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11_「6」の意味_ J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』解説

Q.「六」の意味とは?
「バナナフィッシュにうってつけの日」では、バナナフィッシュが六匹であること、『ちびくろサンボ』で描かれているトラは四頭なのに、本作で木の周りをまわる虎が六頭だといわれること、シーモア夫妻が宿泊している部屋が五〇七号室であること、シーモア・ミュリエル夫妻の結婚が六年目であることなどから、本作における「六」の意味が、先行研究でもさまざまに推測されている。

本稿の解釈はこう。
A. 二つに分裂した心が、三位一体によって結びつく「二×三=六」
以下に理由を述べる。



J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』読解をマガジンで連載しています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。

1 ユングの「六」

サリンジャー作品にはユング派の精神分析学からの影響がみられることは再三述べてきたとおり。本稿では、「バナナフィッシュ」に描かれた六は、ユングが『個性化とマンダラ』で説明している「六という数は創造と生成を意味している。というのは六は(二×三)、すなわち二と三(偶数と奇数=女性的と男性的)の結合だからである」(C・G・ユング、林道義訳、みすず書房、1991年_203)という説から取られたものと考えたい。
 
ここまで見てきたように、本作は、実像と鏡像、青と黄に代表されるシーモアの精神的な分裂、揺らぎと、緑が象徴する統合への願いがテーマとなっている。
 
『キャッチャー』でもホールデンが同じことを二度ずついったりやったりすること、二極の対立と三位一体による融合がテーマとなっていることは下記で示した通り。これは、神話学者キャンベルが示す英雄の旅、聖杯伝説=イニシエーション儀礼の基本構造、分離→移行→統合にも符合する。

「バナナフィッシュ」でも、二人の精神分析医、バナナフィッシュと虎、前半でミュリエルと母が電話で語る木と、後半『ちびくろサンボ』について語るときの木、グリーンのドレスと緑のオリーヴ、円環を象徴する指輪とビーチ・ボールといった対のイメージが複数見られる。
 
神話の英雄を狂気・分裂へ導く「二」と、その統合・再生を象徴する「三」。それを掛け算した時に現れる創造の「六」。ホテルの部屋に「六」が欠如しているのは、この空間で、統合が果たされずにシーモアが死を選ぶことになるからではないだろうか。「六」の代わりにある「0(ゼロ)」はシェイクスピアが象徴的な「死」を仄めかすときに使う言葉「O(オー)」や「nothing」、墓穴や地獄の口にも結びつく(詳細後述)。
 
「バナナフィッシュ」の主な登場人物は三人。シーモア、シビル、ミュリエル。それぞれに、シーモアの実像と鏡像、シビルとシャロン・リプシャツ、ミュリエルと母の鏡像関係がある。つまり、二人の分身が三組、二かける三。この六人が六匹のバナナフィッシュであり、六頭の虎。冒頭、九十七人の広告マンは、鏡の世界の側にいる三人、シーモア、シビル、ミュリエルを足すと百(%=完全な円環)になる数字だろうか。

2 シェイクスピア作品の「六」

「二」と「三」、それを掛け合わせた「六」はシェイクスピア作品にも多用されている数字。ユングとシェイクスピアの共通点は、精神の分裂と統合の象徴としての錬金術的な発想を持っている点といえるだろう。
 
シェイクスピア作品では「二」が、双子や夫婦、友人の別離、あるいは精神の分裂を象徴し、これが事件や悲劇の契機となるのはすでに指摘されていること。例えば、『尺には尺を』では、善人ぶった仮面の裏に悪の心を隠すアンジェロが、あいびきの手順を「二度も」(125)教えてくれる。『オセロー』では、妻への愛と嫉妬に引き裂かれたオセローがてんかんの発作を二度起こす。
 
◆『マクベス』
『マクベス』では、「泳ぎつかれた人間が二人、互いにしがみつき/溺れかけてでもいるようです」(11)「二人の短剣も二本とも、血をぬぐいもしないまま/枕の上に」「その二人を殺してしまった」(67)「悪霊の二枚舌」(170)など、「二」が悪い数字として繰り返し登場する。
 
