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幸運な病のレシピ 2022年4月1日〜10日

それは「原因」か「結果」か?「還元主義」は金を生む

医学・栄養学において「還元主義」というのは、「現象」と「物質」の間の因果関係を見つけようとする。
私たちの生理現象を細分化していけば行くほど新しい物質が見つかってくる。特定の物質が何らかの現象と結びついているという「盲信」はかなり根強い上に役にたたない。
よく考えると「同義反復・単なる言い換え」であることがわかる。
『日光を浴びるとセトロニンが分泌されて幸福になる』これって何か意味のある事だろうか?「日光を浴びると幸せを感じる」という事と同じである。

では何故こんな回りくどい言い方がまかり通るのか?

日光を浴びても気持ちが晴れない人がいたときに、それは食事が悪いのです。「トリプトファン」が足りないのです。ほらこのサプリメントを飲みなさい。と医者に言われるのである。
専門家の言うことは「よく効く」特にこのような場合はテキメンである。効いたか効かないかの判断がつかない。
還元主義の医学は一つ一つの「病」に特定の要素を結びつける。誤りである。多くの要素の絡み合っている複雑系を観察するとそう見えるが、解決など無いのだ。

物質が現象をコントロールするのは間違いない。食事や運動は大きく「生命」に影響を与える。覚せい剤は苦しさを隠してくれる。

医学という「科学」は『ヒトを「脳という操縦席に意識=理性」という操縦するもの(神の聖霊)がのり、身体というカラクリを動かしている』と考える。他の動物との違いは歴然であるという。中世の神学と何ら変わりがない。言葉が変わっただけである。

生命は設計図(DNA)に従って組み立てられた「機械」ではない。マイクロバイオーム「受精時にえられるDNAを共有する細胞生命」と多くの細胞生命が共に生きているコロニーなのだ。計り知れない関係性の間に成り立っている複雑系である。生命のよろこびも悲しみも「脳の感じる幻影」ではない。

この記事が最新です 4月1日〜10日

【2022年4月10日】朝からパスタ。何も作りたくない日だったので弁当を買ってきて食べた。ビールも飲んだ、これもまた人生の一日である。ラーメンも食っちまった。しかし、少し食いすぎである。木蓮がよく咲いた。実家のペンキ塗りを始めた。春は花の季節である。

【2022年4月9日】土曜日だったので花見に行った。屋台が多く出るので嬉しいものである。色々と食べ比べた。酒飲みながらの宴会が禁止されているのはいいことである。酔っ払いの傍若無人はなくても花はきれいである。それでも一人でちびちびやりながら眺めるのは許してもらいたいものだ。父と花見に行ったことをよく覚えている。海苔の佃煮なんかが入っている小瓶に日本酒を入れていったものである。料理を作り、寒いねえといいながら、酒を飲んだものだ。
そういえば、アメリカでは公衆の場での飲酒は逮捕されると聞いたことがある。どういう歴史的経緯位があったのか知りたいものである。平日にこっそりビール飲みながら花を眺めに行こう(笑)。
夜は妻の弁当用のパスタである。ナスとしいたけ人参モヤシは油通しをした。パスタを茹であげて、ほうれん草を一把できるだけ加熱しないで混ぜ込む。バターじょうゆが好きだなあ。キンピラゴボウを別に作ってわせると美味い。なんか足りなかったので揚げ物を作って、豆腐の卵とじを作った。絹ごし豆腐を煮付けて最後で卵をとじる。母が時折作ったものである。手間がかからず、美味しい。ご飯にかけて食べるがよろし。



【2022年4月8日】いつかお金持ちになったら、タイヤ交換をスタンドでやってもらいたい。これは一生貧乏フラグであろうか。夜、娘と妻が飲んでいたので僕も少し飲んだ。3週間近く飲まなかった。足がつるかと思ったが大丈夫であった。少し、落ち着いてきたが、心は低気圧である。仕事の受注が来ないし弁当屋さんも進まない。どうも一つピースが足りない。果たして生きに足りる人生であろうか?年取って生きることになにか意味があるのだろうか。テレビ見ながら何もできなくなった身体に閉じ込められていても仕方がない。大きなジャンプすることもなく人生を進むのだろうか?
春は憂鬱になる季節である。花粉のせいであろうか。
ナスと牛肉があったのでトロトロを作った。母の味である。




