第1章 "優れた人間とは" | 創作大賞2025提出スラムダンク評論文「至高の反骨ロック映画『THE FIRST SLAM DUNK』に見る人間世界の真実と私」
1. 優れた人間とは
1.1. 宮城ソータに見るキャプテンシー
この家のキャプテン
宮城ソータという子供は非常に優秀な人物として描かれている。幼くして父親を亡くし母を助けながら、弟と妹をよくみている。そんな主人公の兄ソータだが、父が死んだ時に発した言葉が私には印象的だった。「この家のキャプテンになる」というとても小学生が発することのできない発言である。
この言葉は普通社会を経験していないと発言できない。それは社会というものが大なり小なりの組織が、含まれたり含んだりしながら成り立っている、ということを知っていないとできない。「この家のキャプテンになる」という言葉を言える人というのは、常に集団の中での自身のポジションを確認していて、家庭が社会の最小単位の組織であることを認識している人である。
そしてその組織を誰がリードするか?とかリードすべきか?ということを常に問い続けているタイプとなる。そういう人は利他的であって自身がどう見られどう捉えられるということよりチームの健全さを優先する。このケースであればソータ自身が、母ではなく自分が家庭のリーダーになった方が、より家庭運営が上手くいくことを分かっていたのでそれを選択したということだ。
「頑張った」
幾度もなくソータに1on1を挑む弟リョータだが、何度も何度も負かされてきたようである。ソータという子供は本当の優しさを持っているから、手を抜くということをやらなかったのであろう。ソータの頭の中には弟リョータの成長という目的しかないからだ。
普通に言えば、厳しいとも捉えられる。が、当たり前だが優しい人間ほど大切な人には厳しい。特別大切ではない人相手には一般的に云う優しさでもって接する。優しい人は自分の大切な人が幸せになることしか考えていない。
と、すると、もし大切な人が未熟であったらどうするであろうか?そんな場合はその相手を育てることに知恵を働かし行動する。もしそのまま未熟であったら自分の大切な人がゆくゆく困ってしまうのが見えているからだ。もっと言えばソータのようなリーダー気質な優しい人というのはその利他的さ故に自分が居なくなった場合、果ては死んだ時のことを考えているのかもしれない。であるから父が死んで後が無くなった今、何がなんでも弟を成長させないといけないのだ。
そんなソータはリョータに自分に挑ませるように仕向けたのであろう。自分が優秀な選手であることをわかっているからこそ、そんな自分に挑ませるということすら、私には優しさに見える。質の良い練習相手を選んでやっているのだ。ついに自分相手に弟リョータ が1on1で得点したことをソータはどんなに喜んだだろうか(それと少しの悔しさと)。そして発した言葉は両手で抱きしめての「頑張った」である。これ以上の労いの言葉はない。相手が自分より年少者の場合、考え得る限りの愛情の表現の中で最適である。
自分を悪役にして厳しいコーチングをする。嫌われるかもしれない。そんな思いだって少なからずあるだろう。けれども自分の厳しさがその人のためであることをきっと相手が分かってくれる、という信頼のもとでやり遂げる覚悟がソータにも、田岡監督の魚住への気持ちにもある。そういう優しい人の労りの言葉は胸を打つ。漫画版の田岡監督もそうだった。
1.2. 宮城リョータの持つ視野の広さ
「後半のスコアは26-2… しかしそこまでの力の差はねえ !!」
あまり注目は浴びないが、漫画版にある宮城リョータを宮城リョータたらしめるカッコ良いセリフ。点差ほどの力の差はない、と言い切る場面で湘北の状況は最悪だった。状況が悪い場合、普通の人はネガティブな思考経路を選択し状況は更に悪くなる。他4人のメンバーはそうだったかもしれない時に冷静な状況判断を宮城リョータはできていた。
宮城はもともと視野の広い人物として漫画でも描かれていたが、この映画においては、常に宮城がどこを見ているかが視聴者にわかるようになっているほどに印象付けている。その宮城の視野の広さを分析すべく、ここで少し宮城の生い立ちを見てみよう。
ここまでの宮城リョータの人生は簡単ではない。幼い頃までに父が死んで敬愛する兄まで亡くなった。家庭でも学校にも居場所がないという時期も続いた。いっとき自暴自棄にはなるがけれども宮城は、トータル、そこまでネガティブな印象を与えない。常人ならもう嫌になっちゃうくらいの連続でも、宮城を完全に否定的にしなかったのはなんだろうか?
