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ユリアン・ナーゲルスマン(Julian Nagelsmann):現サッカードイツ代表監督の戦術とキャリアを紹介!


ユリアン・ナーゲルスマン

Julian Nagelsmann
サッカードイツ代表監督
生年月日:1987年 7月23日(38歳)
出身:ランツベルク・アム・レヒ, バイエルン州

監督経歴:
2016~2019 TSG 1899 ホッフェンハイム
2019~2021 
RBライプツィヒ
2021~2023 
FCバイエルン・ミュンヘン
2023~現在 サッカードイツ代表




ドイツの「ベイビー・モウリーニョ」

2023年2月1日、2004年から18年間に渡ってサッカードイツ代表のディレクターを務めたオリヴァー・ビアホフの後任に、元バイエル・レバークーゼンSDのルディ・フェラーが就任した。1990年のW杯優勝メンバーの1人でもあるフェラー氏は、2023年9月、ハンジ・フリック監督の解任を決断したうえ、後任として当時36歳の若手指揮官ユリアン・ナーゲルスマンを指名する。

28歳でTSG 1899 ホッフェンハイムの監督に就任し、ホッフェンハイムの出資者ディートマー・ホップから「ベイビー・モウリーニョ」と称されたナーゲルスマンは、フロリアン・ヴィルツを中軸に据えてドイツ代表を復活させた。UEFA ユーロ2024スペイン代表と演じた熱戦は、記憶に新しい。本テキストでは、ナーゲルスマンの戦術とキャリアに着目し、彼について紹介する。

ユリアン・ナーゲルスマン監督の「3-1-4-2」

ユリアン・ナーゲルスマンの戦術

ナーゲルスマンの戦術にはいくつかの特長があるが、その代表例が「狭い幅でのプレーの原則」「シュタイル・クラッチュ」だ。どちらもホッフェンハイム時代から見て取れる。ナーゲルスマンが率いたホッフェンハイムの布陣は「3-1-4-2」と表されたが、それは中盤が本職のケヴィン・フォクトをDFラインに下げ、サイドハーフを中央に、SBを攻撃的に配置する「4-4-2」の可変式だった。

「狭い幅でのプレーの原則」は、サイドハーフがハーフスペースを主戦場とすることでよりゴールに近い位置でプレーできる上、ゲーゲンプレスがかかりやすくなる、という考えに基づいている。ドイツ代表でいえば、ヴィルツとジャマル・ムシアラがより中央でプレーすることで、強みを前面に押し出す。またSBは「ジョーカー」と称し、攻撃に重要なアクセントを加える役割を与えている。

ナーゲルスマンの代表的な「ジョーカー」だったアンヘリーニョ


ユリアン・ナーゲルスマンの影響

「シュタイル・クラッチュ」はCFがポストプレーで行う際の「落とし」のことで、ナーゲルスマンはこの落としを様々な角度で練習する。必然的に最前線には長身のFWが起用され、ホッフェンハイムではザンドロ・ヴァーグナー、ドイツ代表ではティム・クラインディーンストがこの役割を担った。ポジションの役割を再解釈し、多様な方法で相手を圧倒するのがナーゲルスマンのスタイルだ。

ナーゲルスマンがブンデスリーガに与える影響も大きい。ナーゲルスマンのアシスタントコーチを務めたペルグリノ・マタラッツォディノ・トップメラー、ヴァーグナーはいずれもブンデスリーガ1部のクラブで監督を務めた。実はナーゲルスマン自身は「コーチングの30%は戦術的であり、70%は社交能力だ」と述べるなど、選手マネジメントを重視する。興味深い事実だ。


ユリアン・ナーゲルスマンのキャリア

1987年7月23日、ナーゲルスマンはミュンヘン郊外のランツベルク・アム・レヒで生まれた。1990年、3歳のときにFCイッシングでサッカーを始めると、1999年にFCアウクスブルクへ加入。3年間プレーしたのち、2002年に15歳でTSV1860ミュンヘンのユースへ移籍した。U-17チームのキャプテンを務めるなど将来を期待されたナーゲルスマンは、リザーブチームにまで昇格した。

しかし怪我で試合に出場できず、2007年にはFCアウクスブルクのリザーブチームへ移籍するも、半月板と軟骨を損傷。2度の手術を経て、同年に弱冠20歳で引退を決断した。ただ、ナーゲルスマンには運命的な出会いが待っていた。FCアウクスブルクのリザーブチームの監督がトーマス・トゥヘルだったのである。トゥヘルは、ナーゲルスマンの指導者としての才能を見抜いたのだ。


ナーゲルスマンとトーマス・トゥヘル

トゥヘルは、負傷したナーゲルスマンに相手チームのスカウティングを依頼。提出されたレポートに感銘を受けたトゥヘルは、ナーゲルスマンを自身のコーチングチームに入閣させた。各種の推薦状も認めるなど、トゥヘルがナーゲルスマンを全面的に支援したのは有名な話だ。分析の腕を磨いたナーゲルスマンは、2008年に1860ミュンヘンのU-17チームのアシスタントコーチに就任。

そこで2シーズンを過ごし、2010年には当時ラルフ・ラングニックがトップチームを率いたホッフェンハイムのU-17チームのアシスタントコーチに就任する。2011年にU-17チームの監督に昇格すると、2012年12月には一時的にトップのアシスタントコーチとして活躍。2013年、当時26歳でホッフェンハイムのU-19チームの監督に就任すると、2013/14シーズン、いきなり結果を残す。


ホッフェンハイムU-19での成功

マルヴィン・シュヴェーベグリシャ・プレメルナディーム・アミリを擁するホッフェンハイムのU19チームを、強豪ひしめく南/南西部のリーグ戦で首位に導くと、Aジュニア選手権の最終ラウンドでは準決勝でFCシャルケ04を破り、決勝ではハノーバー96に勝利して優勝を飾ったのだ。翌2014/15シーズンもリーグ戦を首位で通過し、Aジュニア選手権の決勝に進出。

レロイ・サネティロ・ケーラーを擁した、ノルベルト・エルゲルト率いるシャルケ04に決勝で敗れたものの、首脳陣はナーゲルスマンの功績を高く評価。2016年、トップチームの監督に抜擢されると不調なチームを復活させ、遂にはUEFAチャンピオンズリーグ出場にまで導いた。その後はRBライプツィヒFCバイエルン・ミュンヘンの監督を経て、ドイツ代表監督に就任している。


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