バラバラだった自分が、つながり始めた。「何者かにならなくていい」のほんとうの意味。|産後うつからの回復記録④|私自身の部屋
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
これが、まなラボのコンセプトです。
でも正直に言うと、このコンセプトにたどり着くまで、
「何者かになれない自分」に悩んでいたんじゃなかった。
自分が何者なのか、わからなくなっていた。
それに気づくまでに、40年かかりました。
そして気づいたのは、産後うつで心身ともにギリギリのところにたどり着いた時でした。
追い詰められて初めて、ちゃんと向き合うことになった。
バラバラだった、私の断片たち。
日本人社会で従業員として仕事をしている自分。
飲み会やスカバンドでぷらぷらしている自分。
大阪に帰国した時の、20年前のままの自分。
外国人の友人とパーティーをしている自分。
スポーツや趣味に燃えている自分。
MBAを取ったり、ヨガのインストラクターを勉強したり、
自分への自信のなさと不安から、気が狂ったみたいに勉強をし続ける自分。
コンサルタントとして数百人の前でセミナーに登壇している自分。
経営者をやっていた自分。投資家の自分。
そして2024年に、新しく始まった母としての自分。
言葉が変われば、キャラクターも変わる。
何をやっているのか正体がわからない自分、つながらない自分。
その断片たちは、一度もひとつにつながっていなかった。
でも実は、そのバラバラさが、好きだったんだと思います。
外国人の友達といる時は、日本人らしさを全力で手放せた。
ちょっとルーズで、いい加減で、過激なクレイジーなアジア人でいられた。
日本人の社会にいる時は、日本らしさを持ちながらも
オープンでダイレクトなところが強みになったりもした。
めんどうな利害関係を気にせず、
その時いる、その場所の自分をいつも全力で楽しめていた。
バラバラの自分が、縛られない感じがして好きだった。
そこに長い間、気づいていなかった。
そもそも、そういう戦略だった。
社会人をスタートした時、私は決めていたことがありました。
大卒・新卒で入った同期や先輩には、普通にやっていたら勝てない。
だから、一つのことを掘り下げるんじゃなくて、
誰よりも幅広い経験をたくさん積んで、
時間をかけながら、全部を同時に繋げながら掘り下げていってやる。
掛け算で勝負しよう、と。
英語だけを話せる人はいる。だから、フランス語とスペイン語もやろう。
管理職に強い人はいる。だから、現場も経営もわかる人になろう。
走るだけの人がいる。だから、ヨガもサルサもボクシングもやろう。
慶應を出ている人はたくさんいる。
なら、アメリカでMBAを取って、プログラミングも勉強して、
ヨガもマッサージも添乗員も証券外務員の資格も取ろう、と。
幅をどんどん広げてきたのは、関心からくるものと、
不安からくるものとが入り混じりながらでした。
いろんなことを単体で考えるんじゃなくて、
全部を繋げて一気に効率よくできる仕組みづくりが得意で、
それが人とは違う差別化要素になればいいと思って生きてきた。
でもそれは、何もなかった。
不安と自信のなさの現れでもあった。
19歳でスタートした時、何も持っていなかったから。
同期より出遅れてスタートしたから。
弱みを強みに変える、私なりの人生の戦略だった。
でも気がついたら。
MBAを取った私と、トランペットを吹いている私と、
夫や友人との日本語じゃない環境で生活している私が、
全然結びつかなくなっていた。
そして、それは単なる差別化要素じゃなくて、
私自身の生き方であり、人格になっていたことに、
私自身も気づいていなかった。
だから、周りから見ても、自分の中でも、何者なのかわからなくなっていた。
結婚して、出産して、走り続けた。
ちょうどセミリタイアしたタイミングで夫と出会って、
この人と生きていきたいという想いが強くて、
私よりもっと濃い生き方をしてきた夫と一緒に生活を始めるには、
お互いが尖った部分を調整し合う必要があった。
でもそれを私は、整えるんじゃなくて、
頼まれてもいないのに、手放すという形でやってきたんだと思います。
私はもともとAvoider(回避型)なので。
摩擦や衝突を避けるために、自分を削る方を選んでしまう。
そのままありがたいことに出産して、慣れない子育てが始まった。
一時期は、絵本を作ったり、毎日のレシピを考えたりに、持っているリソースを全力投下していた。今思えば、本当に迷走していた。
でも、それが自分には全然合っていないことに気づかないまま、走り続けていた。
家事も育児もまともにできない自分を目の前に、
さらに自信を、自分自身をすり減らして。
そのストレスを、うまくいかないのはあなたのせいだって、
夫に全部向けてしまっていた。
うつになったのは、夫婦のせいでも、子育てのせいでもなかった。
うつの底辺にいた時、夫婦のこと、子育てのことが原因だと思っていた。
でも、違った。
フランス滞在中に、心も体も元気になってきた時に、初めてわかった。
根本的な原因は、バラバラだった自分の断片を、
一度もひとつにつなごうとしてこなかったことだった。
問題は夫婦の間にあるんじゃない、と。
今まではどうやって家事を回すか、
いい母・いい妻であるかという、問題の一部だけをなんとかしようとしていた。
だから、夫がどんなに協力的でも、何かがいつもずれ始めていたんだと思う。
そして問題が明確にわかれば、
私はお得意の「どうやって解決するか」に向かえる。
夫が初めて、私の仕事を見た夜。
そのころ、夫の友人夫婦がダナンでお店を出すことになって、
事業の相談を受けました。
市場調査から事業モデル、戦略まで、英語とフランス語でまとめた。
それをそのまま夫に見せることにした。
結婚して3年半。
実は、出会った時には既にセミリタイアすることを夫に話していた。
でも私の中でのセミリタイアの意味や、
今までどんな働き方をしてきたのかは、説明していなかった。
日本語でやっている仕事だから、説明しても業界が違いすぎて伝わらなかった。
なんとなく、夫をがっかりさせるのが嫌で、
子育てにもまだ慣れていないのに、