幸せな幼年期
宮城の楽観主義や自己肯定感を育てたのは、幸せな幼年期である。宮城の幼年期は兄妹でスイカを食べたり絵に描いたような幸せな日々として描かれている。幸せな幼少期、両親の愛情はなんといっても子供に、人生は悪いもんじゃないってことを教える。つまり人生を肯定させてくれる。何か悪いことがあっても、それは一時的なもので、ある程度時間が進んだり環境が変われば良くなると考える子供が育つ。
であるから宮城リョータは今いま悪い環境や状況にあっても、将来的には解消するであろうという根拠のない自信を常に持っていただろうと考えられる。そもそもこの『SLAM DUNK』湘北の5人のメンバーは皆、何か根拠のない自信を持っている(それが自己肯定感と言われるものだ)。
逆に親の愛情を受けていない人は、刹那的になる傾向があるように感じる。何か悪いことがあれば全てが悪いと悲観し、短期間でも良ければ人生がイージーなど言ったりする。宮城リョータはそうではない。
また、その自暴自棄になってバイク事故を起こすようなどん底を宮城は味わっている。宮城の人生環境は良し悪しの振り幅が大きいのだ。環境の振り幅は大きいが、けれども自身の芯の部分の振り幅は少ない、ブレてない。自分がブレていないゆえに環境の良し悪しは糧として吸収していく。そういった人生の酸いも甘い知っている人というのは、強い。その人間の強さや、それ故の視野の広さが宮城にあるのは理解できる。
1.2.2 天才集団を率いた赤木型キャプテンシーと一般人を率いる宮城の寄り添い型キャプテンシー
湘北メンバー5人が輪になって宮城が「俺たちならできる」というところで、赤木は宮城にキャプテンマークを譲った。そのシーンの背景を少し考えてみよう。
実は私は漫画版の最後で宮城がキャプテンになった時に違和感を覚えていた。宮城にキャプテンというイメージがなかったのだ。湘北の2年生にはキャプテンシー不在で、コントローラーという点では安田の方が向いている気もした。けれども、宮城リョータはソータに及ぶようなキャプテンシーを持っていることが映画版で判明する。
宮城のキャプテンシーの原点は映画版で表になった過去の辛い体験であった。他人の心を感じやすく周囲が見え「寄り添える」キャプテンなのだと思う。よくよく観ると宮城は実は周りへの声がけやボディタッチが群を抜いて多い(特に素人の桜木への)。このキャプテンシーは言葉豊かでスキンシップが多く一般にも受けるものだった。その優れた部分を赤木は見抜いていたのだろう。赤木自身とは異なり、その後の三井赤木の二人が抜けて一般人が多くなった湘北を、宮城なら上手くコントロールできると赤木は考えたはずだ。
それに対して赤木のキャプテンシーは背中で引っ張る型であって言葉の説明が少なすぎるキライがある。が、赤木型は強引である分、個性豊かな集団のキャプテンであるのには相応しくて問題児4人を率いるのにピッタリだった。であるので、この時の湘北のキャプテンを赤木として、次の世代のキャプテンを宮城においた作者の辻褄合わせ(現実世界からの真実での裏付け)の上手さに感心するのだ。
1.3. 尊すぎる赤木
赤木の微笑
湘北高校バスケット部主将、赤木剛憲。こんな高校生がいたら驚いてしまうくらい見た目も中身も成熟している人物として描かれている。赤木のバスケット人生は仲間に恵まれるまで難しかったかもしれない。周囲に木暮以外の理解者おらず苦しんだ時期は長かった。それでも赤木は自身の正義を貫き通してきた。自分の才能やプレイに確かな自信を持っており、自身とチームを磨きさえすれば全国制覇できる、という正義である。それ故、多くの無理解な人間の反発を買いほとんどイジメに近いような扱いを高校では受けてきており、漫画でも映画でも度々描かれる。
その状況下でも赤木の信念やその正義が揺れることはなかったし、そのために努力を怠ることをしなかった。その自分の正義に全く反する行動を自分が取らなかったという「赤木の勝ち」の瞬間が映画にはある。嫌味ばかり言ってきていた先輩の亡霊が赤木が倒れている時にやってきた場面で、その亡霊が発した言葉「どうだ上から見下ろす気分は? 俺たちをなんだと思っている」は、赤木自身が周りにそう思われていると思っていた言葉であった。
