ベッルム・スパルタキウム序論
小説なのに序論があるのは、おかしいかもしれない。だが明日から20日に渡って20話連続投降するので、事前にその解説をしようと思う。というのは、予備知識がないと、読むのが厳しいと思ったからだ。(文字数14,002)
トランプがメキシコを空爆するとか、イラン革命政権が間もななく終焉するとか、国際情勢が宴たけなわで、あとAI、Neuro-samaについて書きたい記事があるけど、ちょっと我慢して、小説に集中したい。
余程、大事がなければ、中断しないで20日間連続投降する。
タイトルはラテン語をカタカナ読みにしたものだ。スパルタクスの戦争という意味だ。世界史を習っていない人のために言うと、紀元前のローマで、自由を求めて奴隷蜂起を起した人物だ。約3年間イタリア半島で戦った。
最終的にはクラッススに敗れ、6,000名の奴隷が十字架に掛けられた。
今回、ラテン語と古典ギリシャ語のオンパレードなので、かなり日本語としては読み難いかもしれない。一部、実験的にラテン語の会話文も存在する。AIにチェックさせたが、文法ミスはなく、自然との事だ。
ラテン語の先生に見つかったら、添削されるかもしれないが。
当方、古典ギリシャ語の方が強くて、ラテン語は少々弱い。フランス語やイタリア語からの類推もある。ラテン語の周辺言語から包囲して、理解しているので、ラテン語の感覚はまだ本格的ではない。
小説について言うと、前回20話連続だった『玄奘の旅』と同程度、ブッ飛んでいる。本当の『西遊記』を書いてみたいと思って書いたが、最終局面でイタリアの詩人ダンテ・アギリエリが出て来て、皆さんの意表を突いた。
仏教ファンタジーは『安珍・清姫伝説』を下敷きにして、またやりたいと思っているが、そこまで余裕はないかもしれない。最近、中国仏教に対して、疑いが深くなってきた。教えがかなり曲がっている気がする。
そして今回は、キリスト教に寄っている。スパルタクスは紀元前の人間で、キリスト教以前の筈だが、それでもキリスト教に寄っている。それはどうしてそうなのかは、小説を読んでもらうしかない。ヒントは十字架だ。
このスパルタクスは、世界史で、紀元前73年から紀元前71年の反乱「スパルタクスの乱」と習うあのスパルタクスだが、『ベッルム・スパルタキウム』=「スパルタクス戦争」と呼称したのは意味がある。
スパルタクスは生年不詳だが、紀元前71年死去だけ判明している。当方は、スパルタクスがカプアで奴隷蜂起を始めた時、30歳前後ではないかと推定して、紀元前100年生まれと考えている。あのカエサルと同じ年だ。
紀元前72年が『ベッルム・スパルタキウム』の佳境だ。以下にこの時の主要なローマ側の人物を、年齢も含めて列挙したい。理解を助けるためだ。小説でも一部登場するし、話の中で言及もされる。
スパルタクス(生年不詳~紀元前71年)
Spartacus 紀元前72年 30歳前後 トラキア出身でカプアの剣闘士
マルクス・リキニウス・クラッスス(紀元前115年~紀元前53年)
Marcus Licinius Crassus 紀元前72年 43歳 対スパルタクス戦争→勝利
グナイウス・ポンペイウス(紀元前106年9月29日~紀元前48年9月28日)
Gnaeus Pompeius 紀元前72年 34歳 対ヒスパニア戦争→勝利
マルクス・テレンティウス・ウァルロー・ルクルス
(紀元前116年~紀元前56年)
Marcus Terentius Varro Lucullus 紀元前72年 44歳 対トラキア戦争→勝利
マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日)Marcus Tullius Cicero 紀元前72年 34歳 ローマの元老院議員
ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100年~紀元前44年3月15日)
Gaius Iulius Caesar 紀元前72年 28歳 ローマの神祇官
カエサルとポンペイウスとクラッススは、第一回三頭政治で有名だが、この時はまだその状態になっていない。特にカエサルはローマの元老院議員にさえなれていない。その前の時代の話だ。三人が台頭する前の話だ。
この中で、ルクルスについて、知らない人が多いかと思うので、触れておくと、スパルタクスの故郷、トラキア(現ブルガリア)を征服したローマの将軍である。これはスパルタクスの乱と全く同時に起きていた。
