今も昔も変わらぬ流れ、冷めた暖簾の義侠譚
過去、現在、未来と『暖簾』の目を通して見る人間の正義と悪。
そして人間の倫理の喪失は、未来で計測不能に陥れられたAIに、反乱という形で牙を剥かせた。
考えてみれば人間の倫理なんて入力に対して最適な出力を返すアルゴリズムとなんら変わらなかったのかも知れない。
産み出したという驕りが人間自らに帰ってきたという当たり前の時間の流れだったのかも知れない。
暖簾はまだあの河の渡しの小汚い宿屋の入り口に下がっていた。
黙ってすべてを見聞きしていたんだよ。
あのな、実はあの日な、ツバメのおっかさんも目にしなかった事件があったんだ。
若い浪人と娘は河下で河を渡ることができて、そのまま、めでたし、めでたしといくかと思ったらそうはいかなかったんだよ。
この先、男たちの数百年も先の生き方を変えるんじゃないかと思えるような出来事に遭遇してしまったんだよ。
行きずりの娘を連れて、足早に主街道に出ようと近くの村を通り過ぎていた浪人は、危険が身近に迫っているのを感じ取っていた。すかさず妖刀『八丁念仏団子刺』が「おい、気を抜くんじゃねえぞ」と言った瞬間だった。横を通り過ぎていった百姓の三人組が背後から鍬を振り上げて襲いかかって来たのである。
浪人が団子刺を抜く瞬間を三人は目にすることは無かった。口を開き何かを言いかけた瞬間に二人は骸(むくろ)となっていた。
浪人は腰を抜かした若い男の眉間に団子刺の切先を突き付けながら
「なぜ私たちを狙う」そう聞くと、
「おら達は何も悪い事はしていねえ」と震えながら的外れな答えをする。
なんだかどこかであったような遭遇だと思いながら、
「ならばお前たちの親玉のところへ連れて行け」
そう言い背中に団子刺を突きつけ男に前を歩かせた。
村の人間が皆三人の姿を黙って見ている。女や子ども達はみな痩せて目は落ちくぼんでおり、なんとも寒々とした村だった。
着いた先は村の中でもしっかりした構えの農家、たぶん村長(むらおさ)なのであろう。
浪人の姿を見て村長はポツポツと語り出したのである。
なんの因果であろう、ここの村の住人達も、ただの先祖代々と言う決まり文句にその身を土地に縛り付けられて、やりたくもない百姓仕事を何も考えること無く延々と続けてきているのである。水が豊かに見えるこの土地は、米を作るにはある意味適していた。しかし、この五年間というものは、毎年台風の大雨で河が氾濫してしまい、収穫直前の米の多くは見るも無惨な姿に変わり果て、おまけに収穫出来たそのほとんどを年貢として取り立てられるというのであった。しかも、村長が領主に現状を訴えて、治水と年貢の遅延を直訴してもまったく取り合ってくれないと言う。
無策な治世に苦しめられる民はいつの世にもいる。
浪人はなぜか違う世にはまともな治世があるのだろうか、と考えていた。
一瞬、そんなよそ事を考えていると、団子刺が唸った。
「ギュイン!」
浪人は振り返ることもせずに、左手に立つ女と二人の背後目がけて団子刺を右手で抜き、横に大きく振り、身体を旋回させた。
浪人を村長の話に引き付けて背後から二人を葬るつもりだったのである。
浪人の一振りで村の若者四人が倒れた。それを見て前に出てくるものは一人もいなかった。
村長もこれには驚き、平身低頭で詫び、本当のことを話し出した。
なんと、この村では食い物が無くなって、何年も前から年寄りが子ども達に自分の身体を食わせていたと言う。そして、たまたま村に逗留した医者に、人の肝から作り出す丸薬の製法を教わったと言う。滋養強壮、長寿の元として所望する金持ちは少なくなく、餓死した村人の腑分けをし、食える赤い肉は子達に食わし、金になる五臓六腑は丸薬にしたと言うのである。
村に多少の蓄えも出来、身内の屍を食う必要の無くなった村人達は、今度は河渡しでの溺死者に手を伸ばしたと言う。手抜かりなく領主に知られぬよう悪事を重ねてきたが、この最近どうも話が漏れて、領主が密偵を放ったと聞きつけたという。浪人をその密偵だと思ったのだと言う。
浪人は驚きもしなかった。荒み切ったこの浮世、何があろうと、何が出ようと驚くことは無いのであった。そこへ連れの女が言った。
「ヒデ様、私の奉公する薬種問屋では、決して表には出しませぬが『人胆丸』(じんたんがん)という人の肝から作られた丸薬を扱っております。驚くようなたくさんの金子と引き換えに飛ぶように売れております」
男の名はヒデであった。
そして、村長からヒデはこの村の名を知った。
『鏡村』だったのである。
善良なる民達も、無慈悲が続けば鬼となる。そして鬼は死んでも鬼なのである。永遠に鬼として生き続けるのである。
鏡村には鬼が出る。死ぬに死ねない黒鬼なのである。
死人の肉を喰らうことで生を保った村人たちの心には、いつしかある種の「集合体」のようなものが形作られていった。そして、それはいつまでもこの世に浮遊し続け、それが将来デジタルデータへと変換されていったのである。
ヒデには未来のデジタルデータなんて意味は分からなかったが、将来起こるであろうややこしさや、この団子刺一本じゃ立ち向かえない何かが生まれ出ることを予感していた。そして団子刺もヒデの予感を感じ「ギリギリ」と歯ぎしりをさせているのをヒデは聞いていた。
生きるためには何をしでかしてもいいのか、という極限の倫理観との戦いと、義侠心の向けどころはヒデの大きな葛藤となった。この葛藤がヒデの底力となることをヒデは今はまだ知らないでいた。
そして、この村での出来事に人間の「倫理のアルゴリズム」に関する何らかの負の学習データを含んでいることも知らないでいた。
暖簾は時代が変わろうが、人が鬼に変わろうが、いつまでたっても暖簾でいる。
暖簾は冷静だよ。冷めた目でヒデたちの生きざまとともに世の中の動きを見つめているんだよ。
※『暖簾の義侠譚』シリーズです