つまり赤木くらい抜きん出て周囲より優秀な者は、「お前は才能があるから良いじゃん。でも俺たちには無いんだぜ」って言われることを恐れる。それを言われてしまうと何も言い返せなくなるからだ。そして、その亡霊に赤木は一番言い返せないことを言われた。
しかし、そこで赤木が表した表情は困惑や悔しさではなかった。微笑したのだ。
このシーンは私が最も好きな場面である。全てを超えた赤木の信念の揺るぎなさ、そして一切の妥協や後悔の無さが、その言葉すら、最も穏やかな方法、つまり微笑で以てかわすのである。「(太宰的)微笑をもって正義を為す」を実践してみせたのだ。全てを受け止めて、全てを尽くしてきた人間の勝利の瞬間であった。
また、漫画にも同様の赤木の描写がある。海南での牧との戦いの中で、フェイクに一旦引っかかるが二度飛び(怪我の足で)、牧のシュートを妨害する。そして落ちたボールを自身がリバンドした時、赤木は「牧にだって俺は負けてはいない。俺は間違ってはいなかった」と強く思う。自分の信念が間違っていなかったというのだ。この時の赤木の表情をなんと表現したら良いのか……
(※注)(太宰的)微笑をもって正義を為す
太宰治の小説「走れメロス」で使われる主人公達の熱い抱擁直前の「微笑」や、『正義と微笑』の少年主人公のモットーに通じる精神が赤木に見られる。太宰の描いた「微笑」は、単なる表情以上の意味を持つ—真実に裏打ちされた内なる強さの表れであり、正義に対する揺るぎない信念の象徴である。赤木の亡霊に対する微笑は、自らの正義を貫いた者だけが示せる超越的な態度を表現している。
不条理と思える状況の中でも、自らの信念に忠実であり続け、他者の無理解や中傷に対しても怒りや恨みではなく「沈黙」でもって応じる姿勢。これは単なる忍耐ではなく、「何かを守って、それを裏切らずここまで来る」強さである。赤木の微笑は、太宰が描いた「人間の気高さ」を表している。
1.4. 最も難しいことをやってのけた桜木
天才ですから!
「最も難しいこと」とはなんだろう?自分に自分の能力が測れる経験が不足している中で、自分を信じ続けるのいうことはめちゃくちゃ困難なことだ。特に、周囲にあれこれ言われる中では。
この映画を観ていてすごいのはやっぱり桜木なんじゃないかと私は思った。最も難しいこと、つまり桜木が実績も評価も何一つない中で素人としてここまで自分を信じてやってきたことである。普通できない。
素人で高校から何か新しいことを始めて、周囲から下手だと揶揄われたり、ちょっと否定的なことを言われると、その時点で多くの人は耐えられない。自分自身の中にまだ測りができていない時に(知らない時に)、周囲に否定されると、何が正解か判らなくて迷うからだ。
けれどもめちゃくちゃ周囲に馬鹿にされてるにも関わらず桜木は、自分は天才という根拠のない自信だけでやってきたんだからすごい。実際に桜木が周囲に本心から上手いだの才能があるだの言われた場面を私は知らない。全ての場面で桜木は自画自賛しているだけだ。
漫画の作中に、安西監督が桜木を「自分だけが素人という環境の中で彼なりに考えて工夫している」旨を評価する場面がある。聞き手は木暮で「上達が早いわけだ」と唸るわけだが、その通り桜木はいつも考えることや行動することをサボっていない。実績が何もない中で、自信を信じて努力を怠らない、こんな立派な高校生もあまりいないだろう。
そして重要なことを私たちに示唆してくれる。「サボらない」とは「考えて工夫し続ける」ことではないかと。
1.5 最大限の努力を尽くしてきた木暮
自分ができる限りの最大の努力をした人間は、自分すら責めることができない
木暮の表情が印象的なシーンがある。これから反撃だ!という場面で、あっさりと深津に3ポイントを決められた時に、目をつむるところである。このシーンで木暮は言葉も何も発せず、ただ悔しそうに視界と言葉を塞いだのだ。
何か悔しいことが起きた時、誰かのせいにしたい欲求に駆られるのが普通の人間であるし、優れた人間は、自分に間違いがなかったか?注意すべきところがなかったか?と省みる。けれども木暮はこの場面で、どちらも行わない。ただ目を閉じるのである。
