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ベトナムで、お金が味方になった。 | 私自身の部屋

押入れの寝袋からプール付きコンドミニアムへ


2月の極寒の中、押し入れの中で寝袋で眠りました。

新居にカーテンも布団も買えなかった。

あの寒さは、今でも覚えています。

そんな20代を過ごしていた私が、

ベトナムに移り、1年目に住んだのはインフィニティプールとジムがついた

コンドミニアムです。東南アジアに移住していなかったら、きっとこんなところには住めなかった。しかも金銭的になんの無理もせずに。

実際に当時住んでいたコンドミニアムの写真はこちら。


貯金が底をついた、20代半ば。

大学の学費と東京での一人暮らし、

1年間の中南米留学とバックパッカー旅行、

帰国後の別れ、新しいアパート探し、仕事探し。

全部が重なって、貯金が底をついた。

クレジットカードの引き落としができなくなったこともありました。

大阪の下町で育ったから、

お金に苦労している人を身近でたくさん見てきた。

自分もそれなりに苦労してきた。

早くこの状態から逃れて、お金を操る側に行きたい。

そのコンプレックスが、ずっと心の底にありました。

そうしないと、自由になれない。そう思っていました。


父の死が、目を開けた。

でも正直に言うと、それまでの私はのらりくらりしながら、

できないことは周りや生まれや環境のせいにしながら、

いろんなことから逃げていました。

父が亡くなったのは、そのころのことでした。

突然のことでした。19歳になる直前、何も伝えられなかった。

何も見せられなかった。

19年も育ててもらって、「ありがとうね」と「ごめんね」すら言えなかった。

その喪失の中で、初めて真剣に考えました。

せっかく与えてもらった命だから、ちゃんと意味を持って生きたい。

やりたいことと意義があることだけに集中できる人生を送りたい。

父に恥ずかしくない生き方をしたい。

そうするには、お金は必要だ。

お金に縛られたくないと思ったのは、コンプレックスだけじゃなかった。

父の死が、私の目を開けたんだと思っています。


実家で学んだのは、お金のモラルだった。

私の実家は自営業でした。

人にお金を借りてはいけない。

お金で人に迷惑をかけてはいけない。

いつでも現金で自分で払えるようにしておかなければいけない。

そういう家訓があって、お金に対するモラルはしっかり叩き込まれました。

自営業だから、苦労する姿もたくさん見てきました。

お金に振り回される大人たちを、身近でずっと見てきた。

だからこそ10代の頃の夢は、公立高校の先生になること。

そして安定したサラリーマンと結婚すること。

「安定」とか「普通」という言葉が、心からうらやましかった。

でも、お金を増やすとか作るという教育は、ほとんどありませんでした。


20歳のフランス人が、家を買っていた。

最初の転機は、カナダで出会ったフランス人のルームメイトでした。

彼の家族はお金についてもちゃんと話し合う家庭で、

彼の周りの友人たちも、20歳・21歳なのに

将来のキャリア設計や人生設計をしっかりディスカッションしていました。

まだ学生なのに投資用の家を買ってローンを払い始めている子、

FXをやっている子、株式を買っている子、

自分でスタートアップを立ち上げて投資家を見つけている子。

「お金ってこんなにいろんな付き合い方があるんだ」と、

初めて知った瞬間でした。


リーマンショックが、腹を括らせた。

次の転機は、リーマンショックでした。

フロア一斉解雇を目の当たりにして、

「お金に振り回される人生は嫌だ」と強く思いました。

そこから大学でも金融をしっかり勉強しながら、

証券会社にも入りました。

ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』を読んだのもこの頃でした。

お金・社会・キャリアの考え方が、ガラッと変わりました。

最終的には投資家になりたい。でも事業もやってみたい、

働いてみたい、全部経験してみたい。

目標が決まりました。

投資で生きていけるようになった上で、やりたいことを選択できる。

時間にも場所にもお金にも縛られない人生。

そこに向けて逆算で計画を立てて、動き始めました。


証券会社で、みずほ株を積み立てた。

証券会社に入ってから、日本株式を少しずつ始めました。

