証券会社を辞めて、ベトナムに飛んだ理由|仕事の部屋
キュウリ一本、1,200円。ビール一杯、3,000円。
証券会社の同僚たちと飲みに行くと、そういう世界があった。
給料は上がった。生活も豊かになった。
でもある夜、グラスを傾けながら、ふと思いました。
こういうものに消耗して、どうやってここで豊かな生活を築くんだろう、と。
日本に帰ってきたけど、つける仕事が限られていた。
カナダから日本に戻ってきた時、私には学位もなく、完璧な語学力もなかった。
フランスの貿易コンサルでインターンをしたけど、それでもダメだった。
だから日中はオフィスで事務をして、
夕方はコールセンターで営業電話をかけて、
夜はガールズバーで働いて、朝は勉強する。
そんな生活を続けていました。
東京に移ってからは、物流会社の輸出部門に派遣社員として入り、
ようやく英語や貿易の知識を仕事で使えるようになりました。
でもちょうどリーマンショックが起きた年で、フロア一斉解雇が始まった。
「業務委託なら続けられるけど、派遣のままなら解雇するしかない」と言われました。
業務委託でこのまま生きていくことに納得できなかった。
だから「解雇してください」と言って辞めました。
今では考えられないブラック企業にいた。
その後、正社員で雇ってくれた会社がありました。
当時の私には選ぶ余裕なんてなかったから、飛びつきました。
でもその会社が、今では考えられないような環境でした。
終電で帰れれば良い方で、土曜日が突然出社日になる。
ボーナスは全社員の前で名前と金額を順番に読み上げられて、
現金を会食の場で受け取らされる。
席順は成績順で、上座から並ばされる。
早く帰ろうとすると、わけのわからない仕事を急に渡されて、靴を隠される。
それでも辞めなかった。
当時の私には、それが「正社員」で働ける唯一の選択肢だったから。
でも限界が来ました。勉強との両立もできなくなって、辞めました。
リーマンショックが、人生の方向を変えた。
一斉解雇を目の当たりにして、
「お金に悩まされる人生は嫌だ」と強く思いました。
と同時に、このままじゃキャリアの土俵にすら立てないと気づいた。
大学をちゃんとやり切ろう。そう決めました。
メキシコに留学して、その足でバックパッカーとして南米・中米・北米を一人で旅しました。
日本に帰ってきてから、カナダで出会った彼と別れました。
キャリアを本気でやると決めた瞬間でした。
商社、そして証券会社へ。
腹が決まってからは早かった。
大手商社のアパレル部門に派遣社員として入り、
当時の上限だった3年を働き切りました。
そこから日本最大手の証券会社の本社、
グローバルマーケット部門に正社員として採用していただきました。
当時の私の学歴は、音大中退のまま。
勉強は続けていたけれど、まだ卒業していなかった。
それでも拾ってくださった上司や部門長には、今でも本当に感謝しています。
そこでは投資・企業分析・日本式の働き方を徹底的に叩き込まれました。
同時に、外資から来た優秀な日本人たちと一緒に働く機会もあった。
トラディショナルと最新が融合していく瞬間を、
29歳の若手として目の当たりにした経験は、今でも大きな財産です。
その時期に気づいたことがあります。
私の強みは、一つ突き抜けた専門性じゃない。
いろんなことがそれなりにできて、いろんな視点で物事を考えられること。
手が届くものは全部広げて、学べるものは全部学ぶ。
そのやり方が出来上がっていきました。
でも日本では、息苦しかった。
給料も上がって、生活も豊かになった。
でも思ったんです。
こういうものに消耗して、どうやってここで豊かな生活を築くんだろう、と。
そもそも私は、日本が好きだけど日本社会にはフィットしない。
どうしても「変な人」になってしまう息苦しさがあった。
海外に住みながら、日本と日本の企業・人をサポートしていきたい。
その思いはずっとあった。
そして何より、日本にいるままのスピードでは、
自分のビジネスプランに間に合わないと感じていた。
お金を勉強して、コンサルで事業を作って、セミリタイアする。
そのロードマップに向かって、次のステップに進む時が来た。
30歳になる1ヶ月前に、ベトナムへ飛んだ。
証券会社の香港・シンガポール拠点への異動を相談しましたが、
大手の社内移動はポリティクスも時間もかかる。
30歳までに間に合わなかった。
だったら自分で飛び込もうと思いました。
東南アジアを一通り回って、ベトナムだと確信した。
物価が低くて、可能性があって、ポテンシャルが広がっていく場所。
ベトナムのコンサル会社に応募したら、すぐに通った。
30歳になる1ヶ月前に前の会社を辞めて、ベトナムに赴任しました。
計画通りではなかった。
でも、目標通りだった。
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【この記事を書いた人】まなラボの紹介
ベトナム在住10年・ダナン在住。4言語(日英仏西)、5カ国居住、約40カ国経験。
音大中退後、学位も貯金もゼロからパスポート一枚で海外へ。
物流・金融・コンサルとキャリアを積み、2016年にベトナムでコンサル会社を立ち上げ・売却。
ジェトロや中小企業基盤機構、公的機関の現地アドバイザーや、日系企業2,000社超の相談・支援に関与。
証券外務員/米国MBA保有。
ベトナムで息子を出産したことをきっかけに、日本経済の将来を人任せにするのをやめようと決めた。
次の世代に「まだ挑戦できる」という背中を見せるために、
今、外貨を稼げる人と会社を増やすことを、自分のテーマにしています。
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