極端に流されない、“あいだ”という生き方のすすめ
決めきれない自分が嫌…
迷って、答えが出せないって、ダメな気がする。
そんなふうに感じる時、ありませんか?
私も、極端な時代の中で“迷う自分”を責めてきたひとりでした。
現代は、自由で、選べることが増えました。
でもそれは同時に、「はっきり選ばなきゃ」と
私たちを急かす時代でもある気がします。
白か黒か、正しいか間違いか。
主張が強い方が注目されて、
静かな意見や曖昧な気持ちは
すぐに見えなくなってしまう。
だけど、そんな時代だからこそ、私は
「どちらかを選ばないで立ってみる」ことの
大切さを感じています。
今日は、その“あいだに立つ”生き方について、
書いてみたいと思います。

“あいだ”で立ち止まる勇気
たとえば──
怒りと許しのあいだにある「悲しみ」。
頑張ると休むのあいだにある
「余白を持った頑張り」。
関わると離れるのあいだにある
「心地いい距離感」。
そういう“あいだ”って、
どちらか一方の極端な考え方に飲み込まれると、
すぐに見えなくなります。
けれど、ほんの少し立ち止まって、
「もしかして、あいだにも何かあるかも」
と見つめ直したとき、
心の景色がふっと変わる。
その瞬間、自分の中に、
静かな光がともるような気がします。
あいだを探すって、“答えを出さない”勇気でもあると思います。
どちらにも寄らず、どちらの気持ちも見つめること。
今のように、スピードが早くて、
はっきりした答えが求められる時代では、
それはとても難しいことかもしれません。
けれど、焦らずにその曖昧さの中に身を置いていると、本当に自分に合う答えが少しずつ浮かび上がってくる気がします。
私はこれまでの経験から、
そう感じるようになりました。
“あいだ”を探すことは、自分を知ること
私はこれまでにも、
いくつかの“あいだ”を見つけてきました。
たとえば、「書く」と「休む」のあいだで
見つけた気づき。
「正しさ」と「やさしさ」のあいだを見つけた話。
どちらかを選ばずに、あいだに立ってみたとき、
初めて見えてくる景色がありました。
「あいだを探す」とは、
自分の中にある“ゆらぎ”を許すことでもあります。
「これが正しい」と決めつけない。
「どちらでもいい」と投げ出すわけでもない。
その間で、揺れながら生きる。
中庸って、そんな生き方なのかもしれません。
極端じゃなくていい。
迷いながら、立ち止まりながら生きる
自分を受け入れていく。認めていく。
その揺れの中に、
自分の“ちょうどいい”が育っていく気がします。
今日も、“ちょうどいい”を探してる🪴
🕊️あなたは今、どんな“あいだ”の中にいますか?
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