07_シェイクスピア『ハムレット』解釈:不動産証書について語るのはなぜか?
Q. ハムレットが不動産証書について語るのはなぜか?
シェイクスピアの『ハムレット』の後半、墓掘りと会う場面で、ハムレットは不動産証書の話を持ち出します。王座を奪った叔父への復讐や、オフィーリアとの恋愛を軸に語られていくこの戯曲で、唐突に不動産証書が出てくるのはなぜでしょうか。今回はこの意味について考察したいと思います。
本稿の解釈はこう。
A. 言葉を覚えて土地を所有することが、人として心を持つことの例えだから。
以下に理由を述べます。
シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。
1 騎士道のおきて
『ハムレット』の序盤、ホレイショーは、ハムレットの父であるデンマークの先王が、かつてのノルウェイ王フォーティンブラス(現王子の父)を破った過去があるのだと語り、以下のように続けます。
騎士道のおきてに則った厳しい契約どおり、
敗者は命と共に領土のすべてを
勝者の手に渡したのだ。(中略)
明文化された条約に従い
敵の領土はハムレット王のものになった
ポイントは〈騎士道のおきて〉に則って、〈明文化された条約〉に従い、〈領土〉が勝者のものになったということ。さらに後半、息子(王子)のフォーティンブラスが率いるノルウェイ軍がポーランドへ攻め込もうとしているところに、こちらも息子のハムレットが行き当たる。ハムレットが、どこを攻略しようとしているのかと問うのに、隊長は以下のように答えます。
狙いはほんの一片の土地
何の利益もあがらず、かかっているのは名誉だけ
ハムレットはこの答えに衝撃を受け、以下のように呟く。
人間とは一体なんだ?(中略)
真に偉大なのは
大義がなければ動かない者ではなく、
名誉がかかっているとなれば、
藁しべ一本にも闘う理由を見出す人間だ。では俺はどうか。
父を殺され、母を汚され、
沸き立つはずの理性と血を
ぐっすりと眠らせている。恥を知れ、見ろ、
死を控えた二万の兵士が
名誉というたわいもない幻のため
寝ぐらに急ぐように墓場に向かっている。
いくさの目的は一片の土地。
あれだけの軍勢の戦場としても
死者を埋める墓としても狭すぎるだろう
ハムレットはここで、フォーティンブラスを、名誉のためならば取るに足らない一片の土地、藁しべ一本にも命を賭ける勇敢な騎士として称賛しています。そして、対する自分は父を殺され、母を汚されたのにもかかわらず、いまだに復讐をためらっている弱い人間だと卑下している。これは騎士道精神に則った考え方ですね。
騎士道のおきてに従うなら、ハムレットもフォーティンブラスを見習って、父の名誉のために今すぐにでもクローディアスに向かって剣を振り上げるべき。ところが引用の後半、ハムレットは、騎士道精神が最も重要だとする名誉を「たわいもない幻」だといい、一片の土地は「戦場としても、死者を埋める墓としても狭すぎる」と続けている。この部分で、ハムレットは名誉などという実体のないものに数万人もの命を賭ける価値があるのかと疑問を呈している、さらにいえば、命を賭けるなんて馬鹿げているといっているようにも読めます。
2 To be, or not to be.
一気呵成に放たれるセリフなので分かりにくいのですが、上記の引用の後半で、ハムレットはさりげなく騎士道精神に反する考え方を吐露しているように私には思えるんですね。つまり、ハムレットのこの長い独白は、前半と後半で正反対の価値観を述べているのではないか、という気がする。
これがそのまま、この戯曲の有名なセリフ「To be, or not to be.」と呼応する。前半の騎士道のおきてに則って、名誉のためなら命を賭けて闘うのが「to be」。父世代や先人たちから教えられた価値を信じて、父の名誉のために復讐を果たし、それを良しとして生きていくこと。対して後半の、名誉という幻に本当に命を賭ける価値があるかどうかに疑問を持ち、自分の頭でしっかり考え直そうする姿勢が「not to be」。所与の価値観について、いま一度立ち止まって再考し、自分が心の底から本当に正しいと思える道を選び取ろうとすることではないかと、私は思う。
前回、ハムレットは「父の名誉のために復讐せよ」と命令する先王の亡霊や、判事のように社会のルールを教え、オフィーリアと別れさせようとするポローニアスらから与えられた「言葉、言葉、言葉」の呪いに囚われてがんじがらめになっているのではないかという解釈について述べました(詳細下記参照)。
一方、キリスト教の教えは「汝、復讐するなかれ」。復讐は宗教的には禁じられている行為。下記にあるように、ハムレットは亡霊に会う前から自殺願望を持っているのですが、神が禁じているからという理由でそれを実行できない。
せめて全能の神の厳しいおきてが
自殺を禁じていなければ。ああ、神よ、神よ!
