見出し画像

崩れない人生は諦めた。だから思想を作り直した。|私自身の部屋

崩れない人生を目指すのをやめた日、初めて息ができた気がした。

それまでの私は、ずっと崩れないように生きてきた。

崩れそうになるたびに、歯を食いしばって立ち上がってきた。

それが強さだと思っていた。

でも40歳を目の前にして、産後うつの底で動けなくなった時、

初めて気づいた。

崩れない人生を目指すことそのものが、

私を苦しめていたのかもしれない、と。


19歳の冬、父が死んだ。

突然でした。

「ありがとう」も「ごめんね」も言えなかった。

成人してからの姿を、何一つ見せることができなかった。

父は口数の少ない人でした。

大阪の下町で小さな町工場を営む、職人気質の人。

感情を言葉にするタイプじゃなかった。

でもその背中は、いつも何かを語っていた。

父が亡くなった後に残ったのは、

学位も、貯金も、計画も何もない19歳の私だけでした。

あったのはパスポート一枚。

それだけ持って、気づいたら海外にいました。

逃げたわけじゃなかった。

でも正直に言うと、あの時の私には「前に進む」という選択肢しか残っていなかった。

日本にいたら、このまま消えてしまいそうだったから。

これが私の最初の「崩れ」でした。

そして19歳の私が決めたことは、シンプルでした。

二度と、何も言えないまま大切な人を失わない。

そして、自分で人生を生き抜く強さと知識を身につける。

その後悔と自分への自信のなさだけが、私をずっと動かし続けてきました。


20代:サバイバルで、強くなった。そして、傷つけてきた。

それからの20代は、崩れることの連続でした。

カナダのモントリオールで、英語の電子辞書を持ってフランス語圏に降り立った。

言語も、お金も、コネも、学歴も何もない状態で、とにかく働いた。

ツアーガイドをして、居酒屋で働いて、

難民向けのフランス語学校に通って、少しずつ言葉を覚えていった。

日本に帰ってきてからも、リーマンショックで職場のフロアが

一斉解雇になる場面を目の当たりにした。

学位がないまま社会に出て、セクハラで会社を辞めて、

ブラック企業で終電まで働いた。

そして、7年間付き合った恋人の裏切り。

メキシコに留学して、そのまま中南米を半年間一人でバックパックした。

コロンビアでは、山の上でバスの運転手と喧嘩になって、

4,000メートルの山の道中でカバンごと放り出されたこともある。

カンクンでは、状況もよくわからないまま、

海の沖でジンベイザメと泳がされたこともある。

その度に、交渉する力、順応する力、相手の立場を知る力、

利害関係を一致させる力が、少しずつ身についていった。

どの国でも、どんな環境でも、生きていける力。

それが20代で手に入れた、私の最大の資産でした。

でも同時に、たくさんの人を傷つけてきました。

頑固でまっすぐすぎるところ、べき論が強すぎるところ。

正しくあることを追いかけることで頭がいっぱいで、

自分の価値観や正論をまっすぐ周りにぶつけすぎた。

友達も、家族も、仕事の人も、たくさん傷つけた。

失ってきた関係も、数えきれないくらいある。


30代:体力と気合いで、全部同時にやった。

30代に入ってから、ギアが上がりました。

仕事は常に3〜4つ同時に動かしていた。

ベトナムに移住して、コンサル会社に入って、

自分の会社を立ち上げてセミリタイアまで辿り着いて。

社会人をしながら慶應の経済学部を卒業して、

コロナ禍のロックダウンの中にオンラインで始めたMBAを産後すぐに取った。

プライベートも、全力でやりきった。

トレイルランニングを始めて、42kmのレースを何度か完走した。

アンナプルナサーキットで標高5,400メートルまで登った。

サルサのパフォーマンス、ロッククライミング、ポールダンス、キックボクシング。

10年ぶりにトランペットを再開して、スカバンドでステージにも立った。

68kgあった体重を、20kg以上落とした。

やりたいことを、やったことがないことは全部やった。

でも、不思議なことがありました。

充実しているはずなのに、その反対側に空虚感が生まれ始めた。

自分のためだけの人生を、いつまで続けるんだろう。

誰かのために、何かを残せているんだろうか。

そう感じ始めた頃に、今の夫と出会いました。

ベトナムのムイネーで開かれた音楽フェスで、

ステージを降りた瞬間に声をかけてきた人。

生き方も、バックグラウンドも、国籍も全然違う。

でも生きる本質の部分で、「この人と一緒になりたい」とすぐわかった。

家庭を持ちたい。次の世代に、今まで社会にいただいたものをお返ししていきたい。

夫も同じことを考えていた。

