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卒業の日 #1 父の泣き顔

3/2 17:00

卒業式の前日。
学校から智花が家に戻ると、
台所の明かりが、もう点いていた。

「ただいま」

「おかえり」

父だ。
その横で、鍋が小さく、ふつふつと音を立てていた。
煮込みの匂いが、ゆっくりと部屋に広がる。

智花は制服のまま、入り口に立った。

「明日、卒業式」

「うん」

父は、菜箸で鍋をかき混ぜる。
味見をして、少しだけ塩を足す。

「来られる?」

問いかけは、軽くしてみた。

父は、コンロの火を弱めた。

「……行けたら行く」

振り向いた顔は、いつも通りだった。

「そっか」

それ以上は聞かない。

「行かない」のではない。

父の「行けたら行く」は、だいたい本当だ。
行けるように、段取りする。
そういう人だ。

智花は、一旦部屋に入った。
扉を閉める直前、火が元の強さに戻る音がした。
ベッドに腰を下ろす。

本棚には、父から譲り受けた「日本の歴史」。
分厚い歴史の本を真面目な顔で読み、
休日は「信長の野望」を延々としている。
このせいで、智花も戦国武将が大好きになった。
今では、父よりも知識がある。

自分の好きなことは、とことん楽しむ。
そんな父のそばで育った。
小さい子どもだと思っていた自分が、
もう、高校の卒業式だ。

明日、来るだろうか。
智花は、そっと目を閉じた。

3/3 7:00

卒業式当日。

朝は、少し冷んやりしていた。
けれど、もう光は春のそれだ。
空も、よく晴れている。

父は、いつもより早く家を出たようだ。
智花が朝起きたら、もういなかった。

「智花へ。卒業おめでとう。朝ごはんはチンしてください。」

こんな日なのに、見送りはなかった。
でも、それはいつものことだ。
父が、先に家を出ることもよくあった。
今日も、そういう日。
それだけのこと。

そんなふうに、智花は思おうとした。

朝食を食べる。
家を出た。

いつもの電車。
いつもの駅。
いつもの道。

今日で最後の通学。

校門の前に、卒業式の看板が見えた。
その前で、スマホを構えている背中。

「あ、智ちゃん。」

振り向いたのは、同じクラスのカンナだった。

「ひさしぶり。二月三月、ほとんど来てなかったよね。」

「入試あったしねぇ。」

智花の力の抜けた言い様に、カンナは笑う。

「そだ、智ちゃん、私、大学決まったよ。」

「ほんと?おめでとう。」

「智ちゃんは?」

「来週発表。ダメなら後期。」

「そっか。でも、なんかさ。今日で終わりって、実感ある?」

カンナは看板を見て、それから校舎を見上げる。

「終わるっていうかさ、ここにいなくなるのが不思議。」

真面目な顔だった。
智花は、少しだけ笑う。

「智ちゃん、泣くタイプ?」

「泣かない。……たぶん。」

「だよね、智ちゃんそんな感じ。」

カンナの隣に立っている男性が軽く会釈した。
背が高く、落ち着いた雰囲気だ。
智花も小さく頭を下げる。

カンナが言う。

「うちのパパ。今日は、お仕事あったんだけど、今日だけ時間つくったんって。」

男性は苦笑する。

「無理やりじゃないよ。」

「ね、パパ、卒業式終わったら、お昼はあそこに行きたいな。」

「……いいよ。」

けれど、すぐに式が始まる時間になる。

「あとでね。」

カンナはそう言って、手を振った。

式は粛々と進んだ。
時間は静かに流れていく。

来ているだろうか。

式の最後に、保護者席に向かって挨拶をする。
その時に、いてくれるといいな。

いよいよだ。
最後に、全員で後ろを向く。

「ありがとうございました。」

声がそろう。
保護者席を見る。

(やっぱり、いないか……。)

すこし、肩の力が落ちた瞬間。
視界の端に、父がいた。
端の席。
まっすぐ前を見ている。

目の下が、少し赤い。

あれ。
やだ。
なんで。
智花の目尻が少し熱くなる。

父が泣いているのなんか見たことがない。
いや、泣き顔というより、
こぼれそうなものを、必死で留めている顔だった。

式が終わって、最後のホームルームだ。
廊下に保護者が並んでいる。

「保護者の皆様、本日はお子さまのご卒業おめでとうございます」

担任の水野先生が挨拶をした。

その中に、父はいない。
智花はふっと窓の外を見た。

(あっ。)

校舎の外の道を、父が足早に歩いていく。
少し肩をすぼめ、腕時計を確認しながら。

仕事に戻るのだろう。

智花は、その背中を目で追う。
そして、さっきのカンナの言葉を思い出す。

「終わるっていうかさ、ここにいなくなるのが不思議。」

智花は、ゆっくりと息を吐く。
父の泣き顔が、ふと浮かんだ。
智花は、微笑んだ。

(第1話 了)


📚ZAPPING POINT
智花の担任、水野先生の物語→#4 母のほうじ茶
水野先生の母の物語→#5 とっておきのレシピ
水野先生の妹の物語→#16 自分の居場所

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一条 詩紋 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 物語があなたの癒しになれば幸いです。 チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。