この世のいとなみ(慣習)の一切が
退屈で、陳腐で、凡庸で、無駄に思えてならない!
How weary, stale, flat, and unprofitable
Seem to me all the uses of this world!
ハムレットは本来、神のおきてには逆らわない人。すると、復讐すべきか否か、生きるべきか死ぬべきか、To be, or not to be, というのは、騎士道のおきてに従うか、神のおきてに従うかの迷いということになる。ハムレットは勇敢なフォーティンブラスを讃えつつ、たかが一片の土地のために数万の命を賭ける愚かさを嘆く。騎士道精神という観点ではフォーティンブラスこそ理想の姿であることは、ハムレットも分かっている。けれど、強い騎士でありたいと同時に、倫理的・道徳的にも優れた人間でありたいと望み、神の教えを守ろうとするハムレットにとって、一片の土地や名誉のために命を賭けて闘うことが本当に正しいことなのかどうか、もう確信が持てなくなっているのではないでしょうか。
ハムレットは三叉路で、快楽の道へ進んで悪に染まるか、苦難の道を選んで善を成すか悩む《分かれ道のヘラクレス》なのだという解釈については以下で述べました。
「人間とは一体なんだ?」を含む長い独白の中には、ハムレットが人生を選び取ろうとする揺らぎ迷う気持ちがそのまま表れているのではないでしょうか。ハムレットのなかに芽生えた自我が、名誉という幻のために命を賭けること、父の復讐のためにクローディアスを殺すことが本当に正しい道なのか、〈騎士道のおきて〉に対して疑問を感じ始めている。そして、「人間とは一体なんだ?」というハムレットのつぶやきは、この迷い全体にかかっているのだと思います。
3 名誉は幻
さらに、上記の後半の文章では、この世の慣習が嫌だといっている。立派な王子として、こうあらねばならないという規範や世間からの目が、ハムレットを見えない糸で縛っている。ポローニアスが息子にいう「財布が許すかぎり着るものには金をかけろ」(43)という忠告なども、広い意味では、名誉や大人社会のマナーにかかわる事がらですよね。オフィーリアは、かつてのハムレットは「流行の鑑、礼節の規範 The glass of fashion and the mold of form」(125)だったのに、今では気が狂って「気高いご気性が壊れてしまった!」と嘆く。流行のファッションも紳士としての礼節も、移り変わりの激しい社会の荒波を渡って行くために役立つ資質。世間体のようなものを重視する老人と、世の中の慣習をうっとうしく思い、自分の心のままに振舞いたい若者との価値観の違いが表され、それがハムレットの狂気と結びつけられているように思います。
『リチャード三世』には以下のようなセリフがあります。
王侯貴族が称号を持つのもただ栄光のため、
内なる苦悩と引き換えの外側の栄誉にすぎない。
手応えのない幻影のために
山ほどの不安と心労を抱え込まねばならない。
『終わりよければすべてよし』ではこう。
名誉は、その言葉だけでは/奴隷だ(77)
名誉が危険を冒して勝ち取るのは傷ひとつ、
そのせいで命まで失うこともある(110)
シェイクスピア作品には、名誉は幻影であり、命を賭けるのには値しないという思想があるように思う。すると、ハムレットのセリフにある名誉のために一片の土地を争って命を賭けるなんて、という言葉も否定的なニュアンスで読みたくなります。
4 大人の会話は証文で
最初の引用文には領土の受け渡しが「明文化された条約に従い」行われたとありましたね。また、この後には、王がノルウェイへ向かう使節に以下のようにいう場面があります。
この親書をノルウェイ王に届けてくれ。
王との折衝に当たっては
お前たちの権限には限りがある。
ここに記した条項の範囲を超えてはならない
一見、あたりまえのことが言われているだけの何気ないシーン。ですが、シェイクスピア作品では、書き言葉が大人同士の理性的な判断に基づく正式な契約の意味を持ち、未来に多大な影響力を及ぼすのに対し、話し言葉は子供や狂気の人が一時的な激情にまかせて発する頼りないものとして描き分けられていることは、前回(上記リンク)も示したとおり。
不必要にも思えるこの場面で、書面に記されたこと以上の権限はないと改めて強調されているのには、この戯曲において、書面に記した言葉が優先される、王が書き記した言葉が絶対なのであり、臣下がそれを超えた交渉をしてはならないという価値観が重要であることを示すためだと思うんですね。