これは、木暮が最大限の努力をしてきたであろうことを示している。そうであるから木暮は自分すら責めたりすることもできなかったし、反省することもなかったのだ。運が悪い、相手を褒めよう、との表情だけをただ残すしかなかった。
小暮は言葉を選ぶ
小暮という選手は、言葉選びに非常に慎重である。であるので、言葉を発しないで終わる、こともある。賢者ほど言葉を発するまでのフィルタは多い。例えば「この場にそくしている」とか「誰かの気分を削がない」とか「建設的である」とか多くのフィルタで濾過された言葉だけを公にする。愚者は逆である。
そうすると、小暮のように選び抜かれた言葉だけを口にする人の言葉が重みを持つことも自然と理解できる。小暮が、湘北バスケ部を襲った三井に対して「夢見させること言うな!」とか「お前は根性無しだ」と諭して放った言葉がとても強い印象を与える。簡単に言えば「優しい人の言葉ほど刺さる」ということ。
そんな小暮であるから、この深津の3ポイントの時も、発しようとした言葉をフィルタにかけるうちに、ついには口にすることなく終わった、と解釈することができる。
1.6 気力による粘りが強い三井寿
体力HPが残り1を切ってからが本当の勝負
私は大学時代、山に登っていた。それは遊びの延長という風ではなくて過去部員が亡くなっている命の心配がある体育会の山での活動だった。そこでよく同期と話していたのは「HP1切ってからが勝負だよね」。
その通りで登山の山行時の荷物の重量は30kgを超える。足が地面に沈み込むのを感じるほど重い。始めのワンピッチ(ウチは初めの休憩までは30分の山行であった、残りは50分ずつ)でHP(体力)は満タンの200から1くらいまで落ち込む。
山行開始30分でもうクタクタ、喉はカラカラ、肩や腰は痛い、なのだ。しかしそこから12時間ほど歩くのである。ハーフマラソンくらいの距離を歩き、1500メートルを上がる。
人間って予想以上にタフである。これをやるのか〜!?とはじめ絶望していてもやってのけるのが人間の底力であり、それは「人類の尊さ」である。そんな姿をいつも三井に見る。ファミコンゲーム「くにおくんシリーズ」でよく体力が0になってるのに気力だけで持ち堪えて、いつの間にか気力が体力に変換されていたりする。あの表現ってまさに人間のタフさに相応しく、またいつもの三井の様子にピッタリである。
気力は続く限り「何度でも俺を蘇らせる」のである。
1.7 調停者、2年生安田
コントローラーとして・・・
安田の存在は湘北チームにおいて特異である。華々しいスタープレイヤーではないが、チームの調和を維持するうえで不可欠な役割を担っている。彼はコートの中の「コントローラー」として機能し、個性の強い選手たちの間に立ってチームを一つにまとめる「調停者」の役割を果たしている。
安田の強みは、目立たないながらも確かな技術と冷静な判断力にある。彼はチームメイトのことを常に考え、各選手の特性を理解した上で最適な判断を下す能力がある。可能性がある選手に適切なボールを供給し、例えば赤木のような確率の高いフィニッシャーに最大限の力を発揮させる。
注目したいのは、安田の「空気を読む力」である。彼は常にチームの雰囲気を察知し、時には緊張を和らげ、時には士気を高める言葉をかける。それは単なるスキルではなく、チームメイトへの深い理解と愛情から生まれる能力だ。
「調停者」としての安田は、直接的な対立を避けつつも、必要な時には意見を述べる勇気も持ち合わせている。彼は例えば赤木と宮城のような強い個性の間に立ち、両者の意見を尊重しながらもチーム全体の利益を考えた提案をする。
一見地味な役割かもしれないが、安田のような「調停者」の存在こそが、個性豊かなメンバーで構成される湘北チームが一つにまとまる要因の一つであり、彼の冷静な判断と温かい人間性は、優れたチームに不可欠な要素を体現している
1.8 深津という人物から学ぶこと
1.8.1 深津の「ナイス」の本質