【2022年4月7日】継ぎ足しオデンは1/24からだから随分である。毎日2回沸騰させないで加熱する。余ったものを入れて煮込んでいく。豆や豆腐は最高だ。手羽先も良い。歳とって食事を作れなくなってもきっとこれは続けられる。「賞味期限」と「政治的に正しい衛生観念(殺菌と売るためのアリバイ)」は食事の中の生命(タンパク・脂質の立体構造)とともに私達を殺しているのだ。スープが凄い。もしかしたら失われた何者かを見つけたのかもしれない。何処まで行けるだろうか人生は実験である。
先日の皮が残っていたので、餃子を作った。味噌ダレを作ってみた。実に美味しい。チーズを巻いて揚げ物もした。健気な料理である。こういうのも好きだ。


【2022年4月6日】餃子を作った。昼は、いなり寿司を作った。紅生姜を入れたら美味しかろうと思いやってみた。昨日した処理をした砂肝に味を入れた。イワシは昨日捌いておいたものだ。バタバタとして、片付け無いままに一日が過ぎていくのだ。池用のエアコンプレッサーが壊れた。大変である。昔、鯉が大量に死んだことがあった。


【2022年4月5日】鶏モモをオーブンで焼くだけの料理が一番好評なのだ。鳥の脂が皮をパリパリにして美味しい。手がかからないので緊急時の一品に最高である。おからコロッケを作った。なかなかうまく作れなかったのだが、今日はうまく行った。コロッケの具をジューシーにするといい。握ったらまっすぐに上げないとボロるので注意が必要だ。これで普通のコロッケも作れるやにしれん。スコッチエッグも射程に入れて精進しよう。揚げ物があるとそばを食いたくなる。マユは百日紅の枝が好物のようだ。生命というのは不思議である。フランスパンとベビーチーズは相変わらずのブームである。

【2022年4月4日】朝からカレーである。箱裏マニュアルなど無視して好きに作る。玉ねぎはものすごく多糞の分水は少ない。ルーは少ないが美味しい。ガッツリ食ってしまう。どうしても食べたくなって、久しぶりにラーメン屋さんに行った。美味しくて嬉しくて、素敵なこともあり、考えさせられた。

【2022年4月3日】朝方焼きりんごを作った。後片付けは当然毎日である。後片付けを毎日続けることは実に困難である。料理を続けるのと同じくらい難しい。覚悟が必要である。僕は家事分担はしない。とは言っても洗濯や風呂の準備は妻に任せてある。買い出しもしてもらうが、調理と後片付けは僕の範疇である。レシピ情報には載っていないが後片付けはめんどくさい。かってきた弁当ならば、入れ物をゴミに捨てするだであるが素材から作ると皿は洗わなければならないし鍋釜も結構めんどくさい。
土鍋で「焼きリンゴ」である。安売りのりんごがあったと言うが、生で食べてもあまり美味しくはない。僕はそもそもリンゴを生で食べるのが苦手である。薄く切ってサラダに入れると食べられる。母が心配してサラダにはいつもりんごが入っていた。食事は思い出とともにある。人生の大事な1ピースなのだ。フライパンで十分煮こんで、土鍋に移してオーブンで加熱する。リンゴの組織が汁を沸々と吸い込み、覚めると実に美味しくなる。焼きリンゴもこれがおいしい。砂糖とバターとシナモンにレモンだけでじっくりとオーブンするのもいい。赤ワインの有無は好みで変えるといい。
夜はブリカマを焼いた。ビビンバと牛肉を焼いた。おからも作った。

【2022年4月2日】揚げ物一式である。妻の弁当と夜のおかずを一気に作るというパターンが最近の流行りである。昔は揚げ物は蛇蝎のごとく嫌われたが、今は炭水化物が毒のように言われる。決して調理のプロセスが問題であるとは言われることがない。「生命(タンパク・脂質の立体構造)」が破壊され得た食事こそが問題であると考えなければこれだけ多様な「病因」のない症状だけの病を説明できない。食事を作るプロセ氏に問題があるのだ。50年前の丁寧な食事作りはコスト重視の商品販売には向かない。医学や栄養学が見ることの出来ない所に原因があるのだ。
還元主義の医学は一つ一つの「病」に特定の要素を結びつける。誤りである。多くの要素の絡み合っている複雑系を観察するとそう見えるが、解決など無いのだ。

【2022年4月1日】後片付けは毎日の大事の仕事である。だいたい明け方にすることが多い。妻たちが起きてくると綺麗になっている。やはり住み込みの下男である。しかし、きれいな台所は素敵である。もしかしたら性に合っているのかもしれない。ベビーチーズをフライパンで溶かしてフランスパンに乗せるのが流行りである。白ワインと合わせればフォンデュである。久しぶりにフランスパンを買った。


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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。