現実社会でも、約束事を確かめる際、正式な証明書・契約書があるかどうかが鍵になりますよね(厳密には文化や慣習の違いによりさまざまなのかもしれませんが)。口約束だって守らなければ失礼ですが、それだけでは少々頼りない。前回考察した、ハムレットが父の言葉を忘れないと誓い、〈手帳(table/book)〉に書き記すという行為もこれと同じ。証文のように、紙に記してサインをし、判子を押せば、それは確かな約束事として認められたことになる。簡単になかったことにはできないものになるわけです。
中盤では、ノルウェイから帰国した使節が、ノルウェイ王からの「請願状」を持ち帰る。交渉の「諸条件は/この書面に」と報告するのに対し、クローディアスが「満足だ。/折りをみてじっくり読み、/この件に関し考慮のうえ、返答しよう」(82)と答える場面が描かれています。国同士の交渉が、正式な書面を通してなされるのだということが、再三描かれ、印象付けられていきます。
5 証文批判
ハムレットは、父の言葉を頭に刻んで、復讐を果たそうと思っても、宗教的な倫理観には反するし、義父の真似をして恋人に贈り物を捧げても振られてしまう。そんな自らの情けない現状を「天国も地獄も復讐しろとせきたてているのに/淫売のように、胸いっぱいの憂さを言葉で晴らすしかない。/口汚く罵りわめくだけ、売女同然だ」(113)と語り、自らの言葉の拙さを嘆きます。「淫売のように」というのは、「もろきもの、お前の名は女」(30)といって批判した女性と同じように、自分の心もまた魚のようにもろいと自覚していることの現れですね。
そしてここでハムレットは「憂さを言葉で晴らすしかない」ことを否定的に見ている。さらに、国外追放から帰国したハムレットは、ホレイショーと連れ立って墓地を通りかかり、墓掘りの道化たちと言葉を交わす。墓掘りたちが誰の者とも知れない頭蓋骨を掘り出すのを見て、以下のように言います。
今度は法律家の頭かもしれない。お得意の詭弁や屁理屈はどこへ行った? 訴訟や所有権やあの手この手は?こんなめちゃくちゃな野郎に泥まみれのシャベルでこづき回されて、どうして黙っている?(中略)ふん、こいつも生きていた頃は、しこたま土地を買い占めたんだろう。借金や抵当の証書を振り回し、和解譲渡、二重訴訟参加請求、なれ合いの不動産回復訴訟なんかで大わらわだったんだ。そのなれ合い訴訟のなれの果てがこれか、譲渡の結果、結局手に入れた土地は頭蓋骨に詰まった土だけか? 証人たち、二重訴訟の証人たちも、こいつが買い入れた土地は、契約証書の大きさ程度だとしか証言してくれないだろう。証書類を集めれば棺桶には収まりきらない量だろうに、ご当人の所有地はこれっぽっちだ。
シェイクスピア作品で、法律家は社会のルールを息子に教える象徴的父と重ねられることは、前回の記事(上記リンク)で述べました。ここでハムレットは、法律家、つまりハムレットに社会のルールを教えようとする父たち・先人たちの「詭弁や屁理屈」を「借金や抵当の証書を振り回」すことと重ね、徹底的に批判し反発する。
前回、『ハムレット』では義父ポローニアスが判事に例えられ、ハムレットにとっての象徴的父の一人であり、社会の規範を教えるルールブックのような役割を果たしている。それが、先王の亡霊から聞き、ハムレット自身が頭のなかに刻み込み、手帳に書き込んで、決して忘れないと誓った父の言葉と重ねられるのだと述べました。この場面でハムレットは、父親世代が振り回す証書類を批判しながら、ポローニアスのルールブックや、父の亡霊がいった言葉、それを象徴する先人が書いた書物の「言葉、言葉、言葉」に反発しているように思える。それは、先に触れた〈騎士道のおきて〉といわれるものに反旗を翻すこととイコールなのではないでしょうか。
6 一片の土地
ノルウェイ軍がポーランドに攻め込む場面では、〈騎士道のおきて〉が重要視する名誉という幻を証明するために「墓としても狭すぎる」ような「ほんの一片の土地」を取りあう事態が語られていました。これが上記の墓掘りの場面の伏線にもなっていますよね。
ハムレットは、法律家が扱う証書類を批判すると同時に、土地を所有することの愚かさについても語っている。生前にどれほどの不動産を持っていたとしても、死んでしまえば、頭蓋骨に詰まった土、墓穴の分の土地しか残らないのに、多くの人は不動産を得ようと必死になる。フォーティンブラス率いるノルウェイ軍は、一片の土地と名誉という幻のために、命を賭けて戦争をしている。そんなことをしているのは人間だけ。「人間とは一体なんだ?」というわけです。
さらにこのあと、ハムレットは臣下のオズリックについて以下のようにいう。
大地主でね、しかも肥えた農地だ。牛馬なみの人間でも、牛馬をたくさん持っていれば、王様の食卓に同席して、自分の飼い葉桶を並べてもらえる。金ピカの田舎者だが、いま言ったとおり泥だけは山ほど抱えこんでる