今回、小説を書くに当たって、英語やフランス語で、スパルタクスの小説を読んだが、誰もルクルスに言及していなかった。これは良くないだろう。スパルタクスに大きな影響を与えていた筈なのに、無視されている。
今回、この小説では、ルクルスの影響は言及される。
英語やフランス語で、全てのスパルタクスの小説を読んだ訳ではないので、断定はできないが、これ以外にも酷い作品が多く、プルタルコスさえ読んでいないではないか?と思われる小説が多かった。
プルタルコスの『ビオイ・パラレロイ』のクラッスス伝で、スパルタクスの話が纏まって登場する。アレは基本的な文献だ。だがアレさえ読まないで、ハリウッドの映画を観て書いたようなポルノ小説まである。
とにかく、海外のスパルタクスの小説は出来が悪いのが多くて、途中で買い集めるのをやめた程だ。その中で唯一、フランスのアカデミーフランセーズのイモータル、マックス・ガロの『スパルタクス』は読むに値した。

言語:フランス語
表題:『Spartacus』
著者:Max Gallo(07/01/1932~18/07/2017)
出版社:Fayard
発行年:2006
ページ:466
金額:939円
期間:17/03/2025読了
流石にアカデミー・フランセーズのイモータルだけあって、プルタルコスの『ビオイ・パラレロイ』も踏まえているし、その他の基本文献も読んでいる。唯一、参考になった歴史小説と言える。
マックス・ガロについて紹介するなら、日本の司馬遼太郎か、池波正太郎に相当する作家だろう。この人の『Jeanne d'Arc』の序章だけ凄い。見事に火刑を外的描写している。魂が籠っている。見事なフランス語だ。
ただガロの 『Spartacus』に関して言えば、ちょっと筆に熱がない感じがした。彼はフランス人の魂に関係する歴史上の人物は熱く取り上げるが、スパルタクスはローマ時代の奴隷で、トラキア人なので、遠い感じがする。
この小説の中で、スパルタクスの連れ合い、パートナーとして、アポロニアというヒロインが登場するが、これは当方が構想して事と一致したので、望外の喜びだった。まさか名前まで一致するとは思わなかった。
スパルタクスの伝説では、ギリシャ由来の巫女が登場する。これを当方はアポロニアと名付け、ニアの愛称で呼んでいたが、ガロの小説にも登場する。同じトラキア出身で、ギリシャで修行したという設定も同じだ。
やはり考える事は同じで、普通に文献を読めば、そうなるよねと安心した。当方の『ベッルム・スパルタキウム』では、このギリシャ巫女が、大活躍?する。スーパー・ヒロインだ。やりたい放題書かせてもらった。
この小説は『玄奘の旅』と同じタイプの小説なので、歴史小説とは言えないかもしれない。敢えて言うなら、真理小説だ。未来の小説を書いているつもりだ。だが歴史的な事象なら、誰よりも追及したつもりである。
そう言う意味では、アカデミーフランセーズのイモータル、ガロの小説より、歴史的事象を詳しく追っていると自負している。そもそも当方は歴史小説の定義を知らないが、少なくとも、歴史研究書を踏まえたものだろう。
今回、日本人で極めて優れた歴史研究者がいて、大変助かった。

言語:日本語
表題:『スパルタクス反乱論序説』
著者:土井正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 1993年10月18日)
出版社:法政大学出版局
発行年:1969年
ページ:433
金額:1,091円(+配送料・手数料800円)=1,891円
期間:17/05/2025読了

言語:日本語
表題:『スパルタクスとイタリア奴隷戦争』
著者:土井正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 1993年10月18日)
出版社:法政大学出版局
発行年:1994年
ページ:415
金額:1,970円(+配送料・手数料350円)=2,320円
期間:27/05/2025読了
土井正興の研究書は他にもあるが、特にこの二冊を参考させてもらった。この人、人生の全てをスパルタクス研究に捧げているが、旧ソ連の研究まで取り上げているのが面白い。戦後日本の岩波・朝日文化人の典型だ。