出会って3ヶ月で同棲、10ヶ月で妊活、その月に妊娠。

2024年に帝王切開で息子が生まれた。

この人といれば、無敵だと思っていた。


産後うつの底で、根性論の限界を知った。

だけど実際は全然ちがった。

2025年の春、私は本当にギリギリのところにいました。

産後うつというのは、じわじわくる。

ある日突然倒れるんじゃなくて、

少しずつ、自分が自分じゃなくなっていく感覚でした。

工事の騒音、慢性的な寝不足、慣れない育児、引越し。

それらが重なって、

「頭がおかしくなりそうなくらい眠たいのに眠れない」

という状態になった時期がありました。

体重と体力と筋力が激減した。

食べられない、眠れない、動けない。

大好きな夫ともたくさんぶつかり合った。

息子を抱きながら、「私はいったい何をしているんだろう」と何度も思った。

肩書きも、実績も、全部剥がれたところに残ったのは、

ただ途方に暮れている自分だけでした。

コロンビアの山の上でカバンごと投げ捨てられても動じなかった私が、

自分の家の中で動けなくなっていた。

その時、初めて気づきました。

体力と気合いには、限界がある。

時間にも、体力にも、精神力にも、リソースには限りがある。

20代の根性論も、30代の体力も、無限じゃなかった。

今まで「崩れたら立ち上がればいい」と思ってきた。

でも、立ち上がる体力すらない状態になったら、どうするのか。

その問いが、私の思想を根本から変えることになりました。


漠然とした不安の正体を、分解した。

うつの底にいた頃、将来に対して漠然とした不安がありました。

何かあったら、どうしよう。

自分に何かあったら家族は、どうなるんだろう。

でもその「何か」の正体が、全然わからなかった。

わからない相手に、怖がり続けていた。

ある時、仕事と同じように考えてみようと思いました。

仕事なら、問題が起きた時にまずやることは分解です。

何が起きているのか。原因は何か。影響範囲はどこまでか。

対処法は何か。タイムラインはどうか。

漠然とした不安も、同じように分解できるはずだと気づきました。

まず、自分の基準と水準を整理しました。

最低限、どういう状態であれば生きていけるのか。

今の生活水準を保つために、何が必要なのか。

次に、今自分が持っているものを棚卸ししました。

4言語を話せる。5カ国以上に住んだ経験がある。

MBAと証券外務員の資格がある。

海外進出コンサルのスキルがある。

投資の知識と実績がある。

ダナンなら月30万円で家族3人豊かに暮らせる。

どの国でも、どんな環境でも生きていける力が、20代に身についている。

何かあっても、なんとかなる蓄えとバックアップと自分の力が、すでにあった。

漠然とした相手の正体がわかった瞬間、怖さが変わりました。

対処できない何かじゃなくて、

対処の仕方と順番を考えればいい何かに変わった。


自分が主役から、降りた。

この過程で、私は一つのことを諦めました。

崩れない人生を作ること。

20代の私は、崩れないように強くなろうとしていた。

30代の私は、崩れても根性で立ち上がろうとしていた。

でも本当は、人生は崩れるものです。

外部要因は変えられない。

父の死も、リーマンショックも、産後うつも、誰も予測できなかった。

どれだけ強くなっても、どれだけ備えても、想定外はまた必ず来る。

崩れない人生を目指すのをやめた瞬間、何かが軽くなりました。

でもそれより深いところで、もっと大きな気づきがありました。

うつの底にいた時、初めて向き合った問いがあります。

私に何かあった時、夫は大丈夫なのか。

まだ小さい息子は、どうなるのか。

80歳近くになるお母さんを、誰が支えるのか。

コンサルタントとして、いくつもの会社さんの支援に関与させてもらってきた。

経営者の隣に座って、事業の仕組みを一緒に作ってきた。

なのに、自分の家族のことを、どうやったら守れるのかに、

ちゃんと向き合ってこなかった。

その矛盾に、初めて気づきました。

19歳から40歳近くまで、私の人生はずっと自分が主役でした。

でも産後うつの底で、初めてその主役の座から降りた気がしました。

家族が主役になった。息子が主役になった。社会が主役になった。

その問いが、私を仕組み作りへと動かしました。

崩れない人生を諦めた瞬間と、自分が主役から降りた瞬間が、ほぼ同時にきた。

楽になった、という感覚と、覚悟が決まったという感覚が、同時にきました。


新しい思想の、3つの軸。

崩れない人生を諦めてから、私の思想は3つの軸で動くようになりました。

軸①:崩れることを前提にする

何かあった時に慌てるのではなく、何かあることを前提として設計する。