そんなオズリックを、ハムレットは「時流に調子を合わせ、上っ面の社交辞令だけを身につけた」「あぶく」のような者だとこき下ろす。愚かであることと、土地持ちであることが結びつけられているんですね。そして、帽子を被って去っていくオズリックの姿を、「生まれた途端に頭に殻をのせて走り回るタゲリそっくりだ」(254)と笑っている。この解釈については[03_ヘラクレスの二面性とは?(上記リンク)]で示したとおり。早熟なタゲリは、損得勘定や上の立場の人に媚びへつらう能力には長けていても、本質を見抜く能力に欠けている。この場面からも、ハムレットが名誉や一片の土地を賭けて闘うことを否定的に見ていることは明らかに思えます。
7 紳士で土地持ちのアダム
また、墓掘りの場面では道化の墓掘りが「古い家柄の紳士はよ、もとはと言えば一人残らず庭師か溝掘りか墓掘りだ——みんなアダム様のなりわいを引き継いでんだ」「アダム様は紳士だったのかい?」アダムは「この世で最初の土地持ちよ」「聖書にゃちゃんと書いてあるぜ」(227)と言います。紳士は大人の振舞いができる、社会、とくに上流階級のルールや価値観に従って行動できる男性のこと。
最初に知恵の実を食べて、知恵や言葉を覚えたアダムは、はじめに土地を所有した人物でもある。土地に境界線をつけて、自分の土地とそれ以外の場所を区別し、不動産に関する契約証書を書くことも、名誉のような幻のために命を賭けることも、知性を持ち言葉や記号を理解して、実体のないものについて考えられる人間だけができること。人間的な喜びも苦悩も、もとはといえば知恵の実を食べることから始まる。
オズリックが例えられるタゲリ、幼いころから怪力だったヘラクレスに象徴される早熟さは、早くに言葉を覚えることで、不動産や金銭といった現世的な価値観に縛られ、右往左往する性質と重なるもの。タゲリが頭にのせている卵の殻、オズリックの帽子は道化・愚か者・foolのしるしで、現世的な欲望にとらわれて滑稽な振る舞いをする人物の象徴。そんなことを思いながら、自身も狂ったglobeを肩の上にのせている自覚のあるハムレットはつぶやくわけですね、「人間とは一体なんだ?」と。
また、『オセロー』に「俺たちの体が庭ならその庭師は自分の意志だ Our bodies are our gardens, to the which our
wills are gardeners.」(50)とあるとおり、シェイクスピア作品で庭は一人ひとりの心身の象徴。庭師として庭を手入れすることは、自分の体や心を整え育てていくことであり、そこが美しい花々が咲き乱れる楽園になるか、荒廃した地獄と化すかは自分次第。ハムレットが「まるで雑草が伸び放題の/荒れ果てた庭。むかつく下劣なものだけが/わがもの顔にのさばっている」(30)と嘆き、母に「雑草に肥やしをやって/ますますはびこらせるのはおよしなさい」(172)と諭すのも同じこと。言葉を話し、心を持つ人間は、自分の領土・庭をせっせと手入れする。それが知恵の実を食べたアダムから続く宿命。「人間とは一体なんだ?」というハムレットの問いに対する答え、というかヒントなのだと、私は思う。王宮の庭園(楽園)で昼寝をしていた先王が、悪魔に耳をたぶらかされて地獄へ堕ちたという解釈については、[01_両耳に流し込まれるヘボナの毒の謎](上記リンク)で述べた通りです。
8 『お気にめすまま』のアダム
『お気に召すまま』でライオン=兄と闘うオーランドーも、ハムレットと同じ、若いころのヘラクレス(32)に例えられる若者。冒頭、宮廷の庭園(楽園)にいるところから、追放されて森へ向かう際、アダムという名の従者と連れ立っていく。アダムがオーランドーのシャドウなんですね。これが聖書の楽園追放と響きあう。
『ハムレット』の先王が宮廷の庭で昼寝をしているときに毒殺されて地獄に落ちるところから物語がはじまるのと同じ。最初の人間が楽園から追放されたところから苦悩がはじまる、それが人間の物語だという考え方が、シェイクスピア作品にはある。
『お気に召すまま』の森では「ここで私たちが感じるのはアダムの受けた罰/つまり四季の移り変わりだ」(48)といわれる。楽園は常春夏秋で、いつでも花々が咲き乱れ、果実が実る場所。だけれど、地上には四季、厳しい冬がある。シェイクスピアの『冬物語』というタイトルにそのまま示されている通り、植物が死に絶える冬は、耐え忍ぶ苦しみの季節。翌年に美しい花を愛で、豊かな実りを得て命をつなぐためには、庭師や農夫として、与えられた土地を手入れしなければならない、労働しなければならない、それがアダムやカインとアベルから続く宿命なのだということでしょうか。
9 『リア王』紳士か地主か
『リア王』には以下のようなやり取りがあります。
道化 気違いは紳士か、ただの地主か、どっちだい?