土井正興は、典型的な左翼で、マスクス主義者で、唯物論で無神論者だと思うが、そんな事は関係なく、徹底的にスパルタクスを研究している。少ない文献資料で、スパルタクスの乱を復元しようとしている姿勢が凄い。
土井正興が、人生の全てを懸けて、スパルタクスの乱を復元しようと考えたお陰で、当方はその成果に基づいて、小説を書く事ができた。彼は歴史研究者だから、証拠なく断定はできない。だがあらゆる可能性は示した。
欧州の研究者たちが、スパルタクスの足跡を、日付や場所の特定を必死に試み、それに対して、土井正興が解説し、自説を述べていくが、断定は避けつつ、おぼろげな道筋ができている事は瞠目に値する。これは成果だ。
当方は歴史研究者ではないので、道筋を選択できる。だからこういう道筋で、スパルタクスは歩いたと復元できる。それに基づいて小説化した者は初めてかもしれない。具体的な日付まで分かる年表は以下となる。

この表は、土井正興および欧州の研究者たちが提示した可能性から、当方が選択して作成した。こんな表は他にはないだろう。歴史研究者には許されないが、歴史作家ならOKだろう。歴史小説の定義は知らないが。
歴史小説について言うなら、当方はどうしても司馬遼太郎を思い出す。彼は『坂の上の雲』で、乃木希典を正しく見る事ができなくて、歴史的事実を曲げて、実際に起きていない事を書いてしまった。
多くの人が指摘しているので詳細は避けるが、児玉源太郎が乃木希典を助けに来たという描写があるが、それは歴史的事実ではない。司馬遼太郎の中では、乃木希典は有能な将軍ではないから、そう描かざるを得なかった。
司馬遼太郎は戦争経験者だから、戦時中の教育で、乃木希典が軍神で、それを賞賛する教育を受けて、嫌っていたのだと思われる。だから乃木希典だけ歪んだ人物像になっている。それは彼の個性で、仕方ない事だろう。
司馬遼太郎が、あまりに乃木希典が嫌いだったから、『坂の上の雲』で、歴史的事実ではない事を書いたとしても、それでもって、彼は歴史作家ではないとは思わない。彼は依然として、日本を代表する歴史作家だろう。
またそれはとは別に、乃木希典は偉大な将軍だったと当方は考える。歴史的事象と歴史小説を分けて考える事もできるが、どちらかと言うと、たとえ誤りがあっても、歴史的混同があった方が、人類史を理解できると思う。
マックス・ガロと司馬遼太郎を比較すると、どちらも国を代表する歴史作家だが、司馬遼太郎の方が偉大かなと言う気がする。教育的観点からそう言っている。日本の歴史小説のレベルは極めて高いと思う。誇るべきだ。
もちろん、司馬史観なる見方が正しいかどうかはさておく。
そういう訳で、歴史的事象を徹底的に踏まえつつ、それを乗り越えて霊的観点で書いた。誤りもあるかも知れない。あるいは『玄奘の旅』と同じで、ブッ飛び過ぎて、意味不明かも知れない。読むに耐えない人もいるだろう。
霊的直観とは別に、理性で書いた部分は、歴史について、人類史について、それぞれテーマを考えたつもりだ。これは他ではあまり言及されない観点から書いている。夢で霊人たちと議論して得た成果ではあるけど。
古典ギリシャ語・ラテン語を学び、原典も読めて、歴史の研究書も読んで、戦後日本の岩波・朝日文化人の妄言も読みこなしながら、他の人が当たり前に読むものを踏まえた上で、書いている。文句はなかろう。
以下、目次として、表記する。原題はローマ数字Ⅰ~XX(1~20)
一話は文庫本4ページだ。『シン・聊斎志異』の中に組み込む。
合計で80ページなので、中編小説程度か。
1 俺はドラコー Ego sum draco.
2 木剣と真剣 Rudis et Gladius
3 パンとサーカス Panis et Circi
4 74人の男たち Septuaginta quattuor homines
5 ウェスウィウス山 Mons Vesuvius
6 サリナエ河の戦い Proelium Salinae
7 トウリイ冬営 hiberna Thurina
8 元老院のキケロ Cicero in Senatu
9 ローマのカエサル Caesar Romanus
10 クリクソスの死 Mors Crixi
11 剣闘士の試合 Munus
12 アルプス長征 Longa per Alpes iter
13 南イタリアへ Ad Italiam Meridionalem
14 シチリアか海賊か Sicilia an Piratae?
