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なぜ自分の会社を売ったのか。|仕事の部屋

20代の頃はとにかく貧乏で苦労をした

クレジットカードの引き落としが、止まりかけた日がありました。

早く払わなければ止まってしまう。

そんなギリギリの生活をしていた時期のことを、

今でもはっきり覚えています。


お金の不安が、ずっとそこにあった。

父が早くに亡くなって、母は専業主婦。

親からのバックグラウンドや、

何かあった時に頼れる安心感が、他の人のようにはなかった。

だから将来への不安は、ずっと心のどこかにありました。

証券会社に入ってから、先輩が毎朝出社前に集めてくれて、

日経新聞の読み合わせと意見交換をする場を作ってくださいました。

会社の分析の仕方、マーケットの読み方、投資の基礎。

本当にありがたい経験でした。

でも東京での生活は可処分所得が低く、

給料が上がればその分使ってしまう。

投資に回せる資金はなかなか積み上がりませんでした。


ベトナムに来て、お金が回り始めた。

ベトナムに来て、全部が変わりました。

月10万円あれば十分生活できる環境で、

プールとジム付きのコンドミニアムに住みながら、

旅行も趣味もしながら、気づけばお金が貯まっていく。

貯まった分を次の投資に回せる。

そのサイクルが初めて生まれました。

副業もしやすく、自分の差別化要素がはっきりしてきたので、

どこに売り込めば自分が活きるかも見えてきた。

仕事にあぶれない状態になっていきました。

海外にいながら日本のことも分かる状態で、

日本では出会わなかった投資の考え方を持つ人たちとつながり、

本を紹介され、勉強会に参加し、

お金の知識もどんどん広がっていきました。

お金の不安から解放されたのは、

ベトナムという環境と、そこで広がったネットワークのおかげだったと思います。


独立は、背中を押してもらう形で始まった。

ベトナムに来て3年目で、最初に入ったコンサル会社を退職することになりました。

いろんなことが重なって、結果として独立する形になりました。

言いたいことも、言えないことも、いろいろある。

苦さの混じった思い出だらけの会社です。

でも当時一緒に働いていた社員さんとお客様が

背中を押してくださる形で、自分の足で歩み始めることができた。

今でも感謝しています。

独立したコンサル事業は、ありがたいことに最初からお客さんに恵まれました。

紹介がまた紹介を呼んで、営業らしい営業をほとんどしないまま、

黒字体制でスタートできました。

忙しい時期は、1ヶ月の中で商談会を3つ回しながら、

展示会を1つ運営して、視察を回り、セミナーをして、

レポートを書いて、ビジネスマッチングをして、コンサルもする。

それを10人もいない組織で回していました。


「先生」と呼ばれるようになって、気づいたこと。

5年以上経つ頃には、名前も知っていただける人が増えました。

みんなが「先生、先生」と呼ぶようになりました。

でも、気づいたら、

自分がずっと同じ形のベトナム進出支援コンサルだけを繰り返していた。

そして周りを見回しても同じようなコンサルばかり。

難しいことになると、自分たちの実力がないことを素直に言わず、

「中国との価格競争力が……」と濁す大人ばかり。

それだと、日本企業さんのためにならない。

単調で限定的な支援しかできていないんじゃないか。

そう感じ始めました。

もっと大きな組織の中で、もっと大きな支援をしたい。

ちゃんと日本の企業が海外で戦える土台づくりをお手伝いしたい。

そう思い始めました。


「労働時間×単価」では、自由になれない。

もう一つ、気づいていたことがありました。

どの事業も、結局は自分が中核にいる。

これから時間と場所に縛られず、お金にも困らない生活を目指すなら、

「労働時間×単価」で成り立つコンサルモデルだけでは限界がある。

今やっていることを続けることもできたし、収入もありました。

でも成長・自己投資・将来性・他の可能性を考えた時に、

「早く次のステップに移る準備をした方がいい」と思った。

だから、思い切ってコンサルを一旦区切ることにしました。


コンサルは、自分の情熱の延長線上にある。

会社を売って、わかったことがあります。

コンサルという仕事自体は、すごく自分に合っていた。

中小企業やスタートアップの支援をする立場にいると、

事業計画・実行・採用・オペレーション構築・育成・

コンプライアンス・法律・労務・会計・税務まで、

MBAで学んだことをまさに経営課題解決の実戦で使える。

知識を経験にブラッシュアップさせてもらえる、

最高の機会だと思っています。

コンサルを一度やめた理由ははっきりしている。

でも次のビジョンがはっきりと目の前に出てくるまで、

今は今までの経験をフル活用してレベルアップしながら、

次に自分がやりたい事業や方向性を、

経営者を支援する中でいつも頭の中で壁打ちしています。


子どもやその世代に、何かを残したい。

職業やプロフェッションとは別に、

「自分はどう生きたいのか」「何を目標にするのか」「何に意味を置くのか」。

そこをしっかり持っておくこと。

それが、会社を売ると決めた時の軸でした。

今こうして、子どもが少しずつ手を離れていく中で、

「子育て以外に何も残らなかった」という自分にはなりたくないと思っています。

子どもやその世代に何かを残してやれる、

かっこいい母親でありたいから、少しずつ始めています。

まだ全力ではできない。

でも、昔の経験だけでもお役に立てる企業様にお世話になりながら、

コンサルの仕事をしながら、

自分の将来の事業とあり方を見定めている。

それが今の私の、正直な場所です。


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【この記事を書いた人】まなラボの紹介

ベトナム在住10年・ダナン在住。4言語(日英仏西)、5カ国居住、約40カ国経験。

音大中退後、学位も貯金もゼロからパスポート一枚で海外へ。

物流・金融・コンサルとキャリアを積み、2016年にベトナムでコンサル会社を立ち上げ・売却。

ジェトロや中小企業基盤機構、公的機関の現地アドバイザーや、日系企業2,000社超の相談・支援に関与。

証券外務員/米国MBA保有。

ベトナムで息子を出産したことをきっかけに、日本経済の将来を人任せにするのをやめようと決めた。

次の世代に「まだ挑戦できる」という背中を見せるために、

今、外貨を稼げる人と会社を増やすことを、自分のテーマにしています。

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