自転車旅行中に、妊娠に気づいた。|家族の部屋
陽性反応を見たのは、カンボジアの薬局でした。
自転車旅行の途中で。
その瞬間のことを、今でも鮮明に覚えています。
夫は、いつも斜め上から来る。
出会ってすぐ、趣味の話になった。
私、トレランで42km走るんだ、と言ったら。
彼は、競技レベルでマラソンを走る人だった。
英語とフランス語とスペイン語が話せる、と言ったら。
彼は、その3つとも、ネイティブだった。
メキシコに住んでたからサルサも踊れる、と言ったら。
彼も南米にいて、ラテンダンスを踊る人だった。
台湾を自転車で半周したことがある、と言ったら。
彼は、一周していた。
じゃあ自転車旅行が好きなんだ、と言ったら。
彼は──フランスから日本まで、1年半かけて自転車で走破した人だった。
さすがに、笑ってしまった。
今まで出会う男性、出会う男性に、経験の多さに引かれて逃げられることの方が多かった。
でもこの人は。
どこまでいっても、私の少し上を、涼しい顔で行く。
これだけ尖った者同士が、こんなに噛み合うことがあるのか、と。
悔しくて、面白くて。
それが、ずっと一緒にいたいと思った理由の一つでした。
出会って数回目のデートで、自転車旅行に誘った。
付き合い始めて間もない頃、友達と行く自転車旅行に夫を誘いました。
当日来てみたら、私以外全員男性という構成で、
フランス人の友達7人とゲイのベトナム人の友達、そして夫という
なんとも異様な組み合わせになっていた。
さすがの夫も、あの時ばかりはドッキリかと思ったらしい。
それでも楽しんでくれた。
この人とは、どこに行っても大丈夫だなと思った瞬間でした。
旧正月の3週間、ベトナム→ラオス→カンボジアへ。
同棲を始めて1年も経たない、初めての旧正月。
3週間の休みを取って、二人で自転車旅行に出ることにしました。
計画といっても、ベトナムをスタートしてラオス、カンボジアを回って
ベトナムに戻るルートだけ決めて、あとはフリープラン。
当初はスリランカを予定していたのが直前に変わったくらいだから、
そもそも計画という概念が薄い旅でした。
ベトナムを出発してすぐ、夫の方が先に嘔吐し始めた。
そして翌日から、今度は私も吐き始めた。
二人一緒に嘔吐し始めたから、その時はただの食中毒かと思っていました。
そのうち吐き気は落ち着いたけれど、
自転車を漕ぐたびに体がほてって、異様に暑い。
ベトナムからラオスに入った最初の道は、4時間ずっと登り坂が続いて。
お店も人も何もない田舎道で、水も切れかけて、
私の体調はどんどん悪くなっていった。
途中でヒッチハイクができて次の町まで運んでもらえて、
なんとか助かったくらい、何もないところでした。
「もしかして」と思った夜。
そんな自然と田園風景が続く、ラオスの最後の島で、
フランス人のカップルと出会いました。
彼らも17ヶ月に渡る自転車旅行の途中で、
ちょうど奥さんが妊娠3ヶ月目だという話を聞いて。
なんとなく「妊娠に気づいた時、どんな感じだった?」と聞いたら、
答えが今の私の状態とそっくりだったんです。
そこで初めて、月のものが少し遅れていることに気づきました。
もしかして、と思った。
でも確信が持てなかったし、そのまま旅を続けることにした。
何より、もし妊娠しているなら、
これが二人だけで過ごす最後の時間になるかもしれない。
なんとなく、そう感じていたから。
カンボジアで、限界が来た。
カンボジアに入ると、道がどんどん荒くなっていきました。
太陽の照り返しが強くて、体調が悪くなる一方だった。
妊娠してるなんて確信もなかったし、
ただ単に、年齢的に体力がついていかないだけだと思っていた。
夫はそんな私の事情を何も知らないから、
「Baby, let's go!You can do it!」と超前向きに励ましてくれる。
その無邪気な応援が、なぜか余計につらかった。
体も心も限界に近づいていた。
ある日、自転車とヘルメットを投げ出して、夫にぶつかってしまった。
「もうすぐ40歳の私が毎日100km炎天下を走れると思ってるなら、
私はあなたが望んでいる女性じゃないかもしれない」と号泣しながら。
弱音じゃなくて、本音だった。
体がしんどくて、感情が抑えられなかった。
だけど、夫は怒らなかった。
休める場所を探して、飲み物を見つけてきてくれた。
そこからは私のペースに合わせて、いつも、ただそこにいてくれた。