そのうえで、黒魔術(心を分裂させる〈逆・錬金術〉とでもいうべき魔法)を使う三人の魔女たちは、三人の暗殺者と呼応している。マクベスと話をするときには暗殺者は二人なのに(80)、次に現れるときには三人になっている(91)という変化こそ、おそらくはシェイクスピアが仕掛けたポイントで、これも三×二=六。
 
さらに、魔女たちは「むしゃ、むしゃ、むしゃ」と「キリ、キリ、キリ」を対でいう(16)、「万歳、万歳、万歳」を二度繰り返す(19、20)など、三×二=六の公式に合わせて呪文を唱え、マクベスを狂気へと導いていく。「二倍だ二倍、苦労と苦悩、/ごうごう燃えろ、ぐつぐつ煮えろ」(114)と三度唱え、「地獄の雑炊煮えたぎれ」(114)と黒魔術=地獄の業火によってマクベスの悪事が燃え盛ることを願う。地獄の業火は、イカロスの翼を燃やした炎、神話における浄化の炎につながる。
 
◆『ハムレット』
『ハムレット』では、主人公とホレイショ―=友人すなわち分身同士の「二人」が、先王の亡霊に向かって「三度」、秘密を他言しないと誓う(66)。また、すでに亡くなっている先王を別にすれば、劇中で命を落とすのもハムレットとレアティーズ、オフィーリアとガートルード、クローディアスとポローニアスの6人。象徴的父・母・息子が二組。ローゼンクランツとギルデンスターンも死ぬが、彼らは脇役であり、重要なのが六人であることは、最後の決闘にかけられる駿馬が六頭、細身と短剣が六振り(252)であることで明らか。馬の意味は下記参照。

レアティーズのいう「二度も祝福を受ければ幸せも二倍」(42)や、ハムレットとオフィーリアの「父上が亡くなってまだ二時間なのに」「いえ、もうふた月の倍になります」「ああ、亡くなってもうふた月」(136)というやりとり、劇中劇の「二夫にまみゆるならいっそ呪われたい/二度目の夫を迎うるは、初めの夫をあやめし女」「しとねにて二度目の夫の口づけを受くるは/亡き夫をば二度までも殺すに等しい」(141)というセリフなど、「二」という数字が何度も強調されたうえで、最後の決闘でかけられる懸索(吊り紐)が三本と語られる(252)。ここにも二つに分裂した各ペアは、三位一体を象徴する三という数字によって統合されるべきだという思想が示されているように思える。
 
◆『ロミオとジュリエット』
『ロミオとジュリエット』では、マキューシオ、ティボルト、パリス、ロミオ、ジュリエット、モンタギュー夫人の六人が、『リア王』では、リア王、コーディリア、エドマンド、コーンウォール公爵、ゴネリル、リーガンの六人が亡くなる。(死者の数を数えるなんて趣味が悪いけど、シェイクスピアは神話の型にのっとって彼らが再生するように、という願いを込めたモチーフも随所に書き込んでいる、これについては改めて)
 
◆『十二夜』『夏の夜の夢』
双子の別離からカーニバルがはじまる『十二夜』では、オリヴィアとセバスチャン、公爵とヴァイオラ、サー・トービーとマライア、三組六人の結婚が決まりハッピーエンドとなる。『夏の夜の夢』も同様に、シーシアスとヒポリタ、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアス、三組六人の結婚を祝って、「三組の夫婦ともどもに/仲むつまじくいつまでも」と妖精たちが輪になって歌い踊る(159)。大工、機屋、指物師ら、職人たちが六人であることも意図してのものだろう。そして、この二作品では、「六ペンス」というキーワードが、『十二夜』(56)『夏の夜の夢』(129)三度ずつ繰り返される。シェイクスピア作品において、三度繰り返される言葉は、精神の分裂や統合を促す呪文や祈りだ。
 
◆『ヴェニスの商人』
『ヴェニスの商人』では、「あと二年俺と付き合ってみろ」(16)「二俵の籾殻にまぎれこんだ/二粒の小麦」(17)、ひづめが二つに割れた豚を食べることに象徴されるユダヤ教徒とキリスト教徒の対立(32)、「封印した金袋を二つとも」「値の張る宝石を二個も(盗まれた)」(81)「フランクフルトで二千ダカットもしたんだぞ」(97)、「阿呆の頭を一つ載せて求婚に来たが/帰るときは二つになった」(89)「期限の二週間前から手を打っておくんだ」(99)「その目に魅入られて(恋に落ちて)、私は二つに裂かれてしまった」(101)「私の両の目にはこの人の姿が二つ映っています、/右と左に一つずつ——二人のご自分の二心にかけることね」(187)など、「二」という数字が、対立、別離、狂気、浮気心の象徴として使われている。
 