リア 王だ、王だ!
道化 はずれ。紳士の息子を持った地主だよ。だってさ、自分の息子が親を差し置いて紳士になるのを黙って見てるなんてのは、気違いだからね。
前述のとおり、紳士は騎士道精神に代表される現実的な価値観やルールを身につけた、名誉を重んじる大人の男性のこと。証文を取り交わし、地主になれるのは、知恵の実を食べたアダム=紳士。『リア王』は、リアが自分の領地を三人の娘とその婿たちに分け与えようとするところから始まりますね。さらに、リア父娘の物語と並行して、鏡映しのように父グロスターと二人の息子エドガー、エドマンドの関係も、エドガーに譲られるはずのグロスターの領地を、エドマンドが横取りしようと画策するところからこじれていく。
ここで気違いだといわれているのはリアのこと。紳士だといわれているのは、息子エドマンドと、リアの長女ゴネリル、次女リーガンのこと。女性は紳士ではなく淑女と表現されるべきなのかもしれませんが、この作品では、ゴネリルがオールバニーに糸巻き棒を渡すシーンで、男女の役割の反転があるので紳士でいいのだと思う(この詳細は改めて)。彼・彼女らは、現世的な価値観に染まり、本能的な愛よりも、理性に基づく金銭的な損得を優先する人間。道化はリアを、息子や娘が俗っぽく卑しい人間に育っているのに、黙って見ていることしかできない気違いだと馬鹿にしている。そして、そんなリアは地主であり、領土を娘たちに分けたことが彼らの分断を決定的にしたと笑っているわけです。
10 不動産用語
『恋の骨折り損』は、学問に打ち込んで男性社会で名誉を確立したいと考えたナヴァール王が、仲間とともに、三年間女性との交際を断つと誓い、誓約書に署名する場面から始まります。ナヴァール王も仲間たちも、みな誓いを破って次々恋に落ちてしまう様が楽しい喜劇なのですが、この作品でも、ナヴァール王がフランス王女に恋をすることが、「領地譲渡」(18)という形で示される。
別の場面では、好きな相手にキスしようとしたボイエットにキャサリンが「私の唇は共有地じゃないの、私有地です」といい、ボイエットが「所有者は誰です?」と問うのに、キャサリンが「私の運命と私自身」(56)と答える場面もあります。シェイクスピア作品において、領地は精神世界の象徴であり、それを相手に明け渡すことが、心を奪われること、恋に落ちることの象徴になっているんですね。
『冬物語』では、妻を友人に寝取られたと勘違いして落ち込む王レオンティーズの様子が「まるでご自身同様大切にしてこられた領地を/失ったとでも言いたげ」(39)だと表現される。だからこそ、『テンペスト』で、無人島に流れ着いたゴンザーローは、「一エーカーの土地が欲しい」「どんな荒地でもいい」(14)と叫ぶ。これが無人島に自らの王国を築いたプロスペローの精神的な豊饒を浮かびあがらせるんですね。
この考え方を踏まえて読むと、『リア王』の冒頭で、リアが領地のすべてを娘たちに分け与えてしまったことが、どれほど致命的な行為かがわかる。T.S.エリオットが『荒地』というタイトルに込めた意味がしみじみ理解できる気がします。
『終わりよければすべてよし』には以下のような言い回しがあり、注釈に「不思議な言い方。なぜならbequeathedという語は「(人に動産や金を)遺言で譲る、遺贈する」という意味だからだ。以下この台詞には金銭的・財政的なメタファーが使われている」とあります。
あの娘は私に遺贈されたようなものですし、あの娘自身、たとえほかに利点がなくても、いま受けている以上の愛を求める正当な権利がありますからね。私にはあの娘に支払った分より借りているほうが多いのです。これからもあの娘が要求する異常に払ってゆくつもりよ。
Her father bequeathed her to me, and she herself, without other advantage, may
lawfully make title to as much love as she finds. There is more owing her than is paid, and more shall be paid her than she’ll demand.