大きな街で、夫に話した。
少し大きな街に着いた時、夫に伝えることにしました。
変な期待も心配もさせたくなかったけれど、
あまりにも体調が変だったから。
このまま隠していたら、危ないと思って。
「多分、妊娠してると思う」
二人で薬局に行って、検査薬を買った。
結果は、陽性だった。
あの瞬間のことを、今でも忘れられない。
宿の蛍光灯の光と、外の暑い空気と、
二人で顔を見合わせた時の、あの静かな驚きと喜びと。
なんと言葉にしていいかわからなくて、
しばらく二人でそのまま立っていた気がします。
夫は当時、丁髷みたいにしていた髪の毛を、
トイレでバッサリ切り落として。
少し泣いたあとなのか、
「ありがとう」と言いながら、温かく抱きしめてくれました。
彼なりの、父親になるという心の準備だったんだと思います。
確認してから、それでも続けた。
陽性とわかってから、旅行を続けるかどうか話し合いました。
続けたいという私の意思を、夫は尊重してくれた。
家族という形に変わる前に、
彼との恋人としての時間を大切にしながら、
この旅を終わりまで一緒に走りたかった。
そこからはペースを緩めながら、私たちらしい旅を続けました。
何もない小さな町では、飲食店もお店も見つからない。
だけど、夫が野生の勘でたまたま見つけた滝の近くでテントを張って、
奇跡的に見つけたお店でご飯とビールを楽しんで、
朝日とともに出発して、気に入った景色があれば立ち止まって。
国や状況に左右されず、
その時々にある素材から自分らしい幸せな瞬間を見つけることができる人。
この旅で改めて、そういう人と家族になれるんだという喜びをかみしめながら。
何もなくても、この人といれば幸せだと。
そのままベトナムに戻って、自転車旅行を無事に完走した。
翌日、二人で初めての検診に行きました。
お腹に命が宿っていることを、画面で確認しました。
実は、旅行に行くことになったとき、私の想像を超える、
フリースタイルすぎるプランに最初は文句ばかり言っていたけれど、
この旅を通して、家族になる前に、「私たちらしい二人のあり方」を、
改めて確認できた気がします。
二人だった私たちが、三人になった瞬間でした。
あの時、DNFを選んだ。
その直後。
妊娠初期、つわりが続きながらも、トレランのレースに出ました。
夫は初出場で50kmを20位以内で完走した。
私は21kmに出て、人生初のDNF(途中棄権)を選んだ。
まだ初期だから無理しないという約束で。
今振り返ると、あの時から「自分を後回しにする習慣」が始まっていたのかもしれない。
産後うつの種は、意外と早くから蒔かれていた気がする。
でも、あの旅のことは後悔していない。
二人だけの時間の最後に、三人になる瞬間を迎えられたことが、
なんだかとても、私たちらしかった。
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お読みいただきありがとうございます。
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
そう信じながら、等身大のまま書いています。
諦める前に、もう一回だけ試してほしい。
そのための実験を、私自身が続けています。
どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。
スキやコメント、とても励みになります。
フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。
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【この記事を書いた人】まなラボ
音楽フェスのステージを降りた瞬間に、フランス人の夫と出会いました。
自転車旅行の途中で家族になって、今はダナンで、3人で暮らしています。
国際結婚も、多文化の子育ても、うまくいく日ばかりじゃない。
産後には、家族がバラバラになりかけた時期もありました。
それでも、ぶつかって、話して、笑って。
何もない日常の中にある、小さな幸せを、ひとつずつ数えながら生きています。
完璧な妻でも、母でもないけれど。
この家族でよかったと、毎日思えるように。
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