22_恵みの大雨_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』解説
こちらのマガジンでは、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、聖杯伝説的な側面から読み解いています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。
マガジン_06 から、神話学者のジョーゼフ・キャンベルが『千の顔をもつ英雄』で示した英雄の旅の項目に沿って読み解いています。項目については下記[06_聖杯伝説の構造]をご覧ください。
英雄の旅【イニシエーション】6 究極の恵み
Q.22 大雨にうたれるホールデンが幸福なのはなぜか?
キャンベルは、究極の恵みとして、ノアの箱舟や、その起源といわれるギルガメシュ神話の、大雨がもたらす大洪水、土壌の浄化と、そのあとに訪れる豊饒を挙げ、「過去と現在を浄化して新しい生命を生み出す物語」(G)だと述べている。
『キャッチャー』で水死のイメージが繰り返し語られることは、先行研究でも指摘されていることだ(C・D)。
娼婦を斡旋したエレベーター係モーリスに殴られて床に倒されたとき、ホールデンは「そのまま死んでいくような気がした。ほんとうにそんな気がしたんだ。まるで溺れているみたいだな、と思った。参ったのは、ほとんど呼吸ができないってことだった」(176)と語る。[02_見えない傷](下記リンク)で読解した呼吸困難のイメージは、水死のモチーフと結びつき、英雄を象徴的な死へと導く。
このあと、ホールデンは一時間ほどもじっくりと風呂に入る(178)。ここには、[10_クジラの腹の中](下記リンク)で見たような、クジラの腹的空間に滞在し、傷を癒すイメージがある。これはむろん、「ズーイ」や「大工よ」で描かれる浴槽へもつながっている。シェイクスピアの『オセロー』で「身投げ」する話がいつの間にか「溺れ死ぬ」(52)に言い換えられる場面などとも結びつく表現だ。
その後も、ホテルのバーの洗面所で水にぬれ(257)、濡れたまま外に出て凍えそうになり(259)、池に落ちそうになり(261)、アリーが埋葬されるときに雨が降っていた記憶について語り、そこにギャツビーの葬儀で唱えられる「幸いなるかな、死して雨に打たれるもの」という言葉が重ねられ(263)、ギャツビーが死んだプールや、ディネンセンの『アフリカの日々』の雨の中の死が語られ、ジェームズ・キャッスルにセーターを貸してといわれたとき、ホールデンは驚いて「あやうく息を引き取ってしまうところ」(289)だったし、ジェームズ・キャッスルが身投げして死んだときとき、ホールデンはシャワーに入っていた(288)ことを思い出し、正気じゃないみたいに汗をかく(335)。これらすべての水死のイメージが、物語の最後にホールデンの上に降る大雨へと、一気に流れ込んでいく。ホールデンの過去と現在を勢いよく浄化して、ホールデンは原始的混沌に還り、圧倒的な恍惚に包まれる。
フィービーは、自作の小説で、自分モデルにした主人公を〈ウェザーフィールド weatherfield〉(178)と名づけている。〈weather〉は天気・嵐・雨風を意味するから、架空の世界にいる女神フィービーが、〈field大地〉に洪水をもたらす大雨を降らせるイメージの表現と読める。最後の場面で、「雨が降り出したわ」(358)と宣言するのは、大量の水や母なる海を思わせる青いコートを着たフィービーだ。
浄化と恵みの雨が降り、洪水が起こるのは、神話や文学作品ではお約束だから、他の作品と結びつけようとするときりがないけれど、『キャッチャー』の下敷きになっているエリオットの『荒地』の、〈Ⅳ 水死〉や〈Ⅴ 雷神の言葉〉に連なる場面であることは間違いないだろう。
セントラルパークでの洪水をもたらしそうな大雨は、ホールデンを池に流し込み、魚のように凍りつくイメージを喚起する。タクシー運転手ホーウィッツがセントラルパークの魚について語る場面、「もしあんたが魚であれば、母なる自然(Mother Nature)があんたを助けてくれるんだ」(142)といわれた、その魚となって母なる自然へ還る。魚は先行研究で指摘されている通りジーザスフィッシュであり、ユングによれば迷える魂の象徴だ(詳しくは「バナナフィッシュ」読解にて)。
この大雨は、ホールデンを母なる大地へと送り還し、彼が背負う迷いや罪や汚れを洗い流し、原始的な混沌に包まれる歓喜の中で、英雄の精神的な再生と豊饒を準備する。
以下はノイマンの引用。
太母の体現する集合的無意識が圧倒的になると、無意識内容の洪水が人格の中へ侵入し、その心を奪うが、そうなると太母の強大な自然力によって人格は破壊されてしまう。(中略)英雄の自我意識が「こころ」の創造的な側面と結合するときに、両者の統合としての真の誕生が起こる。自我―英雄とアニマとの象徴的な結婚は豊饒性の前提である。
[02_見えない傷](上記リンク)で見たように、神話やシェイクスピア作品において、血を流すことは、身体・精神の汚れを浄化し、象徴的な死をくぐり抜けて再生・成長すること。下記のように、『マクベス』では、血を流すことが大地をうるおし、次の豊饒を準備する雨とも重ねられている。
今夜は雨かな
そうとも血の雨だ(92)
血を流せ、血を流せ(135)
病んだ祖国を治療する医者を出迎え、/この国を浄化するため/主君とともに我々の血を一滴残らず流すのだ。
流したその血で/尊い王家の花をうるおし、雑草を呑み尽くそう。(159)
荒廃した大地は、大雨や血の雨によって浄化され、うるおい、やがて豊饒がもたらされる。神話で語られる大地とは、一人ひとりの精神の象徴である。
つづきはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解21~30のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