深津という選手が放つ「ナイス」という言葉は、一見すると単なる仲間への励ましのように思えるが、深い意味を持っている。彼の「ナイス」は難しいプレイの成功に対してというよりも、むしろ基本的なプレイの確実な遂行に向けられていることが特徴だ。これは深津という選手の卓越性を最も表す要素である。
深津は山王の中でも特別な存在だ。彼に派手さはないが、バスケットボールの本質を理解した選手として描かれている。「ナイス」という賛辞を基本プレイに向けることで、深津は「バスケットボールとは何か」という本質的な問いに自らの答えを示している。バスケットボールは派手なダンクやドリブルワークだけで勝てるスポーツではない。むしろ、適切なポジショニング、正確なパス、堅実なディフェンスという、観客の目を引かない「基本」の積み重ねこそが勝利をもたらす。
「同じ2点だぴょん」という深津の言葉は、得点競技の本質を一言で表現している。ダンクもレイアップも得点としては同じ2点だ。「どれだけかっこよく決めるか」ではなく「どれだけ確実に得点するか」という実利的な視点を持っている。
また深津の「ナイス」には、チームメイトの成長を促す教育的な側面もある。基本プレイを称えることで、彼は「これこそが大切なことだ」というメッセージをチームに伝えている。特に若手選手にとって、何が称賛に値する行為なのかを知ることは成長において重要である。深津のその基準が、チーム全体を正しい方向へ導いているのだ。
この、基本への彼の姿勢は、あらゆる分野で真に卓越した人々に共通する「基礎の完璧な習得」という要素を体現している。
1.8.2 深津と宮城—対照的なポイントガードの美学 「深津の一貫性」VS「宮城の柔軟性」
深津と宮城リョータ—この二人のポイントガードの対比は、『SLAM DUNK』が描く「優れた人間像」の多様性を示している。両者は同じポジションでありながら、まったく異なるプレースタイルと人間性を持ち、それぞれの形で「卓越性」を体現している。
深津は徹底的な合理主義者である。彼は試合を一種の「数式」として捉え、最も効率的な解法を常に模索する。「同じ2点だぴょん」という彼の言葉は、バスケットボールを結果で測定する思考を表している。彼にとってバスケットボールは芸術ではない。 他方、宮城は直感的なプレイヤーだ。彼は計算よりも直感を、効率よりも可能性を、重視する。
深津の強さは「揺るがない一貫性」にある。これは単に試合中のパフォーマンスが安定しているというだけではない。彼の思考、判断基準、そして行動の全てが、「論理的に」一貫しているということだ。深津は自らの哲学—バスケットボールとは何か、勝利とは何か—についての確固たる信念を持ち、それに基づいて常に行動する。
注目したいのは、深津の一貫性が「思考停止」からではなく、むしろ深い思考と理解から生まれていることだ。このような「哲学」を持つプレイヤーは、チームにとって計り知れない価値がある。なぜなら、彼の存在自体がチームの「正しい」基本方針を与えるからだ。どんな状況でも変わらない深津の姿勢は、山王高校の「最初からバチバチ」という哲学の具現化であり、そのチームの強さの根源でもある。
対照的に、宮城の強さは「情緒による可塑性」にある。彼は試合中でさえ進化し、相手の戦術に対応して自らのプレイを調整していく。感情を力に変え、逆境を跳ね返す復元力がある。これは湘北高校の「諦めない精神」の体現である。
面白いのは、二人が互いに相手の価値を認めていることだ。深津は宮城の予測不可能なプレイスタイルに対して警戒心を抱きつつも敬意を示し(「早いぴょん」)、宮城は深津の冷静な計算と完璧な基本プレイに対して挑戦者としての姿勢を崩さない(「こいつ、焦りとかねえのかよ」)。
二人のポイントガードから学べるのは、「優れた人間」の定義に正解はないということだ。深津の一感性も、宮城の情熱的な適応力も、どちらも「優れた人間」の特質である。重要なのは、自分の強みを理解し、それを最大限に活かす生き方を選ぶことなのだろう。
宮城の可塑性