これが後半の以下のセリフと響きあう。
バートラム この指輪は我が一族の名誉で、
何代にもわたって先祖から遺贈されてきた(中略)
ダイアナ 私の名誉もその指輪と同じです。
私の純潔は我が一族の宝石で、
何代にもわたって先祖から遺贈されてきた(中略)
あなた自身の賢明な言葉が
私の名誉を守る戦士を呼び寄せました
BERTRAM It is an honor ’longing to our house,
Bequeathèd down from many ancestors
DIANA Mine honor’s such a ring.
My chastity’s the jewel of our house,
Bequeathèd down from many ancestors,
Thus your own proper wisdom
Brings in the champion Honor on my part
遺言で金銭を譲り渡すのも不動産の売買と同じように、言語を扱う人間だからできること。そしてここでは、〈遺贈 bequeathed〉という言葉が〈名誉 honor〉と結びついています。どちらも現世的な価値観、騎士道のおきてが支配する大人の社会でこそ重要視される考え方ですよね。
また、『ハムレット』と関係の深い『ジュリアス・シーザー』では、以下のような言い回しがあり、注釈に「堅い法律用語」「土地・不動産の保有に関する用語を使っている」とあります。
結婚の誓いには
あなたに帰属する秘密は何ひとつ
私は知ってはならないという付帯条項がありますか?
あなたと一心同体だということに但し書きが付くのですか、
Within the bond of marriage, tell me, Brutus,
Is it excepted I should know no secrets
That appertain to you? Am I your self
But, as it were, in sort or limitation,
ここには、夫婦は一心同体であり、それは互いの精神的な領地を明け渡しあうことと同義だという意味が読み取れますね。シェイクスピア作品を読んでいると、ときおりこういう風に注釈に「法律用語」や「不動産用語」が使われていると記されているのに行き当たります。これらの基盤には、アダムが知恵の実を食べ、言葉を話し、土地を持つようになったときから、精神的な領土をいかに耕し管理するかに人々は汲々とするようになったのだ、という考え方があるように思います。
11 最後まで名誉を重んじるレアティーズ
物語の終盤、レアティーズとの決闘の前、ハムレットはポローニアスを殺し、オフィーリアを狂気と死へ導いてしまったことについて、「許してくれ、レアティーズ、済まないことをした」(257)と謝罪する。レアティーズは「いまのお言葉で胸のつかえがおりました。」と謝罪を受け入れつつ、以下のように述べます。
しかし名誉に関しては別です。
誉れ高い長老方の
ご判断を仰ぎ、和解の先例をうかがって
私の名折れにならないと分かるまでは
和解はごめんです。
レアティーズはいまだに騎士道精神にのっとった〈名誉〉を最も重んじており、長老の言葉によって形づくられた世界観・価値観の中で生きていることが改めて強調されています。そんなレアティーズを、オズリックは「紳士の鑑、目録でございます。どこをとっても紳士ならこうありたいと願うことばかり he is the card or calendar of gentry, for you shall find in him the continent of
what part a gentleman would see.」(250)だといっていますね。ここでの紳士gentryというのは、騎士の言い換えとして捉えてもいいかもしれません。
ポローニアスやオズリックら、年長の男性から教わったルールを信じて疑わないレアティーズは、ハムレットを鏡映しにした姿。ハムレットが選ばなかった方の未来。心の中に押し込めたもう一人の自分。ハムレットには一度、クローディアスに復讐する絶好の機会がありましたが、そのときを逃しましたね。あの瞬間を、騎士道精神に反抗し、一度は復讐をしないという選択、「not to be」を取ったと考えるなら、父の仇と勘違いして王に本気で剣を振り上げたレアティーズは、名誉を重んじる騎士道精神にのっとった未来「to be」を取った人物。(ハムレットによるポローニアス殺しは、騎士道精神というよりは未熟な若者の怒りに任せた衝動的なものなので、ここでは考慮すべきでないと思う。それでも結果的にはハムレットが人殺しとなり、レアティーズは未遂に終わっているのが、また皮肉なところですが)
象徴的父の与える騎士道精神と対決していたハムレットは最後に、自分と同じ世代でありながら父親世代が理想にかかげるような大人になろうとしているレアティーズ、「to be」の方を選択したもう一人の自分と対決をすることになる。そして、死の間際、ホレイショーに生きて汚名を晴らしてくれというハムレットも、名誉を完全に忘れているわけではないのでしょう。
12 運命の矢玉、艱難の海
すると、ハムレットの以下のセリフの意味も見えてきます。
生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ。
どちらが雄々しい態度だろう
To be, or not to be, that is the question.