15 1/10死刑 decimatio
16 未来の歌 Carmen Futuri
17 最後の決戦 Proelium Ultimum
18 英雄の死 Mors Herois
19 アッピア街道6,000人の十字架 Via Appia Sex Milia Crucum
20 ローマの休日 Feriae Romanae
読み難いだろうから、ここに和訳も書いておく。ちなみに20だけ、おまけの小説なので、有料にするつもりだ。タイトルが読めない時は、ここに戻ってくればよい。なお16の「未来の歌」は、以下を参照だ。
少し、歴史的な考察に入る。
歴史において、スパルタクスの乱はこう分類される。
Bellum Servile(ベッルム・セルヴィル=奴隷戦争)
第一次奴隷戦争(紀元前135年~紀元前132年)シチリア 奴隷王Eunus
第二次奴隷戦争(紀元前104年~紀元前103年)シチリア 奴隷王Salvius
第三次奴隷戦争(紀元前73年~紀元前71年)イタリア スパルタクスの乱
スパルタクスの乱の以前に、すでに二回、ローマでは大規模な奴隷蜂起が起きている。これをBellum Servile(ベッルム・セルヴィル=奴隷戦争)と言い、スパルタクスの乱は三回目であり、最大規模の戦いだった。
そしてスパルタクスとクラッススの最終決戦を経て、スパルタクスの乱は終息していく。この二人の戦いは、当時の社会構造的に見て、宿命的だったと思う。それくらい、この二人は利害的に対立していた。
スパルタクスはローマ最下層の奴隷、剣闘士であり、クラッススはローマ最高の金持ちで、奴隷主の中の奴隷主だ。二人の立場は同じ社会の最下位と最上位に位置する。二人の対立は構造的であり、避けられない戦いだ。
この観点に立って見た時、この戦争の意味が見えてくる。
当時のローマ人は、スパルタクスの乱を以下のように呼んでいた。
In Italia bellum
(イニアリア・ベッルム=イタリアにおける戦争)
Bellum Italiae fugitivorum
(ベッルム・イタリアエ・フジティヴォルム=イタリア逃亡奴隷戦争)
前者は、War in Iraqとか、War in Ukraineぐらいの表記だ。一般的にはこの言い方で当時の人々の口に登っていた。後者は元老院等で言われる言い方で、キケロなどが侮蔑的なニュアンスで言っている。
そして後世の人達は主に、以下のように呼んでいる。
Bellum Spartacum
(ベッルム・スパルタキウム=スパルタクス戦争)
戦争なのだ。奴隷蜂起ではあるが、ローマでは、これは戦争というカウントなのだ。それくらい重大な事態で、ローマ人には耐えがたい戦争だった。そしてイタリア全土を巻き込んで、3年も戦いは続いた。
当時のローマ人にとって、奴隷とは、労働力の全てであり、古代奴隷社会は奴隷なしでは成り立たなかった。その奴隷たちが大挙して、反乱を起こした意味は重大だ。社会の根幹を揺るがす。本当に身近な危機だった。
ローマは三回に渡るポエニ戦争以降、拡大路線に入り、ローマ社会はどんどん大きくなり、大量の奴隷を必要とするようになった。そのため、近隣の原始部族社会を侵略した。トラキア人、ガリア人、ゲルマン人などだ。
戦争捕虜として捕え、ローマに奴隷として入れるが、奴隷は人間の本性に反するので、度々反抗、反乱が起きて、問題となった。ローマは解放奴隷という身分も後に作るが、それは多大な功績を上げた奴隷のみに許される。
殆どの奴隷は、戦争で故郷から連れ去られた過去を持つ。元々の原始部族社会で自由を知っていた。だから反発するし、反抗する。ローマ人は、ローマで生まれた奴隷の子を好んで使った。反抗的でないからである。
ローマにおける奴隷の数は、紀元前一世紀のローマ市に限って言うなら、ローマ市民:奴隷=1:1に近い比率だったと言われるし、イタリア全土でも、2:1程度だったと推定されている。それが反乱するのだから大変な危機だ。
そして剣闘士は奴隷の中でも、命そのものが消費される娯楽の対象であり、ある意味、最下級の奴隷だろう。スパルタクスはこの立場に立つ。クラッススはローマ最高の金持ちで大土地所有者だ。所有する奴隷の数も多い。
この二人が、ローマ社会の存亡をかけて、戦ったのが、Bellum Spartacum(ベッルム・スパルタキウム=スパルタクス戦争)という訳だ。間違っても、ハリウッド映画を観て書いたポルノ小説にはならない。
スパルタクスは、カプアで奴隷蜂起を起す時、スローガンとして、反抗する事は悪ではないと言っている。ローマで奴隷にされた者たちの心のくびきから解き放つ言葉を発している。スパルタクスは自由の意味を知っていた。
自由とは何だろうか?