避けるんじゃなくて、来ることを受け入れて準備する。

そうすると、不安の正体が「わからない何か」から「対処できる何か」に変わる。

軸②:仕組みで回す

根性と体力には限界がある。

だから自分がいなくても、調子が悪い時も、崩れている時も、

動き続ける仕組みを作る。

まなラボを始めたのも、コンサルの形を変えたのも、全部この発想から来ています。

軸③:次の世代に渡す

息子が生まれてから、初めて「先」を真剣に考えるようになりました。

確かに渡せるものがある。

崩れることを恐れない強さ。崩れた時に戻れる力。

そして、崩れながらも前に進んでいく背中。

私がそれを体で証明してきたから、言葉じゃなくて背中で見せていきたい。


まなラボは、その実験の記録。

2026年6月、私はまなラボを始めました。

産後うつの底から、少しずつ回復しながら。

夫婦の関係を作り直しながら。

家族との絆を取り戻しながら。

仕組みを一つずつ整えながら。

まなラボは、単なるコンテンツビジネスじゃありません。

自分自身が実験しながら証明する場所です。

何者かにならなくていい。全部の自分でいい。

この言葉は、今の私に一番必要な言葉でもあります。

完璧な母親じゃなくていい。完璧な妻じゃなくていい。

完璧なコンサルタントじゃなくていい。

全部中途半端でも、全部同時に全力でやっていい。

崩れない人生は諦めました。

でもその代わりに、崩れるたびに戻れる場所と仕組みと思想を、

少しずつ作っています。


最後に、あなたへ。

今、何かに追い詰められている人がいたら。

産後でも、キャリアでも、夫婦関係でも、お金でも、

「このままでいいのか」という漠然とした焦りでも。

崩れていい。

崩れることは、終わりじゃありません。

崩れてから見えることがある。

崩れてから持てる優しさがある。

崩れてから気づく仕組みがある。

崩れてから、本当に大切なものがわかる。

私も今、まだ途中です。

でも一つだけ、確かに言えることがあります。

崩れない人生を目指すのをやめた瞬間から、何かが動き始めました。

不安の正体がわかった。

大切な人への後悔が、行動に変わった。

自分が主役から降りた時、初めて本当の意味で生きることが始まった気がした。

そして何より、息ができるようになった。

あなたにも、そういう瞬間が来ることを願っています。

崩れても、大丈夫です。


📚 合わせておすすめしたい記事

▼ 【まなラボとは】産後うつで離婚寸前だった私が、ダナンの朝に決めたこと。 読む

▼ 【家族の部屋】偽物の大丈夫が、爆発を作っていた。 読む

▼ 【私自身の部屋】お母さんになって、人の見え方が変わった。 読む

▼ 【仕事の部屋】父の会社は、継げなかった。だから今、中小企業を支援している。 読む

▼ 【私自身の部屋】ベトナムで、お金が味方になった。 読む


この記事は、#創作大賞2026 に応募しています。

もし読んで何か感じるものがあったら、スキを押してもらえると嬉しいです!

それだけで、続きを書く力になります。


===========

お読みいただきありがとうございます。

「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」

そう信じながら、等身大のまま書いています。

諦める前に、もう一回だけ試してほしい。

そのための実験を、私自身が続けています。

どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。

スキやコメント、とても励みになります。

フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。

===========


【この記事を書いた人】まなラボ

音大中退、貯金ゼロ、高卒からスタートして、

気づいたら4言語・5カ国居住・約40カ国を旅していました。

ベトナムで会社を立ち上げて売って、産後うつになって、消えそうになって。

それでも今、ダナンで息子とフランス人の夫と、

日々の身の回りの幸せを大切にしながら、笑って生きています。

「こんな道もあるんだ」と思ってもらえたら十分です。

挑戦する前から、諦めないでほしい。

失敗を、恐れないでほしい。

諦めるまでは、失敗じゃないから。

いいなと思ったら応援しよう!

まなラボ | 何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。 もし気が向いたら、チップでそっと応援してもらえたらうれしいです。 いただいたチップは、書く時間と心の余白に使わせていただきます。

この記事が参加している募集