Whether ’tis nobler in the mind
やみくもな運命の矢弾を
心の内でひたすら耐え忍ぶか、
艱難の海に刃を向け
それにとどめを刺すか。死ぬ、眠る——
それだけのことだ
to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles
And, by opposing, end them. To die, to sleep—
No more
このあとハムレットは「短剣でひと突き、/我と我が手ですべてが清算できるというのに」と自ら命を絶つことに思いを巡らせる。亡霊に会う前から自殺願望を口にし、上記の引用でも、短剣で死ぬことを考えているのだから、「To be, or not to be.」は「生きるべきか死ぬべきか」の迷いだと思う。そのうえで、この先の意味を考えてみたい。心の内でひたすら耐え忍ぶか、それにとどめを刺すかと彼が迷っているやみくもな運命の矢弾や艱難の海とは何か。ハムレットはこれを、以下のように語っています。
権力者の迫害や尊大な者の傲岸無礼、
報われない恋の苦しみ、裁判の遅れ、
威張りちらす役人、優れた人物が耐え忍ぶ
くずどもの蔑み
一見、ハムレットの個人的な悩みをこえて、人生の普遍的な困難について語っているように取れるセリフ。ですが、ひとつずつ見ていくと、これもすべてハムレットの個人的な悩みと重ねられる。「権力者の迫害や尊大な者の傲岸無礼」は、先王を殺して王座をのっとったクローディアスの振舞い。「報われない恋の苦しみ」は、オフィーリアとの恋愛がうまくいかないこと。「裁判の遅れ、/威張りちらす役人」は、「イスラエルの名判官、エフタ殿」(102)に例えられるポローニアスのこと。
また、オフィーリアは狂気にとりつかれる前のハムレットを「この国の希望ともバラの花とも仰がれ、/流行の鑑、礼節の規範、/あらゆる人の注目の的でいらした」(125)といっているから、「優れた人物」はハムレット自身のことと読める。かつては将来を嘱望された王子が、このあとポローニアス殺しがきっかけで狂気の人といわれ国外追放となり、蔑まれていく未来の予言になっていますね。ハムレットはこうして、王権争いも、恋愛も、親子関係も、従臣らとの関係も、世界の一切合切が思い通りにならなくて憂いているのだと思う。
13 意識の働き
この場面で、ハムレットは「短剣でひと突き、/我と我が手ですべてが清算できるというのに」と死ぬことに思いを巡らせながら、死を決断できないのは「死後に来るものが怖いから」「意識の働きが我々すべてを臆病にする Thus conscience does make cowards of us all」(121)のだという。〈conscience〉は、良心や善悪の判断力、道義心のこと。これも法律や社会のルールに結びつく、人として言葉を覚え、理性的にものを考えられるようになったからこそ身につく力。神話的にいうなら、アダムが知恵の実を食べたことで獲得した能力ですね。
この言葉は、ハムレットがいう「芝居だ。/この罠で王の罪の意識をあぶり出してみせる The play’s the thing, / Wherein I’ll catch the conscience of the King.」(114)というセリフや、クローディアスの「いまの一言、俺の良心を激しく鞭打つ。 How smart a lash that speech doth give my conscience.」(119)など、兄殺しへの罪悪感、良心を示す言葉としても使われています。
また後半、ポローニアス殺しの真犯人がハムレットだと説明した際、王はレアティーズに、「これで私が潔白だと分かったな Now must your conscience my acquittance seal,」(211)という。さらに最後、ハムレットと決闘する際に、ハムレットには内緒で剣に毒を塗っていることについて、レアティーズは「それにしても気がとがめるAnd yet it is almost against my conscience.」(263)という。レアティーズが最後まで名誉を気にしていたことは前述のとおりですが、それは〈良心・意識 conscience〉がしっかり働いているからこそ。名誉を気にする者は、conscienceが働いている、理性を保っている。
そんなレアティーズも、クローディアスが父を殺したと勘違いして激高し、王に復讐すべくはむかっていくときには、「良心も神の恩寵も奈落に落ちるがいい! Conscience and grace, to the profoundest pit!」(203)といい、発狂したオフィーリアを見たときには、「正義の天秤をひっくり返してやる Till our scale turn the beam!」(205)と叫ぶ。ハムレットは、ローゼンクランツとギルデンスターンを処刑するよう勅書を書き換えたことについて、「良心はちくりとも痛まない They are not near my conscience.」(247)という。頭に血がのぼって、怒りや狂気にとらわれているとき、〈良心・意識 conscience〉の働きは消えてしまう。理性を失い、善悪の区別が消えて、混沌へ還ってしまう。