仕事が私にとってはライフワークで。復活したくてしたくて仕方ないと、ちゃんと言えないでいた。
だから去年、業務委託で仕事をスタートした時は、
夫に隠しながら、言い訳をしながらやっていた。
母親や妻以外の役割がある時間を少しでも持ちたい、とだけ伝えて。
でもフランスから戻ってきてから、初めて夫に自分のやっていることを実際に見せた。
妻・母以外の自分。
結婚する前から持っていた夢やゴール。
セミリタイアを目指していた理由。
そういうことも含めて、ちゃんと話せた。
夫はもちろん応援してくれて。
「あ、自分がちゃんと話せていなかっただけなんだ」と気づいた。
話せない環境がなかったんじゃなくて、
結婚前に夫が描いていた私のイメージと実態が違って、
嫌われたらどうしようって、
ただ自分に自信がなかっただけだった。
実は夫に、手紙を書いた。
その前後に、夫に長いメールを書きました。
うまくいかなかったらどうしよう。
批判されるかもしれない。
言っても理解してもらえないかもしれない。
そう自分の中にあった不安を、全部書いた。
彼に頼まれたわけでもないのに、自分を消して、夫が喜ぶ方を選んできた。
でもそれが続いた時に、自分が自分でなくなっていく。
その結果が、6月の廃人みたいになって、
食べることも寝ることも外に出ることも、そして話すことも手放して、
ボロボロになっていた原因だったと。
夫はちゃんと受け取ってくれた。
そして、心から応援するよと。
そういう信念を持って生きている姿を尊敬しているよ。出会った時からずっと。
妻として、母として、そして人として、という言葉を添えてくれた。
がっかりさせたらどうしようと、
夫の中の私の像を勝手に作って、自分を苦しめていたのは、夫じゃない。
ちゃんと向き合わなかったのも、言葉にしてこなかったのも、自分だったんだと、
そこでも気づいた。
書くことで、つながり始めた。
今、まなラボでの執筆を通して、
自分自身の考えを言語化していくことで、
初めて夫に、家族に、そして周囲に本音を話せるようになり始めました。
自分でも無意識のうちに、書くことが、バラバラだった断片をつなぐ作業だったんだと気づいた。
「何者かにならなくていい」というのは、
何もしなくていいということじゃない。
バラバラでいい、つながっていなくていい、ということでもない。
全部の自分を、一度ちゃんと集めて、ひとつの軸でつなぎ直す。
その作業をしながら、まなラボを続けています。
まだ途中です。
でも、断片がつながり始めた感覚は、
今まで経験したことのないものでした。
だから、産後鬱からの回復というよりか、
新しいフェーズにはいった自分自身の再誕という感じです。
大きな目標はある。でも一人じゃできない。
今、私自身が、どこに向かっているのかというと。
大きな大きな夢と目標はある。
でもその目標にたどり着くには、一人ではできない。
理解も、協力も、共感も必要。
だから今、こうして、自分にも、家族にも、社会にも本音を発することを続けています。
私の大きな目標を達成するには、
家族が、友人が、仕事の仲間が、そして社会が元気になってくれないと実現できないことだから。
それをただ待っているのは私らしくないので、
いつもの一石三鳥・四鳥になるような形で。
うつからの回復も、私の夢も、
そしてこれから夢に向かって走り出す人たちの勇気や希望にもなればと思い、
エッセイという形で今の自分でできることから、
毎日感じたこと、気づいたことを書いています。
全部がちゃんと同じ足並みで、同じ方向を向いて進むように。
バラバラになった自分を拾い集めながら。
次の産後うつからの回復記録シリーズでは
自分自身の経験、そして、色んなご家庭のことをヒアリングして、
実際に生活を立て直すために作った
ツールや仕組みを、汎用版でお渡しできたらなと思っています。
一人で抱えないでほしい。
やる前から諦めないでほしい。
それが、今の私が前進する力の源です。
追伸:
プライベートで繋がっているリアルの知り合いの方々から、
コーチ事業や個人コンサルについてのお問い合わせをいただいていますが、現在は慣れない子育てに奮闘中のため、お仕事としてはお受けしていません。ただ、個人的に悩んでいてどうしようもないということがあれば、DMいただければできることであれば対応させていただきます。
一人で抱えないでほしい。
📚 産後うつからの回復記録、続けて読む
▼ 第1話|産後うつだと気づいたのは、5月のことだった。 読む
▼ 第2話|私たちが夫婦喧嘩を爆発させるまでの話。そして今。 読む
▼ 第3話|偽物の大丈夫が、爆発を作っていた。 読む
▼ 第5話|崩れた日常を、仕組みで立て直した。ツール配布あり。(近日公開)
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お読みいただきありがとうございます。
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
そう信じながら、等身大のまま書いています。
諦める前に、もう一回だけ試してほしい。
そのための実験を、私自身が続けています。
どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。
スキやコメント、とても励みになります。
フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。
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【この記事を書いた人】まなラボ
音大中退、貯金ゼロ、高卒からスタートして、気づいたら4言語・5カ国居住・約40カ国を旅していました。
ベトナムで会社を立ち上げて売って、産後うつになって、消えそうになって。それでも今、ダナンで息子とフランス人の夫と、日々の身の回りの幸せを大切にしながら、笑って生きています。
「こんな道もあるんだ」と思ってもらえたら十分です。
挑戦する前から、諦めないでほしい。
失敗を、恐れないでほしい。
諦めるまでは、失敗じゃないから。
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