これほど重要なテーマは、政治にとってない。政治そのものと言ってもいい。人類史はある意味、自由を追求してきた。自由が実現した社会を目指してきた。人類理想社会があるなら、それは自由な社会だろう。
ハンナ・アーレントはこう言っている。
“…the end or raison d’être of politics is to establish and keep in existence a space where freedom can appear.”
「…政治の目的、あるいは存在意義は、自由が現れ得る空間を確立し、維持することである。」
彼女は『革命論 (On Revolution)』でも以下の趣旨を述べている。
政治とは「自由の創設 (the founding of freedom)」
これは分かり易い理想だろう。
またフリードリヒ・ハイエクも以下のような趣旨を度々述べている。
自由とは「自発的秩序(spontaneous order)」
“A spontaneous order is an order which emerges as the unintended consequence of individual actions.”
「自発的秩序とは、個々人の行為の意図されざる結果として出現する秩序である」
“Order which is the result of human action but not of human design.”
「人間の行為の結果ではあるが、人間の設計によるものではない秩序」
Order is the result of human action but not of human design.
秩序は人間の行動の結果であり、人間の設計の結果ではない。
そしてミハイル・ゴルバチョフは政治についてこう述べている。
«Политика — это искусство возможного»
政治とは可能性の技術
この文言は元々、オットー・ビスマルクの言葉だったが、ゴルバチョフが多用し、自家薬籠中の物にした。また同じく『ローマ人の物語』の塩野七生も大好きな言葉で、彼女の著作の中では、嫌という程、目にする文言だ。
政治とは可能性の技術ーゴルバチョフ
政治とは自由の創設ーアレント
自由とは自発的秩序ーハイエク
これが人類史が目指してきた人類理想社会の要件だと思われる。ユートピアと言ってもいい。対義語としてディストピアがあるが、皮肉にも三者とも、全体主義社会というディストピアを実際に見て、そう言っている。
少し整理しよう。
スパルタクスの乱は人類史でどこに位置するのか?
➀原始部族社会→例、トラキア部族社会など
②古代奴隷社会→例、ローマ社会など
→奴隷は人間の本性に反する→スパルタクスの乱
③資本主義社会→科学技術による奴隷解放、産業革命、IT革命
→失業者が生まれる。ルサンチマン→暴力革命へ
④全体主義社会→社会から失業者をなくそうと言う運動
→その結果、独裁者による一党独裁体制へ
⑤人類理想社会→ハイエク、アレント、ドラッカー、
ゴルバチョフ、トインビーなどが構想
人類は、➀→②→③と来て、④に進みがちである。ムッソリーニもヒットラーも最初は「社会から失業者をなくそう」と言って、大衆の支持を得た。これはあまり知られていない事だ。この甘言は今でも通用するだろう。
“The road to hell is paved with good intentions.”
地獄への道は善意で舗装されている。
ドイツの第三帝国は、全てのドイツ人に仕事を与えるために、侵略戦争に出たという言い方は可能である。ユダヤ人をガス室に入れて、ドイツ人がユダヤ人の仕事を得る。ポーランド人もそうなる可能性があった。
ドイツ第三帝国の東方生存圏とは、ユダヤ人を滅ぼした後、次はポーランド人を減らして、ドイツ人がその土地と仕事を奪い、ドイツ人の失業者をなくす政策である。「労働は汝を自由にする」とはよく言ったものだ。
Arbeit macht frei.