このすぐ後、ハムレットはホレイショーに向かって、自分がクローディアスを殺すのが「正義なんじゃないか? is ’t not perfect conscience」(248)といいます。ホレイショーは、「運命が下す打撃も恩賞も/等しく感謝の心で受け止め」「情熱と理性が見事に調和し」(132)た「激情の虜にならない男」。ハムレットが理想とする性格の持ち主。これを言い換えれば、どんなときも〈perfect conscience 完璧な意識の働き〉を持っている人ということになるかもしれない。ハムレットはそんな友人に、クローディアスに復讐するのが〈perfect conscience 正義だろうか?〉と問いかけている。すぐに激情にとらわれてしまうハムレットは、この期に及んでまだ迷い、正義や意識について悩んでいる。
「この世の関節がはずれてしまった。ああ、何の因果だ。/それを正すために生まれてきたのか」(68)「客観的な善悪などない、主観が善悪を作るんだ」(94)といい、〈意識の働き・判断力 conscience〉が邪魔をして死ぬことさえできないと嘆いていたハムレットにとって、conscienceこそが苦しみの根源。彼は自分なりに考えて善悪を判断しよう、自分が信じる正義を行って世界を正そうと闘いながら迷い続け、最後に望み通りconscienceのない世界へと旅立っていきます。
14 勅書の書き換え
クローディアスは、ハムレットをイギリスへ送る際、以下のような内容の勅書をローゼンクランツとギルデンスターンに託します。
デンマークの安寧だとかイギリスのためだとか
もっともらしい理由をあれこれ並べ立て(中略)
書状一読のうえは一国の猶予もおかず、
いや、斧を研ぐ間も待たず
(ハムレットの)首をはねよ
ハムレットは船上でこの勅書を、国王からの依頼状という体裁で書き換えたことについて、以下のように説明します。
イギリスがデンマークの忠実な属国であるならばとか
両国間の友好が棕櫚の繁るに似たるならばとか
平和の女神が常に繁栄の花冠を頂き
両国の宥和の絆となるならばとか
そういったもったいぶった「ならば」を並べ立て、
この書状一読のうえは
本状持参の者をすみやかに死刑に処し、
懺悔のいとまも与えぬこと(と書きかえた)
そして、偶然財布の中に入っていた「デンマークの国璽の写しを刻んだ/父上の指輪」で封印をしたという。
王クローディアスの勅書は、デンマークが他国と交流し、王国を運営する礎となるもの。騎士道のおきてに基づき、明文化された契約での領地譲渡と、それが証明する名誉に疑問を呈し、不動産証書を批判していたハムレットが、王の正式文書を書き換えるということは、ハムレット=息子が、クローディアス=象徴的父の創り上げた世界観を乗り越え、自分なりの世界観へと塗り替えること、再創造することを示す行為ともいえるのではないでしょうか。
「棕櫚の繁る」「平和の女神」「繁栄の花冠」は豊饒や楽園、花が咲き乱れ果実が実る理想の庭のイメージ。また、この戯曲では、現王クローディアスが「わが国の関節がはずれ Our state to be disjoint and out of frame」(23)といい、これと呼応する形で、ハムレットも別の場面で「この世の関節がはずれてしまったThe time is out of joint.」(68)といいますね。この関節jointは、桶などをつなぎとめる箍を想起させる言葉ともいえる。ハムレットが口にする「この世」が神話の円環(下記参考)のイメージだとしたら、勅書の封印に使われた指輪は、この円環が閉じるイメージ、はずれてしまった関節が、一連の悲劇を経て再びつなぎ合わされ、デンマークに平和が訪れることを暗示しているようにも思えます。
ハムレットがこの勅書の書き換えを、「前口上を考え出す前に/芝居の幕が上がったようなものだ」(245)と表現しているのは、何が正義なのか未だに迷い続けている、依然として未熟な、王になる準備がまだ十分にできていない自分が、勅書を書き換えるという王と同格の行為を行い、クローディアスを倒すためにデンマークへ戻らなければならないことへの不安と覚悟を示したものではないでしょうか。
ただ、ハムレットが新たに創造しようとしている世界で、王子はローゼンクランツとギルデンスターンを容赦なく殺してしまう。これもデンマークに平和をもたらすため、神話的な浄化の意味で必要な死の一部なのか。あるいはハムレットが仮に最後のレアティーズとの決闘で勝利し、次の王になったとしても、父親たちと同様、騎士道精神に基づいた名誉のような幻や損得勘定のために戦争し、復讐が復讐を呼ぶ悲劇の歴史が繰り返されるだけだというシェイクスピアの皮肉なのか。この解釈は、優柔不断なハムレットのようにいまだ私の中で揺らぎ続けているのですが……。
今回はここまで。お読みいただき、ありがとうございました。
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