夫が嫌いだったからじゃない。
こんなに大好きな人を、これ以上傷つけるなら、
別れた方がいいと思っていただけでした。
一番幸せにしてあげたいと思っていた人を。
全然幸せにできていない毎日が辛くて。
喧嘩の構造が、そもそも噛み合っていなかった。
産後うつになる前から、喧嘩のたびに変だなと思っていました。
夫は今起きていることに対して不満を伝えてくる。
でも私は、今起きたことを起点に、
過去に積み重なったストレスや不満を全部ぶつけていた。
目の前の出来事に、過去の全部が乗っかってくる。
だから喧嘩が終わらなかった。
お互いに、全然違うものと戦っていた。
なぜそうなったのか。
出会って3ヶ月で同棲、10ヶ月で妊娠、そのまま家族になった。
人生観やコンセプトは話し合ってきた。
「家庭を持ちたい」「次の世代に何かを残したい」
そのコアな部分は、出会った時からお互いに一致していた。
でも実務レベルの擦り合わせは、
スピード婚・スピード妊娠でそのまま飛ばしてきてしまっていた。
子どもが生まれてからも、役割分担もストラクチャーもないまま一緒にいることで、
一緒にいること自体がストレスになっていく瞬間が少しずつ増えていきました。
追い打ちをかけた、怒涛の変化。
子どもが生まれてまだ0歳の頃、
荷物を全部ホーチミンの貸し倉庫に預けて、
日本に1ヶ月、フランスに2ヶ月滞在して、
それぞれの家族への挨拶回りをしました。
1週間ごとに住む宿が変わるような生活が、
新生児を抱えながら続きました。
ダナンへの引っ越しも重なって、
子どもの幼稚園も決まって、夫の新しい仕事も始まった。
前に前に進んでいく中で、
仕組みもストラクチャーも作らないまま、
私自身が変化についていけなくなっていきました。
夫は前に引っ張る力がとても強い人です。
でも私自身も、新婚で、初めての子育てで、
自分が何に困っているのか、
何をしてほしいのかを、ちゃんと言語化して伝えられていなかった。
夫が悪いだけじゃない。
それが積み重なって、産後うつと夫婦喧嘩の爆発につながったのだと思っています。
初めてのぶつかり合いは、大阪だった。
今まで大きな喧嘩をしたことがなかった私たち。
初めてのぶつかり合いは、息子が生まれて初めて3人で大阪の私の実家に帰省した時でした。
私にとっては初めての子どものお披露目であり、
夫と実家の家族との顔合わせ。
でも夫の心のどこかには、別のことがあった。
義父のがんの宣告を受けた直後のタイミングでもあったから。
二人とも、それぞれに必死だった。
2回目のぶつかり合いも、大阪でした。
ダナンに移住した去年のこと。
大阪に帰る直前、息子が高熱を出して、痙攣で大変なことになって。
心配で心配で、ひとときでも息子の隣から離れるのが怖くて、
私は一歩も家から出なくなっていきました。
その後、夫の海外出張が続いて。
台風が続く雨季のダナンで、息子と2人で10日間過ごしました。
疲れ切った体と不安だらけの毎日から逃げ出すみたいに、
深夜便でワンオペで大阪に帰った。
夫は海外出張から直接大阪にジョインして。
再会したその日、母親の前で喧嘩を始めてしまいました。
一冊の本が、きっかけをくれた。
大阪から戻る飛行機の中で、一冊の本を読みました。
スカバンドの仲間でもあるPizza 4P'sオーナー・益子陽介さんの本で、
『PIZZA FOR PEACE 世界で愛されるピザレストランPizza 4P'sの軌跡』。
ちょうど本を出版したばかりで、プレゼントといって、大阪の実家に1冊送ってくれていたのを大阪からダナンに変える飛行機の中で読みました。
その中に、毎日奥さんの好きなところを綴って贈り続けたというエピソードがありました。
それが心に刺さって。
今のままじゃダメだとわかっていた。
でも、どんどん押し寄せてくる日常とイベントを前に、
何をどうしていいかわからなかった。
だから翌年1月、とりあえず、というすがるような思いで、
毎日、夫に恋する生活を、という日記を書き始めました。
手探りのまま。
それでも、書き続けたのは、言い争いが続いて、崩れていく日常の中で、
夫に恋する気持ちを無意識的に諦めたくなかったからなんだと思います。
そして5月、大爆発した。
今年に入って、夫の転職、急な家の追い出し、
