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ボワ・シュヌ大聖堂(Basilique du Bois-Chenu)

貴婦人の樹と熱病の泉がある丘のすぐ上にひと際目立つ建物があります。
ボワ・シュヌ大聖堂(Basilique du Bois-Chenu)です。
(私の中で、未だにこのBasiliqueの訳し方が大聖堂だったり、教会だったり、そのままバシリカだったり安定しません。どれが適当なのでしょう?)

フランスの教会には高い確率でジャンヌ像があったり、ジャンヌに捧げられた聖壇があります。しかし、ここだけはちょっと違います。正真正銘、ジャンヌの為に建てられた教会なのです。

それだけに他の教会とはちょっと別格なほどにジャンヌが聖人としてクローズアップされています。
入口からキラキラのジャンヌ像がお出迎えしてくれます。

バシリカ正面のジャンヌ像

中も荘厳華麗で、ジャンヌの生涯を描いた絵画や装飾で溢れています。

聖堂の内部(WIKIより)

その荘厳さは、ドンレミ村に来たからには是非見て頂きたい豪華さです。

ジャンヌの祭壇(ヴォージュ県観光サイトより)

また、敷地内にはフランス各地にあるジャンヌ像も配置されており、ジャンヌのファンにはたまらない場所です。

ジャンヌ像


正面から(2015年修復工事の頃)

さて、間違いなく見事で、見るべき価値が有るものは多いのですが、同時に歴史ファンとしてはこの大聖堂が建てられた経緯が気になります。

バシリカの建築は1881年に始まり、1926年に完成しました。
この辺りの時系列を少しまとめてみます。

1804年、ナポレオン1世、皇帝に即位
1818年、
ジャンヌの生誕地が私有地からヴォージュ県の所有となる。
    その後周辺の建物を壊し単独の建物とするなどの工事が行われる。
1823年、
サンレミ教会改修開始、向きが逆になる等の改修が加わる。
1830年、フランス、7月革命が起きる。
1840年、ジャンヌの生誕地がフランスの歴史的建造物に指定される。
1881年、バシリカ建築開始
1909年、ジャンヌ列福
1920年、ジャンヌ列聖
1922年、ジャンヌ、フランスの第二守護聖人となる。
1926年、バシリカ完成

ジャンヌは死後それほどにはメジャーな存在ではありませんでした。
それをナショナリズムに利用してメジャーな存在としたのはナポレオンと言われています。
そうしてみると、ナポレオン即位後にドンレミ村のジャンヌ・ダルク関連の場所の整備が急激に進んだのが解ります。
その流れはナポレオン失脚後も止まる事なく、村の名所化は進んでいきました。そして最後にこのバシリカが完成し、彼女はフランスを守る聖人としてここに祭られる事になったのです。

では、このバシリカは後世に作られた物だから、当時の物だけを見たい時には不要なのか、と言うと実はそうではありません。
このバシリカには一体の聖母像があります。

ベルモントの聖母子像(公式サイトより)

この像は近くのベルモント聖母礼拝堂にあった物が修復されてここに運び込まれたものです。
つまりジャンヌが毎週毎に兄弟や友人達と一緒にこの像に祈りを捧げていた可能性が高いのです。
まず見るべき逸品と言えます。
・・・が、私は訪れた当時不勉強だったのでチェックできていませんでした。地下室にあるという記述が見えますが、地下室がどこかにあったのか良く分かりませんでした。
もし訪れる方がいらしたら、是非詳細を教えて頂きたいです。

さて、このボワ・シュヌ・バシリカの「ボワ・シュヌ」とは、フランスで樫の森を意味します。
ジャンヌが遊んだ「貴婦人の樹」がある丘の上にこのバシリカがあります。
この近くには不思議な遺跡があります。

遺跡の位置

ボワ・シュヌ教会にほど近い丘を登っていくとそこには40m程の石積みの遺構があるそうです。

ボワ・シュヌの遺跡(ドンレミ村のロバートさん運営のサイトより)

この遺構の詳細は解っていません。ケルト人の遺構であると主張している方もいますが。
妖精が現れる樹、熱病が治る泉、遥かな昔の遺構、そしてこの地にはマンドレイクの伝説も残っています。(※処刑裁判予審2月24日のジャンヌ自身の証言より)
ジャンヌが愛したこの丘にはまだまだ沢山のロマンが詰まっているように思えます。

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