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ダヨ・ウパメカノ(Dayot Upamecano, フランス代表):コンパニのもとでの復活と、FCバイエルン・ミュンヘンとの契約延長!


ダヨ・ウパメカノ

Dayotchanculle Oswald Upamecano
所属クラブ:FCバイエルン・ミュンヘン
生年月日:1998年 10月27日(27歳)
出身:エヴルー, ウール県, フランス
身長:186cm 利き足:右足
ポジション:センターバック




ダヨ・ウパメカノが2030年まで契約を延長!

2026年2月13日、ダヨ・ウパメカノFCバイエルン・ミュンヘンと2030年6月までの契約延長にサインした。ウパメカノがバイエルン首脳陣とともに「2030」の数字がプリントされたシャツを持つ姿は2年前には想像もできなかっただろう。彼は放出候補の1人だったのである。そんなウパメカノのプレーを改善し、世界有数のCBへと「復活」させたのが、ヴァンサン・コンパニ監督だった。

マックス・エバールSDが監督に招聘したコンパニは、戦術を再構築したうえ、前監督のもとで冷遇されたヨズア・キミッヒアルフォンソ・デイヴィスラファエル・ゲレイロなどを積極的に起用。とくに目に見えて改善したのがウパメカノのプレーで、それまで多くみられた不用意なミスが激減し、自身の強みを全面に押し出す、安定したプレーを披露できるようになったのだ。


コンパニが改善したダヨ・ウパメカノのプレー

では、具体的に何が改善したのか。そもそも、それまでのウパメカノのプレーは、RBライプツィヒ時代にユリアン・ナーゲルスマン監督から与えられた特殊な役割の影響を大きく受けていた。代表的なのがドリブルでの前進と、縦パスへの対応。RBライプツィヒで主に3バックの中央でプレーしたウパメカノは、プレーメイカー兼強靭なフィジカルを持つスイーパー役として一躍有名となった。

しかし、4バックでのハイラインを基調とするバイエルンでは、相手のプレスが早いためドリブルは命取りとなり、スイーパーとしての寄せは広大なスペースを相手に提供するのと同義だった。コンパニの見事なのは、それらの問題を修正したことにある。キミッヒを下げることで安定した疑似3バックを形成し、守備では絶対的に優位な状態以外ではプレスに出ないようウパメカノに指示したのだ。


ダヨ・ウパメカノのキャリア

状況判断が明瞭になったことで、ウパメカノのプレーは目に見えて改善した。ビルドアップ、ライン管理、相手に寄せるタイミング。体の向きや動き出しをコンパニから指導されたウパメカノは、紛れもないワールドクラスとなった。では、彼はこれまでどのようなキャリアを辿ってきたのだろうか。ウパメカノは1998年10月27日にフランスのウール県 エヴルーで生を受けた。

ギニアビサウのジェタ島の村出身の父とセネガル人の母のもと、アフリカ系住民の多いラ・マドレーヌで育ったウパメカノは、母親の帰化に伴い、フランス国籍を取得した。15歳のとき、失読症と吃音症を克服するための言語療法セッションを受けるなど、ウパメカノはコミュニケーションに障害があり、それらは内気さや自己表現の困難さを引き起こしたが、ピッチ上での彼は支配者だった。


欧州制覇とザルツブルクへの移籍

ウパメカノは2004年に住んでいたアンジェでサッカーをはじめ、2009年にはエヴルーFC 27に加入。 2013年にはヴァランシエンヌFCのユースアカデミーへ移籍した。ウパメカノの名前が欧州中で話題となったのは、2015年のU-17欧州選手権ジョナタン・イコネルカ・ジダンなどとともにヨーロッパ王者に輝いたウパメカノに、欧州中の強豪クラブからオファーが届いた。

マンチェスター・ユナイテッドFCなども関心を示したというウパメカノは、2015年7月にレッドブル・ザルツブルクに加入を決断。事実上のセカンドチームであるFCリーフェリングでプロデビューを飾ると、SKNザンクト・ペルテンに2-1で勝利。2016年3月にはレッドブル・ザルツブルクでリーグデビューを飾り、主力として活躍したことで、2017年にRBライプツィヒへ移籍。その後、圧巻のキャリアを築いた。


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