当時みずほの株が1株150〜200円ほどで、

単元株100株買っても1万5,000〜2万円ほど。

宝くじを運営している大きな銀行だから

潰れることはないだろうという、ゆるい気持ちで積み立てていきました。

配当利回りが良かったので、

配当をもらいながら高い時に売って、安くなったらまた買う練習をしていた。

置いておくだけで収入(配当)が入って、

市場や業績が良くなった時にも収入(売買益)が入る。

給与以外に収入が増える感覚を掴んだのは、この時期だったと思います。


ベトナムで、収入源のポートフォリオが生まれた。

ベトナムに来て、全部が変わりました。

3食毎日外食しながら、東京では考えられなかった生活ができて、

それでもお金が貯まっていく。

貯まった分を投資に回せる。

そのサイクルが初めて生まれました。

ベトナムで出会った人たちから、

今まで聞いたことのない投資を学びました。

海外不動産・REIT・仮想通貨・スタートアップへの投資。

ベトナム株も始めました。

あれから10年、平均で3倍ほどにはなっていて、

またこれからが楽しみです。

職場の周りはフランス人をはじめとした欧米人が多くて、

みんな30歳で次は事業を絶対やるぞという気持ちで

海外に来ている人たちでした。

好きなことを追いかけて、学びながら、実践しながら、

小さく始めて仲間を増やし、それを事業化していく。

そういう人たちと出会ったことが、

私の事業家としての土台を作ってくれました。


お金は、自由になるための道具だ。

今こうして振り返ると、私がお金と向き合い続けてきた理由はシンプルです。

お金に縛られたくなかった。

操られる側じゃなくて、使う側になりたかった。

でもそれだけじゃなくて、

やりたいことと意義があることだけに集中できる人生を送りたかった。

父に恥ずかしくない生き方をしたかった。

押し入れで寝袋で眠っていたあの2月から、

ベトナムで収入源のポートフォリオが生まれるまで。

遠回りだったけれど、全部がつながっていました。

お金は不安の源じゃなくて、

選択の自由を手に入れるための道具だと、今は思っています。


📚 お金シリーズをまとめて読む

▼ 【私自身の部屋|お金①】今読んでいる記事

▼ 【私自身の部屋|お金②】私がやっている資産運用。セミリタイアしてみたら、こうだった。 読む

▼ 【私自身の部屋|お金③】ダナンで家族3人、月30万円で暮らしながら資産を増やしている話。 読む

▼ 【私自身の部屋|お金④】お金は「置いておくもの」じゃない。私の資産運用の考え方。 読む


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▼ 【仕事の部屋】パスポート一枚、19歳。 読む

▼ 【仕事の部屋】証券会社を辞めて、ベトナムに飛んだ理由。 読む

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お読みいただきありがとうございます。

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「外貨を稼げる人と会社を増やす」をテーマに、

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【この記事を書いた人】まなラボの紹介

ベトナム在住10年・ダナン在住。4言語(日英仏西)、5カ国居住、約40カ国経験。

音大中退後、学位も貯金もゼロからパスポート一枚で海外へ。

物流・金融・コンサルとキャリアを積み、2016年にベトナムでコンサル会社を立ち上げ・売却。

ジェトロや中小企業基盤機構、公的機関の現地アドバイザーや、日系企業2,000社超の相談・支援に関与。

証券外務員/米国MBA保有。

ベトナムで息子を出産したことをきっかけに、日本経済の将来を人任せにするのをやめようと決めた。

次の世代に「まだ挑戦できる」という背中を見せるために、

今、外貨を稼げる人と会社を増やすことを、自分のテーマにしています。


※このシリーズに出てくるお金の話は、私自身の経験と考え方をもとにした記録です。投資・資産運用には必ずリスクが伴います。特定の金融商品の購入や投資行動を推奨するものではありません。判断はご自身の責任でお願いします。

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