ハイシーズンで想像を超えるほど難航した新居探し、
大家さんとの通じない不毛なやりとり、子どもの急な転園。
私自身の仕事への本格的な復活。
崩れていく中で走ったフエ市のハーフマラソンの完走。
何もかもが積み重なっていた、ある週末のこと。
夫の友人がちょうど家に泊まりに来ていました。
ホーチミンから来た大切な友人で、
ある朝、ゆっくり寝かせてあげたいとおもって、
一人で早起きした息子を連れて公園にいきました。
その帰り道で、私の電動バイクのタイヤがパンクしてしまって。
どうしようもないから家に戻って、子どもを夫に預けて、
暑い日差しの中、1キロ半先まで一人で歩いて修理に行きました。
その帰り道。
何もかもがやるせなくなった。
家について、隣の部屋に夫の友人がいることも無視で、大声で泣きながらキレた。
自分でも何が言いたいのか、何がつらいのか、
言葉が言葉にならないまま。
なぜこんなにつらいのに、わかってくれないんだろう。
こんなにボロボロなのに。
ずっと家族(WE)が主語で生きてきて、
自分の意思や気持ち、希望はとっくの昔に置き去りにしてきた。
もう差し出すものが何もないのに、
なぜこの人はいつも自分(I)をぶつけてくるんだろう、というこみあげてくる怒りと。
何もかもがもう意味がないと思った時、
一番大好きで、一番幸せにしたいと思っていた人と
言い争いを続けることに、何の意味があるんだろうと。
隣の部屋にいる友人にも聞こえるような声で怒鳴りまくった後に、
「離婚した方がいい」と言って、寝室に逃げました。
寝室に入ってから、涙が止まらなかった。
それでも、諦めずに横にいてくれた。
そのあとも実は2週間連続で彼の友達の訪問が決まっていたんだけど。
しかも、1組はただの観光じゃなくて、
フランスに本帰国する前の最後の週末だからと、
彼に会いにわざわざダナンに来てくれていた。
夫が友人のことやいろんなことを一旦全て置いて、
「ストップ」と言って、こちらに全力で向いてくれるまで、
私は自分の部屋で毎日廃人みたいになってただ泣き続けました。
それから夫は、諦めずにずっといてくれた。
機能していない私の横で、ただそこにいてくれた。
その安心感と信頼感が、
仕組みとかやり方とか、そういう話の前に、
夫婦としての結束は疑いがないものだったんだという確信を、
私に持たせてくれました。
今、私たちはどこにいるか。
全部が全部解決したわけじゃないし、
全部が調整できているわけでもない。
でも方向性は向き合えた。
落ちるところまで落ちたことが、
今後の家族の自信になっていくと思っています。
負担をかけた分、次はちゃんと返していきたい。
それが今の、正直な気持ちです。
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お読みいただきありがとうございます。
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
そう信じながら、等身大のまま書いています。
諦める前に、もう一回だけ試してほしい。
そのための実験を、私自身が続けています。
どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。
スキやコメント、とても励みになります。
フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。
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【この記事を書いた人】まなラボ
音楽フェスのステージを降りた瞬間に、フランス人の夫と出会いました。
自転車旅行の途中で家族になって、今はダナンで、3人で暮らしています。
国際結婚も、多文化の子育ても、うまくいく日ばかりじゃない。
産後には、家族がバラバラになりかけた時期もありました。
それでも、ぶつかって、話して、笑って。
何もない日常の中にある、小さな幸せを、ひとつずつ数えながら生きています。
完璧な妻でも、母でもないけれど。
この家族でよかったと、毎日思えるように。
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