シャイロックが、ユダヤ人が受ける差別の不当さを訴えた後に、「三人目に誰が出てこようがこの二人にはかないっこない」(97)というセリフが挟まれるのは、この時点でユダヤ教徒とキリスト教徒の対立が最も高まっていることを強調するためではないだろうか。
 
その上で、夫婦を結び付ける「三つの箱」や、ユダヤ教徒とキリスト教徒を結び付ける金の貸し借りについては「三千ダカット」「期限は三カ月」(29・33)とされる。「あなた(アントーニオ)の船が三艘、/積荷を満載してひょっこり港に戻ってきた」(189)と、商売上もうれしい知らせがもたらされる。ポーシャからバサーニオに手渡され、バサーニオが一度は手放した指輪が、アントーニオを保証人として改めてポーシャからバサーニオに贈り直される場面には、三位一体のイメージが重なる。
 
同作に登場する指輪が、バサーニオ・ポーシャ夫妻、ネリッサ・グラシアーノ、シャイロック夫妻の「三つ」であるのも意図されてものだろう。さらにこれが、指輪が正しい持ち主の指から外されていないとき、世界の円環・秩序は破綻して混乱に陥り、指輪が本来の持ち主に戻るときに世界と精神の平和が戻る分かりやすい例にもなっている。「バナナフィッシュ」の指輪については下記参照。この円環が、『キャッチャー』の最初に描かれた三位一体、三人でフットボールを投げ合うイメージから、メリーゴーランドへとつながっているわけだ。

最終的には、「お前の三千ダカットを六千にするんだぞ!」「その六千ダカットの一つ一つが/六つに割れ、割れた一つ一つが一ダカットになったとしても/受け取る気はない」(142)と「六」が現れる(六つに割れるのはバベルの塔の崩壊のイメージ、現世的な金銭への執着心の解体だと思う、詳細は改めて)。
 
そして、結婚するのは、バサーニオとポーシャ、ロレンゾーとジェシカ、ネリッサとグラシアーノの三組六人である。
 
◆その他、覚書として
エリオット『荒地』の五章で三度、天から地上にいる人々へ落とされる雷神の言葉「ダー」、最後に三度、地上から天に向かって唱えられる「シャンティ、シャンティ、シャンティ」という祈りの対もまた同じ。分裂した精神の統合によって心の平和を願うもの。
 
これは先行研究で指摘されていることだが、『キャッチャー』の終盤でホールデンが三度連続で見つける「ファック・ユー」(340・342・345)の落書きは、「シーモア-序章-」に記された「God-damns こんちくしょう」とは「卑俗な形をとった祈り」(196)という考え方と重ねて読むことができる。善と悪、聖と俗といった二極の一致を理想とするサリンジャー作品においては、「ファック・ユー」という最も汚れた言葉は、道化的アクロバットによって聖なる祈りへと反転する。ならばこの言葉は、『ハムレット』で三度繰り返される「誓い」や、『荒地』の「シャンティ、シャンティ、シャンティ」と同じものといえるかもしれない。
 
『マクベス』の魔女たちがいう「運命あやつる三姉妹(中略)ぐるぐる輪になって」というのはちびくろサンボで回転する虎であり、「お前三度に、あたしが三度、お前も三度で三三が九」(18)は、『ナイン・ストーリーズ』につながる数字。『ヴェニスの商人』「九倍の金が戻ってくるはず」(39)『夏の夜の夢』「碩学を悼む九人のミューズ」(134)などシェイクスピアもしばしば使っている「九」が再生を意味することは、先行研究で指摘されている(『ミステリアス・サリンジャー 隠されたものがたり』田中啓史、南雲堂、1996年)。「ゼロ=nothing」から世界を再創造する「六」、そして再生の「九」へ。数字からも、シェイクスピア、ユング、サリンジャーへ連なる精神の分裂と統合、象徴的な死と再生のモチーフが読み取れる。


今回はここまで。「スキ」をいただけたらうれしいです。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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