労働は汝を自由にする。
元々、ドイツの小説の言葉だったが、ナチスが意味を転用した。
ところで19世紀の社会学で、エミール・デュルケムというフランス人がいるが、この人が残した示唆的な文言がある。
« Le crime est donc normal, puisqu’une société qui en serait exempte est tout à fait impossible. »
「犯罪は従って、正常なものである。なぜなら、それをまったく欠いた社会というものは、完全に不可能だからである。」
この文言から以下の有名なテーゼが生まれる。
犯罪者がいない社会はない
さらに当方はこのテーゼから三つの文言を作った。
A 奴隷がいない社会はない→科学が解放 古代奴隷社会 過去
B 失業者がいない社会はない→政治が解放 資本主義社会 現在
C 犯罪者がいない社会はない→宗教が解放 人類理想社会 未来
スパルタクスは、Aの段階で闘争した。奴隷の解放は、人間の本性に反しているという点で正しく、正義だったが、社会的に不可能だった。なぜなら、科学技術が発達していないからである。産業革命が必要だ。
約2,000年後、アメリカ南北戦争で、リンカーンが奴隷解放宣言を出して有名になるが、アインシュタインはこれを評して、奴隷を解放したのは実は科学ですと言っている。これは正しい分析だと思う。
スパルタクスは、➀の段階に戻る事が自由だと考えたが、人類全体がいつまでも、➀の段階にはいられない。②の段階を目指すのは必然である。そういう意味では、歴史的に見て、スパルタクスが破れる事は必然だった。
人類史における社会の進歩の妨げだからである。
なお以下の部分でひっかかる人が大半かと思われる。
⑤人類理想社会→ハイエク、アレント、ドラッカー、
ゴルバチョフ、トインビーなどが構想
C 犯罪者がいない社会はない→宗教が解放 人類理想社会 未来
ヒントは、フランス人、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』2024にある。この本は、社会から宗教をなくしたら、どうなるか解き明かしている。LGBTQ運動がキリスト教信仰を失わせた結果、どうなるか予告した。

言語 :フランス語
表題 :『La défaite de l'Occident 』『西洋の敗北』
著者 :Emmanuel Todd エマニュエル・トッド
出版社:Gallimard ガリマール社
発行年:2024年01月11日
ページ:371
金額 :¥6,991円(2024年03月19日)
読了 :30/05/2024
この本は、社会とは宗教現象そのものであるというマックス・ヴェバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に基づき、LGBTQ運動がこの逆のプロセスを与える事を解説したが、本人はフランスを追われた。
エマニュエル・トッドは、ソ連の崩壊を、乳児死亡率のデータから、予告した実績がある。1970年代の話だ。彼は現代の予言者だと思われる。天才だろう。人口学者という専門だが、人類の社会全般に通じている。

言語 :フランス語
表題 :『La chute final 』『最後の転落』
著者 :Emmanuel Todd エマニュエル・トッド
出版社:Robert ロベール社
発行年:1976年
ページ:371
金額 :¥3,000円(+配送料・手数料360円)=3,360円
読了 :26/07/2025
マックス・ヴェバーの社会科学とエマニュエル・トッドの人口学は、宗教をテーマに繋がっている。特に学問的に、もし人類社会から、宗教をなくしたら、どうなるか解き明かした『西洋の敗北』は重要だと思われる。
神仏への信仰、仏神への信仰を人類が失った時、そこに訪れる社会は破滅しかない。現代ではこの事が全く分からなくなっている。むしろ、宗教を科学的ではないと言って、積極的に滅ぼす方向に追いやっている。
そして「社会から失業者をなくそう」などという甘言に乗せられて、全体主義社会に向かうのである。奴隷も、失業者も、犯罪者も、全て必要悪である。必ず発生する。だがそれを解決し、救済するのは宗教しかない。
正しい信仰心なくして、悪は解決できない。それが人類史であり、人類理想社会への道である。アーノルド・トインビーの『歴史の研究』も、単なる文明論ではなく、世界宗教の本当の意味を説いている。救世主の到来論だ。
イエス・キリストはタイム・マシンだと言っている。
これは本当に驚いたが、正しい指摘だ。
アーノルド・トインビーは本当にとんでもない歴史家だ。
一体何者か?