宮城リョータの「可塑性」は、神経科学でいうシナプス可塑性と類似している。神経細胞が経験に応じて結合を強化、変化させるように、宮城もまた経験から学び、適応し、変化する能力に長けている。
この可塑性は単なる「柔軟性」以上の意味を持つ。それは宮城の脳が状況に応じて新たな神経回路を形成するかのように、バスケットの試合中でさえも戦術やプレースタイルを即座に再構築できる能力を示す。深津が確立された「固定回路」で効率よく機能するのに対し、宮城は常に新しい回路を創造し続けている。
1.9 どこでもエースはれる男、山王6番松本
どこでもエースがはれると評された優れたバスケットマン、山王工業高校6番松本だ。この手の「どこでもエースがはれる」人材というのは実は現実社会の中でめちゃくちゃ重要な人たちである。
1.9.1 どこでもエース松本と、大エース沢北の差
松本は沢北よりも安定しているように表現されているし、沢北のような表情を出す場面も少ない。これは沢北がギフテッドに対して、松本がそうではないということを示唆している。
沢北はギフテッドである。これは漫画で沢北が先輩たちに絡まれて殴られた時に「退屈なんだよ、お前らなんて…」という場面で明確に表現されている。ギフテッドの子供達は常に退屈と戦っている。つまらない小学校の授業、しょうもない大人たちの大人の事情。これらに抗いもするが、子供という立場でどうすることもならないまま時間だけが過ぎていくような待ち時間の退屈さだ。
であるので、ギフテッドである大エースの沢北には環境を必要とするのだ。その環境がなければ沢北はただの「問題児」として片付けられてしまう。それに対して、どこでも上手くやれるのがギフテッドではない(つまり過度激動OEがない)優れたバスケットマンの松本である。
OEがない分、環境や状況を飲みこみやすい。上手く適応ができる。そしてその知性(インテリジェンス)によって難しいこともさばいていく。どんな状況でもきちっと成果を残して周囲の信望を得ていくのだ。そして実は社会はこの手の「どこでもエース」たちによって支えられている。つまり多くの人の理解や支持を得られる範疇で最も優れた人たちという立場で、彼らが多くの組織をリードしたり、もしくは目立たなくてもしっかりと自分の能力を発揮して仕事をしていたりする。
それに対して、大エース沢北は気性のムラ、それによるパフォーマンスのムラをたびたび指摘されている。もしも読者自身が自分をリードする相手として選ぶとしたら、前者を選ぶ人も多いだろう。なんだか、自分を上手く導いてくれる安心感があるからである。
またもう一点、重要な指摘をする。松本よりも沢北の方が、当然だが、注目されつつ敵も多い。流川と宮城が「こいつの悔しがる顔がみてえ」と言ったように、ギフテッドは望まずとも勝手に周りに敵が生まれているケースが少なからずあるのだ。これはギフテッドの「環境のネガティブ化」の一つの姿である。
章立ては以下の予定である。また随時修正加筆は行われる。
優れた人間とは
成長するということ
人間関係
環境
科学からの考察
受験などの競争に通じる話題
「人生」という自分が主人公の物語
『SLAM DUNK』の技術
至高の反骨ロック映画『THE FIRST SLAM DUNK』
2章以降のリンク
https://note.com/matsumoto_taichi/n/n8ce0a712c297
https://note.com/matsumoto_taichi/n/n61bef36206ba
https://note.com/matsumoto_taichi/n/nbbfe98a15cbe
https://note.com/matsumoto_taichi/n/n9c65c72e480f
https://note.com/matsumoto_taichi/n/n46b2ecd9dca3
https://note.com/matsumoto_taichi/n/nd51d58ddfef6
https://note.com/matsumoto_taichi/n/n19b182ced3ec
https://note.com/matsumoto_taichi/n/nb42b8fd3b20e
