卒業の日 #2 引き継ぎの付箋
3/3 13:30
蛍光灯の白い光が、等間隔に天井を走っている。
佐伯恒一は、智花の卒業式から急ぎ足でフロアに戻った。
ネクタイは少しゆるみ、シャツはわずかに汗ばんでいる。
エレベーターの鏡に映った自分の顔。目が少し赤かった。
(あっという間の十八年だったな)
今朝は、卒業式の時間を作るために、娘より先に家を出た。
最後のホームルームは見ていない。
教室に入る背中を遠くから見届け、駅へ向かった。
自分も異動だ。立ち止まっている時間はなかった。
デスクの前で、中原颯太が立ち上がる。
「今日は、娘さん卒業式だったんですよね」
「終わったよ」
短く答え、鞄を机の端に置く。
*
「……じゃあ引き継ぎの続きをお願いします」
佐伯は棚から分厚いファイルを取り出した。
角は擦り切れ、背表紙は何度も開かれた跡がある。
「今までの仕事の記録だ。順番に見れば流れはわかる」
颯太は両手で受け取る。
ページを開く。
端々に貼られた付箋。
細かな字で埋められた注意書き。
“先に電話する”
“〇〇社のキーマンは△△さん”
“見かけの数字だけじゃない”
ある付箋には、
“ここは、〇〇さんのフォローあり”
その下に、赤いアンダーライン。
「……フォロー、あり」
佐伯は視線を落とす。
「あの時は、助けてもらった」
それだけ言う。
「まあ、留意点だな。役に立つかどうかはわからない」
「いえ、きっと役に立ちます」
颯太は顔を上げる。
佐伯は穏やかに言った。
「同じやり方でなくていい」
少し間を置く。
「私の正解が、君の正解とは限らない」
じっと見つめる颯太の顔を見て頷いた。
「大丈夫だ。私がいなくても回せる」
颯太が顔を上げる。
「それだけできるようになったってことだ」
ふっと、学校の校門の光景がよぎった。
振り返らず歩いていく娘の背中と颯太の姿が重なって見えた。
*
3/3 17:06
エレベーターのホール。
「本当にお世話になりました」
颯太が頭を下げる。
佐伯は「ああ」と軽く右手を挙げる。
扉が閉まった。
デスクに戻った颯太はファイルを開いたまま、付箋に触れる。
そのとき、スマートフォンが震えた。
《水野恵里》
『終わったよ。最後まで見送った』
短いメッセージだった。
颯太は、ファイルの上に手を置いたまま、
しばらく動かなかった。
(第2話 了)
📚ZAPPING POINT
📜颯太にメッセージを送ってきた水野先生の話→#4 母のほうじ茶
📜佐伯と娘の智花が一緒にコンビニに行った話→#13 誰も知らない卒業
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