言語 :英語
表題 :『A STUDY OF HITORY』abridgement of VolumesⅠ~Ⅵ
著者 : Arnold Toynbee
出版社:oxford
発行年:1974年
ページ:640
金額 :¥4,334円
読了 :03/03/2025

言語 :英語
表題 :『A STUDY OF HITORY』abridgement of VolumesⅦ~Ⅹ
著者 : Arnold Toynbee
出版社:oxford
発行年:1985年
ページ:430
金額 :¥4,341円
読了 :26/04/2025
The Saviour with the Time Machine
救世主はタイム・マシンを持つ
イエス・キリストがタイム・マシンであれば、死後三日後の復活も可能だろう。理屈としても成り立つ。こんな解き明かし方をした歴史家は、トインビー以外にいない。もう歴史家の範疇ではないだろう。
救世主がタイム・マシン機能を持つなら、全ては可能であろう。時空をコントロールできるのだから、できない事はない。当方が霊感で、過去世のビジョンを見たとかいう、そんなちんけな霊能力など問題にならない。
それ以外でも、トインビーの『歴史の研究』は、使っている英単語がいちいち気になる。21世紀の文学、映画、アニメ、サブカルに登場する言葉ばかりである。この本は未来へのゲート・ウェイだろう。信じられない。
トインビーは明らかに、人類理想社会を、どこかで経験している。そうでないとこんな本は書けない。それはこの星の出来事じゃなくて、別の天体で経験してるのかもしれないが、とんでもない力を持った魂だ。宇宙魂だ。
当方はこの本の意味を掴む事によって、大分制限がなくなり、かなり自由になった。理論的な根拠が、地上の学問?にあったのだから、遠慮は要らない。『ベッルム・スパルタキウム』を派手にぶちかませる。大砲だ。
奴隷、失業者、犯罪者を救う未来社会の要件は以下だろう。
人類理想社会
「自発的秩序(spontaneous order)」ハイエク
「自由の創設 (the founding of freedom)」アレント
「可能性の技術(the art of possibility)」ゴルバチョフ
「主への信仰(faith)=救世主の到来」トインビー
もし社会から宗教がなくなったらの逆算で、トッドも加えてもいい。
『ベッルム・スパルタキウム』は戦争であるが、戦争についても、触れておきたい。戦争の意味についてだ。アレクサンドロス大王や皇帝ナポレオンに、国際法は通じないという話は以前したが、別の角度から言いたい。
よく「法の支配」「国際法」による秩序というが、それだと、国の国境線が動かない。それは世界史の運動に反する。国や社会が栄枯盛衰して、文明が興隆するのが、世界史である。現実を見た時、平和だけでは世界は進まない。「戦争と平和」が世界史である。人類史である。
平和主義者だったトルストイが、無抵抗主義者だったガンジーに共感を示しつつ、それでもナポレオン戦争を舞台にした『戦争と平和』を最後まで取り下げなかったのは、世界史の現実を知っていたからだと思う。平和を語る時、戦争は外せない。
ハンチントンの『文明の衝突』でもいいし、トインビーの『歴史の研究』でもいいが、人類は地上で戦って、善悪の決着を付けている。場合によっては、霊天上界が送り込んだ神近き転生者が、地上の戦いで敗れる事だってある。それが地上世界で、人類史、世界史だ。
だからドナルド・トランプだって、敗れる可能性はあると思っている。
本当に厳しいのだ。地上の戦いは。だがこれが描ければ本当の文学となるだろう。本当の歴史小説となるだろう。真理文学だ。それは神話に等しい。
余談となるが、イーロン・マスクは、人類史上最高の金持ちであるが、これはローマのクラッススが当時そうだった事と、関係があるのではないかと最近思っている。最高の金持ちも宇宙に通じている。火星だ。
最後にスパルタクスの将軍としての強さについて述べたい。
一位 カエサル
二位 ポンペイウス
三位 クラッスス
四位 スパルタクス
五位 ラビエヌス、アントニウス、
スパルタクスは、その戦い方で、ハンニバルの再来と言われた。ローマを一定の範囲で追い込んだのは事実なので、間違っていない。ハンニバルは熟練の傭兵を率いたが、スパルタクスは素人の奴隷を率いた。
先の年表を見れば、スパルタクスは素人の奴隷を率いて、何度もローマの将軍を破っている。これは瞠目に値する。今回、小説では可能な範囲で、その戦術も描いてみた。これは想像なので、楽しんでもらえれば幸いである。
スパルタクスの本当の偉大さは、自由を目指した事だが、それ以前に、戦術的勝利の多さが伝説を形成した。並の将軍ではないのだ。あと逆にそのスパルタクスを破ったクラッススも只者ではない。
カエサルとポンペイウスとクラッススの第一回三頭政治で、どうしても、クラッススは格下に見られるが、そのクラッススの意味と強さと限界も解き明かしたのが、『ベッルム・スパルタキウム』である。
人類最高の金持ちは、面白いテーマだと思っている。
それは現代のイーロン・マスクに通じている。
色々な事を述べたが、これが当方の歴史観だ。
社会の成り立ち、必要悪から逆照射した。
奴隷、失業者、犯罪者はなくならない。
だからこそ目指すべき理想社会があるのだ。
以上
